アイデス





ふたたびゾロの噂を聞いたのは、それから数年後のことだった。サンジは、サンジと出会ったときのゾロと、同じくらいの年になっていた。
ゾロが戻ってきたという。仲間を連れている気配はなく、どうやら深い傷を負っているらしい、という話だった。山の中腹辺りの空き家に住みついていると。昔と違い、もう虎を脅威だとみなすものたちはおらず、ゾロの存在は黙認された。
あの家だ。
サンジはすぐに思った。
きっとゾロは、そこにいる。

「例の、虎かい?」
レストランの馴染みであるその医者は以前からサンジに好意を持っていて、熱心に誘いをかけていた。サンジは彼に、外傷への対処法をこと細かに尋ね、必要そうなものを融通してもらった。ご褒美には腰が抜けるようなキスを。
包帯や薬剤をサンジに渡しながら、医者は心配そうな顔で言った。
「なんのつもりかは知らないが、深く関わらないほうがいい。傷が治ったらあんたを襲うかもしれないよ」
あんたの母親のように。
サンジはそれについては何も答えなかった。
ただ、静かに笑って、ありがとう、と頭を下げた。
医者も静かに、ため息をついた。



仕事が休みの金曜日、さっそくサンジは、おおきなバスケットを持って、ゾロのもとへと向かった。
レンガ造りのちいさな家は、サンジが覚えていたよりもずっと古びた色に褪色していた。家をとりかこむ、サンジの腰ほども伸びた雑草たちが、白い光をあびて青々しい匂いを放っていた。過ぎ去った年月を教えるように、壁の表面はところどころ不格好にはげ落ち、拾われることのない破片が土のうえにばらばらと散らばっていた。
サンジは家の周りをぐるりと確認して回った。扉や窓は汚れてはいるが損傷はないし、屋根もきちんとあるから、雨風をしのぐくらいならこのままでも出来る。すこし手を入れれば長く住むのにもそう困ることはなさそうだと、サンジは判断した。裏手にある井戸もまだ使えるようだった。狩りなどで山に入るものが使っていたのかもしれない。
サンジは手桶いっぱいに水を汲んだ。汚れがないかを陽に透かして確認する。水は澄んで、風にさざなみを立てる水面が、月のような太陽をそのなかに閉じ込めていた。
扉の前に戻りノブに手をかけた。きいい、と高い音がして、けれど予想よりもずっと滑らかに、扉は開いた。
部屋のなかは暗く、湿っていて、あのときとはまたちがう異臭が充満していた。こんどはすぐにわかった。肉の腐る匂いだ。
部屋の隅、窓ぎわにおかれたベッドの横に、ゾロはうずくまっていた。広い背中がこんもりと丸まってはげしく上下していた。呼吸が荒い。熱と痛みに耐えるのに必死なのか、サンジが近づく気配にも、まったく気がつく様子がないようだった。
サンジはゾロのすぐ横に立ち腕を伸ばしてカーテンを開けた。ぶわりと光が入り込み、サンジは眩しさに目をすがめた。細かな埃が、きらきらと宙に舞いあがり、しばらく浮遊したあと、音もなく落ちていった。カーテンはところどころ破れて穴があいていた。今度の休みに新調してこようとサンジは思った。
残したままだった、マットレスのうえに、サンジは持ってきたシーツをしいた。ぴしりと糊のきいた清潔なやつだ。
ベッドをしつらえると、サンジはしゃがみこんだ。傷の処置をするために寝かせなくてはならない。ゾロの身体のしたに腕を差し入れ抱えあげる。
ずしりと重い身体だった。その質量は、華奢な女の子たちとは、まったく、違っていた。命にしがみついている重さだとサンジは思った。
ゾロはサンジの腕のなかで、はあはあと荒い息を吐きながらサンジを見あげた。
はじめて会ったとき、サンジがそうやって、ゾロを見あげたみたいに。
ゾロはとても熱くて、薄汚れていて、饐えた匂いがしていた。破れた服のすそから出る両足首には深い傷が刻まれ、膿んで赤く腫れていた。傷口が感染を起こしているのだった。つよい腐臭のもとはこれだろう。
「もう大丈夫だよ」
やさしく声をかけると、ゾロはぼんやりとした表情で、サンジの顔を見つめた。サンジが誰なのかわからないようだった。無理もない。あのときすでに青年期に入ろうとしていたゾロと違い、こどもだったサンジはずいぶん大きくなったし、声や顔だってまるきり変わっていた。ゾロは、怪我のせいかいくぶんやつれてはいたけれど、無駄のない鋼のような肉体や鋭さのある精悍な顔立ちは、記憶のなかのゾロとほとんど変わりがなかった。
サンジはそっと、ゾロの身体をさらさらのシーツのうえに横たえて、ゾロの隣に腰を下ろした。それから、首にかけていた紐をひっぱり、穴のあいた骨を、ゾロの目の前に近づけた。
ともすれば閉じようとするゾロの、瞼が大きく、見開かれた。揺らぎがちだった視線がクリーム色に変色した骨にじっと注がれた。
ゾロの、ひどい顔色が、ますます悪くなったように見えた。色のない唇がかすかに震え、なにかをあきらめるように、遮断するように、ゆっくりと、瞼が閉じられた。
「思い出した?」
言いながら、右の足首を痛まないよう慎重に、掴む。
傷はぎざぎざと不揃いで、自分で縫ったのか、肉と肉とのあいだを細い糸が繋いでいた。骨までは達していないようだがじくじくとした膿を流していた。
サンジはいったんゾロの足を下ろし、手桶の水にぱしゃりと布を浸した。水は熱くも冷たくもなかった。ぎゅっと硬くしぼり、そっと、傷口の周囲を拭いていった。
感染を起こしていれば消毒と排膿がとても大切だと、医者は言っていた。それから、抗生物質の内服、傷口の清潔を保つこと、安静、栄養。回復が悪く手がつけられないようなら呼んでくれと医者は言ったが、ゾロを自分以外の誰かの目に触れさせる気はサンジにはまったくなかった。
ゾロは目を閉じてされるがままになっていた。
いまの体力では、抵抗することはできないし、なにより、サンジがゾロの生命を脅かす気がないことを、本能的に悟ったのだろう。
やがてゾロの瞼の下の眼球がふらふらと左右に揺れ始め、唐突に、ゾロはことりと眠りに落ちた。緊張が緩み、気を失ったのかもしれなかった。
サンジは、ゾロを起こさないよう気をつけながら、足首の清拭を続けた。拭いても拭いても、二つに切ったオレンジを手で絞るように、傷口からはすこし濁った匂いのきつい膿が流れ出した。ゾロの荒い呼吸音が、二人だけの静かな部屋に響いていた。
サンジはゾロの股間に目をやった。布がぴんと高く張りつめ、形を変えていた。死の危険に瀕した雄にはよくあることだ。種を絶やさないための本能。
「かわいそうに」
虎はもうゾロだけになってしまった。仲間を連れてこなかったということは、おそらくそういうことだろう。虎は虎としか交わらないと聞いていた。この立派なペニスが、やわらかな膣に包まれることは、もうない。
サンジはゾロの足首に唇を近づけた。鼻をつく匂いがきつくなる。滲みでる液体を、ちゅ、と吸ってみると、舌に乗せたそれは、なんだか苦い味がした。
唇の表面でぐずぐずと崩れそうな傷口をやさしくたどった。
サンジは片手を伸ばした。
「やっと会えたね」
縫い目に舌を這わせながら硬い前をやわらかく揉んだ。眠っているゾロの息づかいが、喘ぐように、速くなった。
サンジの手の動きにあわせて、びくりびくりと、なんども、ゾロのものは、はじけた。じんわりと布が湿ってくるのを、サンジはてのひらに感じた。
「愛してる」
サンジはゾロのボトムを下着ごとずらし、萎えた性器にへばりついた濃い精液を舐め取った。



それからしばらくのあいだ、サンジは、毎日ゾロのもとへ通った。仕事明けの数時間を利用して、傷の処置や食事の世話をした。仕事のない金曜日には、朝から出かけ、ゾロがすこしでも快適に暮らせるよう、環境を整えることにせいを出した。
もともとの体力のおかげなのか適切な処置がよかったのか、ゾロの回復は早かった。
二週間ほども経つと熱は完全に下がり、膿が出なくなって、痛みもほとんど無くなったみたいだった。日中は起きていることが多くなり、食事も、サンジと同じくらいの量を食べる程度にはなっていた。
「ゾロ」
ゾロの後ろ姿に、サンジは声をかけた。ゾロは身体を起こして窓の外を見ていた。
ときどきゾロは、そんなふうに、ぼうっと外の世界を眺めていることがあった。ゾロがそうしているのを見つけると、サンジはきまって声をかけ、注意を引き戻す努力をした。
ゾロが振り向いたので、サンジは微笑んで、絞ったタオルを掲げてみせる。ゾロは黙ったまま頷いた。
サンジと違い、ゾロはあまり言葉を発さない。通じないから話さないというよりは、もともと無口なのかもしれないと、サンジは感じていた。
シャツのボタンにかけたゾロの手の上にサンジは手を重ねた。ゾロが顔をあげ、サンジの顔を覗き込むようにした。
「俺にやらせて?」
手を握ったまま、サンジが首をゆっくりと横に振ると、意味が通じたのか、ゾロは手を下ろした。
ひとつずつ、上からボタンをはずしていく。胸には、すでに見慣れた、斜めに走る大きな傷あとがあった。すでに瘢痕化していてかなり古い傷のようだった。ゾロの身体にはいたるところに傷がある。だけど不思議と、背中には、ひとつも傷がないのだった。シャツを脱がせ、ゾロをいちど立ち上がらせ、ボトムと下着をさげて脱がせた。
いつものようにゾロはベッドのうえにうつぶせになった。ゾロの意識がもうろうとしていたときから、サンジは毎日、こうして、ゾロの身体を清潔に保ってやっていた。
指先からはじめて、丁寧に、サンジはゾロの身体を拭いていった。右手、そして左手。それが終わったら、両足を。指のあいだ、肘や膝、脇のしたなんかはとくに汚れやすいので、念入りに、サンジは拭いていく。
脊椎からきれいな筋肉の走る背中を拭いていると、ときどき、ゾロの尻尾がふるりと動いた。尻の丸みに沿ったあと、サンジはいちどタオルを横に置いた。
「すこし足を開いて」
声を出しながら、両手をゾロの太腿の内側にあてた。いつもの合図だった。だがいつもと違って、ゾロは、足を開こうとしない。ぎゅっと収縮して、力が入っていた。腰がすこしずつ浮き上がり始めていた。
ゾロは勃起していた。あれ以来なかったことだった。身体が回復してきた証拠だろう。
「ゾロ?」
表情をうかがおうとするが、ゾロは、伏せた顔を、サンジと反対の方に向けていた。耳から首の後ろにかけてが薄赤く染まって、シーツを握り締めている両手の指は震えていた。あまりに不慣れな反応だった。
もしかしたら、ゾロは誰とも肌を合わせたことがないのかもしれない、とサンジは思った。サンジとはじめて会ったときから、虎の数はすでにかなり減ってしまっていたから、それはじゅうぶんありうることだった。
この身体にこんなふうに触れたことがあるのは自分だけなのかもしれない。
そう思った途端、サンジは、抑えのきかないはげしい欲望を感じた。
頭の芯が灼ききれるような、いっそ吐き気を催すほどの、それははげしい欲望だった。

もっと、ゾロに触れたい。
甘い声をあげさせて、なかを俺でいっぱいに満たして、どろどろになるまで感じさせて。

俺なしじゃいられなくなるくらいに。


サンジはゾロの両足のあいだに身体を入れ込んで閉じれないようにした。ゾロの身体が、ぎくりと硬直した。
あやすように、落ち着かせるように、背中を撫でながら、うつぶせのままのゾロの腰だけを高く掲げた。後ろの穴が丸見えになって、まだなにもしていないのに、腹につきそうなくらいになっているものの先端から、ぽたりとしずくが垂れるのが見えた。
「俺に挿れられるのが嫌なら」
興奮のためなのか、恥ずかしさのためなのか、ゾロは顔をシーツに押し付け、低く唸り声をあげながら、全身を小刻みに震わせていた。

「どうか俺を殺してあんたの腹のなかに入れてくれ」

囁くように言って、サンジはためらうことなく、ひくつくそこに顔を近づけた。新鮮な貝の身を音を立ててすするようにそこを吸いながら、硬くとがらせた舌先をさしこんでは、ペニスのようにぬるぬると出し入れをした。右手で、尻尾のつけねを握りこんで刺激して、左手で、とろとろの先っぽをなぶった。
ゾロは、背中を弓なりに反らし、最期のときを迎えたみたいに、咆哮した。



     *



「手はここだよ」
サンジはゾロの手を取って、濡れそぼったゾロのものへと、導いてやる。
「こうしてて」
根元を握らせ、自分で自分を戒めさせる。
こうすると、ゾロは、ものすごく、乱れる。
サンジは腿のうえに仰向けのゾロの腰を乗せている。頭と、肩と、腕の一部だけがシーツに触れ、浮いた背骨は、大きなカーブを描いている。
ゆるゆるとした、ゾロがすきな動きで、サンジは腰を動かす。
「う、うんっ、うあ、あ、あっ」
「きもちいい?」
窓から真昼の明るい光が差し込み、ゾロの引き締まった腹から胸にかけては、とめどなく流れる先走りのせいで、濡れて、光っている。のどに詰め物をされたような声をあげ、サンジの身体に足をまきつけ、サンジの動きに合わせ、ゾロもみだらに腰をくねらせる。
ゾロはさいきん、すっかり、はしたなくなった。
サンジのふさりとした尻尾に、ときおりびくつくゾロのふくらはぎが触れた。
「上手になったね」
ゾロの顔を見下ろしながらサンジは言う。
向かい合って、じっと目を合わせてするのが、サンジはすきだった。
サンジでいっぱいになった、ゾロの理性が剥がれ落ち、凛と整った顔をぐしゃぐしゃにして、とうとう最後は泣き出してしまうのを見るのが。
後ろからするのはあまりすきではなかった。
ゾロの背中は美しすぎる。
それはあまり好ましくない記憶をサンジの奥底から引き出そうとする。
根本を握っているのと反対の手で、ゾロは、自分のものをいじりはじめる。せきとめられたゾロのそれは、つんとつつけば破れてしまいそうに腫れきっている。
サンジはゾロの足首を掴み足の指をくちに含んだ。二本の指を、じゅうじゅうと吸いながら、指の股を舐めてやる。そうしながら、腰を使って、ゾロのいいところをこすりたてる。
ゾロは声もなくのどを反らせ、サンジをきゅうきゅうと締めあげて、自分のものを握りしめたまま、断続的に全身を痙攣させた。いっているのだ。
絞りあげうねるなかに、とうとうサンジも、叩きつけるように精液を吐きだした。



ゾロの足首の傷はとうに塞がっている。
だけどゾロは逃げ出そうとはしない。
サンジが手を伸ばすたび、ゾロは、こうしてサンジを受け入れる。
なにひとつ抵抗をすることなく、サンジの、すきにさせる。
助けられた恩を返しているつもりなのだろうか?
母親の命を奪った償いのつもりなのだろうか?
それを知るすべがないことをサンジはこころから神さまに感謝する。

「すきだよ、ゾロ」
余韻にひくつく、いまだ呆けたような顔をしているゾロの唇に、そっとくちづけながら、サンジは言う。
指に指を絡ませて、ぐちゃぐちゃの身体を、触れていないところがないみたいにくっつけて、なんどだって、言う。
このまま溶けて混ざりあってひとつになれればいい。
「すきだ。だいすき。愛してるよ。あんたは俺のすべてだ。あんたしかいらない。だから俺を――」
言葉が通じるならば、きっと、言えない言葉たち。

「俺だけを、見てくれ」



いちども叶うことのなかった願い。
これはいったいいつのものなのだろう?
遠い背中ばかりを見ていた記憶。



遠くをさまよっていた、ゾロの視線が、サンジを捉えた。
ゾロの透き通った金の瞳がはっきりとサンジを映していた。
「……さ、んじ……?」
覚えたばかりの、舌っ足らずな発音で、ゾロが、サンジの名を呼ぶ。

ゾロの頬にぽたりと水が落ちて、自分が泣いているのを、サンジは知った。



                                          (09.07.27)



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50000ヒットリクエスト、きつねとら、でした。
リクエストくださった唯野さん、どうもありがとうございます!
とてもとても、楽しんで書かせていただきました。懐の広さに甘えていろいろと趣味全開で申し訳ないです。いらねえよって言わないで。