月満ちて叢雲の間より零れし明(ひ)に
明月 1
あれから二週間。
床から起き上がれるようになったは、にっこりと微笑む。
白哉が大好きだった笑顔に、己の感情を全て包みこんで。
「体調はどうだ?」
「うん。 おかげさまで、すっかり大丈夫よ」
「そうか。それは良かった」
「ありがとう」
側から見れば円満な夫婦の会話。
しかし、の唇は、白哉の求めるであろう答えしか紡がない。
それでも、さえ傍に居てくれれば良いと願う、己に嫌悪さえ感じているのに、を手放すことを恐れてしまう。
家老の言葉に我に返る。
「浮竹様が、お見えになりました」
「そうか。こちらに通してくれ」
戸惑いの色を隠せない瞳に、優しく微笑み返した。
「私が呼んだのだよ。
お前の見舞いに来たいと煩かったので、頃合を見ていたのだ」
朽木の嫁として生きると決めてから、どう振舞うのが良いのかを、色々考えてきた。
嫁いでからの日々を思い起こせば起すほど、白哉との事しか浮かばない。
心を決めなければ、きっとまた白哉を責めてしまう。
未練がましいと思うけれど、今は、その思い出だけが、自分を支えているのだろう。
白哉が強いた事は、許せる事ではないけれど、悩んだ末の事だと信じたかったから。
想い返している時にふと気づいた事。
それは、浮竹と居る時の白哉は、少し不機嫌だったという事。
二人になるとすぐに機嫌は直るから、気にした事はなかったのだけれど。
なので、極力、彼の話題は避けてきたつもりだ。
浮竹が来たと聞いて、戸惑ったのはその所為だ。
しかし、白哉の笑顔で、ほんの少し心が軽くなった。
居るだけで人を和ませる浮竹との会話は、不幸な出来事さえ夢であったのかと錯覚させるほどだった。
己へ向けられる笑顔とは少し違うソレにも、今は心が乱される事はない。
頃合を見て護廷へ出かけると暇を告げた。
決して二人の姿を嫌悪した訳ではない。
少しだけ淋しさで心が軋むのだけれど。
仕事があると護廷に出かける白哉を見送り、勧められた昼食を食べ終えた時、家老が直々にお茶を運んできた。
「この庭もすっかり変わったな」
「はい。 様をお迎えになる時に、かなり手を入れましたので」
気さくに話しかける浮竹に、柔らかく応える家老。
その姿に白哉との親交の深さを垣間見る。
「そうなのか? あいつにしては珍しいな。
あまり変化を好まないヤツなのに」
「庭だけではございません。屋敷の調度品から日用品に至るまで、新調できる物は入替をなされて、手放せない物は蔵へと大切にしまわれました」
「そんな大掛かりな事をやったのか? 信じられんな ・・・・」
「婚儀も踰月はならぬと申されましたので、それはそれは、わたくしが白哉様にお仕えして以来、初めてと言うほどの上へ下への大忙しでございました」
普段なら決して話題にしない事も、主の浮竹への信頼を知ってか零れてくる。
「それは大変だったなぁ」
お茶を美味しそうに啜りながら、浮竹は労いの言葉を掛けた。
「滅相もございません。
あのような良き日をお迎えできるなど、様に出会われる前の白哉様からは、想像もできませんでした。
それを思えば、苦労など微塵もございません」
嬉しそうに目を細める家老に、浮竹も微笑返した。
「それにしても、踰月はならんとは、白哉らしくないなぁ ・・・・・・ ん? どうした?
顔、赤いぞ? 熱でも出てきたか?」
「えっ? ううん、大丈夫。 ちょっといろいろね」
えへへと誤魔化すに、不思議そうな二つの視線が向けられた。
比喩はならぬと言う理由は、白哉と二人だけの秘密の睦言。
そう、あの夜。
この人だと感じた運命は、間違いではなかったのだけれど。
いったいどこですれ違ってしまったのだろう。
二人で誓った桜の木を、知らず知らず見つめていた。
「あの梅の木も、変えたんだな」
浮竹の言葉に視線を戻すと、同じように桜の若木を見つめていた。
「はい ・・・・・・。 植え替えで、枯れてしまわぬかと心配致しましたが、無事に新しい土にも根付いてくれました」
すこし口ごもりながも、その行為が納得いくものであると確信させる様に言葉を繋いだ。
「そうか ・・・・。そこまで、の事をな」
「そんなこと ・・・・・」
浮竹の言葉にぽっと頬を赤らめたものの、少し寂しげに視線を落とす。
その表情に、小さな吐息を漏らす、浮竹。
それは、部屋に入った時の二人の間が、明らかに違っていると感じていたから。
「ほらあそこ。 桜の木の少し下の方に、梅が植えてあったんだ」
「 ・・・・ 浮竹様 ・・・・・・」
不安げな家老に大丈夫と微笑み返す。
その微笑を信じて、失礼致しますと一礼して、部屋を辞した。
「白哉が最後に緋真さんと一緒に見た花だそうだ」
「! ・・・・・・・ 」
ズキリと心が痛んだ。
二人の思い出になのか、奥方様への嫉妬なのか、それとももっと別のものへか、自身も解からなかった。
「とても、大切にしていてな。毎年、綺麗な花を咲かせていた。
言葉にはしないが、ある部分、心の支えの一つだったのかもな」
「そんな大切な木を ・・・・・・」
「それだけ、あいつの決心も半端じゃないって事だ」
戸惑いの表情を浮かべるをしっかりと見つめる浮竹。
も顔を上げて、浮竹を見つめ返した。
「あいつは、どうしようなく真っ直ぐでな。
何でもそつなくこなす様に見えて、本当はとっても不器用なんだ」
「うん。 ・・・・・・ 解かってる」
「いつも死神の模範としての顔ばかり見せてるが、中身はけっこう熱いぞ」
「あ ・・ 熱い ・・・・ ?」
「ああ。 それに頑固だ。
一度こうと決めたら、絶対にソレを貫き通すんだ。
だが、やり方がほんと、あの通り不器用でな」
いままでどれだけ、白哉にハラハラさせられたのかを物語るように、困ったもんだとぽりぽりと頭に手をやる。
「一人もんの俺には、夫婦の事は良く解からんが、あいつに惚れてるんなら、最後まで信じてやってくれ。
建前だのなんだので、なかなか本音を見せないが、半端な気持ちで物事を決めるやつじゃない。
じゃなきゃ、あいつの嫁にはなれないんだ」
「でも、私は ・・・・・・・」
「今、あいつの傍に居てやれるのは、、お前だけなんだぞ」
「私だけ ・・・・」
「ああ。 忘れるなよ」
浮竹の大きな手が、小さい頃と同じようにの頭を優しく撫でた。
掌から伝わる温もりに、頑なな心がほころんでゆく。
零れ始めた涙に、浮竹はの震える肩を優しく抱きしめた。
は、尸魂界に戻って初めて、声をあげて泣いた。
2008/2/19