微笑だけを残してあっさりその場を立ち去った幼馴染。

飄々とした足取りでネオンの中に消えていった腐れ縁の友人。

取り残されたぼくは灯りの所為で星一つ見えない夜空を見上げ、しばらくの間立ち尽くしていた。




いい加減真っ暗な空を眺めるのにも飽き、ぼくはこれからの自分の行動を考え始めた。
この先にある大通りに出れば多分、直ぐにでもタクシーは拾える。
ここからぼくんちまでそう距離はないから、数回メーターがまわれば着くだろう。
近所迷惑にならないよう静かにアパートの階段を上がり玄関のドアを開け、暗い室内を軽く見渡し明かりを点す。一日の疲れを溜め息ひとつ吐くことで慰め、着の身着のままシングルベッドにダイブして目を閉じれば、呼ばなくったって睡魔はやってくる。
今日と同じく暇をもてあますかもしれない仕事でも、確実にやってくる明日。ぼんやり真っ暗な夜空を見続ける、そんな無意味なことに時間を割くわけにも行かず大通りに向かってぼくは歩き出した。
大通りに出る前に空車のランプを照らしたタクシーが見えたのはラッキーなのかもしれない。このまま一歩車道に出て手を上げればさっき思い描いたように当たり前で変化のない過程を経て一日が終わる。
一歩踏み出すだけ。
軽く手を上げるだけ。
分かってるのに、分かっているのに、ぼくは一歩もその場を動かなかったし指先に僅かの力も入れなかった。まるで敷かれたレールの上を歩きたがらない思春期の少年みたいな心境で、通過するタクシーを無言で見送り不意に行き先を変更したのだ。
日常へのささやかな反発?微妙にもてあました気持ちを放ってはおけなかったから?
自分でもはっきりしないけど総じてそういう場合は”気まぐれ”の一言で片付けられるもんだと思う。
向かった先はぼくの仕事場、事務所だ。勿論、ここまで徒歩で来た。
目的は明日に見送った仕事を片付ける、なんてことじゃなく置いていった自転車をとりに来ただけなんだけど。
二件目三件目とはしご酒をする時とか、ぼくんちで飲み直そう!みたいな流れになった時、変に持て余さないよう置いてゆく事を決めたモノだけど、過剰な期待がはかなく砕ければ無駄な気遣いにしかならない。
どうせ帰ってもすることなんてないし、寝るだけだし、自転車がなけりゃ明日の朝はタクシー通勤になっちゃうし、と気まぐれの言い訳を自分にしながらハンドルを握りスタンドを蹴った。

カラカラカラと軽いチェーンの音が夜の住宅街に小さく響く。

結構な距離、自転車を押して歩いたから酔いはかなり醒めていた。つか、店にいる時は気持ちのいい酔いに浸ってた気がしたけど解散した途端それは蜃気楼のように儚く消えてしまいぼく自身、あまりの呆気無さに驚いたくらいだ。
血中アルコール濃度とかそんな現実的なことじゃなくて、どうもぼくはあの場の雰囲気に酔いを感じてたらしい。あの場の雰囲気…御剣が隣にいて食事する風景や会話する様子やお猪口を傾け口から流し込むアルコールを楽しむ姿を眺める、それだけのことに摂取アルコール量以上の酔いを感じたんだとなんとなく解った。
ドキドキ高鳴る胸の音。
ふわふわした心地好い恍惚。
その満たされた感覚がアルコールの所為じゃなく特定の環境、否、特定の人物そのものに感じていたことは不思議だけれど妙に納得できるものがある。
何故か、なんてわかんないさ。どうしてか、なんてわかんないよ。
わかんないけど、解らないから、感じる幸の後味は僅かに苦く、そして物悲しいのだ。
固執し過ぎなのだろうか。
ぼくが勝手に思い描いた友人としての付き合いに副わないからって…ぼくは御剣に何を期待しているんだ?
どんな関係なら満足できるんだ?それがわかりゃこんなモヤモヤしたりしないっつーの!
カラカラカラ…今、ぼくの頭を左右に振ったらこのチェーンの音みたいに乾いた音がするかもなぁ。なんて、ぼんやり考えたら情けなくなって「はぁ…」さっきから何度目?の溜め息を零したぼくの脳裏にふと、何気なく掛けられた言葉が蘇った。
『お前、なんか溜まってんの?』
別れ際、不意にかけられた言葉は意外に当を得ていたのかもしれない。まあ、何が溜まってるかはおいといても、モヤモヤしてるのは確かだし。
「変に煮詰まっても気持ち悪いかぁ…クソッ、ヤハリのくせに言い得て妙じゃんか」
生粋のトラブルメーカーである幼馴染は常識的なことに縁遠くても、感覚的な閃きは時々目を見張るものがあるってのは過去、あいつが原因でぼくが巻き込まれた事件から学んだ事だ。直感に生きると言うか野性的感覚に優れてると言うか…それが中々良い方に発揮されないのはヤハリだからでしかないんだけど。
「そういえば‥最近シてないなぁ…」
このシてないってのはセックスをってことじゃなく、それ以前、自慰‥つまりオナニーを、だ。
全てを鵜呑みにするつもりはなくても思い当たる事があれば気になるもので…。
心と体は表裏一体。見えない内の思いが表情に出たり体調に影響したり、その逆もある。
即物的な繋がりが全部とは言わないまでも全てを否定できるわけも無く、最後に自分でシた日を霞がかった記憶を頼りに探して、そのあまりに遠い記憶に愕然とした。
恋も然ることながら、真っ当な成人男子なら抗えない本能の訴えにすら満足に応えていない現実。仕事を理由にしてもあんまりな結果はそっち方面では乾き知らずな友人に指摘されても仕様が無い‥のかもしれない。
この先の角を曲がればプライバシーな空間、ぼくんちがある。
チラッと時計を確認し、この時間ならまだ明日の仕事に支障はないと判断したぼくは押していた自転車のサドルを跨ぐ。
確かな解決法ではないかもしれない。
原因は別のところにあるかもしれない。
それでもモノは試し、それでスッキリするなら容易い事。
「よし、スルか!」
ヤハリに促されたってのはシャクに触るけど、それ以上にこのモヤモヤした気分を引きずっている事がいやだった。
まだまだ精力旺盛な成人男性が気合を入れてスルことじゃないのかもしれないけれど、一旦勢いづけばそれなりに高揚するし妙な喜びがあるのは確かな事で、いい加減開き直ったぼくは自分に小さく喝を入れペダルに乗せた足に力を入れた。







    




2011/07/06
mahiro