欠け満つ巡れし夜半の月


   初月 二






 まだ息の治まらないを、脇に抱きかかえる様に、その小さな体を大きな腕が筋肉質な胸板にもたれさせている。
出来るだけ負荷をかけぬようにと思ったが、予想を超えた妖艶な姿に、気づけば全てを忘れていた。












 
 幾年ぶりだろう



 こんなにも、激しく 『他』 を求めてしまったのは













「大丈夫か?」

 額の髪をかきあげる指が心地よくて、大きな胸に頬を押し当てる。

「うん・・・・あの・・・・・」
「どうした?」
「・・・ いえ・・・・」

 言葉の後、真っ赤になって肌掛けにもぐる。
その仕草に、自然に手が動いた。



 頬に新しい温もりを感じると同時に、唇にもっと柔らかい温もりが伝わる。




「このまま、時を、止めてしまおう ・・・・・」






 は、唇が動きそうになるのを切なげな眼差しで止めて、ゆっくりと半身を起こす。
傍らに脱ぎ捨てられた着物を肩に掛けると、立ち上がろうとした。


「?!・・・っ・・・」


 腰がぐらついてバランスを崩し倒れこむ体を受け止めて、再び腕の中へ。

 こうなる事が解かっていたかのような、綺麗な動作だ。
訳の解からないは、不思議そうに白哉を見上げながらそう思った。










理由(わけ)を聞こう・・・・・」





 少しの沈黙の後、ぽつり、ぽつりと話し出した。





「縁談を、壊すためなの・・・・・ 

 他の人と契ったと聞いたら、きっと断ってくれる・・・・・
 少し卑怯な手段だけど・・・・・」




「なぜ、壊したい? いい契った者もおらぬようだが」

 白哉の言葉に寂しそうな笑みを浮かべた。
いい契った相手が居れば、街角に立つことはないはずだから。



「何が慊焉(けんえん)を成すのだ? 
 親が決めた縁談が気に入らぬとでも?」 


「なぜ、親が決めたと?」


 問いを問いで返しても、返ってくるはずもなく。



「・・・・ 貴族の家に生まれたのだから、家のために嫁ぐのは定め。不満なんてないわ」

 ただ・・と表情を険しくした。














「夫となる人を・・・尊敬できないから・・・・」














「なぜそう云えるのだ?」



 お前は、私を見たこともないはず・・・・

 言葉を飲み込み、次の言葉を待つ。








「ごめんなさい。それ以上は言えないの。言えば相手が解かってしまうから」

 すごく噂になった事らしいのよ、数十年前だけどと、楽しそうに微笑んだ。



 その微笑と理由(わけ)の狭間を漂うように、スヤスヤと寝息をたて始めたを、暫し見つめた。


















 一分の隙もない主のあるまじき朝帰りに、屋敷はざわめいているようだ。

 白哉は、そんな事は気にも留めず、自室で出廷の準備を始めた。





 とは、家同士が決めた許婚だった。
一度だけ、まだ幼いと会ったことがある。
なんの感情も起こらず、ただ、漠然と眺めた。


 自分とは対照的に、ころころと表情を変える瞳を思い出す。




 その後、家の慣わしにより俗世と隔絶され、朽木家の嫁となるべく育てられた。
しかし、迎え入れたのは掟に背いてまで愛した他の女性だった。

 家には、それなりの金子を添えて詫びに出向いた。
決して大貴族へのへつらいではない祝辞を、当主から受けた事が印象的だった。

 なぜそんな風に笑えるのかと。






 上流貴族だった家が衰退の一途を辿り始めたのは、その頃からだ。
世間の流言を避け、を現世の遠縁に預けてまもなく、両親は他界。

 の兄である新しい当主が病弱であるのを良い事に、親戚筋がその資産を食い潰していった。


 そんな家の名を目にしたのは、家人が集めた山のような妻候補の名簿の中。
家の没落も、その時、家人から聞いた。

 上流とはいえ一貴族の衰退など、正一位の朽木家にすれば取るに足らぬことなのだ。









「尊敬できぬ・・・・か・・・・」

 ポツリと洩れた時、家老が声を掛けた。

「お呼びでございましょうか?」
「過日の話、火急に進めるよう」
「婚儀の件・・・・ でよろしいでしょうか?」

 うむと答え襖に手を掛けた。

「では、三月以内には」
踰月(ゆげつ)は、ならぬ」

 驚く家老を残し、襖は閉められた。



 



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けんえん 【慊焉】
(1)満足に思うさま。
(2)不満に思うさま。

りゅうげん 【流言】
根拠のないうわさ。根も葉もない風説。流説(るせつ)。浮言。

ゆげつ 【踰月】
月を越えること。翌月になること。


2006/2/4