その後、ぼくの恋はどうなったかって言うと、まったく、全然、進歩がない。
悲しいくらいに清らかなまま。
かといって交流がないわけじゃなく時間が合えば飲みにも行ってるしランチも一緒したことがあるし、休憩がてらお茶もした。ぼくんちに何度も来たんだよ?
思うに、単なる友人の域は越えている筈だし世間ではこんな付き合い方をするカップルは沢山いるはずだし、僕自身うっかりそう錯覚しちゃったことだってあるんだ。ただ、決定的に世間のカップルと違うのはそこに色っぽい行為がアルかナイか、で。
最終的にぼくが求めているのはその行為なわけで。
「なんか、人類の三分の一が死滅しちゃったって感じ?」
傾きかけた太陽が茜色に染まった光りをブラインドの隙間を通り事務所内を染め上げる。
夕刻前のアンニュイな時間帯。今日一日の締めくくりにと書類整理に精を出している…はず、のぼくをそんな風に例えてくれる助手は中々の洞察力だと思う。
「………う〜ん、どっちかってーと窒息寸前の方が近いかなぁ」
要するに落ち込んでいるってことでしょ?西日の所為か文字なんてまったく見えなくなっている書類をポイッと机に投げ捨てぼくは小さく溜め息を吐いた。
だって一緒の布団でやすやすと寝れちゃっうってまったく意識されてない証拠じゃん。そりゃー、想いを伝えてないぼくが悪いのは分かってるし、手前勝手な落ち込みだってのも分かってる。でも、間接的にかなり、かなり、電波は送ってるはず。好きって口にしてないだけでそれ相応の表現はしてるはずなんだ。
ほんと、勝手なことだけどさぁ‥あの鈍さが恨めしいよ。
「ふーん、そりゃ大変だぁ」
若干自棄になって答えるぼくに助手はサラッとした笑顔を返し、処理済の書類をファイリングする。茜色に染まる彼女の小さな背中がそれ以上突っ込んだ質問をしてこないのを確認しぼくはホッとしたように微笑む。
実際訊かれたとしてもぼくの恋に進展はありませんとしか答えられないんだもん。切ないよね。
こんな落ちた気持ちじゃ仕事に身が入るわけがないし、今重要な事件とか抱えているわけじゃないし、今日の業務はおしまいにして早めに事務所を閉めようかとやりかけの書類を纏めはじめる。と
「人類滅亡の時、最後になるほどくんなら何食べたい?」
パチン、とバインダーを閉じる音がして真宵ちゃんが訊いてくる。さっきの会話の続きかな?
よくある質問。最後の晩餐はその人の人生の集大成だ。
「あたしだったら‥味噌ラーメンかな」
「…それって、真宵ちゃんが今食べたいものなんじゃない?」
「ははは、バレちゃった?だって今日オヤツ抜きだったんだもん、お腹が空いちゃった」
「ん〜…じゃぁ今日はもう終わりにして行きますか。どこがいい?」
「やった!そりゃー、やたぶきやで決まりでしょう!」
「最後の晩餐がやたぶきやかぁ…なんか、切なくなるなぁ」
「も〜‥それはそれ、今はやたぶきやな気分なの!」
カラカラとお互いに笑いあい決定事項に頷いた。たまにはこんな日があってもいいよね、なんて腐りかけた気持ちを立て直し片付け体勢に入った。
「なるほどくんは?」
「何が?」
「最後の晩餐…なるほどくんなら何を選ぶ?」
真宵ちゃんがファイルの最後の一冊を棚にしまい、ぼくが上着を羽織る‥その一連の流れの中で何気なく問われ
「ぼく?ぼくなら‥そうだなぁ………御剣」
ポロリ零す名前に
「はぁ?!」
あからさまに驚き、裏返った真宵ちゃんの黄色い声がなんとなく非難めいて聞こえるのは気の所為かな。
「い、いや、違う、御剣から電話が…」
違う?いや、本音を言えば違わないんだけど、いくらぼくだっていきなりそんな露骨なこと口にしないよ!
誤解だから!内ポケットで軽快なメロディーを奏でる携帯を取り出しぽかんとしてる真宵ちゃんの前にかざしてみせる。
ちょっと待ってて、ジェスチャーで表し通話ボタンを押す。
何、何?何だろう?御剣からの連絡ってまずないことだからちょっとビックリした。取り付けてる約束があるのならそれ関係でなんだろうケド、そんな覚えはない。うん、どれだけ記憶を遡ってみても約束してない。したいとは思ってたけど。
よほどのことがない限りぼくから御剣、一方通行の連絡。どれほど交流があろうといつも、いつだって風上から風下、想いと同じ電波の流れも変わらない。
その流れが変わったことがスゴク嬉しかった。
通話記録からかけてきてんじゃなくて、ぼくの番号が登録されてるんだったら嬉しいなぁ。
「突然すまない…その、よかっただろうか」
御剣からの電話で舞い上がってるぼくに遠慮がちに断りを入れてくるあたり、らしいなぁ、なんて思うけどそのぎこちなさがかえって萌える。突然でもなんでもぼくは一向に構わない。ぶっちゃけ、裁判の最中だって全然オッケー、最優先事項で扱わせていただきますから!
ホントは用件のみじゃなく、あの手この手で通話を長引かせ、この素晴らしい時を一分一秒でも長く続かせたかったけれどぼくの確認だけ取りたかった御剣はあっさり通話を終わらせてしまう。まぁ、真宵ちゃんを待たせてる手前長電話は出来ないわけだけどこのあっさり感はあんまりだ。
嬉しさと寂しさが複雑に交じり合った気持ちを持て余し電波の途切れた携帯をぼんやり眺めているぼくに
「死滅しちゃった人類の三分の一が、実はシェルターに避難してて無事でした…って感じ?」
諸々お見通しですとばかりに笑顔の助手が言い
「人工呼吸で蘇生させてくれたのは長年の想い人でしたってのも捨てがたいかな」
照れ隠しにぼくはおどけてみせた。

御剣の用件はこうだ。
話したいことがあるから事務所に行ってもいいだろうか。都合のいい時、空き時間で構わない。時間もとらせないから。
だからぼくは、モチロン大歓迎。いつ来てくれてもいい…なんならそっちに出向くけど、急ぎの用件?と返した。御剣のお誘いだもん、二つ返事でオッケーさ。
感じからして至急、ではないにしろ早目に済ませたい用事らしい。これまで一度も事務所にきたことのない御剣がぼくの都合に合わせて訊ねてくる。ぼくよりずっと忙しく、タイトなスケジュールに果敢に挑戦、奮闘しているヤツがぼくに会うためだけに貴重な時間を割くと言う。
寧ろ、お願いしてる。それってかなり珍しい。プライベートで何かを頼むなんてまずしないヤツだから余計にね。詳しいことは分からないけれどそこまでしてぼくを頼るのはかなり信頼されてる‥の、かも?ちゃんと相談内容を把握してからじゃなきゃ確実じゃないけど、普通に、ぼくたちの関係は進展してるんじゃないかって。恋がどうとか以前に人と人との繋がりがさ!恋に進むにはまずそこんところクリアしなきゃいけないからさ!
降って湧いた幸せに頬が紅潮してくるのが分かる。手の甲を当てれば風邪の中期並みにソコは熱くなっていて、呼吸も自然と荒く熱く…。
少年みたいに、単純で素直な恋をぼくはしてるんだなぁ…改めて実感してみたり。
そこでハタと気付く。これは用件を聞くにかこつけてデートに誘うべきなんじゃないかって。考えてもみてよ…事務所にはぼくだけじゃない、カワイイ助手である真宵ちゃんもいるわけで、タイミングが悪ければ話の途中、来客があったりするわけでしょ?それならば業務終了後ってことも可能だけど用件を済ませたからとさっさと帰っちゃう可能性もあって、それなら最初から絶対邪魔の入らない二人きりの空間を用意し、食事も約束するならもっと長い時間一緒に居れる。あわよくばぼくんちに誘うことも出来ちゃって、そしたら朝まで一緒だよね!
ああ、前言撤回…こんな利己的な打算が瞬時に働くんだからこの恋が少年がするみたいに素直とはとても言えないや。
分かったところで反省なんてしないけどさ。恋は時に図々しく、したたかなんだよ。
半ば開き直りつつ、デートに誘えば御剣はそれを快諾した。お願いしてきてる立場なんだから当たり前なんだけど障害のまったくない返事は実に爽快。
デートも出来ちゃうわけだから爽快感に大きな喜びも加わって異常な高揚感に満たされる。
時間と場所は後で連絡しあうってことで電話は切ったんだけど、なんかね…なんかさ…ぼくの恋路は気付かぬうちに進んでたんだなぁと感じた。半死半生状態でついさっきまで鬱々としてたなんて思えないほど精力が漲ってきたようで
「世界的ベビーブームの到来で人口増加。そんなとこデスカ?お祝いにラーメン大盛りしてみちゃう?」
行きつけのラーメン屋に向かう道すがら真宵ちゃんは舌なめずりしながら訊くから
「そうだなぁ…酸素ボンベ抱えながら森林浴してる感じ。いいよ、ラーメン大盛りチャーシュー増量、煮たまご追加しときますか!」
上機嫌で大奮発。
若干懐は寂しくなるけど今日は特別。嬉しいことがいくつも重なった喜びと久々の幸福を噛み締めるんだもん。
「わー!サスガなるほどくん!太っ腹〜!」
嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるカワイイ助手にも幸せを分けてあげなきゃ。
御剣の話したいことってのが気になるけど、今はしょっぱい味噌ラーメンで空腹を満たすことに専念しよう、かな。



2009/7/4