こんなふうに、振り返れば、あっという間の八年。



 黒谷は相変わらずのジャイアニズムを発揮し、馬鹿だ役立たずだと罵られる俺は黒谷命令で着実に資格を増やす。 語学は英語ドイツ語に加え、 「目先が変わって和むだろう?」 といい加減な事を言われて習った広東語。 娯楽に関しても黒谷は貪欲だから、スキー、ゴルフ、テニス、ダイビング・・・・・・そう、ダイビング。


 ライセンス取り立てで迎えたバカンス。 ならば実地だぜ? と、滞在先のセブでいきなり船から突き落とされた時はマジで鬼だと思ったが、翌年、小型セスナのライセンスを取れと命じた黒谷の顔は鬼というより悪魔だった。 とはいえ、ジェットコースターにも乗れない俺は こればかりは勘弁して下さい と久々の泣きが入り、勿体ぶった譲歩の結果、小型船舶のライセンスを俺は手に入れる。 何故船なのかは考える必要もない。 単に黒谷自ら、出先で船動かすのが面倒だからだろう。 


 要するに黒谷にとって、出先で船を出させるのも、夜中に煙草を買いに行かすのも同じなのだ。 日常も非日常も境目無く、地繋がりで存在する黒谷独特の価値観。 それはまんまと俺に流用され、いつでも俺様天下な黒谷と、その隣りに立つべく同レベルまでパシリスキルを上げ続けねばならない俺と。 飛び越え続けるハードルは日に日に高くなるばかりだが、俺はクリアし続ける自分を誇らしく思うし、クリアし続けて見せるのが自分の矜持だと思っている。 何故なら、黒谷の隣りには俺があるべきなのだ。 どうしようと何しようと黒谷が居るならば、それが俺にとっての普遍だから。 

 なんて、言うのは簡単だ。 
 現実はモスクワの朝の如く厳しい。


 この八年、黒谷は俺にとって変わらずそこに居る普遍だった。 そして時は流れ、動乱の大学四年間は多忙を極めつつも主席で卒業、院生2年も優秀な成績を納め、〆は自分で自分を褒め称えたい司法の一発合格。 俺は資格の総合商社と呼ばれる程度に芸達者な男になった。 それは世間でいうところのエリートそのままだが、なに、目の前には超エリートの黒谷が居る。 俺は黒谷の傍を離れず、黒谷は俺を離さなかった。 だけど、ここで、学生という身分を失ってふと思う。 まだ、こんなふうに居続けて良いのだろうか? 

 有り余る持ち札を備えた俺は、一人で放り出されたあの頃とは違う。 もう、一人で生きて行ける筈だった。
 けれど、今の俺はどうだろう? 

 一見恋人同士に見えなくもない黒谷との関係も、身包み養われている以上、一番的確な表現は愛人だ。 隣りに居続けたいと願う俺の理想そのままの生活ではあるけれど、対等な関係かといえばちょっと違う。 まぁ、いきなり同居から入った関係だ。 

 しょうがない。 

 あくまでイレギュラーな始まりだから普通を求めるのは無理と言うもの。 

 しょうがない。

 けれど本当に、このまま しょうがない で良いのだろうか? 

 メリットだらけの俺に比べ、男の愛人を囲う黒谷の未来とは、果たして幸福なものといえるのだろうか?  もしかしたら同居を解消したほうが良いのかも知れない。 黒谷からは切れないだろうから、俺から今の関係を清算し、その上で改めて黒谷生涯のパートナーとなるべく歩む事が、真に黒谷の為なのではないか? 



 小さなしこりを抱えたまま、俺は司法試験合格後の研修地が秋田である事を告げられた。 弁護士を目指す俺は司法研修の為、ほぼ一年、秋田に飛ばされる。 これは物理的な、黒谷との別離宣告だった。 ならばこれは切っ掛けなんじゃないか? 幸い、ヘソクリが随分貯まっている。 それすら元は黒谷の懐から出た物ではあるが、一人で暮らすには充分心強いだろう。 待っててくれというひとことが、酷く傲慢に思えた。 傍に居られない愛人なんか、必要ない。 食事の支度も洗濯も、家事で黒谷が困る事は一つもないと思う。

 けれど、でも、俺が困る。 それじゃ困る。 
 必要とされなくなる俺は、苦しい。
 苦しい気持ちは、このままで居たい俺のエゴ。  わかっているけれど、でも。

 だから、決着をつけるべきなのかも知れない。 黒谷との今後をどうして行くのか? もう充分、と俺から身を引くべきか? 

 答えは考えなくてもすぐに出た。 
 だけど駄目だ。 その答えじゃ駄目だ。 
 出て来た答えは、俺自身が最も回避したい正解だから。


 ――― で、


 結局のところ、俺は自爆してしまった。 


 研修地通達からわずか三週間、俺は深夜の救急外来へ搬送された。 胃には無数のポリープと小さな潰瘍が二つ出来ていた。 



目覚めると、ベッドサイドには苦々しい表情の黒谷がいた。 憤懣遣るかたない、という表情で黒谷が言う。 


 「・・・・・・ お前、俺の行動力を甘く見るなよ?」


 それきり、黒谷は病院へは来なかった。 



 黒谷が来ない。 居る筈なのに会えない。 

 そんなのは初めてだった。 意図して無視されるのも初めてだった。 これが終わりなら呆気ないものだと、薄いカーテンを引いたベッドに蹲り、やたらと重い布団を被って泣いた。 泣きながら、これで良かったのだと思った。 これで全部が巧い事行くのだと、思おうとして、やっぱ全然駄目じゃん・・・・・ とまた声を殺し、鼻を啜った。

 そんなにお腹が痛い? と勘違いした看護師が痛み止めの注射を持ち出すほど、俺は泣き続けた。 恥も外聞もない。 そんなもの黒谷を失った俺に、あるわけないじゃないか。


 翌々日の正午、ごっそり薬を貰った俺は小さな鞄一つで無事退院した。 正味、一日半の短い入院だった。 人生の転機になりそうな入院だった。 支払いを明日以降にして貰おうと尋ねた受付で、もう清算は済んでますよと言われ、そこまでけじめをつけた黒谷を思い、本当に終ったのだとまた涙が出そうになった。 暗い気持でとぼとぼバス停に向かう。 風はまだ冷たい。 羽織ったフリースは、家用の薄手だった。

 溜息を吐く俺に、忍び寄る黒い影。

 パァンとクラクションを鳴らされて気を付けの姿勢に強張る。 バンと助手席のドアが開き、 乗れ と 一日半ぶりの黒谷がぶっきらぼうに言った。 躊躇していると、中から腕が伸びて引きずり込まれる。 ガチャリとロックが掛かった。 そのまま拉致同然に俺を乗せ、車は滑るように走っる。

 どこへ行くのか何をするのか、訊いても黒谷は言わない。 


 「お前がダンマリしやがるなら、俺も言わない」 


 そう言ってハンドルを握る表情は、不機嫌というよりはもう少し捩じれた感じの、例えるなら拗ねたガキ大将のような顔。 

 宣言どおり、黒谷は沈黙を決めた。 やがて幾つかの料金所を過ぎて嫌な予感が広がる。 そして案の定。 着いた所は秋田。 よりに寄っての研修地。 窓の外を顎で示し、黒谷が言った。


 「・・・・・・ お前が俺を置いてここで楽しく遣るってのなら、俺にも考えがある。」


 そして車は更に少し走り、唐突に停まる。 どこかの駐車場のようだった。 降りろ と促され、鞄をぶら下げた俺は渋い表情の黒谷へと続く。 駐車場のすぐ裏、真新しいマンションに黒谷は入り、エレベーターに俺を押し込むと7階を押した。 ワンフロアに部屋は五つ。 ポケットから鍵を出し、一番端の部屋を開ける黒谷。


 「俺は来月から、週末をココで過ごす。」


 窓辺の逆光に立ち、不敵に言い放つ黒谷は、ニヒルで冷酷なハリウッド映画の悪役みたいだった。


 「だからお前は愛人らしく、ココで俺を心待ちにしろ」


 あぁ確かに。 

 確かに俺は、黒谷の行動力を見くびっていた。 つまり、そう言うこと。 生成りの壁、フローリング、出窓、新築の匂いがする2LDK. 黒谷はとっくに知っていた。 司法研修の事も、それが一年の秋田だという事も、全部承知の上、黒谷は待っていたのだ。 俺がどう出るか、どう切り出すか、そしてどんな風にこれからを見据えるか。 

 だけど俺は、ひとことも言えずに自爆した。
 しかも言えないことよりずっと、言ったその後を悲観して、胃に穴まで作った俺なのだ。 

 だが黒谷は、俺が潰瘍つくるくらいに悩んだそれを、こうも呆気なく打ち破る。
 黒谷は、たった1日半でこれをセッティングしたのだ。 それらは決して財力云々の話ではない。


 「・・・・・・なぁ、考えてみろ? 痩せッこけて文無しのお前を、わざわざ拾って太らした善人は誰だ? 無能の塊だったお前を、世間に恥じないレベルに引張り上げた苦労人はどこの誰だ?」


 ニヤリと覗き込む顔に泣きそうになったが、ここで泣いたら格好悪いにもほどがあるので、睨みつけて アンタだよ! と怒鳴った。 そして飛びついてキスをする。 やだやだ、絵に描いたようなバカップルの痴話喧嘩。 ありえないよと思いつつ、夢中で貪るキスはいつもよりずっと感じた。 濡れた唇を指先で拭い、企む顔の黒谷は、敏感になった耳朶に 覚えとけよ? 囁く。 


 「俺は、釣った魚は骨まで味わう主義なんだ」


 そして、背中から俺にへばりついたまま部屋の中をうろうろ見て回り、奥の八畳ほどの洋室を示すと、ここが寝室だと言った。


 「遠距離恋愛は、燃えるぜ〜?」


 やっぱり、そこか・・・・・・



 これが俺と黒谷、八年の歴史のにおいて最大の危機だったとも言える、 『サヨナラ僕たちのモラトリアムな日々事件』 の顛末だ。 後にも先にも、俺が黒谷の事で泣いたのも、黒谷が俺を無視するほど腹を立てたのもこれきりだった。 

 
 その後、有限実行の黒谷は週に一〜二度を秋田入りし、 寂しかったろう? 俺に会えて嬉しいか? 一人寝に泣いたか? など自分だけが楽しい脳内設定にドップリ浸り、ハードな研修の日々に疲労もマックスな俺に構わず、技術と持久力を駆使した濃厚なセックスを満喫し、満ち足りた顔で自分のマンションへと帰った。 40間近の癖に、黒谷は元気一杯だった。 きっと俺より長生きだろうなと、なんとなく思った。 


 ともあれ、悩みは無用だった。 
 俺はなに不自由なく暮らし、秋田での一年ちょっとを過ごした。 



          * * *



 そんなふうにして、俺も二十五になった。 

 春には、雇われのリーマン弁護士として、黒谷絡みの企業弁護士を勤める花田弁護士事務所に就職が決まった。 事務所では毎日、全部で5人居る先輩弁護士のあとに引っ付き、ひたすら経験をつむ雑務と勉強三昧のハードワーク。 西に東に資料集めに駆けずり回り、法廷が近ければ作業は深夜を回り、時には事務所のソファーで仮眠する、半徹・完徹も珍しくないのが人気事務所の宿命で。 だけど、覚える事が沢山あると云うのは楽しかった。 確実に力をつけていると実感出来る瞬間は、尚嬉しかった。 

 けれど、ここで俺と黒谷の生活パターンは完全にずれた。 

 だけどこれは、俺のせいばかりじゃない。 同じ頃、黒谷の身辺もどうやら賑やかになり、会社に泊まり込む事や、今まで滅多に無かった10日前後の海外出張が増えた。 黒谷曰く 『爺どもにギャフンと言わせる準備だよ』 だが、俺が聞いてもわからなそうなので、そっとしておいた。 そもそも黒谷は仕事の話を俺にしないし、俺も詳しくは聞かない。 何でも話す黒谷がこうまで言わないのだから、それは聞くべきことじゃないのだろう。 

 小耳に挟んだ断片によれば、あれで世間に名の通ったIT関連の 「御偉いさん」 の一人だという。 そこには黒谷言うところの 『爺』 達による、厄介な骨肉の争いがあるようで。 だけどその実力はともかくとして、黒谷みたいな上司を持つのは、さぞや何かと波風立つだろうなぁと思う。 ましてやそれを、一々フォローせざるを得ない側近達の苦労を考えると、ホントに自分の上司でなくて良かった良かったと胸を撫で下ろすのだった。 


 とにかく、黒谷は急に忙しくなった。 何があったのかは知らない。 知らないけど、不安ではないけれど、触れ合う時間が激減したのは寂しい。 たまのたまぁの休みはどっと疲れが出て、ついつい爆睡してしまう。 だから顔を合わせるのは、朝っぱらと深夜くらいだった。 擦れ違うように抱き合い、掠めるようにキスをするだけの侘しい寂しいスキンシップ。 セックスレスは最長一ヵ月半を更新した。 

 その、一ヵ月半前のソレというのにしても、たまたまかち合った浴室で、互いに泡塗れで抜き合い、性急に立ったまま繋がったという定番AVさながらの即物的なセックス。 だけどそれなり溜まってたものだから、こういうのもアリだよとか思ってしまった自分がかなり厭だ。 加えて、いつもより早くイッた俺の後始末をしつつ、一緒にシャワーを浴びる黒谷が


 「たま〜に、無理矢理っぽいのも悪かねぇなぁ?」


 と、妙に嬉しそうにしてたのも、なんだか腹立たしくって厭だった。

 ありえねぇよ。


 それだから、こうして家で、二人でまったり過ごすのは、本当に久し振りだった。 



          * * *



 就職から10ヶ月、仕事に切れ間の出来たこのチャンスを逃さず、俺は消化出来ずに残っていた有給を思い切って使った。 

 纏めて三日というのは気が引けたが、花田先生は意外なほどあっさり、しっかり羽根伸ばしておいでと言ってくれた。

 ――― 仕事も大事だけど、若い君が世間から離れてゆくのは忍びないから・・・・・・ と。

 笑う先生は鷹揚で、一昔前の華族の大旦那の様に見えるが、法廷での老獪非情ぶりは業界一・二を争う豪腕だった。 そんな先生の後押しもあって、無事三日の休みを俺は手に入れる。 三日の有給は週末日曜に繋がり、正味四日の臨時休暇が出来た。 さて四日間・・・と思うと自然に頬が緩む。 休暇の始まりの木曜、黒谷が海外出張から帰って来るのだ。 


 出張前はこちらも徹夜が続き、その日朝一出発だった俺は、まだ眠る黒谷の、寝顔を眺めるだけの見送りしか出来なかった。 疲れた顔をしている黒谷を、わざわざ起こす事は出来なかった。 言ってらっしゃいも、頑張って来いもなく、黒谷はカリフォルニアへ行った。 実の所、こういう呆気ない見送りをするその後が、俺は怖い。 何故なら、同じくらい呆気なく、人は死ぬからだ。 

 八年前のあの日、本場の焼肉が不味かっただのと電話で不満を洩らしてた母親に、店が悪かったんだろう? と生返事で答えた俺は、借りてきたビデオを見る方が大事だった。 喋り倒した母親が最後に お父さんに代わろうか? と尋ねても、いいよいいよと切り上げ、サッサと電話を切ってしまった。 だから俺は、最後に父親と話したのがいつだったか未だに定かではない。 言いたい事も聞きたい事も、まだまだもっとあったのに、全て、それは叶わない。

 だから、いつだってほんの少し、出掛ける黒谷がちゃんと戻ってくるかが不安だ。 ましてや飛行機に乗るなら絶対だった。 ちゃんと戻って来るのか。 笑って、お帰りなさいと言えるのか。


 有給1日目、十時過ぎまで久々の惰眠を貪った俺は、良しとばかりに起き上がり部屋の片付けを始める。 そこらの衣類やベッド周りのリネンを洗濯機に放り込み、スーパーまで車を走らせると、食材だの酒だのをいそいそと買った。 今夜は疲れたところ無駄に動きたくはないし、手間要らずだから鍋の準備をした。 

 程よく詰まった冷蔵庫。 ひんやり飲み頃の大吟醸。 四角いチルドの空間で、メインの蟹は万歳をして待機中。 準備万端、ヨシと手を打った俺は己の愛人振りに なんだかなぁ・・・・・・ と、一人気まずい独り言を洩らす。 けれどそぞろな気持ちは、治まるものでもない。 会いたかった。 早く黒谷に会いたかった。

 一方、朝一で成田に着いた黒谷は直でオフィスに足を運び、そのまま事後処理に数時間を費やして体力の限界を迎える。 七日ぶりの我が家。 まだ日も高い十六時過ぎ、憔悴しきった有り様で玄関のドアを開けた黒谷は、待ち構えていた俺を引寄せると、余裕全然ないなぁと思うようなテクより本能なキスをして、あぁと空気が抜けるような溜息を吐いた。 

 あぁ・・・・・ ・本当に溜息がでる。
 本当に無事で良かった。 

 唇が離れても緩まない拘束に甘え、摺り寄せた首筋からはいつものコロンの匂いに混じり、ほんの少しの汗と日向の埃と黒谷の匂い。


 「アー悪い、俺、風呂入ってねぇから。 

 「うん、いいよ、しょうがないよ」

 「けど、風呂入ったら、もー多分起きれねえな」

 「うん、疲れてるんなら早く寝た方がいい」

 「・・・・・・ゴメンな、今日はヤレない・・・・」

 「うん、・・・ ッて、アンタ馬鹿でしょう? あのね、そんなのどうでもいいから!」
 
 「どうでもよかねぇよ。 俺、こないだ何十年ぶりに夢精したぜ?」


 馬鹿だ。 
 いい歳して、この男はこういうところどうしようもなく馬鹿だ。 

 だけれどそんな馬鹿に、心底惚れているのだと実感せずには居られない大馬鹿の俺。 


 「鍋・・・・・今日鍋なんだけど、寝るなら明日にまわそうか?」

 「・・・・手羽なんか入ってたら踏むぞ・・・」


 一度、自分が食べる分だけなら良いかと、寄せ鍋に手羽元を入れた事があった。

 けれど運悪く、白菜の陰に隠した筈のそれを選りによっての黒谷がキャッチし、瞬間ザァッと血の気が引き、見事な鳥肌を立てた両腕は正直かなりの見物だったのだが。 聞けば幼少時代、泊まりに行った田舎の身内宅、昼寝をしていた縁側の軒先で、寝起きの視界に映った、絞められ羽を毟られた数羽の逆さ吊りニワトリ・・・・・・ と言う衝撃映像を、未だに黒谷は忘れられないでいるらしい。 

 ともあれ、あの寄せ鍋事件を根に持っているのは確かだ。


 「・・・・・・ 入ってないよ。 蟹だよ。 たらばだよ。 凄い高かった」

 「・・・蟹か・・・・蟹・・・・・・ ヨシ。 風呂入ってから喰う。 でも、その前にもうちょっと、」


 身が出そうなくらいきつく抱き締められ、無精髭付きの頬摺りをされた。 


 結局、風呂から出た黒谷は、湯上りに煽った大吟醸が効き過ぎたか鍋が煮える間も無くゆらゆら船を漕ぎ出して、箸は握って居ても白河夜船。 余興の水菜やマロニーを操り人形の様に食べ、メインの蟹が食べ頃になる前に ゴメン、悪い、駄目だ・・・と、うわ言の様に呟き、無念の途中退場でベッドの上に沈んだ。 そして一瞬の内に爆睡。 余程疲れていたのだろう。 俺は眠る黒谷を眺める。 

 少しこけた頬は、ここ数ヶ月の多忙ゆえだろうか? 眠っていても男らしい、小憎らしいほど整った顔。 だけど目尻に小さな皺、出会ったあの頃より幾分硬さの取れた輪郭。

 確実に年齢を重ねた黒谷は、時折見え隠れさせていた小生意気な若造の域を脱し、より洗練された厚みのある大人の男になっていた。 だからきっと、この先も、益々研ぎ澄まされて行くのだろう。 立派な大人になって、ナイスミドルになって、爺になってもなお、ジャイアン振りを発揮するだろう黒谷。 その折々に居合わせられるなら、なんて幸せなんだろう? 

 果たして居られるだろうか? 

 黒谷の歳月はそのまま俺の歳月でもある。 二十歳も半ばに達した俺は、若さのギリギリだった。 けれど、人は歳を取る、歳月は誰の上にでも流れる。 ならば、どうしようもない事にクヨクヨするのは止めだ。 このまま歳を重ね、愛人としての価値がなくなっても、俺はこの男の傍に寄り添う事を願う。 あぁ、そうだ。 例えば黒谷が他の誰かを選んでも、俺と寝食を共にしなくなってもかまやしないのだ。 最初に拾われた俺だから、今度は押しかけるまでだ。 

 俺はどこまでも黒谷を追い掛けよう。 なに、今やそれが可能なくらいに、俺は優秀で有能なのだ。 黒谷仕込みの黒谷仕様のこの俺が、他のポッとでに負ける筈がない。 俺くらい黒谷好みの使える男は居ないのだから、俺は自信を持って俺を薦める。 俺にしておけ、と。

 のようなストーカー目標をこっそり掲げた俺は、そんな自分が少し薄ら寒くなり ・・・・・・ ありえないよ・・・・・ と、鍋の残りを片付けた。 



 翌日、昼過ぎまで死んだように眠った黒谷は、さぞやスッキリ疲れが取れたのだろう。 別のスッキリを満たすべく、様子を見に来た俺をまんまとベッドに引き摺り込み、バナナの皮を剥くような容易さで、俺のニットだのパンツだのを剥いだ。 




 最低。














                                              :: つづく ::



    百のお題  052 真昼の月 4