2.救急部





「眠れないんです」
青年は何度めか言った。
「そうですか」
ロビンは相づちを打つ。
三十四歳、男性、とくに特記すべき既往歴、家族歴なし。バイタル正常、胸腹部・神経学的所見異常なし。
キーボードをなめらかに叩き、電子カルテに記載をする。主訴、を意味するSubjectの頭文字、S、を打ち込んだ。患者が、もっとも苦痛と感じていること。

S : 眠れない

近ごろは利便性を図るため、カルテがすっかり電子化したけれど、これも良し悪しだと、ロビンはつねづね思っている。
紙カルテに自分の文字で記載する、あの昔ならではやりかたを、ロビンはこよなく愛していた。一冊のカルテに、患者がこれまで辿ってきた病気の歴史がすべて詰め込まれているのだ。それに何よりも、寝不足の目にパソコンの素っ気ない液晶画面はかなりこたえる。
「近ごろずっとなんです、先生。眠ろうと思うと目が冴えてしまって、気がつくと朝、なんていうこともざらで」
たまたま、他に急患が入っていないのは幸いだった。青年の話に相槌を打ちながら、ロビンはちらりと時計を見た。
外来の診療開始時刻は9時だが、朝の受付が始まるのは8時、それよりも前に訪れた患者は、重症軽症の区別なく救急外来へと回される。救急外来は救急車での搬送患者のみで、一般患者は夜間外来で内科や外科の当直医が診る、という病院もあるが、この病院はそうではなかった。病床数が多いため、当直医は病棟のほうにかかりっきりなのだ。
一般外来が閉まる17時から翌朝8時まで、外来患者はすべて救急外来で診ることになっていた。そのかわり、昼間のあいだは救急搬送患者のみを診る。
青年が病院を訪れたのは朝の7時だった。患者が病院を訪れたからには、たとえどんなに軽症で、まったく緊急性がないとしても、病院側は患者を診る義務があるのだ。もちろん、重症患者で手一杯、という場合は、また別の話になるが。
「眠れていないんです」
青年は繰り返した。私も眠れていないんだけど。そう言いたいところではあるけれど、それは、立場上、言えることではなかった。
「それで、体のどこかがおかしいんじゃないかと思って、そう思ったらいてもたってもいられなくてですね」
ようやく話が核心に近づいてきた。こういう患者は話を途中で遮ると激昂することもあるから、とにかく辛抱強く、ちょうどよい区切りを待たないといけない。
「では、全身的な検査を希望されているんですね? 」
ちょうど、あと15分ほどで外来受付がはじまる。このまま内科外来に回し、ついでに心療内科も勧めたらいい。そうロビンは考えた。
「いえ」
けれどはっきりと、青年は言った。
「……いえ? 」
「お話を聞いていただいたら、なんだかすっきりしました。今日から眠れるような気がします」
「それでは、検査のほうは」
「あ、いいです」
なんか怖いし。青年は、照れくさそうに言う。
その顔をじっと見ながら、そうですか、とロビンは応じる。
「では睡眠薬だけでも、数回分だしてみましょうか? 」
「あ、それもいいです。僕、薬に頼るのは嫌いなので」
「……そうですか」
ロビンは微笑む。
青年は頬をぽうっと赤らめる。
それじゃああなたは、いったい何のためにこんな時間に病院に来たんですか?
とも、やはり言えない。



「おつかれさん」
椅子に座っているロビンに、ゾロは背後から声をかけた。二階のスタッフルームに誰もいなかったので、急患が来ているのかと外来まで下りてみたのだ。
振り向いたロビンは、彼女にしてはめずらしく少しやつれている。口元をうっすらと、笑みの形に上げていた。
「おはよう」
「なんか疲れてんな。重症がきたか? 」
「……」
ロビンは無言のまま、液晶のほうを指差した。それをのぞきこんで記述をざっと読む。ゾロは思わず笑ってしまった。
患者に対する診療計画を意味する、Planのところにはこう書かれている。

P : 検査や投薬を勧めるが拒否。話すぶん話され、非常に満足して帰宅される。

五月は不眠の患者が増える。季節の変わり目は、気温の変化が激しく、自律神経の調整がうまくいかないためだろう。それとともに、精神状態も不安定になるからなおさらだった。
精神疾患や自殺がこの時期に多いのは事実だし、世間的にも五月病という言葉や、春は浮ついたおかしなひとが増える、という認識がまかり通っている。
「重症患者より、こういうののほうがずっと、どっとくるわ」
ロビンは軽く息をついた。
「たしかにな」
ゾロもその意見には賛成だった。慢性疾患患者特有の、えんえんと続く訴えを根気よく聞いてやれる内科医などを見ると、俺とはまったくちがう人種だな、とよく思うし、それと同時に尊敬もする。同じ医者とはいえ、外科系と内科系の人間では性質がまったく異なるのだ。
「ウソップとルフィは? 」
「ウソップは泌尿器科病棟で申し送り中。ルフィは交通外傷の患者がそのままオペになって、助手として入ってるわ」
6時半に搬送されてきた左下腹部痛の患者は、尿管結石の診断でそのまま泌尿器科に入院。それより前、3時すぎに来た交通外傷の患者は、CT検査の結果腹部大動脈の損傷があり、血管外科のオンコールドクターを呼んで緊急手術になった。そうロビンは説明した。
「交通外傷のほうは、うちの患者になるな」
「どうかしら」
「まあ、シャンクスがどうにかすんだろ」
そうね、とロビンは答え、電子カルテの画面を閉じた。パソコンをシャットダウンすると、腕を上にぐっと伸ばし、すとん、と下ろして、ふう、ともういちど息を吐く。
めったに疲労を表に出さないロビンだ。今朝の患者には、よほどげんなりしたらしい、とゾロは思った。やりとりを見てみたかったものだ。もしゾロなら、おそらく途中でキレていただろう。
このあと、スタッフルームで朝の申し送りが終わったら、昨日の朝から働きづめのロビンの就業時間はとりあえず終わりだった。慢性的なスタッフ不足で、三日に一回は夜間当直が回ってくる。男のゾロでさえ、救急搬送が立て込んだりすれば体力的につらいこともあった。ロビンはよくやっている。
「そろそろあがるか」
ゾロが言うと、ええ、とうなずきが返ってくる。首にかけていた聴診器を手に取り、長白衣のポケットにしまうと、ロビンは椅子から立ち上がった。



午前8時すぎ、スタッフルームにはチョッパーと、病棟から戻ってきたらしいウソップがいた。
ウソップはぐったりと、机につっぷして脱力している。
「帰ってたのか」
「うん、たったいまだよ」
ゾロの言葉に、ウソップに変わりチョッパーが答えた。ふらふらと片手をあげ、うええ、とウソップは、返事なのか呻きなのか判別のつきづらい声をあげた。
ウソップはルフィと同じく、この春に研修医期間を終えたばかりのほやほやの救急医だ。ここに配属されてから一カ月が経ち、そろそろ疲労が溜まってくるころのはずだった。ひとにもよるが、不規則で多忙なこの生活に慣れるまでには、少なくともだいたい数カ月はかかる。
救急部の正規スタッフは6名。部長のシャンクスをトップとして、ロビン、ゾロ、チョッパー、ルフィ、ウソップと続く。
ただしルフィは、期間限定のスタッフであった。もともと血管外科志望の彼は、本人たっての希望で一年間、救急部に所属することになったのだ。緊急性の高い救急医療に携わることは、外科医をやっていくうえでとてもいい勉強になるから、ルフィのような希望を出すものがときどきいるのだった。
それから他科、おもに外科系との兼任スタッフが数名いて、夜間の救急診療の手伝いを持ち回りで担当してくれている。
「ルフィは遅れるでしょうね」
ロビンが言い、ドリップ式のコーヒーを戸棚から出した。
「まあ、助手の変わりが来ねえことにはな」
ゾロは椅子に腰かけながら言った。それに、もともと志望している血管外科だ、本人もたぶん楽しんでいることだろう。ルフィは心身ともに、並はずれてタフな男だった。
他に飲むひとは、とロビンが訊くと、ウソップがつっぷしたまま、またふらふらと手をあげた。俺もーとチョッパーも声をあげ、ゾロはいらねえのか? と尋ねてくる。
「俺のは、あるからいい」
サンジが毎朝、淹れたてのコーヒーを魔法瓶に入れて持たせてくれるのだ。昼の弁当ももちろん手作りだし、当直のときには、夕食用の弁当まで十八時ごろに持ってくる。呆れるほどのまめまめしさだった。
そうだったな、とチョッパーがうなずいた。いい旦那さまね、とロビンが笑う。コーヒー独特の、こうばしい香りが漂ってくる。
「……誰が旦那さまだ」
「働く奥さまと、それを支える優しい旦那さま。いまどきでいいじゃない? 」
ゾロが憮然として言い返そうとしたとき、壁かけのホットラインが鳴った。救急車から直通の電話機、これが鳴ったときは、すなわち救急搬送があることを意味する。ゆるんでいた空気が、一瞬でぴりりと引き締まった。
ゾロが立ちあがり、受話器を取った。みながその会話をじっと聞いている。
「――わかった、10分後だな。農薬の容器はそこにあるか?成分を教えてくれ」
ゾロが内容をメモし、それを破ると、チョッパーを手招きして紙を渡した。ロビンも近づいて確認をする。
「チョッパー、中毒センターに問い合わせて」
「了解」
「また自殺未遂か? 」
顔をあげた、ウソップがロビンに尋ねる。数日前にも、睡眠薬での自殺未遂が運ばれてきたばかりだった。5月でもあることだし、こういうのは不思議と続くものだ。
「そのようね」
ロビンが答えると、うええ、とふたたびウソップは声をあげた。シャンクスはいつも、定刻の8時半ぎりぎりにしか現れない。そのころには、救急車は到着しているだろう。
どうやら今日も、申し送りは救急外来で、になりそうだった。


     *


サンジはゴミ袋を抱えて、部屋のドアを開けた。ゾロが家を出るとき、持っていってもらうつもりだったのに、うっかり伝え忘れていたのだ。
外は5月にしては、少々肌寒いように感じた。何か羽織るものを持ってくればよかった、と後悔したけれど、引き返すのは面倒なので我慢することにする。
雲が重く、空の色は鈍い。病院の茶色も、桜並木の緑も、いつもよりもぐっとくすんだ色に見えている。午後からは晴れると、さきほどニュースでは言っていた。この一週間ほど、天気も気温も不安定で、こういうときは急患が増えるのだと、ゾロが言っていたことをサンジは思い出す。
ドアを閉め、かちりと鍵をかける。サンジにはあたり前の所作だが、ゾロにはこれまで、家に鍵をかける習慣がなかったらしい。対してサンジは、外出時はもちろんのこと、家にいるときにも鍵をかける派であった。こういうのは用心、不用心というよりも、習慣とか癖みたいなものだろう。
帰宅したとき鍵がかかっていることに、はじめのうちゾロはひどく憤慨していた。初対面の印象どおり、基本的に無精者のゾロは、いちいち自分で開けるのが面倒くさい、と主張するのだ。だけども、サンジはついついかけてしまう。
ピンポン鳴らしてよ、俺が開けるからさ、とサンジが説得すると、ゾロはしぶしぶとだが了承した。それ以来、玄関でおかえりなさいのキスをするのが、サンジの数多い楽しみのひとつでもあった。
思い出して、にまにまとしながらエレベーターが来るのを待っていると、501号室のドアが開きシャンクスが出てきた。後ろには、ミホークの姿も見える。
シャンクスがこの寮に住んでいることは事前に知っていたけれど、隣だと知ったのは、越してきて数日経ってからのことだった。引っ越しのごあいさつ代わりに、と洗剤を持っていったら、シャンクスが顔を出したのには驚いたものだ。男の恋人がいるという噂は前から聞いていて、どうやら、その恋人というのがミホークなのらしい。
これから出勤のシャンクスはとうぜん服を着ているが、ミホークはガウン姿で、しかも、その色は紫だった。いまにもワイングラスをくるくるとやりそうだ。そして、あのガウンはどこで買ったんだろう。
昼間はだいたい家にいるようなのだが、あまり顔を合わせることはなく、いったい何をしている人物なのか、謎は深まるばかりだった。やっぱり、殺し屋なのかもしれない。サンジはそう思いはじめていた。
「じゃあ行ってくる」
愛してるよ、ダーリン。そう言って、シャンクスはミホークの頬にむちゅ、とくちづける。ミホークはまったく表情を変えないままひとつうなずき、行ってこい、と低く言うと、そのままがちゃりとドアを閉めた。
それを見て、俺も今度あれやろう、とサンジは心に決めた。
もちろん、愛してるよ、なんて言うのは俺のほうだけだろうけれど。軽々しくそういうことを言うなと、怒らせる可能性だってあるけれど。
好き、という言葉でさえ、ゾロはめったに言わせてくれないのだ。もちろん、ゾロから聞いたことは一度もない。照れ屋さんめ、とサンジは思っている。
「お、サンジじゃねえの」
シャンクスがサンジに気がつき、軽く手を上げてから歩いてくる。サンジも片手を上げた。
「ゴミ捨てか?」
「ああ。それよりあんた、ずいぶんのんびりしてんだな。遅刻じゃねえのか」
「ぎりぎり間に合うさ。ゾロは?」
「とっくに出かけた」
「そっか」
あいつは仕事のことになるときっちりしてっからなァ。シャンクスは、あくびまじりに言う。ちょうどエレベーターが来たので一緒に乗り込んだ。
シャンクスが言ったことには、サンジも同感だった。オフのときは芯からだらけきっていて、寝てるか食べてるかやってるか、という感じの本能まみれのゾロだけれど、仕事の朝は自力でさっと起きるし、家を出るときにはすでに仕事モードが入るのか、きりりと精悍な、それはそれはよい顔をしている。
「ところでお前、ゼフと連絡とってんの」
「はあ? とるかよ」
「なんでよ」
「必要ねえとまで言われて、こっちから連絡する義理なんざねえだろうよ」
あっちが頭を下げんのがすじってもんだろ。思い出したら腹が立ってきて、サンジは語気を荒げた。そんなサンジを、シャンクスはまじまじと見る。エレベーターが、音もなくすうっと降りていく。
「お前ってさ」
「……なんだよ」
「ふだんは結構ゆっるいとこあんのに、料理のこととなると手がつけらんねえほど頑固でよ」
そういうとこだけ、ゼフにそっくりだよな。
くっくっと、さもおかしそうに、肩を震わせてシャンクスが笑いだす。一階について扉が開いた拍子に、サンジは腹立ちまぎれに、その尻に膝蹴りをいれて追い出した。
いてえよ! と前のめりになったシャンクスが、わざとらしい悲鳴をあげる。
「昨日酷使したんだから、容赦しろよな」
尻を、片手でさすりながら言った。
「酷使、って……、え、えええ? あんたが下なのか! 」
「まあ、日によって。俺が上のがだんぜん多いけどな」
「日替わりかよ……。奥深えな、ゲイの世界は」
「ひとごとみたいに言うけどさ、ゾロとできてんだからおめえもお仲間だろ? 」
「ちがうし! 俺はゾロ以外の男にはぜんぜんまったく興味ねえし勃たねえし! 」
サンジは思わず声を張りあげ、それがわんわんとホールにこだました。ここは、サンジ的絶対ゆずれないポイント、なのだった。
ゾロだから、出会ったその日に恋に落ちたのだと、ロマンチストなサンジは信じている。そうでもなければ、こんな短期間でこんなに夢中になるわけがないのだ、と。
男とか女とか関係なく、ゾロだから、きっと。
「あーもうーおめえは昔っからきゃんきゃん子犬みてえにほんっとうるせえよな」
ゾロと足して二で割ったら、いろいろちょうどいいのになァ。
シャンクスは間延びした感じでそうつぶやいて、サンジはその尻に向け、もういちど膝を振り上げた。
正面玄関を出たところで、救急車のサイレンが聞こえはじめた。かん高く、規則的なそれがだんだんと近づいてくると、通りを走っている車たちが減速しはじめる。
寮が病院の目の前にある以上、すでに何度も聞いた音のはずなのに、いつ聞いても、サンジはなんとなく落ち着かない気分になるのだった。それは不安、という感覚に近いのかもしれない。この音はどうしても、ひとの病や死を連想させるものだ。
ゾロの救急医としてのキャリアは、三年目なのだと聞いている。この音に、ゾロはもう、慣れたのだろうか。
「でもまあ、いいことだと思うぜ」
ふいにシャンクスが言い、通りのほうを見ていたサンジは彼に視線を戻した。
「……何がだよ」
「おめえのその、料理への頑固さ、な。ゆずれねえ大切なもんがあったら、それを守りぬいてこそ男だろうよ。これだけは、ってもんがねえ人生なんざつまんねえしさ」
昔のように、くしゃくしゃと乱暴にサンジの髪をかき回し、それから、にやりとシャンクスは笑う。サンジは、顔をしかめその手を払った。
たいていの場合はおちゃらけているくせに、ごくたまにちょっとかっこいいことを言うのが、よけいに憎たらしい。
「さあて、今日もばりばり働いてくっかねえ」
声の調子は、相変わらずのんびりとしている。けれどシャンクスの顔つきは、さっきまでとはまったく異なっていた。自分の仕事に誇りをもった、一人の医者の顔をしていた。
そのままサンジに背を向け、たったいま目の前を通りすぎた救急車の赤を追いかけるように、シャンクスは、全速力で走って行った。



チャイムの音が聞こえる。
夕食の準備をしていたサンジは手をとめて、玄関へと向かった。その足取りは、ふわふわと軽い。ゾロが、帰ってきたのに違いなかった。
当直ではない日にゾロが帰って来るのは、たいていは6時すぎである。勤務時間中は恐ろしく多忙だけれど、時間のメリハリはわりときっちりしていて、そこも性にあっているのだとゾロは言っていた。もちろん、帰りぎわに救急車が入ることもあって、そうすると帰宅はもっと遅くなるのだが。
病棟に患者を多く持つ、内科や外科の医師ではなかなかこうはいかないそうだ。それに研修医のころなど、病院の規模にもよるけれど、毎日早朝から深夜まで働いてけっきょく帰るほうが面倒で病院に寝泊り、なんてこともざららしい。どんな職業も、見習い期間というのはつらいものなのだ。
サンジは内側から鍵を開けた。直後、音でわかったのか、ドアが外に大きく開いた。室内より少し温度の低い、夕暮れの風がふわりと吹き込んでくる。
「おかえりー」
サンジはゾロの顔を見て、にっこりと微笑んだ。ゾロは、特に表情を変えないけれど、朝出かけるときよりはいくぶんリラックスした表情をしている、ような気がする。
「おう」
ただいま。
そう言って玄関に入ってくるゾロを、サンジは腕を伸ばし抱き寄せた。ゾロの身体の、感触を確かめるみたいに、ぎゅううっと5秒くらい抱きしめて、それから、音を立ててついばむようにくちづける。身長が同じくらいだと、キスをするのにとても都合がよいのは、女性との付き合いでは知らなかったことだった。
ゾロはまだ靴も脱いでいない。帰って来たら、何よりも先にこれを毎回やるのが、サンジが勝手に決めたおかえりの儀式だった。
少し前まではうぜえ、と文句を言っていたゾロも、サンジがまったくめげないので諦めたのか、近ごろはもう何も言わなくなった。いつもなら、このあとサンジは夕食の準備の続きをし、ゾロはそれをテレビでも眺めながらぼんやり待つ、のだが、今日は、違った。
離した顔を、今度はゾロがぐい、と引き寄せた。下からすくいあげるように吸いついて、サンジの唇の表面をぬる、と舐める。それだけで、そこに電気が走ったようになった。
「ゾ、ロ? 」
「ん」
声が、すでにいつもと違った。ゾロの片手が背中に回り、もう片方が、サンジのベルトを外しだす。
「今日、忙しかったのか? 」
「朝から6台。昼飯も食ってねえよ」
「じゃあ先に飯……、ン、」
言葉を遮るように、下着のなかにずぼり、と手を入れられた。じかに、揉むようにいじられる。ゾロは手つきは巧みで、意志など軽く飛び越えて、すぐにむくむくと育ってくる。
「先に、てめえを食う」
そんな言葉を、ゾロは尖らせた舌先とともに耳にねじ込んでくる。濡れた耳朶がひんやりとして、ぞくぞくした。疲れているときほど、こうしてゾロはサカるようだった。
「……ほんっとおめえは、まるきりケダモノだな」
「わりいか」
「いーや? そういうとこ、大好き」
言ってから、サンジは考えて言い直した。
「ああ、わりい、そういうとこ、も、だ」
ゾロの愛撫に、息を混じらせながらサンジは言う。は、と煽るように笑ったゾロの体を、サンジはそのままドアに押しつけた。
ずるりと下着ごと、腿まで下ろし、濡らした指で後ろを慣らした。ゾロは手を休めないまま、じれるように腰を揺らす。向かいあって、お互いの肩の上に顎を乗せて、お互いの荒く熱い息づかいを感じている。
「はやく、来い」
掠れた声が、たまらなかった。サンジももう待てない。ドアに手をつかせて後ろから、いれる。
「はっ、あ、あ、」
ゾロはいつも、あまり大きな声を出さなかった。喘ぎたくなくて、我慢して、それでも堪えきれない、というふうに少しだけつらそうな声をあげる。女の子の高い声とはまったく違う、それが、なぜだかとてもそそられて、もっと声をあげさせたくなる。
わざと、浅いところで動いていた。ゾロの声はますます切なげになった。
「もっ、と、おく、ッ」
「奥がいい? 」
本当はもう知っている。はじめのころは、ただただ必死だったサンジも、どんなふうにしたらゾロがよけいに感じるか、自制が効かなくなるくらい乱れるのか、だんだんとわかってきた。
サンジは一度だけ深く入れて引き抜いた。ぐちゅ、と音がして、ゾロの背中がきつく反りかえって、サンジのものとのあいだで、後ろがつうと長く糸をひく。
ア、ばか、抜くな、とゾロが言って、体を震わせて、なかを見せつけるようにそこを指で開いた。さっきまで犯していた場所は、熟れて、光って、ひくついている。
サンジ。
苦しげにも聞こえる声で、名を呼んで、後ろ手に、二人分の体液で濡れた、サンジの張りつめたものをゆっくりと、上下にしごいた。
振り向いたゾロの、上気した顔を見てめまいがした。男くさい顔が、快楽にゆるんでいる。
「うっ、あ、あああ」
奥まで一気に突きいれると、ゾロは、ドアに精液を叩きつけた。ぎゅうぎゅうと締まって、サンジも呻き声をあげる。サンジの腰の動きにあわせて、ゾロは尻を振り、赤く腫れあがったぬるぬるのペニスを、汚れを広げるようにドアにすりつけていた。きゅ、きゅ、と規則的な音がして、そこから、白くねとついた液体が、すじになって流れていく。
目に入る光景、嗄れた甘い声と、ゾロの匂い、強く弱く絡まり吸いあげられる感覚。少し前まで、この体を、この快感を、知らなかったなんて信じられなかった。
「クソ、夢中、だ」
ゾロ、と名を呼べば、いっそうきつく締まった。
射精の瞬間、自分もケダモノになったみたいな気がした。



「なあ、お隣のミホークさんってさ」
ごはんをよそいながら、サンジは言った。旬の空豆と一緒に炊いた豆ごはんである。おかずのメインは鯵のタタキ、生姜とネギをたっぷり乗せてあった。
ゾロは和食が好きだ。だからどうしてもそちらを優先してしまうが、そのかわり昼食など自分一人のときには、腕が落ちないよう、店で作っていたものや考案したレシピを試してみていた。ときどき、ナミに試食してもらっている。ナミもたいていの場合は、ほぼ一日中部屋にいるからだ。
ナミは、ゾロの先輩医師にあたるロビンのルームメイトで、仕事はデイトレーダー、だとか言っていたが、株を扱うということ以外、説明を聞いてもサンジにはまったくちんぷんかんぷんだった。
「何してるひとなのか、知ってるか? 」
「何って、仕事のことか」
「そうそう」
こんくらいでいいか? と、盛ったごはん茶碗を見せる。ゾロはビールを飲みつつうなずいた。いただきますの前に、ゾロはとりあえずビール、なのだった。
「小説家だ」
「しょ、しょうせつか? そんな! 殺し屋じゃねえのか! 」
「なんで殺し屋だよ」
「いや、なんとなく、イメージで」
椅子に座ってわさびをすりおろしながら、小説家かあ、とサンジは思った。なるほど、たしかに家でできる仕事ではあるだろう。夜だけ依頼を受けている殺し屋かと思いこんでいたが、聞いてみれば似合わないこともない。
「やっぱ純文、とか書いてんのかな。気難しそうだし」
「そこまでは知らねえよ。かなり売れっこらしいがな」
ゾロは言って、飲み終わった缶を片手でべこりとつぶした。
そういえば、ミホークの名に聞き覚えがあると思ったのは、そのせいだろうか、とサンジは考える。どこかで、本を目にしたことがあるのかもしれなかった。
「おい、それよか腹減った」
ゾロが言い、あれだけ運動したしなァ、とサンジはへらりとした。ドアの掃除は大変だったけど、いつもながら、ゾロはたいそうエロかった。
思い出していると、気色わりい顔すんじゃねえ、と嫌そうな顔をする。だってよお、お前ってばー、と言いかけて、すごい殺気を感じ、サンジは口をつぐんだ。
「た、食べようぜ」
いただきます、と二人で手を合わせた。
「うめえ」
どんなに機嫌が悪くても、ゾロはかならず、一口目にそう言ってくれる。





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