最初の核兵器は恐怖から生まれた。
戦乱のヨーロッパからアメリカへ亡命したユダヤ人の物理学者達は、ナチスドイツに最凶の兵器を先んじられる事を恐れた。
ハンガリー出身のレオ・シラードはアインシュタインと共に、時の大統領F・ルーズベルトに核開発を進言。『マンハッタン計画』の始まりであった。
1945年春、ドイツの降伏が濃厚となった時、計画の続行を疑問視する声が開発に携わる学者達の間で沸き起こる。
しかし、19億ドルの巨費を投じた計画は止まる事がなかった。
既にアメリカには、共産主義国家ソビエトという新たな仮想敵が生まれていた。
70名の科学者の兵器使用に反対する署名と、シラードの嘆願書は、結局終戦後まで大統領に届く事がなかった。
数十年前の探査艇は、不思議なほどそのままの形で残されていた。
沈黙したままの内部は、主電源さえ入れば今にも動きだしそうだった。
しかし、この整然と保存された内部の静けさが、どうしようもない不吉さを予感させて心許ない。
「夏美、後ろにいろ。何か罠が仕掛けられているかも知れん」
「……静かね。何だか墓地のよう」
あちこちを調べるも、取り立ててトラップは見つからなかった。
ギロロは背後の夏美を庇うようにして、自分の血流の音が響いてきそうな程の沈黙の中を進む。
「これは一体、何?」
「ケロン製の探査艇だ。クルルの奴が探せと言っていた……」
「ハンガリーの『宇宙人』はこれに乗って来たの?」
「さあな。俺もまだ不十分な説明しか受けていない。乗ってきた奴が何者なのかも。その『ハンガリー人』とやらと、ケロン人の関係も」
ギロロはクルルと最後に交したケロン語での通信を思い出す。
それはあまりにも簡単な対話と、奇妙な程に甘ったるい言葉の羅列だった。
おそらくあの短時間の交信では、全てを語り尽くすのは無理だと踏んだのだろう。
「ねぇ、一体あんた達はこれを見つけて、どうするつもりだったの?」
「どうする、とは?」
どこか険のある夏美の口調だった。
「……あたし、あんた達が地球侵略のために来たって事、ときどき忘れそうになるのよね」
それはこちらも同じだ、とギロロは心の中で答える。
「あんた達がすごい科学力を持ってる事は知ってるから、今さら地球の核兵器の技術なんて必要ないってわかるけど。でも、これを見つけて侵略とか、何かよくない事に使うつもりなら…… あたし、あんた達を許さないから」
「……」
それは夏美の逆説的な言葉だった。
許さないと言いつつ、その表情はギロロに念を押している。
ギロロが決して夏美を裏切れないと知って―――――
「……俺達は侵略者だ。行動に地球人の許可など求めん」
そう返答するのが精一杯だった。
しかし、挙動からは決して機微に鋭いとは言えない夏美にも、とっくに知れてしまっているだろう。
ギロロが夏美の言葉を受け止めている事に。
その証拠に夏美は表情を和らげる。
「そ、まあいいわ。あんた達が何かやろうとしたら、あたしが盾になって止めるから」
その表情を、ギロロは心から守りたいと思う。
矛盾する気持ちはどこまで行っても説明がつかない。
しかし、そういうものだと開き直れる余裕も近頃では出来てきた。
ギロロは思う。
―――――これも、奴に引っ掻き回された所為か。
瞬間、沈黙していた地下深い探査艇の内部に、冬樹からの通信が入る。
「こちらスカルワン。何事だ」
『今モアちゃんからの通信が入ったんだけど、ええと、そのまま伝えるよ。「オークション出品者がクルル曹長を人質に逃亡。推定目的地は地球の座標『33°40'36.05"N
106°28'24.67"W』」』
一瞬ギロロはぽかんと大口を開けてしまった。
人質? 奴が?
ドロロは一体何をやっていた?
「日向弟、情報は確かなのか? 敵の流した誤情報という可能性は?」
『うん、そう思って確認したんだけど、伍長のお兄さんも……』
「ガルルが!?」
兄までがそこにいて、一体何が起きたというのだ。
「クルルが…… 人質……」
夏美も反芻している。そう、どこかクルルと人質という言葉の響きが脳内で一致しない。
しかし、現実に起きている事だと言うのなら、認めるしかない。
「奴らしくもない。何かドジを踏んだらしいな。それとも何か企みあっての事か」
「仕事が増えてしまったって事ね。いいわ、早くこっちを済ませましょ」
元々肉弾戦には積極的に関わりたがらないクルルの事だ。半ば自主的に捕まったという事かも知れない。
軍人である限り、捕虜になる事は常に想定しておくべき事態だ。
無理にでもそう考える事にし、ギロロは再び歩き出した夏美の背を追う。
何よりクルル自身が調べる事を命じた埋蔵物だ。
例えどんな状況であるにしろ、上官による命令遂行を優先すべきであろうし、その「出品者」とやらもおそらくこれを狙って来るだろう。
ギロロはこの先をどうすべきか考える。
待機させるのは日向弟だけでは心細い。
目は既に闇に慣れた。
二人の正面にメインブリッジに通じるドアが浮かび上がっていた。
ドロロは目覚めた「彼女」と対峙している。
周囲では沢山の兵士が走り回る、混乱と喧噪に満ちていた。
爆破装置は処理班が解除を開始してはいるが「出品者」のプログラム自体に起爆装置がある様で、動かす事や持ち出す事が不可能という苦戦を強いられていた。
プログラムへの働きかけは、適材適所という事で、ガルル小隊のトロロ新兵が取り組み中であった。
―――――その中で。
オークション会場の控え室の中で、ドロロは「彼女」との対話を試みていた。
クルルが不在の今、話を聞く役目は自分に委ねられた。ドロロはそう感じ、「彼女」の兄を知る者としての名乗りを上げる。
あらゆる星の言語を翻訳可な機器込みでありながら、「彼女」の本名はケロン人には発音が難しい。
子音と母音の間に入る咽頭音が、いかにも乾いた環境の住民らしい。
「兄はケロンで『オルル』と名乗ったらしいので…… 私にも何か名前を付けてください」
「……名前と言っても…… では兄上が『オルル』殿であるし、貴女の本名の頭文字が我々の『N』と似ている故、韻を踏んで『ノルル』殿とでも……」
何となく尻の座りの悪さを感じつつ、即席にでっち上げた名前を提案してみる。
しかし「彼女」は頷いた。
「それで結構です。私はオルルの妹です。兄の消息と、兄のした事が知りたい、そう思って生きてきました」
「彼女」ノルルの言葉の中にある「兄」という言葉に、ドロロは無意識のうちに反応する自分に気付く。
「オルル殿は…… クルル殿の話では、インプラントを解除された後に、地球へ逃れたという事でござった。『出品者』はその事を?」
「はい、聞きました。そしてそこで兄の命は尽き、残された形見に全てが記録されていると」
確かにそこまでは事実だ。
しかし、その後「出品者」がした事は、到底許せる事ではない。
ドロロは水を一口含みながら言う。
「……それで、あの男に協力を求められたという事でござるか?」
「はい。……私は兄の事なら何でも知りたかった。その気持ちをつけ込まれ、……こんな結果を齎してしまいました。もし、この星と共に生き延びる事ができたら…… ケロンの法廷で裁きを受けます」
ぎゅっと握りしめられた手が小刻みに震えている。
この星が「出品者」に仕掛けられた爆破装置によって焼き払われる可能性。
それが常に頭の片隅にありながら、どこか最大の危機としてリアリティを伴えないのは、この場にいる全員が他に気掛かりを山のように抱えているからかも知れない。
「……それとも ……私はまた、あなた方に危害を及ぼす事があるのでしょうか」
「彼女」は震える両手を組み、俯いたまま言う。
ノルルが知らぬ間に早急に行われた簡単なインプラントの手術、そしてオークション会場での錯乱。
あの場でガルルが轟音を響かせ、威嚇射撃したのには理由があった。
ケロンでも研究が進んでいる「不可聴周波数による暗示」を解除するための発砲だったのだ。
「心配ないでござるよ。コントロールの方法はわかったでござる」
オルルに施された念入りなそれとはおそらく違う。「出品者」にとってはノルルは捨て駒でしかない。
それにしても、あまりにショックな事件ばかりが連続で起こり過ぎた。
ドロロはノルルの顔を覗き込むようにして言う。
「ノルル殿は…… 兄上思いでござるな」
「…………」
「拙者にも弟がいるでござるよ。……もう長い間、ゆっくりと話もしていない弟が」
「ドロロさんはお兄さん、なのですか?」
こくり、と頷くと、ノルルは涙を溜めた目をドロロに向ける。
「私には兄という人がわからない。教えてください。……妹や両親を置いて、何の便りも寄越さないまま二度と帰ってこなかった兄の気持ちを。……兄にとって一体私は何だったのか」
乾性人も感情が昂れば当たり前に涙を流す。
そしてその涙は、さらさらとガラス玉のように乾いた皮膚の上を転がってゆく。
「兄は母星を…… 故郷を憎んで、呪っていたと聞きました。……滅んでしまえばいいとまで言ったと」
「ノルル殿」
「この星にいる私や両親は、それほど兄にとって小さな存在だったのですか?」
ドロロの中に故郷の弟と両親の姿が浮かび上がる。
それはまるで、約束されたように鮮明なデジャ・ヴュだった。
「……教えてください……」
ドロロは止めどなく溢れるノルルの、さらさらと落ちる澄んだ水を見ながら立ち尽くしていた。
ケロロは自艇のシステムを使って地球への交信を済ませた後、不安気なモアやタママの表情を見る。
出航の準備を進めるべきか、隊長としての決断を迫られていた。
この星の危機に立ち向かうガルル達に、自分達がこれ以上手助けできる事はない。
無駄足になろうと、地球へ向かったという「出品者」とクルルを追い、起こっている事の拡大を防ぎたい。
しかし周囲の状況を考えると、手前勝手に逃亡するようで心が痛む。
「軍曹さん、とりあえず準備始めておきますねー。僕ら今、小隊がばらばらになっていてヤワヤワですよね。何だかすごく心細いですぅ」
タママの言葉通り、今は小隊の危機でもある。決断すべき時なのだろう。
「わかったであります。タママニ等、ドロロを呼んで。まだ会場の控え室に居ると思うから」
「了解!」
踵を返し、出て行こうとするタママの目の前で、ドアが突然開く。
そこに立っていた人物。
それは、今現在「出品者」の置き土産と全力で格闘している渦中のガルル中尉であった。
「ケロロ隊長、御無沙汰しています。怱忙ゆえ挨拶もできず、失礼を」
冷静な表情は普段と変わりが無いように見える。
しかし、その背筋を伸ばした敬礼の姿勢が、今日はさすがに憔悴して見えた。
「いや、こちらこそガルル中尉。オークションはオツカレでありました。ところで爆破装置は……」
「わが隊の若い者が取り組んでいる所です。幸いこの星の住民はそれ程多くない。近くの前線基地から脱出用ポッドを運び、避難誘導中です」
「……そうでありましたか。さすがであります、ガルル中尉」
ケロロはほっと胸を撫で下ろす。
何より無関係の惑星住民を巻き込む事だけは避けたかった。
しかし、まだ爆破装置に関するプログラムは解除できていないらしく、事態は予断を許さない。
ケロロはガルルの無表情の下の、深い苦悩を感じていた。
「ところで、ケロロ隊長。あなた方は早急に『出品者』を追い、地球へ向かうべきだ」
「そのつもりで今、準備を進めている所でありますが」
ガルルはケロロの言葉を遮り、その目の前に宇宙艇の認証キーを差し出す。
「我々が乗って来た高速艇です。現在実用化済の艇の中では最も速く地球へ到達できるでしょう。幸い『出品者』はノーマークだ。既に外部認証に切り替えてあります」
「いや、しかしガルル中尉……」
再びケロロの言葉は遮られる。
「これは上官命令である。速やかに遂行されるがよろしい」
否応のない、きっぱりとした言葉だった。
―――――地球は、あなたの持ち場だ
この場は自分達が必ず。
それはガルルの宣言と表裏の鼓舞だった。
数分後、ケロロは宇宙港にあるガルルの艇を見上げていた。
「軍曹さん、これは……」
タママとモア、そしてケロロは確かにその高速宇宙艇の形状を記憶している。
モニターで見たカムフラージュされた映像から、上塗りされた墨を剥がしたかの様だった。
「……ガルル中尉だったんですね……」
『乾きの大地』へ向かう自分達の艇を、まるで強引に進路に割り込むように振り切った、弾丸のような速さの宇宙船。
あの場でどれ程プライドを傷つけられたか、ケロロは思い起こす。
しかし、艇の主が具体的になった瞬間、それはケロロの中では急激に納得ずくの出来事に落ちついた。
「……あのヒトだったら、仕方ないでありますなァ。我輩もまだまだって事で」
確かにこの宇宙艇ならば「出品者」を追う事ができるだろう。
艇内にはまだ元の主の、力強いオーラが満ちている気がする。
「我輩、是非肖らせてもらうであります」
心の中でガルルに敬礼し、ケロロは宣言する。
「では、これより我が小隊は目標を追い、地球へ向かうであります!」
トリニティサイトの地中奥深くに埋められた、数十年前の宇宙探査艇―――――
開かれた扉、そしてメインブリッジ。
その中には数十年の長きに渡り、閉ざされていた湿った空気があった。
主の不在を感じさせながら、ギロロの皮膚には生命体らしきものの息吹が纏わりつく。
静かに、そしてゆっくりと、侵入者を迎え入れるように液晶パネルが点灯した。
「……何だ」
夏美を背後に庇いながら進むと、更に身体に温い何者かの気配が覆い被さる。
「ここ、……機械がまだ動くのね?」
夏美は気付いていない。
この背中に巻き付くような奇妙な感覚。よくある陳腐な怪談のように、正体の判らない何者かに干渉されている感覚がある。
しかし、不思議と恐ろしいとは感じなかった。
「ここに、一体何があるの?」
「…………」
この場にある物について解るのはクルルだけだ。
そう思うと急激に不在という事実が胸に迫る。
ギロロがゆっくりと正面の液晶パネルに近付いた時、まだ希薄であった気配が突然濃厚になった気がした。
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「何だ!?」
「ギロロ、何だか変。……頭の中に、何か入って来た……」
今度は夏美にも感知できた異常であったらしい。
頭の中、とはいえそれが実際はどの部分で感覚として捉えられているのか、ギロロにもわからない。
しかし確かに何事かを呼び掛ける声が聞こえる。
言語はケロン語とも、地球で使われる物とも違う。
「これ、何、言ってるの……? あんた達の言葉じゃないの?」
「いや、聞いた事のない言葉だ」
そもそもそれは言語だったのだろうか。
身体を取り巻いていた奇妙な気配は更に濃厚になり、まるで背中から力づくで抱きすくめられ、大声で何事かを主張されているようだった。
やがてまるで意味をなさなかった「音」は、時折耳なれた母子音の組み合わせへと変化する。
まるで呼び掛ける相手がこちらを気遣い、周波数を合致させたかのように。
オ@@@…… ##な##って、##いる#@@@@をに、@@##&で@@た###……
ここは@@、いつから##か、@@@している#、@@@@のか……
言葉はより鮮明になる。
空気がどろりと粘り、どこか湿度を増した気がした。
数十年前、この場に一体何が遺されたのか。
ギロロは思わず大声で虚空に向かって叫んでいた。
「誰だ、……貴様は!」
空気を震わせる「声」に答える者はいない。
依然として、頭の中心へ直接語りかける言葉が聞こえるのみ。
仄かに光る液晶と、低く唸る電子機器。
そこはまるで巨大な生命体の腹の中の様であった。
「ニューメキシコ、ロスアラモス、アラモゴード、トリニティサイト……」
奇妙な任務を帯び、巻き込まれる形で空輸用のドックで待機する冬樹は、その土地についてあちこちを検索し、調査する。
モバイル機器にて映し出される地図には、オカルト好きの彼に馴染みのある地名が載っていた。
「この場所に埋まった宇宙船だなんて、まさかとは思うけど」
その手がクリックするのは、トリニティサイトから西にある都市名。
「最初の核実験が1945年7月。……その2年後の同じ7月に、近隣にUFOが墜落した話が生まれるなんて。……偶然にしても出来過ぎだよね…… やっぱり」
その都市の名は『ロズウェル』。
まだ第二次大戦の記憶も生々しい1947年7月、一機の宇宙船が墜落し、その主としての宇宙人が回収されたという、奇怪な伝説の残る街であった。