それの意味すること、
浮かれはしゃいでぼくってば推察も考察もしなかったんだなってあとで気がついた。


ぼくんちとはエライ違いだ。
お宅拝見、建物探訪、じゃないから入り口から目に付いたもの一つ一つにコメントつけるなんてマネしないけど想像してた通り…いやいや、考えていた以上に御剣んちはキレイだった。
いや、キレイって言うのは誤解がありそうだ。
掃除が行き届いてるという意味ではモチロンだけど、ごちゃごちゃしてないっての?無駄なものがないっての?
インテリア小物類、小中規模の雑貨、むき出しの生活用品がほとんどない室内は整頓されたイメージだった。
玄関には脱いだばかりの靴が二足。外履きのサンダルなんて当然ないし、シューズボックスの上には高そうな照明器具が置いてあったり頂き物なんだろうか生花のアレンジメントが大きく幅を取ってたりした。鼻腔を擽るほんのり甘い香りはその真っ白い花びらをした花の匂い、かなぁ?
黄褐色のフローリングはツヤツヤピカピカ、薄くウォームがかった壁紙に汚れも引っかき傷も、まして埃が付着してるなんて不精な感じもない。
リビングへ続くドアを開ければ、予想を裏切らない‥‥えーと‥。
「わー……どこの‥異人館?」
思わず心の声が口から出た。やべっ、聞こえちゃったかなぁ‥変な意味で言ったんじゃないんだけど‥。
ぼくの脇を通過する御剣をこっそり横目で窺うけれど
「君はそこのソファーで寛いでくれたまえ」
聞こえてなかったのかな?飄々とした態度でリッパ、なソファーを勧めてくれた。
だって、だってだよ?時は21世紀、かつて夢物語だったハイテクノロジーは一般家庭に安価で定着し、高性能は当たり前、デザインも時代の最先端を競いシンプル且つシャープ。更に特定の付加価値のオプションまでつけワールドワイド、浸透しきってるってこのご時世に逆行したレトロな家具と家電。いや、レトロっつーよりもはやアンティークと言った方が相応しい。
マホガニーで統一されたインテリア家具は見るからに重厚。
壁掛け時計に振り子がついてたり受話器を持つだけで筋トレできそうな電話機。あれって蓄音機ってやつなのかなぁ‥多分違うと思うけどデザイン重視のオーディオ機器にあんだけ広いスペースを割けるってのは…優雅だよね。色々とさ。
天井には重そうなシャンデリア?あいつ不器用なのにあんな細かいの掃除できんのかなぁ。なんて、掃除の心配をしちゃう辺り庶民、平民根性丸出しですか?
部屋が広いから圧迫感は少ないけど、微妙に寛げない気がするのはぼくが庶民だから?
庶民のぼくにはとても言い表せない生活様式でも御剣だからって納得できるから不思議だよねぇ。世間ズレしてるってのと純粋(ある種)ってのはイコールかもね。
軽く笑いながら勧められたソファーに向かうと御剣がテラスに続くオープンウィンのサッシを開けた音がした。そーゆー備え付けな部分はモダンなのにねぇ…。
地上何十メートルに吹く風はびっくりするほど澄んでいて、主不在の間重く沈んでいた室内の空気は吹き込んでくる風に浄化される。
たなびくレースのカーテン。窓際に立つ御剣の赤いジャケットの裾も同じようにはためき、アッシュグレーの髪も胸元を飾るタイも風にそよぐ。
ゆっくりした動きで振り返り、窓際から離れる御剣を追いかける風とレースのカーテン。
いわゆる日常のひとコマ。気にするでもない風景。
それを言葉もなく見詰め、見詰め続け…。
さっきまで部屋の様子がレトロだとか、インテリアが20世紀初頭っぽいとか思ってたのにそれらのことがすっぽり抜け、見詰めることに従事してるぼくがいる。


地上何メートル?
君の住まう場所は見上げれば遠く、辿り着けそうもない距離だった。
真っ暗な空には雲が流れ、星が薄く瞬き、いつもぼくは取り残されたような漠然とした孤独の中いつかの時を願う。
地上何メートル?
エレベーターでならほんの十数秒?
その距離をいったい何年、何ヶ月かかってぼくは上ったのか、過ぎてみればそれはもう…ほんの、些細なこと。


ボーっとしているぼくをいぶかしむように眉根を寄せ、首を傾げた御剣に気づき慌てて視線を辺りに巡らせ立ちんぼの言い訳を探した。
「チ、チェス…君の執務室にもあったけどここにもあるなんて、よっぽど好きなんだね」
咄嗟に掴んだ話題に乗ってくるかと思いきや、御剣は「あぁ…」と軽く頷いただけでローテーブルのチェス盤から視線を逸らす。
ぼくもバツが悪かったけど御剣ももしかして…でも、何でだ?チェスには詳しくないけどなんとなくのルールはぼくだって知ってて、将棋で言うところの王もしくは玉、キングを取られた方が負けなんでしょ?そんで、チェス盤には瀕死の青、詰め寄る赤な布陣が敷かれててさ。執務室で見たような光景になるほどねぇって思うわけなんだけど。ソレが何か?
気のせいでなければちょっと拗ねた、言うなら奥歯に物の挟まったような、そんな歯切れの悪い間が好奇心を擽りもしたけど、それよりも、なによりも、興味を抱くのは意味ありげに瞳を伏せた御剣本人で。
ソレが無意識であればあるほどぼくの中に眠る庇護欲、とでも言うのか‥御剣にもっと近づきたい欲求が高まる。
焦るな、と諭すぼくと
もしかして、と期待するぼく。
いつも、何かしらの葛藤を抱えた付き合いは御剣の素気無い素振りで空回りし続けるものだけど、今日は、思い違いでなければ、今は、少し違う結果をもたらすんじゃないかなって…。
「あの、さ‥あの‥」
確信のない何かを必死で探すみたいにこの、なんとも言いがたい間を繕うぼくに
「‥上着をかしたまえ。皺になる」
相変わらずの仏頂面で広げた手の平。
視線こそ交わらないけれど掴みかかれるほどの間合い。本当に二人だけの空間。招かれたプライベートスペース。それに大きな意味があるような気がして。
ぼくは君を意識し続けてるけど、君ももしかしてそうなんじゃないかなって、錯覚じゃないければ‥勝手な思い込みじゃなければ‥。

差し出された手の平を素通りし踏み込む一歩は長い間思い描いた君への一歩。
懐に入り込む、奇跡の一歩。

僅かに身体を強張らせた御剣が伏せていた瞳を開きゆっくりとぼくを見た。
どう?色素の薄いアッシュグレーの瞳に拒絶の色はない?
この距離が近すぎるなら一歩退くことぐらいできるよね。ああ、でも君はこーゆー事にはてんで疎いからぼくの想いも、しようとしてることにも、まったく気づかず呆気にとられてるだけかもしれない。
気づかないなら、気づかないままで…。
無防備な身体、ジャケットを羽織った状態の腰にそっと手を伸ばし、触れるか触れないかの力加減で抱え、薄く開いている唇を覗き見る。
ぼくと御剣の背丈はほんの少ししか変わらない。ぼくの鼻の位置は御剣の鼻の位置で、御剣の唇はぼくの唇とほぼ平行。首を伸ばせば難なく届くし、吐息も、伝え合うことができる。
こんな風に…。
恐る恐る近づけた唇、拒むなら一歩退けばいい。
触れるよ?もうすぐ触れちゃうよ?
鈍いって言ってもぼくが何をしようとしてるか、ここまでくれば気づくでしょ?
強引に奪うことはできたし、隙を突いて噛り付くことだってできる。力じゃ絶対かなわないけど、一瞬だけならぼくにだって何とかできる。
そうしないのは…触れる瞬間まで選択の時間を残したのは…真摯にぼくが君を好きだからだ。
イエスしか出せないぼくだけじゃなく、好きなように答えを選ぶことの君にもイエスを求めたから。気の迷いで済ませない確かな約束を取り付けたかったから。
御剣の唇にぼくのソレが触れ先に進むべきかいまだに迷うぼくは動きを止める。
少し引かれた顎。唇はささやかな接点を失いぼくもまた僅かに身を引いた。
追いかけてきたのは御剣で、一旦離れた唇はさっきと同じ距離…先端が触れ合うくらいの距離に戻り、もう少し深くと強請るぼくは身を乗り出し、その性急さに驚いたのだろう御剣は肩を竦めるように退く。
傍から見れば滑稽な押し問答。
駆け引きなんて高尚な技じゃない。お互いに戸惑い身を退くけれど立ち居地は変わらず、呼吸が合うのを待つ。
まるで幼い。勝手のわからない子供の触れ合い、みたい。
もどかしいけど、そそられる、気持ちが高揚し、恋しさがあとからあとから湧き上がる、そんな幼くも純粋な−−。
ねえ…
いつから君は…。
いつから君は、ぼくがこんなことを仕掛けても逃げ出さないくらい想ってくれるようになったんだい?
怒るでもなく、払い除けるでもなく、戸惑いながら求めるぼくを、同じように戸惑いながらも待っててくれるようになったんだい?
一呼吸、間を置き進めた唇が退かない唇に重なり、ぼくたちは口付けを交わした。
探りあいながらの始まりでも触れ合ってしまえば収まるべくして収まった、そんな安心感と安定感。
拒まれる恐怖は嘘のように消え、少ない酸素を分け与えるみたいにぼくたちは求め合う。舌を絡め、あむあむと喰む。
ぼくの手はさっきと変わらず触れるか触れないかぐらいの力加減で御剣の腰を抱き、御剣も上着を要求した手を下ろすことはなかった。けれど、空の手の平は宙を掴むでもなくそっとぼくの肩に置かれ、実感する。ぼくは選ばれてこうしてるんだって。
いくつもの選択肢の中の一つ、イエスの答えを御剣自身が選びこうしてるんだって。
それは、喩えようもない喜びで、まさに奇跡。ぼくが望み続けた、奇跡の瞬間。
どうしよう!幸せでもう、胸がいっぱいだ!
ちゅうっ、と名残惜しそうに唇を離し胸に溜まった感激を大きく吐き出したぼくは夢心地で御剣の顔を見る。
息を乱し揺れる唇は艶やかに濡れ、白い頬は僅かに高潮し、同じように見返してくる瞳は甘く滲んでいた。
ああ、もう!なんて顔をしてるんだ!
食べやすい大きさにカットして皿に盛り付けられてる果実みたいに美味しそうな、いや、実際甘くて瑞々しくて美味しいんだろう、そんな色っぽい表情!
キスしたあとの君はこんな顔しちゃうってわかったら外じゃできないよ!ぼく以外の誰かがこんな御剣を見たら恋しちゃう!そんなのダメ!御剣に恋していいのはぼくだけ、ぼくだけでいい!
初めて見知った表情に見惚れるがいなや、速攻まだない未来の状況を想定し妬いちゃうなんてぼくって大概傲慢だ。
自嘲するぼくに
「……なん、なのだ」
不満を訴える君は正しいよ。
「いや、うん…幸せだなぁって思ってただけ」
君とこうしてなかったら抱かなかったであろう感情、なわけでしょ?そう思うと、やっぱり恵まれた思いなわけだし
「フ、ハハハハッ…うん、そう、ぼくは幸せものだ」
こみ上げてくるあったかい感情を笑顔で表しそっと御剣を抱きしめた。
表情を見ることはできないけどきっとわけがわからないって顔をしてるんだろう御剣の身体の厚みとか、髪の匂いとか、さっきの余韻とかで離れ難くなっちゃうぼくのわかりやすい下心も今感じてる幸福で包み込み
「今日は帰るよ。お茶はまた今度、ご馳走になるから…楽しみにしてるから」
離れ際の軽いキスで君に贈ろう。
「…ム、そう、か…帰るのならタクシーを呼ぼう」
「いや、それは歩きながら適当に拾おうかな。もう少し、幸せに浸りたい気分なんだ」
そのままエッチなことになだれ込んでも良いんだけど、なんだろなぁ…一度に得る幸せがもったいなくなったのかなぁ。
それって男としてどうよ?とは思うんだけど、大切にしてきた想いじゃん。これからも大切にして行きたい想いじゃん。
道々に咲く可憐な花や珍しい植物、鳥の囀り、美味しい空気。僅かな驚きと眼下に広がる風景に微笑を浮かべ、過程すら喜びに変え見上げた先にトキメキ、踏みしめる足裏に確かな実感を得ながら一歩づつ、ゆっくり、恋しい人に辿り着きたい。
大好きだから、大切だから、もう少しだけ回り道をしても良いかなって、意外に乙女な男心をわかってほしい。
いや、自信がついた男の余裕だと理解してくんないかな?

来た道を戻るぼくには幸せに包まれている。
地上、何メートル…かつて見上げたそこは遥かに遠く、別転地みたいに手の届かない場所だった。
それが今はどうだい?
暗い夜空には瞬く星。いつの間にか垂天に昇る月は煌々と輝き、ぼくの未来を灯す明かりとなっている。
まだ、君に辿り着いたわけじゃないけど。実はこの先道は更に入り組んでるのかもしれないけど。
君の唇の感触を忘れない限り、君の肌のぬくもりを忘れない限り、挑んでゆける勇気をぼくは得た。そんな気がした。

これは君を求める男の話。
どうしようもないほど幸せになりたい男の

恋のはなしの、始まりに過ぎないのかもしれない。





おしまいv

2009/10/09