月満ちて叢雲の間より零れし明(ひ)に
明月 3
虎徹副隊長に案内されて、初めて訪れた四番隊隊舎は、卯ノ花の率いる隊らしく、清廉でそこはかとなく『癒し』がちりばめられているようだ。
すでに隊長羽織を脱いだ卯ノ花は、手にした湯飲みを優しく包み込みながら、昇ったばかりの月を見ていた。
「おやすみの所、申し訳ございません!」
三つ指をついて深々と頭を下げるに、穏やかな言葉が返る。
「休んでいたのではありません。貴方を待っていたのですよ」
「私を ・・・ ですか?」
「ええ。 今日、護廷に来ると浮竹隊長から伺っていましたから。
きっと私を訪ねるだろうと思っていました」
「・・・・・・・」
穏やかな微笑みは何を伝えたいのだろうと思考を働かせた時、忘れられない過去が頭を過ぎった。
「・・・ その節は、大変ご迷惑をお掛けしました ......」
「体は、大丈夫ですか?」
「はい。 おかげさまですっかり元気になりました」
「それは何よりですね」
慈愛に満ちた笑みに、心が落ち着いて行く。
と同時に、これからの事に緊張が走る。
もしも、自分の願いと違っていたら、私はどうなるのだろう。
――― もう愛せないかもしれない ・・・・・
そう思った瞬間、体中に悪寒が走り、思わずその身を抱きしめた。
――― 違う・・・・・・
恐れていたのは、真実を知って離れてしまう二人の心。
悲しみを受け止める強さも、真実を知る勇気ももてない自分は、その全てを白哉に押し付けているのだ。
「気づくはずのない命でした ・・・・・」
逃げるように目を閉じたの耳に、澄んだ声が響いた。
驚いて見上げた卯ノ花の表情はとても穏やかで、哀れみや同情は感じられない。
魂の現(うつつ)にもっとも近い彼女だからかもしれない。
放たれた言葉が、何を意図するのかは十分すぎるほど解かる。
卯ノ花が往診の時に、告げた事実。
しかし、頭で理解できても、心では諦めきれない。
「それでも、私は信じたかったです ・・・・・。
待てるだけ ・・・・ 奇跡が訪れるのを ・・・・・・」
の言葉に少し困ったような微笑を浮かべた。
「真実を告げれば、貴方なら、そう言うだろうからと、仰っていました。
だから、全てをお一人で進めるからと、わたくしに口止めされて」
卯ノ花は、湯のみを傍らに置くと、淡く輝き始めた月を見上げ小さく息をした。
「奇跡 ・・・・・ とても、希望に溢れる言葉ですね。
しかし、叶わぬ時は、諸刃の剣となって願う人を貫く言葉です。
届かない奇跡の虚しさは、経験した者にしか解らない残酷な結果です。
その上、大切な人の命までも奪われるとしたら、奇跡を見送る勇気は決して責められるものではないと思います」
「 ・・・・ 勇気 ・・・・・ でしょうか ・・・・」
「ええ。 私はそう思います」
「命を宿す身と宿さぬ身では、その重さを同じに感じる事など出来はしない。
だからこそ ・・・・ 持てる勇気なのかもしれませんね ・・・・・・」
「・・・・・・ 確かにそうかもしれませんね。
決して解りあえる事のない部分でしょうから」
今度は哀れみの視線を床へと落とし、卯ノ花はあの日、見たままを言葉にした。
「あの日、貴方から零れ落ちた人とはまだ言えない命を、大切に白絹で包み抱きしめると、わたくし達にこう仰いました。
しばらく『 二人 』だけにして欲しい ・・・・・・ と」
「二人 ・・・・。
び ・・・・ 朽木隊長は ・・・・・・
何を話されたのでしょうか ・・・・・・」
「さぁ、その後、すぐに結界をお張りになられたので、様子はわかりませんでしたが」
少し途切れた言葉に、再び卯ノ花を見つめる。
今度は、卯ノ花の瞳がしっかりとその瞳を包み返していた。
「貴方の輝く笑顔を見れば、どれほど大切な命だっかは容易に解かる筈。
それに、朽木隊長にとっても、大切なわが子には変わりありませんよ。
命こそ宿さぬ身ですが、悲しみが解らないとは限りません。
朽木隊長は、亡くす悲しみを誰よりもご存知なはずですから」
「亡くす悲しみ ・・・・・・」
あの日、穏やかに話を切り出した白哉は、どんな想いで自分に話したのだろう。
『悲しみ』を『憎しみ』に変えることで、その全てを背負うというのか?
「・・・・ どうして、お話してくださろうと ・・・」
「自分の意思で知りたいと思えば、いつでもお話するつもりでした。
貴方には聞く権利があります、責任とともに。
どんなに辛くとも、向き合わなければいけない現実は、これから沢山あるのですから」
「責任 ・・・・・。
最後に一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、なんでしょう」
「・・・・・ あの日、卯ノ花隊長も、朽木隊長と同じ結論を出していたのでしょうか?」
の問いに、小さくええと答えた。
「あの日、朽木隊長から依頼されなければ、貴方を帰すつもりはありませんでした」
「・・・・・ そうですか ・・・・・。 ありがとうございました」
四番隊隊舎を後にしたは、新しい命を告げる卯ノ花の寂しげな笑顔を思い出した。
その時は、嬉しさのあまり気にも留めなかったのだけれど。
浮かんだ月に、卯ノ花のそれと良く似たあの日の白哉の笑顔が滲みながら重なった。
2008/4/13