敷いたまま誰の重みにも潰されることのない座布団。
次々に運ばれてくる料理。砕いた氷の上に綺麗に並んだアジのたたきは下ろしたてでツヤツヤしてるし、海鮮サラダは青々とみずみずしい。アラの煮付けからはホカホカの湯気が立ち煮込んだ根野菜は更に味を染み込ませてゆく。まだきてない料理はあったけどそれももう直ぐテーブルに並ぶはず。
話しながらチラリ横目で誰も居ない席を見る。
待ってるよ?ねぇ、待ってるよ?
ソコに人のぬくもりが落ちることを。
箸置きから手の中に納まることを。
美味しいと舌鼓を打ってもらうことを。
待ってるよ?
みんな、君が来ることを今か今かと待っている。
勿論、ぼくだって。矢張のお惚気に一緒になって突っ込む、お疲れ様ってジョッキを合わせる瞬間を、綺麗な仕草で不器用に料理を摘む君を待ってるよ?

「楽しそうだな」
客の話し声、笑い声、従業員の掛け声、食器の鳴る音、手を叩く音。音の渦を一瞬にして割り裂き耳によく通る声が個室内に響く。
個室と言っても高級料亭じゃないから一段上がったそこに障子戸なんて仕切りはなく長くかかった暖簾がそれの代わり。その暖簾を右手で払いながら畳を踏みしめひょっこり顔を出すその動きがヒロインの登場シーンのように効果的に、印象的にぼくの目に映る。
毛先の細かな揺れ、指先が描くしなやかな動線、はためく暖簾に翻るジャケットの裾、解れた表情に瞬きが一つ加わり見間違いじゃなければ睫毛の先からキラキラ輝く星が零れ散り…うっかり、そう、うっかり息を呑んでしまった。
これがぼく主人公で書き綴られる物語なら間違いなく一目惚れフラグが立ってるはず。目の前にいるのは英雄になるために身を捧げ尽くすヒロインで、恐ろしい魔王の手から救い出す大切な姫君。そんな、錯覚さえ覚えるほど待ち望んだ登場だったって……ぼ、ぼくってば何言ってんだ。酔いが回ってきたのかな…そんなに飲んでないはずなのに変なこと考えちゃったぞ。しかも普通に!
「みつ‥早かっ‥‥」
変に動揺したぼくはしどろもどろに声をかけた、けど
「おー、来た来た。先やってるぜぇ」
それは矢張の遠慮ない声に上書きされてしまった。
まあいいや。どっちが上手く歓迎できるかなんて競ってるわけじゃないし‥まだ動揺を引きずってるのか焦り気味に半分腰を浮かしテーブルの上を整頓したり座布団の位置を直したりしてぼくってば世話焼きっぽい。
「これでも早めに切り上げてきたのだよ」
上着を脱ぎ折りたたんでいた御剣は当然ぼくの居る側に座るもんだと思ってたから
「まー座れよ。注文してた料理も来てるからよ」
「うム、すまない」
当たり障りのない会話の流れのまま御剣の身体が矢張の方に傾いたのには驚いた。驚いて
「御剣はこっち!料理もこっちに並べてあるから!」
無駄に声を張ってしまった。なにを必死になってるんだ‥きょとんとした御剣の表情にぼくもハッと我に返ったけど遅いよね。でも御剣はぼくの隣じゃなきゃ嫌だったんだからしょうがないじゃん。
「あぁ‥すまない」
せめてもの救いは御剣がきょとんとしたあとうっすら微笑んでくれたこと、かな。
「お前たちってほんと、ナカヨシさんだな。ま、俺も酌してくれんならキレーなオネーサンのが良いからどーでもいいんだけどよ」
「手酌のが気ぃ遣わなくて楽って言ったのはどこのどいつだよ、ったく‥」
油断も隙もない、言いかけぼくはそれを慌てて飲み込んだ。なんか違う。それって合コンで気に入った女の子をもっていかれないよう先回りして牽制するヤツのすることじゃん?
「生にする?他のがよければ、はい、ドリンクメニュー。決まったら教えて、注文するから」
意中の子に気に入られたくて過剰なくらい世話しちゃうヤツ、まんまだよね?御剣分のおしぼりとメニューを渡しながら思うけど、頭より身体が先に動くんだからこれもしょうがないこと、かな。
お銚子を頼み、料理をつつき、とりあえず各々の近況を報告し(と言ってもめぐるましく近況が変わるのは矢張ぐらいでぼくと御剣はそれなりに頑張ってる、ぐらいしかない)改めて乾杯をした。口上はまあ、みんなお疲れさんが妥当なとこでしょ。
料理より酒、なぼくと矢張‥そして酒より食い、マジ食いな御剣。会話はどうしてもぼくと矢張で回っていくけど
「かして、ぼくが身を外してあげるから」
「ム‥そのくらい私にだって出来る。気遣いは無用だ」
「まぁ‥出来る、だろうけどぼくこーゆーの得意だから任せてよ」
意識はどうしたって御剣の箸捌きに行くわけで
「相変わらず破壊的に不器用だなぁ!のクセ、アラ煮なんか頼んじゃうんだから御剣って面白れーのな!」
ついつい言いたくもなる矢張の気持ちも充分分かる。だからってそこまで笑うこともないと思うんだけど。
「‥‥食べたかったのだからしょうがあるまい」
ほーら、御剣、拗ねちゃったよ。
「いいじゃん、魚の骨が取れなくっても仕事に支障があるわけじゃないんだしさ。それに、ぼくが居る時ならそのくらいやってあげるから、はい、ここ美味しそうだよ」
油も乗ってるし身も詰まってるし美味しい部分だから食べてよと差し出した箸先には上手い具合に解した身。ぱくっと一口、くらいついてくれるのを期待しているぼくの目の前で何故か御剣は固まってた。顎を引きその箸先一点を凝視する。
「………あ〜、あ〜‥イっとけばいいんじゃね?折角だから‥」
固まってた御剣はちらり、促す矢張を見て「う、うム‥いただくと、しよう」頷き、美味しそうに湯気を立ててる身に噛り付いた。
何て言うか、満足感?ぼくが御剣のために解した身を遠慮がちでも口にした‥これは達成感?差し出した箸先に御剣の薄い唇が近づき、ちらり、見える白い歯と赤い舌。薄く開いて閉じるその瞬間を捉えた‥恍惚?湧き上がる感情に自分でも分かるくらい笑顔は濃くなり喉まででかかる言葉、ギリギリで呑み込み
「美味しいだろ?」
無難な台詞に差し替えた。
もぐもぐと咀嚼しながら御剣はいつものように頷き
「ここんとこもきっと美味しいよ」
空いた箸で示せば
「も、もう結構だ。あとは自分でする。君も、食べたまえ」
首を振り自分の箸を掴んだ。残念、もっと構いたかったのに‥こっそり、ぼくは肩を落とす。このもやもやした気持ちってなんだろう。
「それはそうとさぁ、御剣ってベネズエラ知ってるか?あ、ベネズエラって国な。お前なら知ってんだろ?」
ぼくたちのやり取りをグラス片手に見ていた矢張はやおら中断していた会話を掘り起こす。
「ベネズエラ。南アメリカ北部に位置する連邦共和制国家のことだろう?常識程度のことしか分からないが‥」
「あーあー!いい!常識でいいから教えてくんね?実はさぁ、今度の彼女がベネズエラ出身らしくて前知識として知っときたいじゃん。でもほら、なるほどうじゃベネズエラは国ってことぐらいしかわかんなくてさぁ」
「…悪かったな、ぼくは非常識な男なんだよ。お前だって似たようなもんだろ」
「ばっ、俺はお前よりが知ってんぜぇ!ベネズエラは美人が多い!これって大事なことじゃん」
「それはお前の彼女が美人だから?一が十とは限んないじゃん」
「いや、矢張の言うこともあながち間違いではない。世界のミスコンテストでベネズエラは過去いくつもの栄冠に輝き、昨年のミス・ユニバースではベネズエラ代表の女性がグランプリに選ばれたらしい。国民全体美に対する意識も高く、自らへの投資も惜しまない。美人養成は国家事業の一環で…」
…それって常識なんですか?
御剣のこーゆーとこってよくわかんない。わかんないんだけど、普段言葉数が少ない男がいっぱいしゃべってるのが微笑ましいって言うか………。
「な?間違ってないってよ」
「へ?あ、うん?」
うっかり御剣が話す仕草に見入ってたみたいでカカッと笑う矢張に気の抜けた返事をしてしまった。
微笑ましいって言うか……そのあとに続く言葉ってなんだったんだろう。微妙に気になりながら。
「で、君はベネズエラの何が知りたいのだ。政治、経済、民族、歴史、風土、通貨、言語、文化、観光地…様々あるが?」
「え……と、とりあえず観光地とか文化とか?出来れば面白そうなトコだけ短めに…」
そこからは御剣のベネズエラ講習(アレは講習って言ってもいいよね)とそれに飽きた矢張の恋愛話と、適当な雑談を交え、ツッコミが所々に入り、まあ、楽しい時間を過ごすことができたんじゃないかって思う。

スタートは一応9時で日付はいつの間にか替わり、騒がしかった店内も落ち着いてきて
「そろそろ失礼しても構わないだろうか。明日も早いのでな」
口直しにと頼んだお茶を飲み干すと、御剣は来た時と変わらない清涼感のある声で告げた。
ああ……寂しい…。
もっと一緒に居たいんだと縋りつきたい密かな衝動。
「あー俺もバイトにいかなきゃなぁ」
「あ、そっか…えーとダニエラさん?に、ヨロシク」
「そうだな、仲睦まじくあれるとよいな」
「おうよ、運命の恋人だからな!今度時間が合ったら紹介するぜっ」
言いようのない喪失感。この時間隣にあり続けた存在が、ぬくもりが、安心が、儚く消える…。
この感じを例えるなら祭りの後、いや、夏休みが終わる最後の日。来るまですごく楽しみでワクワクし無謀と言えるくらいの計画を頭の中で練り上げ、最中は別世界に潜り込んだような高揚感に支配され夢中になる。楽しい時間に終わりなんてないと思えたしずっと続く有り得ない事を至極真面目に信じもする…そんなはずないのに、心のどこかで分かっていても気づかないままでいたかった。
終わりたくないって…こんなに思うのは。
身支度も済み会計に向かう為伝票を手にしたのは手の届く位置が一番近い御剣で、不覚にも出遅れてしまったことを少しだけぼくは恥じた。
「ちゃんと割り勘だからな!」
御剣にと言うよりも上機嫌でへらへら笑ってるアイツに釘を刺し最後にもう一度振り返る。夢のあと…飲んで食べて笑って、肩を突合せ話をしたあの場所を。誰も居ない席にぼくともう一人、並んで座る、残像を見た。
感じる寂しさは夏休みや祭りみたいな大きな括りではなく、もっと固執しててもっと限定される対象への思い。
誰も居ない個室から視線を外し向かうのは……。

「うっし!もうひと頑張りすっかぁ!」
会計の時には隅っこにいたくせに一番最初に暖簾をくぐって外に出た男は大きく伸びをし夜の街に吠えた。
「ったく、結局割り勘にはなんないんじゃないか」
御剣に次いで店を出たぼくはグチッてみるけど
「まあ、良いではないか」
ぼくと同じだけ‥いやもっとか、を支払うことになった御剣が柔らかく微笑み宥めるからそれ以上零すことはやめた。まぁ、いつものことっちゃーいつものことだからさ。
ぼくは御剣のこんな微笑に弱い‥肩の力を抜き深呼吸をすると寒い時期じゃないのに頬を撫でる風がひんやり冷たく心地好いと気づく。
「矢張はこのあとバイトだろ?御剣は‥」
「私は家に帰る」
うん、まあ、そうだろうね。
ちくり、また胸が寂しさに痛む。
「お、送ってくよ!えーと、終電はギリギリ間に合わない‥か」
縋りつきたい。
「結構だ。駅まで歩く途中、適当にタクシーを拾う」
「じゃあぼくもタクシー」
もっと一緒に、居たい。
「反対方向ではないか」
「そ、そりゃ、そう‥だけど」
君と、一緒に居たい。
「今日は楽しかった。失礼する」
「‥‥‥‥‥っ!」
ぼくは知ってる。君はいつも別れ際そうやってキレイに微笑むけど絶対に次の約束をしない。
楽しかったと言いながらその時間が続けばいいなんて口にもしなければ態度にも表さない。
いつも、いつも、割り切られる、その感じをぼくは心底寂しいと思う。
「ま、また、飲もう!また、連絡するから!御剣っ、また!」
縋りつきたい衝動を抑え必死に手を振るぼくに振り返りざま微笑み軽く手を上げる。御剣の離れて行く背中がただ、ただ、哀しかった。
この気持ちの本当の意味なんてぼくは知らない。知らないけど、さっきから喉元まで出掛かっては呑み込むその言葉と同じ種類のものだとは分かる。
ぼくは‥‥ぼくは‥。
「あー‥イッちゃってるとこワリーんだけどよぉ、俺も行くわ」
一人別れのプラットフォーム劇を演じてるぼくにサクッと横槍を入れるのはうっかり忘れてた今日のメンバー、友人の一人。矢張にしてみればぼくの一人芝居なんてどーでもいいもんだろうけど、もう少し浸らせてくれてもいいんじゃないかなぁって思うのは我侭かな?
「ああ、うん、バイト頑張って。それと、奢りじゃないんだからな‥ちゃんとぼくと御剣に飲み代返せよ」
「ヘーヘー、わーってるよ。金が出来たら返すっ、て、御剣ん時と違いすぎねーか?ったく‥いいんだけどよー」
場面が別れのプラットホームから飲み屋前に変わったことに不満なんだろうか‥呆れ顔で矢張はぼくに別れを告げ夜の街に歩みを進める。と、
「あのさぁ、お前、なんか溜まってんの?」
数歩進んで振り返り一呼吸考えた後
「色々あると思うんだけどよー、溜まってんならヌいとけよ。変に煮詰まっても気持ちワリーだけだし‥ヌいてスッキリすりゃー視界もよくなんじゃねぇ?多分だけどよー」
奥歯に何か挟まったような台詞を零した。
「……なに?どゆこと?」
大概、こいつは感性重視って言うか分かりにくい物言いをするやつなんだけど、何?溜まるとかヌくとか。そっちの方向に話が向くのは何でだ?怪訝に思い訊き返すけど
「彼女がいないならしょうがねー、エロビデオでも観て発散したほうがいいんじゃねーかってだけだよ。じゃ、またな」
やっぱり、よくわかんないことしか返ってこなくて。しかも言うだけ言ったらさっさと夜の街に消えて行っちゃうし。残されたぼくは不可解さだけを手土産に帰路に着くしかなかった。





    



2009/04/09
mahiro