きみから400光年 2. 振り向くと、予想通りそこにはナミがいた。 ウソップ作成の見慣れたあの棒を右手に持って、左手は腰、勇ましく仁王立ちをしている。短いスカートの裾がひらひらと風に踊り、細く形のいい足がそこからすらりと伸びていた。その後ろではロビンが控えめに、だがおもしろそうに、腕を組んで成り行きを見守っている。 この島には海軍もよく駐留するらしいの。くれぐれもいざこざは避けてちょうだい。 昨日ナミに言われたことをいまさらながら、ゾロは思い出した。 くれぐれも、のときに、ゾロとルフィを、交互になんども睨みつけていたことも。 「ゾーロ?」 ナミはゾロに向かって愛らしい、と一般的には言うであろう笑顔を作る。 その表情のまま、顎を男たちの方へつい、と動かす仕草をした。 己の首にかかった賞金額をゾロが正しく述べると、男たちの顔色は青を通りこして白くなった。 ナミの迫力に押されたのもあったか、覚えてろよ!とよくある捨て台詞を吐き、彼らはあっさりと逃げていく。忘れるわよばあか。ナミが舌を出しながら手を振った。 ゾロは巻いたばかりの手ぬぐいをはずす。 腕に結びなおしながら、無理だとは思いつつ、この場を逃れるすべを考えてみる。 思い浮かばなかった。 「来なさいゾロ。船で事情聴取よ」 もういちど、ナミがにっこりと、笑んだ。 ナミはゾロの真向かいに座った。全身から不機嫌がにじみでている。 船のラウンジだ。 ロビンはシンクの前に立って飲み物の準備をしていた。長期戦に備えているのだろう。部屋のすみ、扉のそばではチョッパーが、ぺたりと床に腰を下ろし両足をなげだして、医学書らしき本を熱心に読んでいる。 「私が昨日言ったこと、覚えてる?」 首を傾げ、ゾロを見上げて、ナミが訊く。質問というより精神的には尋問に近い。 「まあな」 ゾロは言った。さっき思い出したとはもちろん言えない。 ほう、とナミが頷く。口元は笑っているが、目尻が猫のようにつりあがっている。 「……俺が売った喧嘩じゃねえ」 「でも買う必要もない喧嘩でしょ?」 ぴしゃりと言われゾロはむっと黙りこんだ。ナミに口でかなうわけがない。 「それにあんた、今日はサンジくんと買い出しのはずよね?なんで一人であんなとこぶらぶらしてたのよ」 はぐれたの?また迷ったの?哀れみを込めた視線を送られる。不愉快だ。ゾロは目を逸らし横を向いた。 迷ってねえ、と低く答えるも、ナミは聞いていない。 「だいたいあんたはねえ、いっつもいっつもそうやって、――、……あら?」 長々とはじまるであろう説教にゾロが身構えていると、ナミが驚いたような声を出した。 ゾロは顔を戻す。ナミは、じっと、ゾロの首すじあたりを凝視している。ゾロも下を向いてみたがあいにくシャツの胸元しか見えない。 あらー、とまた、ナミは言う。 「ようやく、なのね、あんたたち」 「?……なにがだ」 あんたたち? 「ちょっと!見て見てロビン!」 ナミはゾロの問いには答えず、大声でロビンを呼び寄せる。さきほどまでとうってかわってなんだかうれしそうな顔だ。いきいきしている。説教を免れたのはありがたいが、ゾロには訳がわからない。 ロビンがナミの隣に並んだ。ナミと同じように、あら、と言うと、やはりゾロの首すじをしげしげと眺める。 「素敵。コックさんは情熱的ね」 花のようにロビンが微笑む。 「よっぽどうれしかったんじゃないの?」 やあねえ、こっちが照れちゃう、などといいながら笑いあう二人を見て、やっとゾロは思い至った。 首にも。 あの赤いあざがついているのだ。 思わず首に手をやる。鏡など見ていないから気がついていなかった。いやだがそんなことよりも。 「さっきのこと許したげるわ。そのかわり、昨日のことをあらいざらい話しなさい」 ナミがゾロの顔をのぞきこんで言う。目が輝いている。金がらみ以外でナミがこんな顔をするのも珍しい。 「ちょっ、と、待て。お前ら、なんで知ってんだ、その……」 「サンジくんが、あんたのことすきだってこと?」 ゾロが言えない部分をナミが補う。ゾロはうなずいた。 魔女ども相手に隠しごとは無駄だ。 「そんなもん、あからさまじゃない!誰だってわかるわよ!」 「気が付いてなかったのは剣士さんだけよ」 ナミが言い、ロビンが続ける。 「――俺だけ?」 ゾロが言うと、そう、とナミが答える。 「……ルフィも、ウソップも気付いてたのか?」 もちろん、とロビンが答える。 「……まさか、チョッパーも?」 「ゾロといるときのサンジくんは、匂いがちがうんだって」 ねえ、とナミが顔の向きを変えて言うと、そうだぞーとチョッパーが本から顔を上げて答えた。 サンジはゾロに発情してんだ。知らなかったのか?ばかだなあゾロは!言って、エッエッと特徴的な笑い声をあげる。 ゾロは動物以下なんだなと、前にルフィに言われたのを、ゾロはふと思い出した。 「ん?でもそしたら、なんであんた、一人だったの?」 サンジくんとはぐれたの? 「だから違う」 「じゃあどうして?」 ゾロは一瞬言葉につまった。 それを見て、何かを感じ取ったのか、ナミの顔から笑顔が消えた。ロビンも表情をすっと曇らせる。部屋の温度が下がったような感覚、雲行きがあやしい。 あんた、まさか。 「……散歩、してただけだ」 しばらくの沈黙の後ゾロは言った。嘘はついていない。 「ひとりで?」 「そうだ」 「サンジくんを宿に置いて?」 「……そうだ」 「――ひとつ聞くけど、合意よね?」 それ、とナミがゾロの首筋を指さす。 「まあ、合意っつーか、流れっつーか……」 めずらしく歯切れ悪くゾロは答える。流れ?とナミが復唱する声は低い。表情がどんどん険しくなってくる。 無理に、ではないことは、間違いない。きっかけを作ったのはむしろ自分のほうかもしれないとも思う。そういう意味では合意だ。 けれど、サンジと同じ気持ちだったかと問われれば、それは、たぶん違う。 「サンジくんはあんたに、ちゃんと気持ちを伝えたんでしょ?」 「――ああ」 「だけど、あんたは一人でここにいる」 「……」 答えないゾロを見て、ナミが苦しそうに、眉をぎゅっとひそめる。ロビンも似たような表情をしていた。 何を言われるかは想像がついた。 「逃げたのね?」 ナミは言った。 「これまでずっと気持ちを抑えてきたサンジくんに、本気みせられて、びびって、あんたは逃げたのね?」 反論はできなかった。怒りもわかなかった。その通りだと、ゾロは思った。 売られた喧嘩ならいくらでも買える。力には力で対抗できる。 けれどあんな思いの前では俺はまるで無力だった。 敵にさえ向けたことの無い背を向けて、俺は、あの男から、逃げてきたのだ。 * 「出かけてくる。さき、寝といてくれ」 ゾロは顔を上げ、サンジの方を見た。 サンジはゾロに背を向け壁かけのハンガーからジャケットをはずそうとしている。 食事も風呂も済み、ゾロは、さあもうひと飲みするかと、外から持ち込んだ地酒の瓶を床に並べているところだった。テーブルなどというものはない。ナミが男連中の宿代をけちるのは毎度のことで慣れてもいる。清潔な寝具があればそれで十分だった。 みなで夕食を取り、そのときにも飲みはしたのだが、せっかくの陸だし、月は丸く輝いているし、夜は長いのだ。飲まない手はない。とうぜんサンジも乗ってくるだろうとゾロは思っていた。 飲まねえのか、とゾロが尋ねると、俺はいいよ、と背を向けたままサンジは答える。 しゅる、と衣擦れの音がする。右手を袖に通し、それから左。 煙草は、今日も吸っていない。 二人きりで長くいるのはあの告白以来初めてだ。 宣言通り、あれからもサンジの態度はまったく変わることがなかった。だからゾロも変わりなく過ごし、もちろん、二人の関係にも変化はない。 あまりの変わらなさに、すきだと言われたのが幻かなにかだったのではと思うほどだった。もしくは、やはり冗談、とか。 「出かける?」 「ああ」 「今からか?」 サンジは黙ってうなずいた。 ゾロは窓の外を眺める。繁華街からすこし離れたこの宿の周りには大した娯楽もない。とろりとした夜がどこまでも広がっているだけだ。 床が鳴り、顔を戻すと、サンジが扉の方へ向かおうとしていた。ノブに手がかかる。 「待て」 なにか考えがあった訳ではない。とっさに声をかけていた。ゾロが近づく気配に、サンジの背中がこわばるのがわかる。 すぐ横に立っても、サンジはゾロの方を見ようとはしなかった。 白い顔はいつもよりいっそう色を失って、目の下に枯れ枝のように静脈の青が透けて見えた。だらりと垂らされた左手の指先はきつく握りこまれている。 それを見て、ようやくゾロは、サンジが自分と二人きりのこの部屋から出て行きたいのだ、とわかった。 室内灯がぶうん、と虫の羽音のような音を立てる。一瞬、部屋が暗くなりかけ、ちかちかと瞬き、戻る。切れかかっているのだろう。そういえば蝶番も軋んだ音を立てていた。あらゆるところにガタが来ている。 「なんで出て行く?」 ゾロが尋ねる。 「なんでって……、わかんねえか?」 「なにが」 「……いや。わかんねえならいいよ」 わかんねえほうがいいんだ。 そう言って、目を逸らしたまま、サンジは口元を歪ませ、自嘲するように笑った。 乾いた笑いだった。 それは、その笑い方は、ひどくゾロの気に障った。 「おい、こっち見ろ」 ゾロは垂れたままのサンジの手首を掴んだ。血が通っているのか疑わしいくらいひやりと冷たかった。掴んだ瞬間、サンジの肩がびくりと跳ねた。 「……ゾロ、離せ」 サンジがやはりゾロから顔を背けたまま言った。ゾロは離さない。 たのむから離してくれ。サンジが言う。声はひび割れていた。 「うるせえ。言うまで離さねえ」 言いながら、つよく握ると、サンジはゾロの方へ顔を向けた。 瞼がわずかに細められ、そのあいだからのぞく瞳は、確かにゾロを映しているのに、どこか遠くを見ているように見えた。 この顔はあのときの顔だ。ゾロは思った。 蛍を見ていたときと同じ、あの告白のときにも一瞬だけ見せた、ゾロには理解しがたい、名前のつけられない。 「じゃあ聞いてくれよ」 ゾロを見つめたまま、しずかに、サンジは言った。 「ひでえ話だ。手が届かねえのなんて、ばかみてえに遠いのなんてわかってんのに、あきらめることもできねえ。すきになるばっかりだ。俺がさっきからどんなこと考えてたのか、頭ん中でお前にどんなことしてたのか、お前には想像もつかねえんだろうな」 ゾロはサンジの瞳に見入っていた。 足元をすくわれそうなくらい深くきれいな色をしていた。 サンジが右手をノブから離した。指先がゾロのうなじにあてられる。がさがさと荒れているのにその指はやさしかった。何度か上下にゆっくりと撫で、そこから、耳の後ろを伝っていく。耳朶をそっとつまみ、首筋をたどり、鎖骨のうえをなぞると、シャツの中に、消えた。 「抱きてえよ。俺はてめえが欲しくてたまんねえんだ」 だから離せ。サンジが言う。 それでもゾロは、離せなかった。 サンジの手首を掴んだまま、ただサンジの瞳を見つめ、指が素肌を這う感覚を追っていた。胸の突起をつままれる。つぶすように愛撫される。ぞくぞくと肌が粟立つのに、からだは熱を孕みはじめていた。 「頼むから言ってくれ。てめえなんざ嫌いだって。こんなん気色悪くてしょうがねえって。じゃねえと、もう止まらねえ」 こんなにすきだなんてひどすぎるとサンジは言った。 唇が重なった。濡れた舌が入ってくる。拒まなかった。 すべてを、サンジのすきにさせた。 * 淹れたての紅茶を、ロビンがテーブルの上にことりと置く。 「あれでよかったのかしら」 白い湯気と甘い香り。前の島でサンジが見つけてきた、果実の風味がする紅茶だった。 ロビンは自分のカップを持って、ナミの横に座る。チョッパーはいつのまにか床で眠ってしまっていて、さきほどロビンが男部屋に寝かせてきたところだ。なんだか町に戻る気も起こらず、ここで二人、お茶を飲んでいる。 「大丈夫よ。あいつがサンジくんを見つけらんなくても、サンジくんが見つけてくれるわ」 なんたってゾロセンサーがついてるからね。 ナミが言うと、それもそうねとロビンはうなずいた。 あのあとすぐに、ゾロを船から追い出した。 ちゃんと話をつけてこないかぎりこの船には乗せないからねと。 ナミは船長ではないけれど、この船においてはときに船長以上の権限を持っている。ゾロもさすがに反省しているのか、反抗はしなかった。 「――すごいことよね」 ロビンが言う。 「なにが?」 「センサー」 「たしかにね。愛のちからってやつ?」 ゾロが迷子になるたびに、口ではぶつぶつと文句を言いながら、見つけに行くのはサンジの役目だ。ゾロがどんな辺鄙な場所に迷い込んでいても、引き寄せられるように、サンジはゾロにたどり着く。それがどんなにすごいことか、ゾロにはちっともわかっていないらしい。 「ほんっと天然馬鹿なんだから!流されるようなたまかっつーのよ。手がかかるったらないわ」 ぼやくように言いつつも。 ゾロの気持ちも、すこしわかるような気がした。 ゾロもナミも、そしてたぶんロビンも、愛だの恋だのという感情からはほど遠い世界で生きてきた。ましてや脇目もふらず夢ばかり追ってきた男だ。 とまどうのは、臆病になるのは、当たり前なのかもしれない。 「なんだか、お母さんみたいね」 ロビンが頬を緩ませた。 カップを口元に近づけ、いい香り、と言う。 「そうなのよ、この若いのに」 あーんな危なっかしいの、サンジくんくらい地に足のついたひとじゃなきゃ、まかせらんないわよ。 言って、ナミはふう、と大仰に息を吐く。 そうよねえ、とロビンが笑い、よしよし、とナミの頭を撫でた。 (09.04.09) ←1 3→ |