対峙したのはケロン星の小型艇の真下。
アンチバリアはパワード夏美の前には殆ど意味を成さない。
小型艇とはいえ、こうして近付いて見上げると、充分圧倒される大きさの円盤型宇宙船である。
もし何事か不幸なコンタクトがあった場合、この地球全土の1/3を制圧しかねない装備をも搭載している。
その真下に最新鋭の兵器で武装した地球人が単身、乗り込んで来ているという状況。しかも無茶苦茶な事に、その武装は地球オリジナルの物ではなく、ケロン軍製であるという事実。
冷静に考えても、この捻れに捻れたケロロ小隊と地球人の関係について、本部に釈明する逃げ道が残っているとは思えない。
「あの馬鹿者共……」
裏切り者は俺ひとりでよかったのだ。
夏美の背後にいるであろう、いや、夏美にチョーカーを渡したであろうクルル、そしてこんな茶番を許したケロロに対し、ギロロは吐き捨てた。
まさに自分が最も避けたかった状況がまたも目の前で展開している。
夏美はソーサーの向きを変えたギロロの真正面で、大きく腕をひろげ、立ちはだかった。
「やっとつかまえた、ギロロ」
「……夏美」
正午にはまだ間がある。
夏美の記憶初期化は何らかの原因で失敗したらしい。
この様子では、昨夜の謀り事が全て知れてしまったのだろうか。
「どこへ、行くの?」
夏美の声は静かに怒っていた。
まるで、ちりちりと青い炎を燃やすような、彼女の怒りが伝わってくる。
「あんた、どこへ行く気なの?」
こんな風に、怒りや悲しみを夏美の中に残して行く事だけは避けたかった。
全てにおいての自分の詰めの甘さに、ギロロは悔やむ。
それでは、俺が今しなければならない事は、ひとつ。
ここはケロン軍の宇宙艇の真下。
いくらレーダーに感知されにくい仕様だからと言って、既に距離の限界地点に近い。
夏美の装備を船の防備システムに触れさせるわけにはいかない。
「行かせないわ」
夏美が腕を振り上げると同時に、ギロロはビームライフルを構える。
「ギロロ君!」
背後で護衛に回っていたドロロが、信じられないという様子で叫んだ。
こんなものが今のお前に当たる筈がない。
パワードスーツの装甲と回避能力、それもある。
しかし一番の要因は、狙撃手が俺だという事だ。
「ギロロ君、やめるんだ!」
「なんで、そうまでするの? あんた、バカじゃないの!?」
夏美。
愛おしい夏美。
これはお前の悪夢だ。
早く全てを忘れてしまえ。
そして、二度と思い出すな。
これからはおまえの傍に、326がいてくれる。
「悪いが、時間がない。お前と遊んでいる暇はないのでな」
俺は狙いを外さない。
次はお前の装備を一ケ所だけ、壊させてもらう。
夏美をここから退場させさえすれば、全ては終わる。
「させないわ!」
夏美の右腕が伸び、その手の中にもまたライフルがあった。
「ギロロ君! 夏美殿!」
空を覆うようなケロン軍の宇宙艇が作る巨大な影。
その下で、ギロロと夏美は微動だにせず、向き合っている。
夏美は腕を下ろせないまま、じっと息を殺して対話の機会を待っていた。
このまま構えを外せば、ギロロはあたしの装備を狙って撃ってくる。
そうすればもうあいつを止める事など、不可能。
私はどうすべきなの?
ギロロ、あんた自分で気付いていないでしょ?
今のあんたからは殺気なんか感じない。
大声で威嚇し、私に向かって照準を合わせている姿も、上空へのデモンストレーションに過ぎない。
私をここから遠ざけて、ボケガエル達を庇って、あんた一人泥をかぶる気ね?
「そんなこと、させない!」
ギロロが命中を避けようとする照準を読み、夏美はその真正面へ移動する。
身体を弾道の中心へ合わせ、彼女は笑う。
ギロロが決して撃てない事を知って、夏美は一直線に近付いてくる。
「な、夏美! 来るな!」
「嫌よ!」
まるで、愛する恋人を迎えるように微笑み、両腕を広げて。
「撃つぞ! 来るなぁっ!」
「撃たない。……あんた、撃たないわ!」
やっと、追いついた。
やっと、会えた。
夏美は更に大きく腕を広げ、ライフルを構えたままのギロロを遂に捕獲した。
『……アー、本日は晴天ナリ、ただいまマイクのテスト中。……ギロロ先輩、聞こえますか? タママ二等ですぅ。……ええと、ナッチー、泣いてたんですぅ。……伍長さんがいなくなって、ナッチー寂しくて怒りっぽくなって、これ以上悪逆非道になったら、軍曹さんの命が危ないですぅ…… お願いですぅ、戻ってきてください…… エー、そりゃあ他人の幸せなんて、妬ましいだけで、面白くも何ともないんですけどぉ……』
昨夜、326ボディの腕の中に抱きしめた夏美の小さな身体。
あの健気な腕が今、最強の装備に覆われ、どんなに身じろぎしても外れない。
そればかりか、包み込むようにしっかりと抱かれ、まるでギロロが赤ん坊のようだ。
「捕獲、成功」
頭の上で響く、夏美の声。
柔らかい胸の感触が昨夜を思い出させ、ギロロはかぶりを振った。
「……離せ」
そう言っても、おそらく彼女は離すまい。
さっきの自分と同じ。ギロロは夏美をそれ程深く理解している。
「何故、忘れてしまわなかった」
答えはない。
代わりに、暖かい涙が降ってくる。
「忘れられる訳、ないじゃない……」
「夏美……」
「あんたなら、忘れるの? ……あたしとの事、忘れられるの?」
夏美は泣いている。
これでは昨日の326と同じだ。
悲しい思いや辛い思いをさせまいとしていた自分こそが、夏美にそれを強いてしまったらしい。
「しかし、お前には326が……」
「……あんな下手糞な芝居で、あたしが騙されると思ったの? ……ギロロ、バカみたいに優しいんだもの。あんなに優しくされたら……あたし、好きになっちゃうじゃない……」
まるで溜息のように口から滑り出た言葉。吐き出す事がこれほど心地よかった事を、夏美は初めて知る。
「夏美殿!」
唐突に聞こえたドロロの声が、ギロロと夏美を我に返らせる。
思わずふり仰ぐと、それまで沈黙を守っていた宇宙艇が発光を始めていた。
「ちっ、防御網に引っかかったか」
「何!? 何なの?」
「船の防衛システムが夏美殿の装備に反応しているのでござる。拙者としたことが、距離を甘く見積もり過ぎたようでござる」
『思ったより感度がいいみたいだぜェ、ドロロ先輩。さては最近になって船の搭載レーダーを変えたな? ……オイ、あんた、そこから逃げて来られるかい?』
クルルからの回線が開く。
夏美の着けたPSが、ケロン軍の脅威になると判断されたらしい。
ギロロの恐れていた事が起こり始めていた。
「問題は、それがケロン軍の技術で作られたものだという事。そして更に、地球人のお前が身に着けているという事、だな」
「やっぱり?」
夏美はギロロを抱きしめたまま答える。
「だから、もう俺を放せ。俺なら何とでも話を付けられる」
「何言ってるのよ! 今さら」
「ここを離れ、早くそのPSを解除しろ。間違っても撃墜などされるな。……欠片でもケロン軍に回収されれば、事態は俺の手に負えなくなる」
「……」
腹を括る。
ずっとギロロが言い続けているのはそういう事かも知れない。
しかし、夏美は考え続けていた。
自分によく似た部分の多いギロロの考える事だからこそ、わかりやすく堂々巡りをしているのがよく理解できる。
こういう時、いつも最も極端で苦しい方法を選択してしまうのは、自分の体力に絶大な自信があるからだと、弟に指摘された事を思い出す。
ということは、何かもっと別の道がある筈。
どうすればオールクリアとなるだろう。
「夏美殿」
「そういう真正面からじゃなくて、もっと何かいい方法……うまい逃げ道、ない?」
「夏美、お前ケロロに似てきたぞ」
「望むところよ。……それに私、この装備、あんたに解除してもらうつもりなの」
夏美は回線を開き、クルルに問いかける。
「クルル、あのUFOって、どうやって攻撃してくるの?」
『UFOはねえだろぉ、「Unidentified」の「Un」は外してくれよ。ありゃ確認済の飛行物体だぜェ』
「何だっていいじゃない。なんかすごい大砲とか武器とかそういうの、持ってるの?」
夏美の表現は身も蓋もない。
『……「すごい大砲」ってアンタ、開発局の奴等が大泣きするぜェ。ま、近頃じゃ敵性宇宙人との関係もピリピリしてっから、もし何かあってもそうそうデカいのは使わねぇんじゃないか?』
「……」
クルルの冷静な言葉を聞き、夏美は大きく息を吐いた。
やはりギロロと自分の思考回路は似通っているらしい。
放っておくと、身体全体がすぐに物騒な方向へと反応する。
冗談ではなく、生っ粋の戦闘体質なのかも知れない。
もしこれまで誰かにそんな事を指摘されれば、夏美は全力で否定しただろう。しかし、今はそれが少し嬉しい。
ギロロの最も相応しいパートナーになれた様で。
『出て来てるのもあんた一人だし、いくらPS装備が強力だからって、今はただの様子見だろ? そこのオッサンに伝えてくれねぇかい? ……人生「Let's
relax and take it easy 」っスよ』
「何だそれは? また訳のわからん事を!」
夏美に密着した状態のままのギロロには、逐一会話の内容が入って来る。
『こんな間抜けな状況を大袈裟に考え過ぎだぜェ。ここまでの事態になって、引っ込みがつかねぇのは解るが、こっちにはまだひと芝居打つくらいの余裕があるんだからよ』
『そーでありますヨ、ギロロ伍長。夏美殿を完璧に守れるギロロだからこそ、任せられる作戦であります! つかサ、みんなで幸せになろうよ、てことで』
謎めいた言葉を残し、回線が閉じる。
「何だ、ケロロまで……。奴等、何か本部に対して交渉のネタを隠しているらしいな。くそっ、いつの間に……」
「夏美殿、『ひと芝居』とは何でござるか?」
「さあ。でもひとつだけわかった事があるの」
夏美はそっと腕を緩め、ギロロをソーサーに降ろした。
もう彼はどこへも行かない。
ずっと私の傍にいてくれる。
夏美の中に、そんな確信があった。
「あんた達が仕掛けたら大問題だけど、私なら何の問題もないわ」
「それは……夏美殿、まさか」
「ドロロは私が撃ったらすぐに私の飛行ユニットを斬り離して。交戦中っぽく、できるだけ派手にね。ギロロは私を追うフリをして、それを壊して」
「そんな事をしたら迎撃システムが夏美殿を狙って……」
危険すぎる、と言おうとしたドロロをギロロが制する。
「夏美は俺が守る」
そう宣言される事を待っていたように、夏美はにっこりと笑って頷いた。