欠け満つ巡れし夜半の月





     近月 3






 現世での任務が立て込んで、一週間も邸を空けた。
を娶って始めての事だ。


 いつもなら、出迎えるはずのの姿が、見当たらない。
らしくない失態に、急に不安が込み上げる。

は、どうした?」


 沓脱ぎからあがる白哉に、云い難そうにそれがと家老が話を切り出した。











「お待ち下さい!!! 白哉様」
「どうか、お許しを!!!!」



 付の使用人達の言葉も、耳に入らぬ勢いで、奥の離れへと足を進める。

 襖に手を掛けた時、小さいが凛とした声が白哉を制した。


「開けたら、絶対、許さないから!」
「何を、戯言を」



 強引に開けようとする背に、息を切らした家老の言葉。



「お待ち下さい ・・・・ 白哉様・・・・・
  ・・・ 耳下腺炎でございます。どうか ・・・・ どうかお察し下さい」

「耳下腺炎?」

「はい、流行(はやり)でございまして、近所の子供からもらったかと・・・・」

 申し訳ございませんと、うな垂れる。

「そうか ・・・・・ 皆、下がってくれ」




 今まで病らしい病をした事がないと、自慢げに話していたが寝込んだと聞いて、離れへと急いだ。

 まさか、耳下腺炎だったとは・・・・



 流行性耳下腺炎、いわゆる『おたふく風邪』だ。
らしいと思ったが、やはり、とても、心配で。





「かまわぬ。開けるぞ」
「私が、かまうの! それに、移るわよ」
「私は、済ましている。 かまわぬから、開けろ」

 どうやら向こうで押しているらしい。
襖は、全く動かない。

「だから、私が、かまうの」
「かまわぬと言っている」


 双方、聞き分けのない子供のように、押し問答が暫し続いた。

 折れたのは、の方だった。
こう言う白哉は、とても、頑固で。

 本当に子供みたいと、悪態一つ。



「目瞑っていてね。開けちゃだめよ」


 少しだけ開いた襖から、手覆いを着けたままの右手を掴むと、そっと自分の頬に押し当てた。
 ゆっくりと確かめるように動く長い指が、なぜかとても心地よい。

「ねっ? 判るでしょう? だから、だいじょう?!ぁっ・・・・・・」



 開け放たれた襖から伸びた左手が、大きな胸にをしっかりと抱きしめた。


「ちょっと!びゃく?!・・・・・」

 その目は、しっかりと瞑られて。
少し微笑みを浮かべた口元から、良かったと小さく零れた。







 羽織も刀もそのままで。
どれだけ急いで来たのかは、安易に察する事が出来る。

 もしかして、遠い昔を思い出させてしまったのか?
そう思うと、自然に言葉が湧いてきた。



 ぎゅっと羽織を掴みながら。

「ごめんね、心配かけて・・・・・・」
「いや・・・・・・ 取り乱して済まぬ」

 この目で確かめられぬからと、開け放った襖への詫びを言う。





「絶対・・・・・ 絶対、笑わない?」
「ああ。笑わぬ」
「ほんとに? 約束できる?」
「二言はない・・・・」

 すると、とても、小さな声で、開けてもいいよと呟いた。







 頬に左手も添えて、ゆっくりと上向かせる。
羽織を掴む手が微かに震え、視線は外へと外された。

 これでは、嫌がるはずだなと、腫れが引きかけた両頬を優しく撫でた。

「まだ、痛むか?」
「ううん・・・・ もう、だいぶひいたのよ、これでも・・・・・」

 少し拗ねたような物言いにも、愛くるしさを感じてしまう。




「ねぇ、白哉には、移らないの?」
「ああ。私は、小さい時にかかっている。この病は、一生に一度だからな」
「・・・・ 小さい時?」
 
 この人にも、小さい頃があったんだなぁと思うと、どんなだったんだろうとふと思った。

「きっと、優秀で・・・・・・・ 生意気な子供だったんだろうね」
「生意気は、余分だ」

 互いの口の端が揺れた時、ふわりと何かが二人を包んだ。




「・・・・・ もう少し ・・・・・・ もう少し、腫れが引いたら、部屋に戻っていい?」

 あの部屋が一番落ち着くからと、恋心をくすぐる言葉に、口元はますます緩む。

 そして、体がふわりと宙に浮いた。


「ちょっと! 降ろしてよ! どうするつもり?」


「ならば、今宵から戻れば良い」
「でも・・・・・ 」
「かまわぬ。 それに・・・・ あの部屋は、一人では広すぎる」


 白哉の言葉に、頬が染まる。


「だったら、歩いて・・・・・」
「良いのか? 顔を隠さねば、皆に見られてしまうぞ」
「!!!」

 愉快そうな白哉とは対照的に、慌ててその胸に顔を埋めた。


 『私では、お前の願いは、叶えられぬか?』

大きな胸から微かに聞こえる規則的な音は、そう、聞いているようだ。
















 何度も寝返りを打つ妻に、並べた褥から、声が掛かる。

「寒くはないか?」
 


 先ほど抱きしめた時、普段のではない温もりが気に掛かる。
一度しか肌を合わせた事はなくても、決して違える事はない忘れえぬ体温。

 熱が上がってきてはいないかと、心配で。


「・・・・ ごめん ・・・・ 煩くして ・・・・・・・」
「いや、そうではない」

 少しいいかと、体を起し大きな手が伸びてきた。
いつもは温かい掌が、今夜はひやりと心地いい。

「熱が出てきたな・・・・・」

 家人を呼ぼうとする白哉の袖を、慌てて引っぱった。


「大丈夫よ。 後は良くなるばかりだから
 それに・・・・・・ この部屋は、あったかいから ・・・・」

 でも、深い意味はないからと、ほんのり頬を染める。
そんなが愛しくて、無言で隣に滑り込む。

 拒否の言葉が見つからないのは、浮かべた表情がとても柔らかだったから。




 しかし、一つの寝具に大人二人。
睦言には問題ないが、寝るには少し窮屈だ。
 その上、すっぽりと抱きすくめられて、寝るどころか鼓動は収まる気配がない。
 

「大丈夫だから・・・・」

 無駄な抵抗だと思ったが声は掛けてみた。
やはり答えは返らない。


 その時、掛け布団の柄がふと目に止った。
それは、かなりずれていて、敷布団までは届いていないと、すぐ判る。
そして、今度は、凛とした声で。


「大丈夫。寒くないから、戻って。 お願い」

 見上げた瞳に間近に映る端整な顔。
絡んだ視線に少し頬を赤らめたが、意思は曲げない。



「迷惑か?」

「二人で寝るには、小さすぎるの。
 これじゃ、白哉が風邪引いちゃうわ」


「そのような軟弱者にみえるか?」
「そう言う問題じゃなくて、その・・・・・
 ・・・・・・ 妻 ・・・・・ としての勤めだから」


「義務なら無用だ。
 それとも、勤めを全うする気になったか?」


 かっと燃えるように変わった頬に、ふっと笑いが零れる。


「そっ、そっちとこれは別よ!
 人が本気で心配してるのに、いやらしい事考えないで!」

「兪やされる覚えはないが?」


 笑顔でさらにからかわれて、ますます赤くなる



「せっかく心配してるのに!
 ・・・・・ 私だって ・・・・・ 隊長職がどれ位大変か解ってるつもりよ。
 だから、ゆっくり休んで欲しいの 」

 心配だからと呟いた後、慌てて言葉を付け加える。

「だって、ほら、熱出したばっかりでしょう?
 だから、病気の辛さよく解ってるから・・・?!」


 額に小さく唇を降らすと、元の褥へと戻っていく。
離れていく温もりに、寂しさを隠しながら見送った。



 しかし、最後の温もりは、そのまま離れる事無く小さな手を包んでくれた。
その温もりを握り締め、ようやく夢路へと旅立った。
 











 翌日の夜、運ばれた寝具に言葉を失くす。

「ねぇ、これって ・・・・・ 何?」

 答えは解かっているのだが、一応聞いてみる事に。


「白哉様の新しい寝具でございます。
 今朝、ご出立の前に、ご下命されました」
「やっぱり・・・・・・」

 ポツリと洩れた言葉に、家人が慌てて声を掛ける。


「何か、不備でも・・・・・」
「あっ、ううん、何でもないのよ。
 それより、ありがとう。大変だったでしょう?
 明日からは、いつも通り私がやるから」
「でも・・・・・」

 体力だけはあるからと、心配する家人を笑顔で見送った。


「初めて見たわ・・・・・・・ こんな、おっきい布団 ・・・・・・・・
 確かに、これなら、風邪は引かないけどね」

 いったい何を考えてるいのやら。
大人二人が寝ても、十分余裕のあるそれを見つめ、溜息混じりにポツリと零れた。

 もちろん、の布団はない。







 やっぱり彼は天然だわと、自然に微笑みが浮かんでくる。

「これなら、赤ちゃんも一緒に寝れそう・・・・・・・・」

 自分で言っておきながら、ぽっと頬を赤らめた自分にはっとした。


 きっと、綺麗な思い出になってしまったあの夜のせいだろう。
ふわふわの布団に寝転がり、夢の中のあの夜へと想いを巡らせた。





2006/5/25
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