いろはにこんぺいとう



3.のいちごジャム



ルフィが言ったとおりだった。
崖下の、雑草がぼうぼうと生えた野っぱらには、たくさんの野いちごが色づいている。親指のさきくらいのつぶつぶとした真っ赤な実が、茂った緑のかげから顔をのぞかせていた。今年は去年よりあきらかに数が多い。
「な、すげえだろ?」
ようやくゾロの背中から降りると、どうだ、と言わんばかりに、ルフィが目を輝かせた。持参したらしい大きなビニール袋を広げる。見覚えがあった。可燃ごみの指定ごみ袋だ。
「エースがよー、どうせならたくさん入る方がいいだろって」
「まあ、そうだけどよ」
すこし複雑な心境になったが、ルフィに説明するのはあきらめた。ゾロはサンジなどに比べればかなりいろいろと無頓着なほうだけれど、この兄弟はそのはるか上空を行く。それにこの量だ。たしかに、ちょうどよいサイズにも思える。
陽に照らされ、ビー玉のようにつやつやと輝く、熟した実をつぶさないよう気をつけながら摘んでいく。途中ルフィがかなりの量を消費してしまったが、それでもごみ袋の半分ほどにはなる。けっこう重い。
「よし、ゾロ。久しぶりにあれやろうぜ」
ルフィが言う。なんのことかはすぐにわかった。
電柱があるごとに二人でじゃんけんをして、負けた方がつぎの電柱まで袋を運ぶ。小学生の時はよく、学校の帰り道、ランドセルでこれをやったものだ。ほんの数か月まえのことなのに、なんだかとても昔のことのように思えた。
「あーーっ、ずりいぞゾロ!おそだしすんなよ!」
「してねえよ!」
ルフィといるのは楽だ。気を使わなくていいし、何を考えてるのだろうなんて悩むこともない。サンジとも前はこうだったはずなのにと、またそっち方向へ思考が流れる。
どうしてなんだろう。
すきだと気づいてからのほうが、すきだと言われてからのほうが、前より遠くなった気がするのは。

サンジのことばかり考えている自分が、なんだか女々しくていやだった。







ゼフのレストランについたのは昼に近かった。太陽が頭の真上にある。店の換気扇からもれてくるバターのよい匂いを嗅いで、さきほどたらふくいちごを食べたはずのルフィがうう、とうめいた。腹がきゅるきゅると鳴る。
「時間あんだろ、ゾロ」
昼飯まで食ってこうぜ。にしし、と歯をみせて笑う。
「けど俺、金持って来てねえぞ」
「俺だって持ってねえ」
「じゃあどうすんだよ」
ゾロが言うと、ゾロはばかだなーとルフィが言い、みっちり野いちごの詰まった袋を指さした。
なるほど。土地でとれる食材をふんだんに使った料理、がこの店の売りだ。ジャムの原料を横流しするかわり、うまい昼食にありつこうという魂胆なのだ。ルフィにしては頭が回る。食べ物がからんでいるからだろうかとゾロは思う。
裏口から厨房をのぞいた。パティとカルネが、オーナーはまだだぜ、とものすごいはやさで野菜を切りながら言う。勝手知ったるひとの家で、店の裏から棟続きのゼフの自宅へと向かった。
バラティエはれっきとした(しかもかなりちゃんとした)洋食の店なのだが、造りはまるきりそこらの定食屋、という感じだ。一見の客はメニューを開くとたいてい驚く。こんな山奥にこじゃれた洋館もねえだろうとゼフは言い、店の外観についてはまったく気にしていない。けれどサンジは、かっこ悪いといつも嘆いている。うまけりゃなんでもいいじゃねえか。ゾロはそう思うのだけど。
同じ敷地内のゼフの家も立派な縁側のついた純日本家屋だ。庭には畑があり、レストランで使う野菜なんかも育てている。ルフィとゾロはときどき水やりや草むしりを手伝いに来る。終わるのがめし時になるのをみはからい、おこぼれにあずかるためにだ。ゼフの料理は文句なしにうまい。ゼフに反抗的なサンジもそれだけは認めている。
玄関のドアは開いていた。この田舎では夜でも家の鍵を閉めないのが普通だ。ゾロとルフィはやはり遠慮なくずかずかと上がりこんだ。
ゼフは縁側で新聞を読んでいた。顔をあげ、二人の姿を見ると、なんの用だくそがきども、と低い声で無愛想に言う。なかなかに迫力のあるじじいなのである。
「じいさん!野いちご!」
まったく臆することなくルフィが袋をつきだした。
ゼフが、やれやれ、という表情をした。


ジャムを煮るあいだに、ゼフが特製オムライスを作ってくれる。ゾロのものでも大人2人前以上のサイズ。ルフィのにいたってはとんでもない大きさだ。
ゾロの母親が作るオムライスは、チキンライスを卵で包んだものだけど、ゼフのは違う。チキンライスの上にオムレツみたいなのが乗っていて、それにゼフがナイフを縦にすっとすべらせる。すると卵が湯気を立てながら、とろり、と崩れ、ふんわりとライスを包む。その瞬間を間近で見るのがゾロはすきだった。卵の黄色さえ鮮やかなのだから不思議だ。
「うんめえーーー!」
がつがつと食べ終えると、片づけるからおめえらあっち行け、とゼフに追い立てられた。
「デザートだ」
塩水で洗った野いちごを、でっかいボウルに入れて渡される。そのまま縁側に移動した。
足を投げ出して座ると気持ちのよい風が吹きこんでくる。空は青い。ときどきざあっと葉ずれの音がしていた。
「な、来て正解だったろ?」
「まあな」
無邪気にルフィが訊くのに、ゾロは曖昧に笑った。
もちろんオムライスは最高においしかった。ゼフが作るジャムだって、きっと、同じようにうまいだろう。
けれどゾロの気はやっぱり晴れない。
さきほどゼフから聞いたことが、魚の小骨のようにのどもと辺りにひっかかっていた。

昨日チビナスからめずらしく電話があってな。ゾロはあれから来てねえかってよ。平日に来るかよばかがっつったら、そうだよな、なんて、らしくなく口ごたえもしねえ。しゅんとしやがって気色わりいったらねえよ。

「サンジと喧嘩したのか?」
ルフィの声にはっとする。黒々とした大きな目でこちらを見ていた。
「……なんでだよ」
「ゾロもなーんか元気ねえからさ」
「……」
やはりばれていた。ルフィはいつもなにも考えていないふうだが、実際なにも考えてないのかもしれないが、変に鋭いところがある。大切なことが何かを、頭ではなく本能で知っている。日頃はへらへらしていても、いざというときにはずばん、とまっすぐ核心をついてくるのだ。
昔からゾロは、そんなルフィに嘘をつくことができない。
「……喧嘩じゃねえけど、俺があいつに怒っちまって」
電話に出てねえんだ。ゾロは言った。言ってから、なんだか自分がすごくひどいことをしているような気分になる。
「ふうん。そうなのか」
そりゃあサンジ、落ち込んでんだろうなあ。てのひらいっぱいに乗せた野いちごをくちに押し込んでから、もごもごとルフィが言う。唇の周りが果汁で赤く染まっている。見れば、ゾロの指先も赤い。
「あいつはゾロのことがだいすきだからなー」
なあ?と。
お前もだろ?という表情で、ルフィはゾロをまっすぐに見た。
ルフィの言葉に他意はないのだろう。見たこと感じたことをそのままくちにしているだけだ。
ゾロも、サンジも、前はそうだった。ただお互いがすきで、それがすべてで。それ以上はなにもいらなかった。
ああ、そうか。ゾロは思う。

俺は先にすすむのが怖いのかもしれない。
サンジは変わっていく。俺もきっと変わっていく。たぶん、二人の関係も。
それを、俺は、恐れているのかもしれない。

「おら、できたぞ!」
ゼフが瓶詰めにしたジャムを持ってくる。二つずつ、二人に渡した。二つもくれんのか!とルフィがうれしそうな声をあげる。
今年は量が多かったからな、ちゃんと味わって食えよ。ゼフがにやりと笑った。
「じゃあ俺はもう店に行くから、おめえらはてきとうに帰れ」
それだけ言うとゼフは出て行った。
ゾロはてのひらに乗せた、まだほかほかと温かいジャムの瓶をじっと見つめる。
「で?」
唐突に訊かれ、ゾロはルフィの方を見た。
「まだおめえ、怒ってんのか?」
「……」

「顔も、見たくねえ?」

まただ。
ほんとうにこの男はずばんと核心をつく。



                                         (09.05.20)



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つぎで終わりです、続きます。