ところで。
俺にとって、長年、射精のエクスタシーとは 「疾走感」 であり、陸上でいうスプリンターの恍惚だった。
あの瞬間、コンマ一秒に賭ける刹那の快楽とでもいうのだろうか? 昇りつめ昇りつめスカッと突き抜け消失する。 男の快楽なんて要約すればそれだろうと、そんな風に知った顔をしていた俺なのだが。 けれど、それは間違いだ。 世の中には知らなくて良い事がある。 知らなきゃ済む筈の未知のエクスタシーが、確かに世の中には存在するのだった。
「・・・・・はッ、アッ・・・・ゃ、もッ、」
何度目かの絶頂に手足は使い物にならず、俺はへしゃげてカエルのように崩れる。 けれど黒谷は崩れ落ちる腰を力技で引き上げ、尻だけ持ち上がったそこに衰えぬ怒張を押し込んだ。 散々捻じ込まれたそこは、厭になるほど易々黒谷のペニスを飲み込む。 入り口は痺れたような熱を持ち、内側の粘膜は敏感に飲み込む怒張の凹凸さえも克明に感知して知らせる。 敏感な部分を突かれ、押し付けたシーツに悲鳴を吸わせた。
「・・・・・ もっぺんイッとくか?」
突き上げ、反らした項に唇を寄せ、甘く囁く男の言葉なんか信用するもんじゃぁない。 もっぺんもなにも、何回目だと思う? 返事をしない俺の乳首を、突き上げながら黒谷が摘まむ。
「・・ぃやッ、も、もぅ・・・・ぁあッ・・・・」
遊ばれすぎた乳首はぷっくり赤味を増してヒリヒリした。 緩急をつけた抜き差しは、奥寄りにある敏感なそこばかりを擦る。 直接神経に触れるような快感は、こうも立て続けだと苦しい。 強制的に昇りつめらせようとするソレから、少しでもポイントを外そうと萎えきった腰を必死で捩る。 だけど一際大きく、最奥を突き上げられ、強すぎる刺激にギュッと目を瞑り震えた。 震える身体を手の平がなぞり、通りすがりに指先がまた乳首を擦る。 再開する執拗な粘膜への刺激。 痛気持ち良いギリギリに、身体は跳ねた。
もう勘弁。
寝起きの黒谷の暴走は、止まる事を知らない。
久し振りのセックスに、俺の身体は少し戸惑っていた。 何しろあんなものを捻じ込まれるのだ。 他人のペニスをまじまじ見る機会など無いが、黒谷のソレはでかい。 総身に合ったと云えばそうなのだが、今まで標準と思っていた俺も少々自信を無くすブツで、初めてソレを目にした時の感想は 『絶対無理』 だった。
絶対無理だろう? ありえないって。
あの時、確かに気持ちは盛り上っていてその覚悟は決めた俺だったが、想像を遥かに越えたブツと、男は初めてだという黒谷の弁に、怖気づくというよりは無鉄砲さにドン引いていた初めての晩。
そんな俺に対して、黒谷は実に言葉巧みだった。
――― 大丈夫、怖くないから、痛くなんてないから、任せろよ・・・・・ 優しくしてやるって、
・・・・・なんて、子供相手の歯医者みたいな事を言って大嘘吐きめ! 終いには 『穴という穴でイカせてこそ、男の醍醐味よ!』 と、訳のわからない抱負まで持ち出して、あらぬところを拡張し始めた黒谷が、真っ先に探したのが前立腺という魔性スポット。 世の中には確かに、知らなくて良い未知の快楽があるのを俺は不本意ながら知った。 そして疾走する快楽と真逆な、もうひとつの快楽をも知る羽目になった。
抱えられた尻に、黒谷の突き上げは続く。
「・・・・な、イクか?・・・・イキたいか?・・・・」
甘い糖蜜みたいな声で悪魔は囁くが、指は俺のペニスに巻きつき、根元を封じられている俺は、ただただ悲鳴のような嬌声を繰り返すことしか出来ない。 うねりをあげる官能は、俺をただの肉塊に墜とす。
機械的に、ポイントだけを攻める容赦無い突き上げ。 だけども、そう何度もイカされてはコッチがもたない。 なのに、ぐずぐずに蕩けた身体は容易く唆され何度目かの頂点を目指す。 抜けるギリギリまで引き出されたソレが、再びポイントを突いた。
「・・・やッ、アッ、アッ・・・・・・」
イキたい! イキたい! イキたい!
これは抗いがたいオスの本能の要求。
なのにこの男ときたら
「イキたいか?・・・そうか・・・・・・可哀想に、 なら、名前・・・・」
こんな時だけわざと、
「・・・・・・ 呼べよ、・・・・名前だよ?・・・・・・呼んでみな?・・・・・・・ ほら・・・」
「・・・アッ、アッ、ぁアッ・・・・黒谷ッ、・・・・」
「・・・・そうじゃねぇだろ? 強情だな、・・・」
「・・ひ、いあぁぁッ、・・・・・」
もうおかしくなりそうだった。
限界を超えた快感に、涙がぽろぽろと零れた。 しゃくりあげる俺は開放を求め、ひたすら快感だけを追う。 手の平が濡れた頬を撫で、反らした喉元に触れた。 慰撫するような感覚に一瞬力が抜けたその瞬間、後ろ手に左手を引かれ、半ば上体を起こされたまま、圧し掛かるようにして激しく腰を打ち付けられた。
「・・・・・・ ぃやッ、はッ、・・はッ、ぁッ・・」
「苦しいか? イキたいだろ? な?・・・・・コウイチ? ・・・・名前呼べよ、コウイチ? ・・・・・」
こんな時だけ呼ばせるのだから、
「ひあッッ、・・・・ゃッ、あっあっあっ、・・・・ま、・・・マサキッ、マサキッ、ゃッ・・・イキたい・・・ぃッ・・・もっ・・・あああっッッ!! 」
塞き止められた根元が解放され、チカチカする射精のエクスタシーに頭が真っ白になる。
と、同時にグイッと突き上げられ、反射で締め付けた黒谷のペニス。 唐突に突き上げが止まり、繋がったままの静止。
どうやら仲良くイッたらしい。
ガクリと力が抜け、崩れる身体を黒谷は抱き寄せた。 そのまま膝に据わらされたような体位で、ダラダラ精液を吐き出す先端を絞り込むように握られる。 差し込まれたままのペニスは未だ微妙な硬さを持ち、直後の余韻の残る粘膜にはなかなか厳しい。 釣り上げた魚のようにビクビク痙攣する身体。
だからこれは、疾走するソレではない。
アナルで迎えるエクスタシーは、ペニスでイクそれとは比べ物にならない。 ビクビク震えながら、長い長い余韻を味わうソレは、長距離走者のエクスタシーともいえる。 俺にそれを覚え込ませたのは黒谷だ。 俺の身体は、黒谷のペニスで絶頂を得るのだから。
「・・・・・コウイチ・・・・・・・」
凭れ掛けた背中に汗ばんだ黒谷の身体。
荒い呼吸音が重なる寝室は亜熱帯の密度。
「コウイチ・・・・・・」
抱き締められた首筋に、そっとくちづけが落ちた。
だから、この男はずるいのだ。
こんな時だけ名を呼ぶのだから。
* * *
結局、昼に食べる筈の蟹雑炊を、夕方に食べた。 夜は外食の予定だったが、ガタガタの俺は動く事すら侭ならず、贔屓の寿司屋の出前を取って簡単に済ませる。 後ろ暗いところのある黒谷は、気前良く大トロ付きの特上を頼み、四貫しかないそれを全部食べろよと箸で示す。 そんな愁傷な振りをする男に俺は、さほど得意でないウニを譲ってやった。 たまに食べる寿司は美味しかった。
その後は、だらだらと二人でベッドに寝そべり過ごした。 隣りの部屋からテレビをレッカーして、古いハリウッド映画をBSで観た。
けれど始まる早々、 「コイツ、どうしようもない馬鹿野郎だぜ?」 だの 「よりによってこの女かよ?」 だの 「あー勘弁しろよ、これで勃つのかよオマエ?!」 だの、一々黒谷はうるさい。 なので、暫く無視する事にしたが、中盤あたりで急に静かになり、ふと見れば俺に巻き付いたままスヤスヤ穏やかな眠りの中だった。 まだ九時前なのに。
仕方がないので、電気を消し、俺も隣りで丸くなった。 二人でくっつき合って丸くなって、動物の兄弟になったみたいだった。
そんな風にして、眠ってばかりで二日。
今日こそ出掛けるぞ! と決意して起きたのは、やけに早起きをした三日目。
* * *
まだ寝ている黒谷を起こさないように、薄くブラインドを開ける。
靄が掛かったような朝。 けれど、風が走る秋の上空は青い。
ぼんやり見上げていた俺の背中に、いつの間にか目覚めた黒谷が張りつく。
「・・・・なぁ、仕事楽しいか?」
突然、何を言うのだろう?
振り返ろうとした俺だが、抱き締める両腕がしっかり押さえつけ叶わない。
「仕事・・・・今はきついけど・・・その分、遣り甲斐はありますよ」
答える俺の胸に、そっと押し当てられた手の平の熱。
「その遣り甲斐あるそれをさ、来年三月で辞めるって無理か?」
「な、なに言ってんの?!」
どの顔で言うのかと、絡む腕をふりほどかんと身を捩るが、ギュウギュウに絞めた腕はびくともしない。 顔を見せたがらない黒谷の顎は俺の後ろ向きの肩の上に落ち、無精髭の頬はぺたりとこめかみと耳朶に寄り添う。 すっと息を吸い込む気配がした。
「・・・・・・ 来年、カリフォルニアに拠点を移す。 スタンフォードのラボで組んでた仲間と、会社を立ち上げる事になった。 公式には来年四月としているが実際、中身の方は既に走り出している。 俺はそこに、お前も連れて行きたい。」
急に多忙になった黒谷。 引っ切り無しの海外出張。 ここ数ヶ月のパーツが、一つの塊になった。 そうか、黒谷は日本を離れるのか。 海外で起業するのか。 喜ばしい事だと思う。 ましてや、俺をつれて行きたいって?
だけど、現実味がない。
「・・・・・着いて行って、どうするの? 俺は、あなたたちの役に立てるんだろうか?」
着いて行けるのなら、行きたいのは当たり前。 俺はずっと黒谷の傍に居たかったし、ずっと傍に居て、誰よりも役に立つ存在で居たかった。 そして自分に、それなりの自信を持ち始めていたこの頃、それも可能なんじゃないかと思い始めていた。 だけどそれは、この日本の狭い世界での話だったかも知れない。
「俺、ここで、日本のここでなら、あなたの役に立てる自信があるよ。 だけど、非凡なアナタと対等な立場の天才達の中に入ればどうだろう? そん中でも俺に、価値なんかあるのかな? そう、はっきり言えばセックスの相手するより他に、俺がそこに存在するって意味ってあるんだろうか? 」
「あるに決まってるだろう!!」
「ぅわッ、」
耳元で叫ばれて鼓膜がキーンとなった。 イキナリ何だよと怒鳴りつけようとする俺を、グルリと黒谷は引っくり返し、至近距離に向き合う形で座らせる。 ようやく顔を眺める事が出来た。 怒っているような、緊張しているような、未だかつて見た事のない黒谷の表情。
「着いて来て欲しいんだよ」
肩に置かれた両腕が滑る。
「一緒に着いて来て欲しいんだ」
腕を滑る手の平が、子供のお遊戯のようにそれぞれ俺の両手を握る。
「役に立つも何も、お前以上のなんか何処に居るんだよ? 居ないだろ? 居ないじゃないか!」
握り締められた手の平が薄っすら湿り気を帯びるのは、多分、俺のせいだけじゃない。
「俺は身内の鬼ッ子だから、面倒な事はとことん逃げ回って、どうでも良い顔をしてずっと生きてきた。 適当に肩書きつけて適当にジジイ儲けさして適当な女とガキつくって適当に終る一生で、それもまァ良しと思っていた。 どうでも良かった。 だけどお前を拾って、どうでも良くない人生になった。 最初は興味半分だったがな。 でもそりゃ、ほんの最初だけだ。 満ち足りるという事を俺はお前に教えて貰った。 己の人生が意味あるものなんだと初めて思った。 厭で厭でしょうがない家だの身内だの、その厭な場所から逃げ回らずに、きっちり離れる方法を模索するようになった。 その為なら何でもやった。 何でも遣ったが、辛いと思った事はない。 おまえと生きようと思ったから、俺はやれた。 」
―― お前が居たからな・・・・・
零れた呟きが耳朶を打つ。
「だから、―――― 七年前、俺は爺と契約した。 俺が四十になるまでは、とことん会社に利益を残そう。 だけどそれ以降は一切、互いに干渉しない。 代わりに俺は、家に関する一切の相続権を放棄する・・・・・」
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんな大事なことッ、・・・・」
「大事だからだろ?」
握った両手をぐいと引かれ、トンと倒れ込む胸の中。
「大事だから、ここまで来れたんだろ?」
押し付けられた胸は、深い森を通る風の匂いがする。
「勝手言ってるのはわかってる。 だけど、今度ばかりは譲れない。 お前には黙ってたが、花田先生だけには大まかな筋を話してある。 ――― 一年後には、お前をカリフォルニアへ連れてくかも知れない。 連れて行ったら、向うで企業弁護士をさせるから、訴訟はIT関連中心に叩き込んで欲しい・・・」
俯く頬を両手の平が包み、見下ろす真っ直ぐな目が俺にこう訊いた。
「・・・・・・ 俺と、一緒に歩いてくれるか?」
甘い、切実なお願いには、八年分の心意気。
「あんた馬鹿ですね、あんたに俺以上のパートナーはありえないでしょ?」
「おおおおおお!! ヨッシャァ〜〜〜〜ッ!!!」
途端にグルグル天地が回る。
雄叫ぶ黒谷に抱きこまれ、そのままゴロゴロと転がった俺。
イイぞ! イイぞ! イイぞッ!
子供のように叫ぶ黒谷と、でかいベッドの上を右に左にゴロゴロと転がって。 転がり途中に巻き込まれて巻きついたリネン。 身動き取れなくなった太巻きのような有り様に、二人くっついたままゲラゲラと笑った。
いつしか外は透明な光。 靄はすっかり晴れたらしい。
笑いの余韻に息を切らして、黒谷が言う
「さァて手始めに、爺のとこの訴訟を片付けろ。 餞別代りに広島の研究所を至って合法的に譲って貰ったが、早速訴えてきたらしい。 やったな? 喜べ、お前の初仕事だ。 なんたって八年がかりで、この俺が仕込んだんだから、ガッツリ一生尽くして貰わなきゃな?」
晴れやかな黒谷の肩越しに、どこまでも青い秋晴れの空が広がる。
そんな青い空の端っこに、ぽかりと白い月。
誰でも一度は見た事がある、晴天の中空に佇むシュールな存在の残月。
その在り得なさと当たり前さは、黒谷という人間そのもののようで、
思わずクスリと笑って、 任せとけ と本物を抱き締めた。
10/26/2007 :: おわり ::
百のお題 052 真昼の月 5
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