進むべき選択肢は二つある。
足場すらない険しく困難な近道と、なだらかで歩きやすい遠回りの道と。
前者は滑落の危険や負傷の可能性が常に付き纏いかなりの強行軍になるのは必至。それでも膨れ上がった想いがぼくを急かし決意を強くするのだけれど選んだのは後者…遠回りの道だった。
別に、傷つくのが怖かったわけでも生命の危機にもなる滑落が嫌だったからでもない。自己防衛的意味で安全を優先したなんて思わないで欲しい。
だって、近道も遠回りも目的地に着くという保証は無いわけで、永遠に濃霧の中彷徨い歩くことになるかもしれないわけで、遠くから見れば確認できる登頂点でも実際入山してみたら頂は遥か彼方の雲の上なんて容易い想像、リアルな現実。
ならば愛でよう。道々に咲く可憐な花や珍しい植物、鳥の囀り、美味しい空気。僅かな驚きと眼下に広がる風景に微笑を浮かべ、過程すら喜びに変え見上げた先にトキメキ、踏みしめる足裏に確かな実感を得ながら制覇するんだ。

え?
何の話かって?
そりゃあ決まってるじゃん

ぼくの恋の話さ



たとえばこんな恋のはなし




夜の約束。集合は現地、もしくは仕事場に直接押しかけ同伴入店。
約束を取り付けるのは無論ぼくから。かなり一方的に、図々しいくらい強引に。
食事と時間帯によってはアルコールも加わり探りも兼ねた近況報告を受け他愛も無い日常会話に和みながら束の間の時を共に過ごす。
引き伸ばしたい希望をぐっと堪え解散は店の外。二件目を誘うけど大抵は次の日の仕事に支障をきたすとかで断られ運良く連れ回せるようだったらぼくのうちへと向かう。
ハシゴが嫌なわけじゃない。一緒に居れるならどこだって構わなかったし変な気を遣われるくらいなら妥協したって構わなかった、けど。ぼくの家に引き込めれば一緒に居れる時間は遥かに長いのは確か。
二件目、三軒目と流れても結局のとこ解散になるわけで、ぼくの気持ちなんてお構い無しに彼はタクシーを拾い自宅に戻ってしまう。どんなに期待したからってソコに誘われることなんて皆無で半身をはがされるほどの痛みに顔を歪めながらも遠ざかるタクシーのテールランプに手を振る。
寂寞の想いと残る僅かな香りを胸に抱き君の消えた道に背を向けることを思えば、二件目を口にした時ぼくの家を推すのは当然、だよね。
一度収まってしまえば朝まで一緒に居れるわけだし、別れ際のどうしようもないやるせなさを感じる必要も無い。それにソコは第三者の目が届かないプライベート空間だから彼自身、警戒心は緩み緊張感も和らぎ、飾らない素の表情を見せてくれる…ってことで、ここんとこ彼、御剣はかなりの頻度でぼくの家に来てくれるようになった。
滅多に使われることのなかった客布団も使用者が現れ満足だろうし、部屋のあこちに積もる綿埃も以前より回収されるようになって環境自体も少なからず良好。ぼく以外の人が使うサニタリー用品や常備される衣類や夜具、趣向品のアレやコレはぼくと御剣の関係が密になった証。
まあ、関係といっても友人の範囲を超えていないわけで…。御剣に想いを寄せるぼくとしてそれらは恋愛成就に向け歩く長い道の途中に咲く可憐な花のように微笑ましく、完全に満たされない恋情を慰め癒してくれる貴重なアイティムだ。
多分、一般的な恋模様と比較してみてもぼくの態度は紳士的だと思う。
そうならざるを得ないのは御剣が色恋沙汰にかけてメダル級の鈍さを持っているからで、それを知っちゃってるぼくとしては覚悟を決め念頭に置き、苦肉の策で鈍さも疎さも彼のチャームポイントだと納得した。鈍いから諭すのではなく珍重し、疎さにつけ込んで愛情を表現した。ぼくなりに接し方には気をつけながら精一杯大切にしてきたんじゃないかな?
引かれない程度のコミュニケーション。許容範囲内のお節介。疑われないギリギリの接し方で外堀を埋めじわじわと内側を侵食してゆく、そんな気の遠くなるような持久戦を選んだのはぼく自身だし、ソコに何も生き甲斐を見出してないわけじゃない。寧ろ楽しいと思ってるんだから不平も不満も零したくない。無論方向も転換もしない。
ただ、
なんと言うか
長く片恋を続けていると漠然とした焦燥感は胸中深くに積もり、見ないフリをしてても見えてくるわけで。
ささやかな楽しみの為悪戯まがいの策を仕掛ける…ソレが若さだというならまあ、そうなんだろうなって頷くしかないわけで。

「あー、ごめん!そういえばこないだ客布団を干した時にうっかりベランダから落としちゃって、運悪く雨上がりだったもんだから…」
その日、仕事が一段楽した御剣を誘って夕飯を済ませ、あれやこれやの攻防の結果連れ込み成功。シャワーも浴び、パジャマに着替え、後は寝るだけ、お泊りコース。朝まで一緒に過ごせる確実な状況で声を上げた。
「ム、ソレは災難だったな。私のことは気にしなくてもいい。床で寝るくらいなんてことない」
「い、いやいやいや、床で寝ろなんていうわけないじゃん!布団は一つしかないんだから…って、なに着替えようとしてるんだよ!」
「…今からタクシーで帰れば済むことだろう」
「そういうことじゃなくて、寝る場所はあるわけじゃん!一つだけど!」
「ム、ムム…家主である君が床で寝るのは道理に反する。ヤハリ、私が帰れば事は収まる」
「違っ!ぼくは床で寝るのは全然いいんだけど、そうじゃなくて、一緒に寝れば済むことじゃないかって、そっちのこと!」
ささやかな楽しみを得る為仕掛けた悪戯に疑うことなくかかってくれたのは好都合。あわよくばぼくの恋路に一筋の光りが射すかも、なんて下心も覗かせたのはいいんだけど
「…それは……考えてなかった、が、シングルベッドに二人寝るなど窮屈ではないか。どう考えても安眠が得られるとは思えない」
引っかかりすぎだ、バカ!ココで帰られちゃったら泣くに泣けない。自分がまいた種だからこそ余計に。
生真面目な御剣はぼくの言葉に耳を貸してくれず帰る気満々。まったく、融通が利かないにもほどがある。焦るぼくをあざ笑うようにパジャマのボタンを次々外してゆく。どうせならぼくがパジャマのボタンを外したい…って煩悩は置いといて
「今からタクシーを呼んで帰っても構わないけどさ、寝る時間は大幅に削られるよ?窮屈かもしれないけど寝ちゃえばそんなこと気にならないだろうし、無駄な時間を費やすくらいなら妥協してもいいんじゃない?ああ、でも、君が…ぼくと一緒の布団に入るのが嫌ってなら仕方ない、ケド」
御剣は押しに弱いのは周知の事実(本人にはナイショだよ!傷つくから)だけど、もっと効果的なのは押した後少し引くことだ。それはこれまでの付き合いの中から学んだことで、ここぞという時にかなりの確立で効力を発揮する。
多用は禁物。でも、今使わなきゃいつ使うんだって感じだもん。
コレが成功しなきゃぼくだけじゃない…この時のためにと処分した客布団も浮かばれない。まだ充分使えるくらいキレイだったんだから。それに新しい客布団を用意するまでの期間に抱く夢も希望もないわけで
「もしかしてぼくが寝てる君にヘンなことするって考えてる?大丈夫、襲ったりしないから安心してよ」
「なっ…なにをバカなことを!私はそのようなことを心配したのではない!君に迷惑をかけるのが嫌だっただけで…」
「ぼくは迷惑じゃないから。雑魚寝なんて珍しいことじゃないし」
顔に出ないようにしてるけど、かなり、僕は必死。法廷で追い詰められた時に匹敵するくらい冷や汗をかいてる。
お願い!丸め込まれてくれ!
「ぼくと君の仲だろ?遠慮するなんてミズクサイよ」
日付は既に明日が今日に替わり、血中アルコールもそれなりの濃さで、仕事の疲れも手伝って否が応にも睡魔は瞼をノックする。目の前のベッド。タクシーを待ち家路につく過程。遠慮はあれど惹かれるのは安眠の時。
そこに追い討ち、友情をちらつかせる。恋ってヤツはしたたかに出来てる。
二呼吸の後御剣は観念したらしくパジャマの前を閉じ始めた。こんな時、なんて言っていいのか分からないだろう、そんな御剣の心情をぼくは理解してるから
「壁際は君に譲るよ」
努めて明るく笑みを送った。
今のぼくの心境を例えるなら祭り開始の合図の花火が上がったって感じ。膨らんだ期待がぱっと胸に広がり鼓動が早くなる。
一緒の布団に寝たからってナニがあるわけじゃない、ナニもないだろう。分かってるよ、分かってるさ。でも、でも、だよ?もしかしたらぼくの遠回りな恋に特別な展開があるかも知れないじゃん?いや、ナイとは言い切れないでしょ?可能性に期待しちゃうのはしょうがないよね。
だってホントにこいつってば鈍いんだもん!哀しくなるくらい鈍いんだもん!
ぼくはこれまでたくさんの想いをこめ御剣に接してきたつもり。飛び掛りたい衝動を堪え丁寧に接してきたつもり。
意図的、無意識に、全ての仕草で想いを表現し行動をし、直接的なものではないけれど聡い人ならソコに好意以上の何かを感じ取ってくれるはずと期待し続けた。あからさまではないけれど普通に、普通の感覚をしてればぼくの恋心を見抜くなんて造作もないことだよ、多分、きっとね。
用もないのに電話がある。偶然とは言い難いくらい出先で頻繁に出会う。数ヶ月前に交わした会話の内容を一言一句違えることなく復唱する。立ち位置が異常に近い。やたらと目が合う…そして目が合っても視線を外さない。無意味なボディタッチ。不自然な前屈み。
一つ一つは些細なロジックでも重なればそれなりに閃くものはあるはず。繋がりを追えば明確な答えははじき出され真実は必然的に明かされる。
だって、名探偵も顔負けの推理をしちゃう男だよ?
天才と称される検事サマだよ?
切れ者で頭脳明晰、才色兼備(は関係ないけど)博識で観察眼に優れてる、そんなすごいヤツなのに…
「ソッコー熟睡……マジかよ…」
期待してた展開はやっぱりなかった。これっぽっちもなかった。
つか、入眠潜時十秒ってどんだけ寝つきがいいんだっ!
おもいっきり叫びたい気持ちをぐっと呑み込み、ぼくの横で眠る御剣を力なく見詰める。
寝てるよ…間違いなく寝てるよ。疑いようのない現実が目に痛い。
よく言えば信頼の証?安心の約束?
単に疲弊していただけ?
変に警戒されるのも困るけど、あまりに無防備な寝姿はぼくの思いがこれっぽっちも伝わってないってことで、悲しいくらいに意識されてない自分が憐れに思えた。
これまでの想いを込めた接し方じゃあ意味がないのかなぁ。伝わらないのかなぁ。そもそも、ぼくが選んだ道は君への到達点に続くものじゃなくただの迂回路だったんじゃないかって。
覚悟が不安で揺らぐ。
ぼくは大きく溜め息を吐き横目で御剣の寝顔を再確認し膝を抱え項垂れた。
パジャマパーティがしたかったわけじゃない。寝入りばなまで少しだけ、ほんの少しだけ言葉を交わし、胸の鼓動が聞こえませんようにって祈りながら眠りに落ちる時間を楽しみたかった。ほのかに漂う甘い雰囲気を心のどこかで期待していたのに。
ぼくが選んだなだらかで歩きやすい遠回りの道。ゆっくり育みたいと思ったこの恋は考えていた以上にスローペース。
「子供みたい…無邪気な寝顔をしちゃって、この、鈍感!」
堪らず小声で零す。まんじりともしない夜の目を、静かな寝息に浸しながらこの恋の行方を想像し、ぼくは密かに憂いた。




2009/7/3