リモコンが手の中にない。
その事が自身にどんな窮地を齎すか、考えなかった訳ではない。
ドロロがクルルを必要としたように、クルルもドロロという希有な能力を欲していた。
身を守る盾としてのリモコンの代わりに、ドロロが傍に居ればいい。そう思っていた節もある。
それなのに、彼を選んだ理屈そのものが、盾という存在と矛盾する事になるとは。
クルルにも全く予想のつかなかった展開であった。




「出品者」を羽交い締めにしていた腕を解き、ドロロがその身を翻すように飛翔する。
目指すは地上。
迫り台の上昇を待つまでもなく、彼の訓練された肉体は俊敏に細長い昇降路を昇ってゆく。
地上の舞台では「彼女」が何度も自分の腕を律しようとして叶わず、盲滅法に発砲する事になっていた。

銃の腕が素人である事は誰の目にもわかる。
「彼女」の中のプログラムは、決して大事な顧客「落札者」に命中させようとはしない。
しかし、この場に集っていた観衆は雪崩を打ったように退場門へと走る。
協会から派遣されたオークショニアですら、展示台の陰に隠れ、がくがくと震えている。
先刻までのお祭り気分は既にどこにも残っていなかった。
『Trickstar』は「彼女」の銃弾を避けながら、長らく雑布の下に隠していた軍用拳銃を構える。

「『Tri』…… いや、ガルル中尉! 撃ってはイカンであります!」
オークションが開幕して以来、ずっとこの異星人の女を見守っていたケロロが叫ぶ。
この意味不明な挙動には「出品者」に関わる理由があるのだ。
そしてそれは「彼女」の意志とは無関係なのだ。
傍観していたケロロの直感であった。
しかし、ガルルは一瞥する気配もない。
庇いたい「彼女」が発砲を止めないのだから、ケロロの要求の方がどう見ても道理から外れている。しかも軍隊では絶対である筈の上官のやる事だ。
それでも内側から込み上げる何かが、ケロロを叫ばせる。
「ガルル中尉!」
何故ここまで気にかかるのか。
しかし「彼女」を撃ってしまえば、何か重要な情報を見失う事になる気がした。
『Trickster』=ガルルは真っすぐに、近付いてくる「彼女」に銃口を向ける。
「なんでまたあのヒト、当たったら木っ端微塵になるようなのばっか、持ってるんでありますかっ!」
ガルルが構えるのは、地球で言えば45口径に匹敵する、巨大で重量のある拳銃だった。
しかし皮肉な事に、「彼女」はその身を庇おうとしたケロロの方へ制御不能の銃口を向けた。
「なッ、なんでーっ!? なんで我輩!?」
「軍曹さん!」
思わず咄嗟に手を挙げるケロロ、そしてその腕に掴まるように目を閉じるタママ。
その時、舞台の中央、展示台のすぐ前にあった迫り台用の四角い空間から、突然青い弾丸のような姿が飛び出した。

「ドロロ!」
「彼女」が発射した弾丸を、その短刀が叩き落とす。
「御免!」
これまで聞こえた銃声は七発。
辺境惑星で実弾式の銃が重宝されるのは、稀に指向性の武器が効かない生命体に出会す事があるからだった。
反面、実弾兵器は原理が単純な分、利便性での進化には限界があるという弱点がある。
通常ケロン人や「彼女」のような小柄な人種の間で使用される小型拳銃は特に、装填に七発という古典的な様式が未だに生きていた。
ケロン軍の最高精度を誇る狙撃手であるガルル=『Trickstar』が、それを知らぬ筈もない。
既に「彼女」は掌の痙攣に任せるように、空の引金を引き続けている。
しかし、がルルの銃口はまだ下ろされない。
「ガルル殿!」
ドロロが叫ぶ。
しかし、まだ銃口は―――――
「ガルル中尉!」

一瞬。
腹に響く銃声が響くと共に、ケロロが咽の奥から絞り出したような悲鳴を上げる。
「彼女」は。
思わず走り寄ろうとしたドロロ。
その先で、まるで糸が切れたように膝を付き、倒れようとする小さな身体。
力を失った手からは、堅く握られていた拳銃がこぼれ落ちた。
撃ったガルルは微動だにしない。
ドロロにとって、この冷静そのものな男は古くからの友人の兄だった。
それ以上でもそれ以下でもない、どちらかと言えば縁遠い存在ではあったが、友人の無骨ながら厚情な性格の延長線上を思い描き、一方的に信頼出来る相手だと考えていた。
それなのに、この軽率とも言える行動は。
一種の失望とも思える気持ちが沸き上がる。
「何故撃ったでござるか! この人は色々な証拠と秘密を握る鍵だったというのに!」
「彼女」に走り寄りながら、思わず非難する叫びが出た。




クルルの目の前に銃口がある。
ドロロがこの場から去った瞬間から、逆転劇を許す展開となってしまった。
地上へ上がる事を命じた瞬間よりわかっていたとはいえ、あまりに簡単に事を運ばれたのが悔しい。
この「出品者」もまた、長く軍の裏世界で暗躍してきた海千山千という事なのだろう。
常に手の中に存在した、クルルの護り神のような万能リモコンは既にない。

 クソ、アレと引き換えに最強のボディガードを得たってのに
 使い道間違えてりゃ世話ないぜェ
 俺も量子コンピュータを積み上げて、嬉々としてバリケードでも作ってる連中と変わんねェな
 
とはいえ、今地上で起きている騒ぎを考えれば、ドロロが事態の収束になくてはならない存在であった事も納得できる。
それならば自分でこの場を何とかするしかない。
「おっと、危ない」
クルルがヘッドホンに手をやろうとした瞬間、挙動に気付いた「出品者」に側頭部に銃口を付けられる。
「もう諦めろ。君は私の新しいツールとなって働くのだ。当然選択の権利などない」
「……ハァ? ツール? あんた、俺の性格をわかってねぇな。俺様が素直にあんたの言う事を聞くとでも?」
「出品者」は質問に答えない。
ただ薄笑いを浮かべただけで、モニタの中で起きている事を伺うのみ。
「地上では予定通りという訳だな。「彼女」には気の毒だったが、あれでは仕方がない」
「予定? 何だよそりゃ」
「『彼女』は『落札者』に銃を向け、逆に倒されてしまった。……しかし『落札者』があの男だったとはな。まんまと食わされる所だったよ」
映し出されているのは、展示台の手前で倒れている異星人の女。
そしてそれを助け起こすドロロ。
そして―――――
狙撃手、ガルル。
出血はない。彼女は無事だ。
クルルはそれだけを盗み見、秘かに安堵の溜息を漏らす。
「まあいい。何事にも最小限の犠牲は付き物だ。いや、むしろ予定は早まったとも言える。君を手に入れた事で」
「えらく自信ありげだな。まだ何か隠し持ってんのかよ? 肝心のメモリーボールは地上、それもあの中尉殿やドロロ先輩の居る地上だぜ?」
「君はあれが本物だと思っているのかね?」
さも可笑しそうに「出品者」は笑った。
「あれは偽物だ。……私のやる事に抜かりがあると思うのか? あのメモリーボールは私が無事この場を脱出するための保険だ」
嫌な予感がする。
クルルは「出品者」が片手、それも人指し指一本で、これ見よがしにノートパソコンのキーを軽く叩くのを見た。
あれはリターンキーだ。
もし自分がああして、わざと勿体ぶった仕種で実行キーに触れる事があるとすれば、それは勝ちを確信した時に違いない。悲しいかなこの男が持つ不遜さと自己顕示欲は、間違いなく自分の中にあるそれと同種のものだ。
ということは、果たしてその勝算とは。
クルルの中で陰鬱な予感が更に高まる。

「これでプログラムは書き換えられた。あと一時間でこの星は全土が焼き払われるだろう。……私を捕えようと潜伏しているガルル中尉指揮下のケロン軍もろともに」
「何だぁ?」
抵抗する間もない。
クルルは腕に銃式の注射器を突き立てられる。

 みっともねぇ、この俺様が人質かよ
 しかも、一時間の期限付とはキツいぜェ
 ……こんなんで果たして賭けになるのかよ?

遠ざかる意識の下で、クルルは必死でこの窮地を回避する方法を考える。
しかし既に頭は朦朧とし、思考能力は奪われつつあった。
唯一、光明らしきものが閃いたと同時に、クルルの身体は崩れ落ちる。

 オイ、お前ェだ
 情けねぇこったが、お前ェにしか、頼めねぇ
 ……頼む、ぜェ……
 
左側のヘッドホンを下に、床に倒れ伏したクルルの身体。
それは直後「出品者」の使う転送銃にて、その場から消えた。
彼は再びモバイル機器を手に、スタジアムの外へと続くドアを開く。
巨大なスタジアムの地下壁の外側には、広々とした廃虚が広がっていた。
それは、かつてのケロン人のための地下繁華街であり、宇宙港へと通じる直通路である。




地上の会場ではドロロが「彼女」を助け起こし、その身体が全くの無傷である事に気付いた所だった。
「一体これは……!」
ガルルは通信器を手に、何事かを大声で指示している。
その背後からブースから飛び出してきたケロロが、こちらへ向かって走って来るのが見えた。
「隊長殿、この人を頼む! 拙者、クルル殿と「出品者」を追い詰めたところでござった。早く地下へ戻らねば!」
そのケロロの身体が背後の控え室から出てきたモアに呼び止められ、振り返る。
焦るドロロにはその様子が、どこか奇妙なほどに間延びして見えた。
既にその目はアサシンの速度に適応している。
鋭敏な皮膚はこれまでにない、何かとてつもない不吉を感じ取る。
早く戻らなければ。
その思いに突き動かされ、その身を翻そうとした瞬間。
辺りを揺るがす轟音が響き渡った。

「おじさま、クルル曹長から通信が…… でも、でも、応答がないんです!」
モアの悲鳴のような声が直で脳へと届く。
その背後。
スタジアムを囲む壁のような観客席の向こう、砂漠に近い居住区の奥の宇宙港から、地面の瓦礫、そして塵、乾いた大地を根こそぎ掘り起こすような砂煙りが上がるのが見えた。
「微弱な識別信号と…… 音声を数値化した通信が…… おじさま、ドロロ兵長とガルル中尉に!」
既に一同が振り向いている。
不吉な空気の正体。
それはまさに今、舞い上がろうとしている宇宙船そのものであった。
次々と入る通信に緊迫した様子で指示を与えるガルル。その中に「クルル曹長」「人質」「脅迫」という言葉が浮沈するのをドロロの鋭い耳が拾い上げる。
「『出品者』が逃げる!」
ドロロの全身に戦慄が駆け抜ける。
誰にもぶつけようのない、とてつもない後悔。
―――――あんたは命を賭けて俺を守るんだ。
そう言われ、自分は承諾した筈だった。
オークションに勝つため、そして信じるために引き換えにしたクルルの盾。
どんな過程があったにせよ、結局自分は彼を護れなかったという事か。
「クルル殿!」
ドロロは思わず叫ぶ。

喧噪と怒号、そして混乱。
この場にいる者が皆その身に感じた、悪寒が走るような忌わしい予感。
その中で気絶していた「彼女」が目覚める。




地球への道。
それは遠く果てない、漆黒の空路だった。
この暗く長い空間を数十年も前の旧式な探査艇が行く様を、まるで夢の中の一場面のように思い描く。
母星への望郷、そして憎しみ。
長く母星を支配した異星人への深い怨念。
しかしそれだけを繰り返し反芻するには星々の世界は清浄すぎる。
……俺ならきっと飽きちまうね。
現に、もう飽きた。
俺らしくもねェ。こんな事はやめて、早く自分の寝床で眠りたい。
……オッサン、あんたとやりてェよ。
やりまくって、ドロドロのぐちゃぐちゃに汚れて、熱いシャワーで一気に流したらさぞかしスッキリするだろうな。
ああ今俺を悩ませてんのはソレだ。
あちこちがドロドロのぐちゃぐちゃで、それが気持ち悪くて仕方ねェんだ。

クルルの意識は混濁したまま、眠りと覚醒の間を行き来する。
―――――なあ、クソガキ。
オルル。
―――――俺はずっと、後悔を抱えてる。
何だ、今更。
―――――……お前はいい奴だったから、俺はお前に伝えたかった。
なぁ、ジジイ。……二度と俺をいい奴なんて言うな。
―――――クルル、許してくれ。
……オルル、あんた本当はまだどこかに
生きて
―――――……ユルシテ……クレ……


目が覚めたのは否定する自分の声が思いのほか大きかったからか。
思わず飛び起きようとして、クルルは身体の自由が利かない事に気付く。
それでも空間は心地よい湿度に満たされ、乾性環境下で引き攣れたようにひりひりと痛んでいた四肢は、本来の柔らかな潤いを取り戻していた。
そこは既に『I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星』ではなかった。

「お目覚めかね?」
「出品者」の甘ったるい声が聞こえる。
まるでデジャ・ヴュのように遠い記憶にあるような、奇妙な感覚があった。
目の前のアタッシュケースは開いた状態で、例のメモリーボールが乗せられている。
……チッ、まだこの現実は続いてたのかよ。
クルルは声のした方を向こうとして、シートに身体が拘束されている事を知る。
既にモアと繋がっていた通信回線は切れている。ヘッドホン自体を調べられ、あらゆる装置を念入りに壊されたのかも知れない。
「ケロン軍が誇る、実用化されている中では最速の艇だ。君の懐かしい地球へもほぼ通常の三分の一の所要時間で到着できる。……そろそろ帰りたくなっていたのではないかね?」
地球。
何故そこにメモリ−ボ−ル解読への手掛りがある事が知れたのか。そして、一体何がこの男を動かしたのか。
クルルの中に再び不快な予感が沸き上がる。
「不思議そうな顔をしているが、君の頭の中を覗くくらいは簡単な事だ。滅多に見られない面白いものをたくさん見せてもらったよ」
「覗きかよ。……悪趣味な奴だな」
「君が言うな」
まさに万事休す、だった。
先刻の、古い記憶をぐいぐいと大きな力でかき混ぜられたような夢を思い出す。
考えてみればこの男はオルル然り、入札者の「彼女」然り、その方面のスペシャリストだった。
という事は自分の身体にも何か仕掛けが為されたという事か。
「安心したまえ。本格的なインプラントは全てが終わってからだ。君のような優秀な被験者を得る事ができて、私も嬉しいよ」
「チッ、最悪だな」
精神を去勢され、素直にこの男の下僕として付き従う自分を想像すると、乾いた笑いが込み上げる。
これは思いのほか辛い状況だった。
全ての通信手段は潰え、身体は固く拘束されている。
例え追跡する宇宙船があろうと、この速度では振り切られてしまう。
おそらくケロン軍においても、一定以上のクラスのみが使える特別機に違いない。
更に抜かりのない「出品者」の事だ。攪乱のための手段も一つや二つではないだろう。
数少ない希望があるとするならば―――――
クルルは今現在、出土地であるトリニティサイトに居るギロロ達に思いを馳せる。

 オッサンが居るなら大丈夫だ

ギロロの戦士としての澄んだ強靱さが、濁りきったこの男の世界にどっぷりと浸けられていた全身に心地よく伝わる。
ほんの二日程顔を合わせなかっただけだというのに、この場では既に懐かしくさえ思える名前だった。
普段は煩わしくてならないギロロの真正直さが、今は頼もしく歓迎すべきもののように感じられる。
それはクルルが無意識下でギロロという存在を、常に方向を見失わないための頑強な指針と定めているからなのか。
窮地にありながら、心は不思議な安心感に満ちる。
「そういえばそろそろ五十分が過ぎる」
「出品者」の嬉し気な声。
クルルは再び心に思い描く。

 あっちも何の心配もいらねぇ
 中味と外味に嘘みてぇな落差のある凄腕の先輩と、百戦錬磨の隊長達と、油断のならねぇ糞野郎がいるんだ

―――――目を閉じると見える。

最後に送った左側のヘッドホンからの、モアへの緊急通信。
それを解読するためのパーツは、二日間行動を共にしたパートナーであるドロロが持っている。
彼はクルルを守れなかったという悔恨を抱え、それ故に不敗の士となった。
普段にも増して、今が最も頼もしい時かも知れない。
矛盾に見えるものの、ドロロとはそういう男だ。自身の傷こそが彼を守る強力な装甲となる。
ケロロが地球のギロロ達に通信を入れ、今後に備える。
ギロロと夏美は発掘作業に忙しく、受信するのは冬樹だ。
彼は今現在不在である小隊のオペレーター代理として配置されているのだから。
タママは忙しくガルルの隊と情報交換をしている。
「出品者」が御丁寧にもアナウンスした、ダミーのメモリーボールに仕掛けられた爆破装置、そして人質。
ガルルが持ち帰ったクルルの通信内容と、既に追跡中の「出品者」の持つネットワーク。
その中に隠されたキーを探し出し、発見するトロロ。
暴走していたプログラムは、背後から追い詰める新たなそれに一つ一つ置換され、パネルが裏返るように華麗に塗り替えられる。
電脳世界の主の後継者は、まだ陵辱という言葉すら知らない子供だった。
しかし、数日前から彼が追い始めた「出品者」の世界は既に、新たな王が君臨する世界に塗り替えられつつある。
「出品者」は近く気付くだろう。
自分の匂いに満ちた、自分のための、自分が構築した筈の世界が、いつしか別の何者かの陵辱を許し、冷酷に自分を拒絶するようになっている事に。
そしてガルルは決して「出品者」を逃がすまい。
よくも悪くも遂行する任務は完璧にこなす、軍人の鑑とも言える男だ。


クルルの見え過ぎる目が感じ取る、プロバビリティと既存データで予想できうる至高の彼等の姿。
それはあたかもリアルタイムでモニターする現実世界のごとく、生き生きと活写されていた。