欠け満つ巡れし夜半の月
近月 2
夕餉を終えて、暫し琴の音に耳を傾けた。
愛する者と緩やかにすごす時間。
それは、何もにも換えがたいものだと思い出す。
以前のような嫌悪はなくなったが、まだまだ守りは堅い。
その分、時折見られる笑顔が、愛しさを募らせる。
今日は新月、ちょうど良かったと思いながら、琴を仕舞い終えたへと包みを差し出した。
「何?」
不思議そうに包みを見つめた後、顔を真っ直ぐに見上げる。
「土産だ」
「みやげ? 私に?」
「そうだ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
視線を袋へと戻し、暫しの沈黙。
やはり恋次の言葉は、あてにならぬか。
「やっと、一段落っすね」
山のような書類といくつもの箱を、書庫の開き戸に納めて封印した。
「ここんとこマジで忙しかったすね。
奥方様、淋しがってませんか?」
らしくない言い回しに、視線だけ流された。
バレたなこりゃと、視線を泳がせ、頭を掻きながら。
「たまには、土産なんか買ってたらどうっすか?」
どうせバレたのなら仕方ないと、開き直って直球勝負。
忙しさにすれ違う二人を心配するルキアの為、何かいい智恵はないものかと、例の二人に相談した。
すると弓親が得意げに、プレゼントに決まっていると言い張った。
じゃぁ何がいいんだと、一角と二人で話を詰める。
「そりゃぁ、花とか甘いものとか、着物とか」
あぁ簪なんかもいいよねぇと、豊かな想像力で自分の世界。
「辛いもんじゃだめっすかね?」
あの隊長、甘いものなど全く縁はなさそうだ。
かと言って、花や着物や簪なんて。
-------- 隊長、自分で物買ったことあるんかなぁ?
あらためて金持ちなんだよなぁと思ってしまった。
「何でもいいんだよ。ようは、気持ちだよ気持ち!」
一角が胸をぽんぽんと叩きながら、頭と歯をキラリ。
「気持ちだけは、腐りそうな位あるんだろうけどなぁ」
恋次の溜息に混じって、品のない言い方だねと、弓親がボソリ。
真に受けるつもりはなかったが、帰り道ふと見つけたそれに、あの日の言葉が浮かんだから。
「・・・・・・ ありがとう」
言うのに、これだけの時間が要る。
それが、二人の今の距離。
受け取ると、開けていい?と問いかける。
見上げる瞳が、また愛くるしくて、口の端が歪むのを押さえつつ頷いた。
「うわぁ 線香花火だ」
嬉しそうに微笑むと、そのまま二度目のありがとうと共に、白哉へと。
珍しく微笑み返してきた夫の笑顔は、とても柔らかで。
ぽっと頬が熱くなる。
「今宵は、月もない。きっと綺麗に闇に映るだろう」
添えられた言葉に、少し寂しそうに微笑んだ。
あの時の同じように、一本ずつ願いを込めながら、出来るだけ長くと、じっと見つめる瞳は真剣そのもの。
大半はルキアと身の回りにいる者たちへの願い事。
主従関係の者たちの事を、驚くほどよく知っている。
それも、の気さくさゆえか。
厳格ばかりが目立った邸に、増え始めた笑顔がそれを語る。
「ルキアが素敵な恋に出会えますように・・・・」
その呟きに不覚にも揺れた秀眉を見て、くすりと微笑が漏れた。
「式の時には、泣きそうね」
「・・・・・・ 戯言を」
また、くすりと笑われた。
「なぜ、願い事を?」
話題を変えるにはちょうど良い。
あの日からの不思議に思っていたのだが、内容が内容だけに聞く機会を持てずにいた。
「母の形見・・・かな・・・」
「形見?」
うんと小さく答えて、最後の花火に火を点けた。
小さな深呼吸をして、ゆっくりと願いは放たれた。
「白哉が、素敵な恋に出会えますように・・・・・・」
手元の視線を、横顔に流した。
ただ一心に祈るように、その視線は小さな灯りに向けられたまま。
言葉に出来ない焦燥が、月明りのように白くひんやりと白哉を包んだ。
火珠が燃え落ちるとゆっくりと立ち上がり、その落ちた先に視線を残す。
「優しい人ね、白哉って」
めったに添えられぬ形容に、心はざわめく。
自分では、思っている半分も与えられずにいるのだから。
「もう、心配しなくても大丈夫よ。
私と婚約破棄した事、気にしてくれてたんでしょう?」
気にしていないと言えば嘘になるが、とおの昔に、そんな理由など必要なくなっている。
「下らぬ事を・・・」
言葉が耳に届かぬ訳ではないはずなのに、拒むかの様に話は続く。
「もう、十分してくれたし、の家も落ち着いたわ。
だから、もう、心配しなくていいから・・・・・・。
嫁いでから、ずっと考えてた。
だって、白哉になら、の名は必要ないもの。
なぜ、私だったんだろうって」
淡い期待を抱いてはみた。
それほど、に焦がれているのだろう。
奔放に駆け寄り、抱きしめてやればその期待は色を増すのだろうか?
「私ね、今更言うのって、ずるいと思うけど、白哉の事ちっと恨んでないのよ。
それどころか、少し誇らしかったの。
ちゃんと自分の心を持って、自分の意思を貫いた人だって。
世間じゃいろいろ言ってたけど、白哉は私の目を覚ましてくれた人だから。
私も、誰かを精一杯愛して生きていこうって」
だからねと、揺るぎない眼差しがしっかりと見つめる。
「白哉には、幸せになって欲しいの。
ちゃんと素敵な恋をして、幸せな人生を送って欲しいの。
きっと・・・・・・・ 」
ゆっくりと外された視線を、今度は白哉の視線が追う。
続く言葉を飲み込んだのは、なぜだろう。
互いの心を、同じ疑問が駆け抜ける。
「私ね、護廷に入るのよ。 死神として働くの」
「・・・・・・ どこの隊だ」
言葉尻を上げる とは対照的に、低い声が響く。
「まだ、解からないわ。
でも、もう、大丈夫だから。
これから、の家は、私が支えていくから。
心配しないで」
ゆっくりと立ち上がり、の元へと広縁を下りた。
そして、花火を持っていた手を両手で包むと。
「 私では・・・・・・
私では、お前の願いは叶えられぬか?・・・・・・・」
大きな瞳は端整な顔を映し出し、戸惑いの色を浮かべる。
このまま抱きしめて想いを伝えれば、その全ては容易く手に入る。
しかし、それは、心がさせるものではないと解っている。
心だけを触れ逢わせるには、その細い肩は背負うものが多すぎて。
その荷の全ても自分に委ねて欲しいと、切に請う。
その時、襖の向こうで声がした。
「ルキア様が、お戻りになられました」
その言葉に、今行きますと答えると、再び視線を重ねられた手に戻した。
そして、ゆっくりと優しい温もりから引き解く。
微かに浮かんだ微笑の意味を、細い後ろ姿に巡らした。
解くのはほんの、一刹那
結ぶは、劫の時の彼方
ならばその彼方へと、この身を流して結ぶのみ
譲れない想いを今更ながら己に深く刻むと、二つの笑顔が待つ元へ向かうべく一人の庭を後にした。
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一刹那(いっせつな)=きわめて短い時間。一瞬間。
劫(こう・こふ )=ほとんど無限ともいえるほどの長い時間の単位。具体的な長さは諸説あって一定しない。
2006/4/26