いろはにこんぺいとう 4.リミッター 「よお」 改札から出てきたゾロは、ぼつりとひとこと、そう言った。 日曜午後の構内はひとでごったがえしている。なんとなく浮き足だったような喧騒のなか、二人は気まり悪げに向き合った。シャツとジーンズ、いつもの格好に、バッグを斜めがけしたゾロは、それきり、何も話そうとしない。 いらっしゃい、とサンジもぎこちなく返す。言ってから、なんか変かな、と思ったが、他に何と言いようもなかった。ひさしぶり、でもないし、すごく会いたかったよ、なんてそれはもう本心だが言える雰囲気じゃない。 ゾロはくっと眉をひそめ、なにやら緊迫した空気を漂わせている。愛しい恋人に会いにきたというよりは敵に相対しているようなその迫力に、サンジの不安はむくむくと大きくなる一方だ。 別れ話だったらどうしよう。ていうかそもそもすきって言われてないから、つきあってすらいないのかそうなのか。いますぐトイレにかけこみたいような気持ちになる。 母親は買い物、父親はゴルフと、すでにかわいげの無くなってきた一人息子のことなど頭からすこんと抜けている両親は、朝からそれぞれの休日を謳歌しに出かけていった。これといって予定のないサンジは、あいかわらずゾロのことをとめどなく考えながら、やっぱりこれといって興味をそそられないテレビ番組を見るともなく眺めていた。 かかってくるわけはない。そう思いつつそれでもすぐわきにお守りのように置いていた携帯が軽快な音を立てたのは、いいかげんごろ寝にもつかれてきたころだった。見れば、公衆電話、の文字。 いまからそっち行く。駅まで迎えに来い。それだけ言うと電話はぷつりと切れた。いまどこかも、何時の電車か、もない。 ゾロに会える。何でかはまったくわからないけどとにかくゾロが会いに来る。 そう考えただけでいてもたってもいられなくなって、サンジはすぐさま駅へと向かった。けっきょく一時間以上は待ちぼうけだったのだがそんなことは気にもならなかった。 だけどいざゾロを前にすると。 嫌われたんじゃねえの。 ウソップのこころない言葉がよみがえってきてサンジを苦しめる。 ちくしょうあの鼻め。もしふられたらへし折ってくれる。 なんどめか、サンジは親友をしたたか呪った。 「じゃあ、行こっか」 ほんとは泣きそうなくらいだが、懸命に余裕ぶった声音を出した。できればゾロにだけはかっこ悪いところを見せたくない。ゾロは、おう、と視線を合わさずにぶっきらぼうに答えた。 早くもくじけそうだった。 俺んちでいい?サンジが言うと、ゾロはうなずいた。 夕方にはゾロは帰るだろう。どこかに行く時間はないし、なにより連休で使い果たしてサンジにはよそで遊ぶ金もない。 「ちょうど誰もいないんだ」 なにげなくサンジは言う。 「……誰も?」 ゾロが敏感に反応したので、いやなんもしないから!とサンジはあわてて取り繕った。 それでもゾロはサンジをいぶかしげな視線で見ている。どうやらまったく信用されていないらしい。ひどい。たしかに脳内はたいていむわんと桃色だけど、ここ数日はえろいことも考えられないほどへこんでいるのに。 慣れた駅からの道をゾロと歩く。ゾロの方がこちらに来るのははじめてだ。サンジはときどきちらりとゾロの顔をうかがいながら歩いた。 会話は、ない。 「あらサンジくん、こんにちは」 お隣のきれいなお姉さん、ロビンが犬の散歩をしているのに出くわした。犬種はよく知らないが、すらっと足が長くって毛並みの良い、なんだか気品にあふれた犬だ。そこらの雑種とはわけが違う。ペットは飼い主に似るというのはほんとだな、とこの犬を見るたびサンジは思う。 「こんにちは」 サンジもあいさつを返す。 「おともだち?」 ロビンがゾロのほうを見て微笑む。ゾロが律儀にぺこりと頭を下げた。ゾロは動物がすきだし、すかれもする。尻尾をふって懐いてくる犬の頭を撫でながら、すこし表情を和らげていた。 おともだち。 「うん、まあ」 言ってから、サンジはとても、複雑な心境になった。 「どうぞ」 麦茶をコップに入れて持ってきて、床にじかに置く。サンジの部屋だ。昨日焼いたクッキーがあったことを思い出し、それもざらざらと皿にのせて出した。さんきゅ、とゾロが言う。 たとえば鍋をごしごし磨いたり、粉をひたすら練ったり混ぜたり。そういう単純作業は気分を切り替えるのにいいのだとは、母親に教えてもらったことだ。夫婦げんかした後など、鬼気せまるようすで風呂を洗っていたりする。 だから悩みがあるとき、つらいことがあったとき、サンジはお菓子をつくる。いつもは、それで気が晴れるのだけど、今回はまったくだめだった。 ゾロがひとつ、つまんでくちに入れる。さくさくと食べる。これまでにもなんどか、ゾロにお菓子を作ってやったことはあった。ゾロはあんがい甘いものがいけるのだ。 「うめえ」 やっとサンジのほうを見てゾロは言った。 「お前が作ったのか?」 「……うん。わかる?」 「おう」 お前の味だ、とゾロは言った。 たったそれだけで、胸からのどにかけて、なにやら熱いものがせりあがってくる。 やっぱり、ゾロがだいすきだ。ともだちになんていまさら戻れっこない。 いよいよ涙が出そうで、サンジはうつむいた。 がさがさと音がする。ゾロが横に置いたバッグからなにかをとりだし、ごいん、と音を立てて置いた。 顔をあげれば目の前には、なにやら見覚えのある蓋つきの瓶。 つぶつぶと赤いものが詰まっている。 「……いちごジャム?」 「野いちごだ」 さっき、ゼフが作ってくれた。ゾロが言う。サンジはぼんやりと、その瓶を見つめた。たしかにそれはゼフの家で見かけたことがあるものだ。 「ふたつもらったから、一個届けにきた」 おめえ、これすきだから。 「――うん」 「そんだけだ」 「……うん」 うなずきながら、サンジはゾロの顔をじっと見つめる。ゾロはなんだか、困ったような顔をしている。 「他にべつに深い意味はねえ。作りたてのほうがうめえからだ。そんだけだ」 ゾロの口調はあいかわらずぶっきらぼうに聞こえる。 だけどサンジはちゃんと気がついた。 ゾロのすっと涼しげな、サンジがすきですきでたまらない目元、その際が、ほんのりと色づいていることに。 「ゾロ」 名前を呼んだ。そうすると、ゾロは、ますます困ったような顔になった。 「俺ね、すごくゾロに会いたかった」 サンジは言った。膝立ちになって、ずり、とゾロのほうへ近づく。 ゾロはびく、と一瞬身をすくませたけれど、逃げることはしなかった。 しばらく黙ったあと、知ってる、とゾロは言った。 「ゾロは?」 ゾロも、俺に会いたかった? サンジが訊くと、目元の赤が、くっきりと濃くなった。きゅっと唇をむすぶ。すこし潤んだ瞳で、それでもサンジをまっすぐ見る。 ちいさく、おう、とゾロは答えた。 「よかった……」 ほっとして、思わずちからが抜ける。へたりと頭をゾロの肩に乗せた。よかった。ほんとによかった。 「電話、悪かった」 左耳がゾロの首にぺたりとくっついて、声の振動が、ちょくせつ、響いてくる。おずおずとゾロがサンジの背に手を回す。そのぎこちなさに、また胸が熱くなった。 なんでゾロがあのとき怒ったのか。やっぱりサンジにはわかるようなよくわからないような、だ。聞いても、きっと、ゾロは教えてくれないんだろう。 だけどゾロが、サンジのことをどう思ってるか、それだけは。 すきだなんて言葉がなくても。 これだけで、じゅうぶん。 顔をあげて、肩をつかんで、ゆっくりとゾロを、床に押し倒す。ゾロの首元あたりに、サンジは顔をうずめた。 ゾロのからだはがちがちだ。 それでも腕は、サンジの背中に回ったまま離れることはない。 どうなのかなあ。これ、ゴーサインなんだろうか。 いちど失敗しているから嫌でも慎重になる。だけど聞いたりしたらまた殴られそうな気もする。どうしていいかわからず、二人してそのまま、抱き合ったまま、しばらく動けずにいた。ゾロの匂いと体温に、頭がくらくらして、そうすると、どうしようもなく下半身に熱が集まっていく。 やばい、すごくもったいないけど離れるしかない。 そう思ったときに、気がついた。 腹にあたる、ゾロの前も、かちかちに、かたい。 サンジのリミッターはあっけなく壊れた。 壊れない、わけがなかった。 月曜日、この前とは反対側の頬を、この前より盛大に腫らしたサンジを見て、ウソップは、ご愁傷さま、と手を合わせた。 やっぱりふられたか。また失礼なことを言う。 「ちがうよ。ただ、」 「ただ?」 「……いや、べつに、なんでもない」 話せるような内容でもないから、サンジはくちをつぐんだ。ウソップが、それをなにやら勝手に解釈したらしく、かわいそうに、とうんうんうなずいている。 サンジだって言えるならいいたい。 ゾロがどんなにかわいかったか、ほんとは身ぶり手ぶりで説明したいくらいだった。 ゾロは自分でしたこともなかったらしい。 俺は毎日ゾロでしてる。そう言うと、ゾロは顔をまっ赤にした。 サンジが触ると、なんもしねえって言ったくせにとはじめは怒ったけれど、それでも、ろくに抵抗はされなかった。 涙目でサンジをなじる、ばかとかへんたいとかすけべとか、それがぜんぶ、だいすき、と聞こえたのは、きっとかんちがいばかりではないとサンジは思うのだ。 「仲直りはしたんだよ」 「そうなのか?」 「うん」 そりゃあもう、ね。 「じゃあなんでまた」 ウソップがサンジの頬をじっと見る。見てるだけでこっちがいてえ、とからだを震わせる。 「まあ、愛のむち、みたいなもんかなあ」 へにゃりとサンジが表情を崩すと、ウソップはいつものように、やれやれ、という顔をした。 始業のチャイムが鳴り、がたがたとあわただしくみんな席につきはじめる。 今日もずいぶんむし暑い。 夏はもう、すぐそこまできているのかもしれない。 つぎに会うときは、どんなはじめてを、ゾロに教えてあげようかな。 調子をすっかり取り戻したサンジは、ますます顔をへにゃりとさせて、朝っぱらからそんな、ふらちなことを考えた。 シャワーを浴びたあと(一緒に、というサンジの提案は却下された)、服と下着を貸してあげて、駅まで送って、じゃあまたな、とゾロがなんだかえらくあっさり帰ろうとするのがさみしくて、サンジは周りに聞こえないようゾロの耳元でひくく、ささやいた。 ゾロ、さっきのこと思い出して、俺で、してね? こんどは左ストレートだった。 それでも、サンジはしあわせだった。 end. (09.05.26) ←3 text→ 50000カウントリクエスト。なつのとも、の続きでした。 青春!という感じで、とのことだったので、爽やかな草原の風のようなものを目指してみたのですが、びみょうに…どうなの? 夢精とかあたりもおかしいような…? 二人がどこまで進展したのかはご想像におまかせします。ていうかそれを書いてたら、いつものようにねっとりこってりになってしまいそうで、ざっくりはぶいたのでした。 リクエストくださったS木さま、以前につづきを、とおっしゃってくださった方々、どうもありがとうございました! |