月満ちて叢雲の間より零れし明(ひ)に
拗月 1
黙々と書類に向かい、時折、ふっと顔を上げて遠くを見つめる。
正面にあるのは板張りの壁なのに、その瞳は違う空間を見つめているようだ。
「遅くまで何やってんだ?」
「?!うひゃっ ・・・・・」
「そんなに驚くこたぁねぇだろう」
上から降ってきた声に驚いて振り向くと、いつもは綺麗にセットしてある髪を下ろして、着流し姿の更木が立っていた。
「たっ、隊長、こんな時間にどうされたんですか?」
肩に乗っていないところを見ると、やちるは既に夢の中なのだろう。
そんな事を感じないほど、初めて見る更木の姿に、目を奪われていた。
「酒が切れたんで、宿舎へ取りに来た」
「言って下されば、お持ちしたのに」
「お前なんかにやらしたら、うるせぇヤツラがいるからな」
そんな事と物言いをしようとしたら、言葉はまだ続いていて。
「お前、最近、帰ってねぇんだってな、家」
あの翌日、顔をあわせるのが気まずくて、迷いながらも仕事を理由で隊舎に泊まった。
初めての事ではないけれど、やはり、こじつけの理由はみえみえで、家へ戻るきっかけを逃したようだ。
それから十日、隊舎で夜を過ごしている。
何事もなかった様に、ただいまと明るく帰れば、きっと、柔らかい笑顔で迎えてくれるだろうけど。
なぜそれができないのか、自分でも解らない。
「・・・・・ 暫く尸魂界(ここ)を、離れてみねぇか」
「えっ? ・・・・・」
答えの返らないに、再び口を開く。
手に持った瓢箪の栓を噛んで引っぱりあけると、ぐびっと一口。
「離れるって ・・・・?」
「明日から現世(あっち)での任務があってな。
つまらん任務だが、気分転換ぐれぇにはなるだろう」
「?! ・・・・・・・ すみません。 お気を遣わせてしまって」
「気なんざ遣っちゃいねぇ。 辛気臭い顔が居ちゃ目障りなだけだ」
更木らしい言葉に、口元が緩む。
本音八割と言ったところだろうが、心配してくれていたもの本当なのだろう。
気を遣わせないようにと、出来るだけ明るく普通に過ごしていたつもりなのだが、やはりどこか不自然で。
何も言わない一角や弓親、遊びに誘わなくなっていたやちるに、心配をかけていたのだろう。
「任務、行かせて下さい」
何かを吹っ切ったような眼差しに、にやりと笑うと。
「なら、すぐに帰れ。任務は明日からだ。
後で、文句言われちゃ、面倒だ」
「大丈夫です。 仕事に必要な物は隊舎にも用意してありますから ・・・・・・ それに ・・・・・」
更木の言葉に少し間を置いて、きっぱりと答える。
一度家に戻るという選択肢は全くないらしい。
「・・・・ 少し心配させたいんです」
悪戯っぽく微笑むに、けっとつまらなさそうに酒を呷る。
「隊長は、その ・・・・・ 女の人って ・・・・どう思いますか?」
「はぁ? ・・・・・・ 何言ってんだお前? 口説かれてぇのか?」
「ちっ、違います!!! その ・・・・・ 男の人って女なら誰でも ・・・・・ あっ いえ すっ すみません」
何の返答にもなっていないし、謝られる筋もない。
久しぶりに『女』の面倒臭さを目の当たりにして、ちっと舌打ちがでる。
なんで俺になんだと、ぼやき混じりで。
「てめぇが、ヤりてぇってんならヤるぜ」
少し意地悪く舐めるような視線と淫猥を込めた声で唸ると、ギクりと引きつった笑顔が浮かんだ。
怯えでないのは、己の上司としての信頼からなのだろう。
嬉しくもあり口惜しくもあるところだ。
「隊長は、『来るもの拒まず』って感じですものね」
言った後にはっとして、慌てて頭を下げる。
当たらずとも遠からずなのだが、其の辺りの盛りのついたガキみたいで気に入らない。
珍しく答えてみることに。
「今なら、てめぇでも我慢してやる」
「今なら? ・・・・・ じゃぁ、今じゃなければ?」
ったく亭主は一体何を教えてんだ。
そんな言葉が出てくるほど、ネンネな答えに眉をしかめる。
「今ってのはな、惚れてる女がいねぇって事だ」
「えっ?そうなんですか?」
何に対して『そう』なのだろう・・・・・。
さらに眉間を寄せた時。
「いらっしゃったら、どうするんですか?」
「そいつとヤる」
「今 ・・・・ ですか?」
「あぁ ・・・・・」
些か疲れてきたようだ。ぐびっと最後の酒を飲む。
「だって、きっと寝ちゃってますよ?」
「そんなこたぁ関係ねぇ」
「えぇぇ〜!! 襲っちゃうんですか?」
「男ってのは、惚れた女にゃ年中盛ってるもんだ」
こんなくだらない話をするなんて、我ながららしくないと思いつつ、ふとへと視線を投げると。
「・・・・・ そうなんだ 」
呆けた表情が一瞬納得して、そのあとぱぁっと明るくなった。
そして、いつものにっこりとした花もほころぶ笑顔を浮かべて。
「隊長に惚れられたら、体力がかなり要りそうすね」
つっこむところはちゃんと人妻的発想だと、逆に突っ込みを入れながらも、この笑顔が戻ったならくだらない話も悪くない、空の瓢箪を肩に回した。
「明日は、遅れんな」
そう言って向けた背に、はいと元気な返事とありがとうございましたと頭を下げながらの言葉が見送った。
ここぞの時はすごく面倒見がいい人です。
ヒロインの隊長は(笑。
2007/6/18