何台もタクシーを見送って並んで歩く夜道。
街灯に照らされた曲がり角を一本二本三本と折れてゆくとさすがにすれ違う人も少なくなり 、張ったつもりもない声でも良く響き自然と音量も下がるってなもんで、囁くように会話を繋ぐ。
送ってくよ。わざわざ言わなくても辿る道筋で察してくれてるのだろう、そんなぼくたちの間の距離感がすごく心地いい。
ぶっちゃけ、その件に関して触れられなくて良かったってのはここだけの話。
招かれたこともなければタクシーの乗り合いの過程で通過したこともない。正確な住所を教えてもらったこともない御剣んちに誘導無しで行けちゃうのは何故か…まぁ、その辺、ご愛嬌ってことで。ね。
君へと続く長い道のり。
共に歩く長い道のり。
ぼくの恋路とは違い距離も場所も分かるわけで、迷うこともないわけで、今もぼくにはそれが羨ましくもあり物足りなくもあり。
ああ、恋ってのはほんと、矛盾だらけ。
星の瞬きもかき消してしまう明るい夜空に漆黒の建造物が聳え立ち、2人きりの時間が終わりを告げる。
徒歩ではかなりの距離だったように思えるものでも着いてしまえばあっという間。ボロアパートとは違い植木やらレンガを積んだ囲いやらでキレイに装ったマンション。見上げれば当然首は痛く
「ん、じゃ…おやすみ…って、君はまだ寝ないんだろうケド」
正面玄関、エントランスを前にぼくは足を止めた。
「……あぁ、その、結局ココまでつき合わせてしまって…成歩堂、君はココから…」
「あ、大丈夫。適当にその辺でタクシー拾うし、えっと‥あ、また今度。試写会で」
「ああ‥今日は無理をきいてくれてその‥す」
「違うだろ?そーゆー時はありがとうって言うんだよ」
「ム‥ぅ‥」
「ハハッ、いいよ。オッケーは出したけど急な用事が入っていけなくなるかもしれないってことも、もしかしたらあるかもしれないしそれは試写会当日に聞かせて」
ぼくの一歩前にいる御剣。その背後にはピカピカのエントランス。万全のセキュリティは入居者の身の暗線を確保するためだけどぼくにしてみれば長年越えることの出来ない関係の境界線そのもので、憧れと焦りの対象でもある。
ただの友達ならソコはもっと気安い場所なんだけど、単なる通過地点の一つなはずなんだけど、そうじゃないところがまた…切ない。
純粋に友達ならサラッと別れを告げ立ち去れる‥つか、家まで徒歩で送るなんてことしない、か。
ちゃんと恋人なら別れの挨拶に抱き寄せ軽くキスをしちゃうんだろう、か。
まして堂々求愛中だったなら急な腹痛を装い絶賛演技中だったのかも、上がりこむための手段でね。
そのどれでもないぼくはただ未練がましくつっ立って
「あの、さ‥それでなんだけど、その日、時間があれば試写の前か後にでもごはん食べない?その、会場の近くで‥」
可能性を次につなげる為話しかけ
「うム、そうだな。了解した」
「じゃあ、早く上がれそうだったら電話ちょうだい。無理そうでも一応、そしたらぼく、会場に直接行くし」
「わかった」
「あ‥御剣、ぼくのケータイ番号知ってる?事務所でもいいんだけど外にいるかもしんないし、連絡くれるんならそっちの方が」
会話が途切れないよう必死で喋り
「………フ、ハハ、どうしたのだ君は。君の番号は既に登録してある。今日の件も私の方から君に連絡を入れたのを忘れたのかね?」
「そ、そうだった‥ハハハ…」
その結果、挙動が変だと笑われてしまう。
「…………」
「…………」
もう、お手上げだ。会話は途切れ、君をココに留める理由もなくなった。
今度こそ潔く『おやすみ』と告げ立ち去ろう‥立ち去らなきゃ‥無言の間がずっしり背中に圧し掛かり耐えられなくなったその時
「…どう、かね?茶でも飲んで行くか?」
幻聴が…?
「‥へ?な、なに?」
「いや、長い距離歩いて疲れたのではないかと思ったのだが、余計なことを言ったのなら忘れてくれたまえ」
「え?!ちょっ…余計じゃない!疲れた!万年運動不足なくせにかっこつけて歩いたもんだからすごく疲れた!ほら、革靴だから足の裏がジンジンしてるし、筋がツリそう!喉もカラカラで干上がっちゃいそうだし…お邪魔していいならヨロコンデ!」
そうだったらどんなにいいか!願ってもない!
そんな素敵なお誘いを聞こえないフリなんてできるわけもなく、飛びつくぼくの目には少しだけ戸惑う御剣の微笑が映り、喉の奥がじわっと熱を帯びる。
ぼくんちとは違いセキュリティに守られてるマンションは敷居は高い。気軽に立ち寄れるのはエントランスどころかマンションの名前が書かれたゲートまでで、どんだけ勇気を振り絞っても回れ右…すごすごと引き返すのが常。
どういう意味で誘ってくれたかなんて決まってる。本当にお茶を出すだけだってことぐらい分かってる。ぼくの抱えてる恋心なんて範疇になく、まったく、全然、意図することなんてないって知ってる。
それでもね、閉ざされた間口から差し込む光りは眩しくて、あたたかくて、容易に越えられないと考えていた境界線を跨ぐ気持ちは格別の…想いがある。
ICカードを照合しぶ厚いガラス戸が開いた時には小声で「スゲェ」って言っちゃった。
御剣から一歩遅れ広々としたロビーを横断する時はあたりをキョロキョロ見回し、壁の大理石や床の御影石に感嘆の声を漏らす。
ピカピカのエレベーター…を素通りした時にはガックリしたけど
「乗ってゆくのなら8階だ。ドアの前で待っていてくれれば直ぐに追いつく」
さらっとフォローしてくれちゃうあたり御剣らしい。一応ぼくの足を気遣ってくれてるんだってことで素直に受け止めようかなぁ。
8階かぁ…結構な高さだぞ…。12階の執務室に比べれば全然低いけど、1、2階上っただけで膝が折れそうになるぼくには言わずもがな、難所。
「無理をさせ階段から転がり落ちても困るからな。乗って行きたまえ」
「ハ、ハハハ…そう、だね‥こんな時間に救急車に乗りたくはないからね。そうさせてもらおうかな‥」
無駄な強がりは自分の首を絞める。情けないとは思ったけど、お茶の代わりに点滴をご馳走になりたくはないからね。ぼくはすごすごエレベーターの前まで行き、御剣が階段に消えてゆくのを確認した後ボタンを押した。
逞しい‥と一言で言い切れないある種の切なさは御剣との付き合いの中で不意に訪れぼくの胸を焦がす。
共感し、感傷に浸ることは容易い。けれど御剣はそんなこと望んじゃないって分かってるし、何をどういったところで今更なことってのも分かってるから、ぼくはいつものように無言でソレを見送る。
鈍い痛みだけを抱え、階下へと過ぎる番号みたいに、ただ、静かに点滅を見送る。

ぼくが遠回りの恋を選んだ理由は、そこんとこにあるのかなぁなんて漠然と思うんだけど‥。単なる言い訳かもしれない。

8階エレベーターホールで待っていると
「待たせた」
御剣がひょっこり現れた。息一つ乱れてないその様子に脱帽。サスガだ。
エレベーターに乗る前と同じようにぼくは御剣の一歩後ろを付いて歩く。
なんか、ドキドキするね!
はじめて好きな人の家に上がるんだよ?招かれて上がっちゃうんだよ?何が起きるわけでもないのは百も承知、にしても、はじめて御剣のプライベートな空間に立ち入る。それは大きな進歩でもあるしより深く相手を知る絶好の機会でもある。
「御剣ってさぁ」
なんか喋ってないと心臓が口から出そうだったからどうでもいい‥
「御剣って独身だよね。独身で恋人なし?」
ほんと、どうでもいいことを口にして
「……それが、何か?」
睨まれた。
別に、いけないってことじゃないんだ。ぼくにしてみれば好都合なことだし、確認するまでもない。ヒヤカシじゃないよ?
「いやぁ、オジャマしまーすって入った途端『おかえりなさ〜い、ダーリン(はあと)』なんてキレイなお姉さんが飛びついてきたら驚くじゃん?だから念の為訊いてみた」
「なにをバカなことを…君は起きていても夢を見るのかね?」
「ハハハ‥冗談だって」
喋ってないと心臓がね‥‥ってか、そんなこと、実際あったら困るし!ぼくの生きる意味が確実になくなるし!
ブツブツ独り言を零していると御剣の足が止まった。ここが、御剣の部屋ってことだ。
鍵を開けるまでの間ドアやその周辺をぼんやりと眺める。たとえ高級マンションでも集合住宅なわけだからよほどのVIPでもない限り玄関ドアなんてどれも同じ。それでもしげしげ見てしまうのは御剣に関する情報をすべて記憶に刻みたいと思っているから。ほんの些細な情報だってぼくには宝物。
ふうん‥御剣はドアプレートに何も書かない方なんだ。一つ収穫…そ知らぬ顔でインプット。
「入りたまえ」
開かれたドアに促されるままぼくは薄暗い玄関フロアに足を踏み入れる。緊張の一瞬。うはー、ドキドキも最高潮!
「おじゃましまーす」
柄にもなくかしこまりつつ無人の室内に声をかけた。




2009/9/25