夢を見ていた。 
          懐かしい、優しい夢を、沢山見ていた。



 父親のボルボで地元の市街地を走る。 ワクワクするのは夜のドライブ。 野球でレギュラーになったお祝いに、レストランに連れて行ってもらう夢。 助手席の母が振り返って笑う。 父がミラー越しに笑う。 ―― 今度は俺、もっと凄いからッ! ――  

 裸足の足の裏にこそばゆい青々とした芝生。 花壇のベコニアをグラスに摘み取る母の白い手。 ―― ねぇ、お昼、お蕎麦でいい? ―― ゴルフの素振りをする父親の、お腹が出てきたねと母が耳打ちをする。 ハゲの兆しは無さそうだよと答える俺。   

 小六の春休みには富士山に登った。 歩きも喋りも順調な母。 六合過ぎから既に、相当後悔している父。 頂上直前、お先に! と走り出した俺。 一番乗りの天辺で、ゴロリと転がり見た恐ろしいほどの青空。

     -- 日本一高い空はどうだ?--   ちょっと怖い。 −− でも綺麗ねぇ。--   うん、綺麗だ。 


 楽しい、嬉しい、うん、うん、ずっとこんなだといいね。 

 うん、ずっと、ずっと、みんなで笑っていたい・・・・・



          ***



  目覚めれば全裸。 どでかいベッド。 窓の外は超高層。 

 点在する柱のようなタワービル。 豆粒ほどの建物。 車。 縫い目みたいな道路のその先、ファイのマークに似たジャンクション。 それらの世界を隔てるのは、灰紺に光る都会の海。

 ッてココどこ?



 ババァ〜ンとドアを開け放ち、御出勤前といった出で立ちの嘘吐き色男が再登場。


 「暢気に朝寝坊か? いい御身分だなぁ!」


 朝からすこぶるご機嫌だ。

 だがこちらは不機嫌通り越して恐慌だ。 
 聞きたい事は山ほどある。 ここはどこ? アンタは誰? 


 あ、あのッ、」

 「飯は喰うのか? 学校はあるのか? パンとコーヒーなら用意がある。 俺はここを8時に出るから、それで間に合うなら近くまで乗せてやる。 あー帰りに着替えくらいは、持って来いよ。 なんだ? 裸が好きか? それならまァ吝かでもないが、残りの荷物は業者に頼むから、住所、あとでメモッとけよ。 で、」

 「え?」

 そら、 と差し出された封筒に万札がミッシリ。 

 「とりあえず一ヶ月これで遣れ。 朝はパン、夜は何でも良い。 俺は毎朝このくらいだから、七時過ぎには喰えるようにしとけ。 夜は、早ければだいたい九時には帰る。 遅くなる時は連絡する。 お前もしろ。」


 男は鼻歌を歌いながら片手で携帯を弄っている。 とっても見覚えのある機種
 あー俺のとおんなじー    ッて俺のだよ。


 「よーし、登録しといてやったぞ。」

 「わッ! アッ! 勝手に! 何コレ御主人って?!」 


 なにコレ、この展開? 
 戸惑う俺なんてお構いなしに、男の関白宣言はまだまだ続く。


 「手始めに第一の任務は家事全般ってとこだが、おまえの料理に期待なんかしちゃいない。 最低限、人が喰えるものを作れ。 ただし、椎茸と鶏の皮付きだけは死んでもここの家に持ち込むな。 見つけたら承知しねぇからな。   掃除機は・・・確か玄関脇の納戸にあったと思うが、まぁ気がついたときだけで良い。 おまえが少々ズボラでも月・木で業者が掃除に来るから、そこらの物を無くしたり壊したりしないようにだけ心して置け。 特に俺の部屋のもんは触るな。 こっそり机の上を整理してあげようとか不吉なことは考えるなよ。   ・・・と、金は無駄遣いすんな。  残ったのは好きに使え。」

 「や、あ、あなた、えぇとあの、ちょっ、」


 慌てて数えた札の数は三十枚。 一ヶ月で三十万?


 「なんだよ不満かよ? どこのブルジョアだ?」

 「いや不満とかじゃなくて、ちょっとあの、これどう云う事ですか? 昨日俺・・・・・・ 」


 そうだよ昨日、俺、あれからどうしたか? 何故マッパ?  服はどこ? 

 札入り封筒を握り締めたまま、ベッドサイドの男を目で訴える俺。 けれど、鼻で笑う男は肩を竦め、リベート開始とばかりに開きかかった唇。 やばいよ、喋られたら最後の論破必須だよ! 先手必勝、流れ出す第一声を遮ったのは俺。 


 「ねぇちょっと待って、アー勝手にあの、昨日何あったかわかりませんけどここ何処ですか? 俺の服は? あなた」

 自己主張はしっかりと。

 掴み掛かろうと立ち上がれば無防備過ぎる下半身。 ヒャァとうろたえシーツを巻きつける俺ってば、まんま 『酷い男にヤリ逃げされかかってる乙女の図』 を踏襲。 そんな己に、血管切れそうなメンタルショック。 

 というか、そうなのか? 正にマンマなのか? 俺はヤッタのか? ていうかヤラレタのか? こいつに? あらぬところに痛みはないけど、だけどコレ、マッパにベッドにうわわわ!! どこのドイツかもわからない、顔が良いだけの、胡散臭い嘘吐き男とこの俺が?! 


 「ふぅん・・・・・・ さてはお前 ゴメン、昨日の事は覚えてないの作戦 か? ナマイキに」


 思い切り ヒトデナシッ! な視線を放っている俺をものともせず、余裕の男は指先をひょいと動かし 『待て』 の合図をして部屋を出る。 犬か俺は。 そう、犬の方がましだった。 間も無く隣りの部屋から戻った男の手には艶消しメタリックな黒の携帯。 やぁーあれ欲しかったんだよねぇと最新型の機種に見惚れる俺も、次の瞬間 パパママごめん! と叫びたくなる絶望に浸るのだ。

 チャッと差し出された携帯。 音量マックスのザーッという音の後に流れる覚えの有り過ぎる音声。


  ――  いいか? じゃ、確認するぞ?・・・・・・おい、寝るな、・・良し・・・ 答えろよ? 学校に行きたいか?

  ・ ・・うん・・・・いきたい・・・


 「ッて待てよッ! これ俺? 俺か?!」

 「他に誰が居る。 まァ聞け、こっからだ」

 「いやだ! 聞きたくないっ!」


 とっさに取り上げようとした携帯は、取って見ろ〜な感じに万歳した男の掌の中、およそ地上二メートル付近で踊る。


  ――  一人は厭なんだな?

  ・ ・・うん・・・やだよ・・・・・

  ――  俺に一緒に居て欲しいか?

  ・・・・・うん、いっしょに・・・・いてよ・・・・

  ―― ・・・・じゃぁ、ここで暮らすか?

  ・ ・・・ く ら す・・・


  ―― 誰と?

  ・ ・・ あんた・・・・


  ―― そうか・・・ならそうしてやろう・・その代わり、ちゃんと俺の言う事聞けよ?

  ・ ・・・うん・・・きく・・・・

  ―― 何でもだぞ?

  ・ ・・・ うん、なんでも・・きく・・・・・・うん・・ねむいよ・・・・

  ―― おやすみ

  ・ ・・・・おやすみ・・・



  「・・・・・ありえない・・・・」


  ありえないって。


 俺が芸人だったなら100パー、ドッキリだと確信するネタだった。
 どっかに立て札持った奴が潜んでないか、駈けずり回りたいネタだった。
 だが、勝ち誇ったような男の笑みは、俺必死の 「たられば話」 を微塵に砕く。


 「そら見ろ、まっさら事実だろ? 今の聞いたろ? うんうん言ってたよなぁ? お前、寝惚けてる方が可愛いとこあんじゃねぇの? はは、もっぺん聞くか?」


 男はスマイル全開にご機嫌だった。 嬉しい愉しいに加え、子供が不気味なカエルを発見した時のような 『凄いよ、わーコイツどうしてやろう!』 的な、善意ばかりでないSッ気たっぷりな笑み。

 ありえないって、そんなの。

 がしかし、昨日のどこかにありえない俺が居る。 父と子の会話チックに従順で、ほんわかラブリィな俺がいる。
 そして、再生された男の声も、ありえないほどに甘かった。.


 「あんなの無効ですよ! 俺寝惚けてるのに、あんな誘導尋問みたいなの。 それにあなた犯罪ですよ? 眠ってるとこ、こんな、こんな・・・・・・ ねぇなにしました? ハッキリ言って下さい、俺ナニされました? わざわホモ親父からから引っ剥がしといて、そう言う自分がホモだったなんて酷い! こんなのラスト三十分のどんでん返しですよ! まさかの結末ですよ! そんな驚愕の落ちは、俺の人生に要らないんですよッ!」


 状況判断では、俺の傷物率は相当に高い。 綺麗な俺を返して・・・・! 泣きのリバースしそうな俺。
 だが思い切り小馬鹿にした流し目をくれて、男は言う。


 「馬ァ〜鹿野郎、勘違いすんな。 俺は寝てる奴ヤル趣味はねえよ。 つまんないだろ?」

 「つ、つまるつまらないの話しじゃ」

 「お前、駐車場についた途端、ムクッて起きたかと思ったら お先に〜 とかタカタカ走り出しやがって。 挙句、俺がドアロックする二秒の間にコンクリの地べたで寝やがったの。 選りによって小汚ねぇ水が溜まってるとこ。   つーかなに? あれって純粋な濃いぃ寝惚け? ッてより立ち眩み? 脱がして見りゃガリガリだし、お前あれか? 流行りのもっと痩せたい病か?  真っ青になって白目剥いて転がって、ビビッたの何のって、俺を地元の犯罪者にする気かよ? ふざけんな。 半端に湿ったお前を担いで運んだ俺が、どんだけの善人かわかれよ? その上服脱がして拭いて、とりあえずガムシロ舐めさして、あまつさえ寝床まで提供してやった神のような俺にこれ以上楯突く恩知らずは、マグロ漁船にでもほっぽり込んで腐った根性叩き直してやるぞ、コノヤロウ」


 立て板に水。 口の回る男だ。 
 だけど、ヤリ逃げ疑惑から解放され、心にゆとりの生まれた俺は喜び一色。


 「あぁぁ・・・良かったァッ! ヤッてなかったんだ、俺、傷モンじゃないんだ・・あー良かったセーフだ、ひゃぁ良かった怖かったぁ〜」

 「・・・・・・・言いたいのはそこじゃねぇよ、」


 ちっと舌打ちする男が片眉を上げる。 さすが二枚目、外人アクションもさまになるねぇ・・・・などと。 一つの不安が解消され、喉元過ぎた俺は事の本質をすっかり忘れていた。


 「・・・・・・ よし、昨日の復習だ、良く聞け。 お前は今日からここに住む。 お前の生活は丸ッと俺が保証してやる。 大学にも通わしてやる。 ピシッと一発で司法とるんなら院にも行かせてやる。  俺んちは先祖代々の金持ちだ、小僧一人養うのなんか屁みたいなもんだ。 ただし、俺の役に立て。 言われた事にハイ言え。 飯を作れ。 遣れる範囲で家事をしろ。  そういや、お前運転免許持ってないな? 近い内に教習所申し込んどくから、最短で取れ。 夜中に車出して煙草買いに行くの、めんどくせぇんだよ」


 見下ろす窓越しの人工都市を背景に、自信満々喋る男前の姿はまるでテレビの中の世界。 そうそう、ドラマで出来る男が会議でこうやって喋って、お偉いさんたちがオォ〜! ってどよめいたり最後にハグして拍手したり・・・・・・。 

 そんな脳内劇場を展開する俺は、この出来過ぎた話の落とし穴を聞くのが怖かった。
 確認して地雷を踏むのが怖い。 


 「・・・それってあのぉ・・・・俺、卒後そちらの企業の世話になる前提の、ココの住み込み家政婦・・・・ って事で宜しいんでしょうか?」


 これが俺がはじき出した、尤も大団円チックな筋書きだ。
 相手が替わっただけで、昨日のホモおじさんの条件と何ら変わらない美味過ぎる話。

 だが、希望はいつでもカゲロウの様に儚い。


 「ヨロシかねぇよ。 まァその線もアリはアリだがオマケみたいなもんだ。 だいたい可愛い盛りも過ぎた子育てに、わざわざこの俺が参戦する訳ねぇだろ? 無い無い。 ここでのお前の立場は・・・・・・」


 屈み込まれた距離の近さに咄嗟に目を細めると、男の長い指が額の生え際からゆっくり頭蓋骨を包み、ついと上を向かされた頬に添えられた掌の熱。 しっとり重なる唇の感触が一秒、二秒。 結構長い睫毛を凝視して。 フリーズする俺の、唇をチロリと舐めて五センチの距離。 吐息も甘い充分な至近距離で確認する高い鼻、男らしく洗練された眉、色気のあるワイルドな目が面白がるような色を浮かべ、左の顎の端に薄茶のほくろ発見。 けれど、そんな手近な逃避旅行に旅立つ俺を、見逃してくれるような男ではない。

 ガツンと来た来た、情け容赦の無い決定打。


 「お前の立場は愛人・・・・・。  詳しくは家政婦兼愛人?」

 「嘘ッ?!」


 嘘嘘嘘嘘ッ!! パパママ嘘だと言ってッ、夢だよって言ってッ!!


 「俺が嘘吐くわけねぇだろが? ん?」


 唇の端を上げ、犬猫にする様に喉元を擽る指を払い除け


 「吐いたじゃんッ! 昨日も散々吐いたじゃん! あ、あなた、アンタ一体」


 掠めるようなキス。 


 「アンタでもあなたでもねえよ。 黒谷だ。 なんならご主人様でもいいぜ?」


 吐息と囁きを吹き込まれた耳朶は熱い。 
 そして俺の顔はきっと赤い。
 だけど逆上せる頭を冷やすのもこの男。


 「さァ、とっとと起きろ、愛人! 起きねぇんなら、早速朝っぱらからヤるぞ?」


 バサッと剥がれたシーツ。 ひんやり肌を刺す四月の空気は冷たい。



 晴々と言い放つ男の名は黒谷正樹。 三十一歳。 自称金持ち。
 俺の愛人生活の始まりだった。





 ありえねぇ。













                                              :: つづく ::



百のお題  052 真昼の月 2