『作戦終了じゃなかったのかよぉ。クックックックッ……』
ナビの声が聞こえる。しかし、それはまるでこの場所とは関係のない、どこか遠い土地で起きている不粋な喧噪のようであった。
聞こえるのはクルルの声だけではない。
何かひどく心配をしている風なドロロ。
熱烈に感情移入して昂っているタママ。
おそらく押し合うようにクルルのマイクの周囲に陣取っているのだろう。皆が無心に何事かを語りかけてくる。
知らぬ間に傍観されていたという怒りや恥ずかしさを越えて、小隊全員にこの馬鹿馬鹿しい私情について気遣わせている事が、ギロロにはたまらなく情けない。
しかし、その後に続いたケロロの言葉は、思いもかけない方向から今のギロロを救う。

『ギロロ伍長、夏美殿は地球防衛戦線の要であります。この機に乗じて鉄壁の要塞を陥落させ、平和的地球侵略を推し進めるであります。キーワードはラヴ&ピースであります』
……何を言ってるんだこいつは。
『作戦名「"Saving all my love for you" project」これは我が小隊にとって、最も大きな戦功を齎す一大プロジェクトであり、作戦遂行中並びに終了後の離脱は厳罰。……許されないであります!』
……ケロロ。
『既に作戦は本日零時付で発動中、遂行には全力で挺身すべし。健闘を祈る、であります』
久しく聞く事のなかった旧友の改まった言葉は、そのまま命令となった。
ギロロは心の中で静かに敬礼する。
―――――了解。

『見たところその身体にも慣れたようじゃないか、クーックックックッ。……じゃな、先輩。武士の情け、ってヤツで今度こそGood Luckだぜェ』
回線が閉じる音と共に、辺りは再び沈黙に塗り替えられた。
遂行ニハ全力デ挺身スベシ。
改めて復唱するまでもなく、ギロロは既に作戦行動を開始している。




「……夏美」
ベッドに並んで腰をかけながら、夏美の肩に額を付け、ずっと正視できずにいた彼女の左胸に触れた。
先刻手の中に納まった形のいいそれを直に包み込み、その柔らかさに溜息を吐く。
「あ……」
額をつけていた小さな肩が反応し、震える。
逃げようとする身体を固く抱き止めたまま、指先で先端を摘むようにすると、夏美の息が更に変わった。
胎生でないケロン人は、地球人の生殖器や性感帯に関する生きた情報を殆ど持たない。
おそらくクルルが今回の作戦に妙に積極的であったのは、そういうデータ収集の目的もあっての事だろう。
指先で胸から脇へのラインを撫でながら、真っ白な首筋に唇を付けると、夏美の身体は震え、ギロロ=326の背中へ腕を回して縋る。
その腕の内側が一面粟粒立っている事に気付き、不快なのかと身体を外そうとすると、夏美は首を横に振り更に縋ってくる。
これでいいのか? これで間違いないか?
そんな風に五感総動員で一挙一動を決定する事には慣れているものの、まるで勘だけで地雷原を進むように心許ない。
響くのは夏美の鼓動なのか、それとも自分のものなのか。
努力して殺すようにしなければ、すぐに上がってしまいそうな呼吸。
背中に絡む細い腕は、間違いなく男としての自分を頼りにしているというのに。
「夏美」
辛うじてそう呼び掛けると、固く閉じられていた目が開かれた。
おそらく夏美は今も、自分を抱いているのが326である事を疑っていない。




今日の326先輩は少し印象が違う。
夏美はそんな直感から逃げ続けていた。
昼間の出来事を忘れてしまいたくて、自分で自分を夢の中へ封じ込めたかのような、真夜中の逢瀬。
しかし、この身体に感じる温もり、そして初めて知る心地よさは何だろう。
どこまでも優しく愛おしんでくれる、思い描いていた理想の326がそこにいるというのに、夏美の中では混乱が広がってゆく。
こんな風になりたかったけれど、こんな風にされてみたかったけれど、何かが違う。
「夏美」
326先輩はこんな呼び方、しない。
夏美は目を開き、326の顔を見つめる。
いつもの326。その瞳の中には夏美が映っている。
縋っていた背中が揺れて向きを変え、腕が膝の裏にかかる。
夏美の身体は座った姿勢から軽く抱き上げられ、ベッドに横たえられた。
「……夏美」
326が覆いかぶさるように、夏美の身体を再び抱き締める。

夢の中の326先輩。
私の大好きな326先輩。
私だけを好きでいてくれる、優しい326先輩。
そんな先輩が私を抱き上げて、私にキスしてくれる。
だから私は、ずっと夢みていようと思ったの。

「……326先輩」
目を閉じて、もう一度呼んでみた。
今夜の326はそう呼ばれて決して返事をしない。
まるで自分が別人である証明のように。

触れられた場所から熱が伝わるような感覚はまだ続いている。
326の髪が柔らかく夏美の胸元をくすぐる。
大切に、丁寧に、この326が何より自分を慈しみながら抱き締めている事は、夏美自身が最も感じていた。
その行為はじれったい程に慎重で、身じろぎする度に相手の躊躇が伝わってくる。
何でも器用に熟す普段の326とは違う。

あたしはきっとこの人を知ってる。
そしてあたしはとてもこの人を好きなのだと思う。
とても近くにいて、とても遠い。
いつか、あたしはこんな風にこの人に癒されたことがある。
あれは、いつのことだったの?




クルルの簡潔すぎる説明には、最も厄介な事ばかりが全て省略されていた。
不必要なまでに過敏な326ボディは、既にギロロの理性を完全に屈服させつつある。
おそらくインプットされた「クルル流の解釈による」地球人雄本能の暴走なのだろう。
目眩がするほどの衝動に任せる事、それは複雑な事に夏美への愛情と矛盾しない。
気がつくと組み敷いていた白い身体が紅潮し、うっすらと汗ばんでいる。
肩に縋り、胸に頬をつけて目を閉じている夏美。

本来、こういう方面の機微に聡い方ではない。
しかし、これ以上夏美だけに決定を委ねる事は出来ないという思いが、ギロロを能動的にする。
この衝動は俺の意志だ。
そして、これはインプットされた他人の本能などではなく、俺自身の欲望だ。
そう認識できた時、初めてこの扱い辛かった身体との相性が落ちついた気がする。

夏美は326の手で触れられる事が嬉しいらしい。
これ程愛されていながら、同じ愛情を返す事のない326を苦々しく思い、それでいて夏美の幻想を壊す事はできないでいる。
何度も夢心地で閉じられた目を開かせ、自分が何者かを吐き出したい衝動に駆られた。
326としてでなく、真正面から彼女と対峙したいという思いの強さに敗北しそうになる。
しかし、それをして何になる。
俺はこの地球の人間にとっては侵略者。
そして夏美がその胸を傷め、焦がれているのは326。
悲しませたくない、幸せにしたいという気持ちは、ギロロにとって至上の願いでありながら、反面自らを切り刻んでゆく。
夏美。
身体だけが別の意志を持ったように、次々と未知の領域へ踏み込んでゆく。
それに伴う快楽は、苦痛を増す心のための脳内麻薬のようなものかも知れない。




服を脱いだ326の肌が重なるのを、目を閉じたままの夏美は感じていた。
意識しない間に声を出したらしく、喉が乾いていた。
全てが沈黙している真夜中の部屋で、荒くなった互いの息遣いだけが響く。
「いくぞ」
短くそれだけを告げた326に、夏美は頷いた。
既に充分に潤った感触のあるそこに、いつしか馴染んだ指先ではないものが当てがわれたのがわかる。
「こうして、掴まれ」
夏美の片手首をとり、これまでとは違う方向から肩に縋らせる。
「……痛くて辛くなったら、声に出して言え」
うっすらと開けた目に映る326は眉間に皺を寄せ、苦し気な表情をしていた。
辛そうなのは326先輩の方。
今夜の326先輩はほんとうに不思議。
でも、私は何だか今夜の326先輩が好き。
不器用で、寡黙で、それでも全身で私を愛してくれる、今夜の奇妙な326先輩。

そう思った次の瞬間、夏美は初めて味わう苦痛に思わず声を上げた。




勃起した性器の先端が濡れた熱に包まれた瞬間、身体に絡んだ夏美の腕に力が入るのがわかった。
「いた……」
唇を噛みながら、夏美が喘ぐ。
しかし、その腰にある受け入れようとする意志は、326=ギロロの挿入を健気にも助けようとする。
「……夏美」
「大丈夫、……だから」
夏美の呼吸に合わせてその胸が上下する。
再び進むと、更に熱は増し、腰は痺れたように熱くなった。
苦痛に苛まれているのか、夏美は眉根を寄せ、その顔を両手で覆っている。
「なつ……」
「……あっ、あ」
「顔を、見せて……くれ」
「あ……」
顔を覆う夏美の手に自由な方の手を重ね、指を絡ませるようにして外そうとした時、ギロロはその目尻に光る涙を見る。
「……あたし、痛いんだか、嬉しいんだか、……頭が、ごちゃごちゃ……」

温んだ水の中へ全てが収まり、ギロロは伝わる熱に溜息を吐いた。
既に快楽は最も高い頂点に近く、夏美が大きく呼吸する度、複雑な動きをする中に射精しそうになる。
326の身体から感じる夏美は幼く、か弱い。
自分の身体では、決して知る事のない目線がそこにある。
どれだけ愛し、どれだけ慈しんでも、本来の自分は夏美にとっては余りに心許ない、幼い子供のような存在に思えるだろう。
俺の小さな身体では、夏美を抱きとめ、腕の中に身体ごと包み込んでやる事すらできない。
自分に縋り、委ねている細い腕は、それをギロロに嫌という程わからせる。

自分の手で幸せにしてやりたいと思っていた。
例えその気持ちがどこにあろうと、夏美が喜ぶ事なら何でもしてやる。
決して危険な目になど合わせない。
命をかけて守ってやる。

そんな言葉のひとつひとつがギロロの中で力を失い、石ころのように四散する。

「夢……のようだ、……な」
夏美の身体と繋がり、交歓できる事が。
夜が明けたら出発の前に一番にする事。それは326の元へ飛び、これからの夏美を守る事を誓わせ、一発ぶん殴る事。奴に嫌だなどと言う権利はない。
後は326がうまくやってくれるだろう。
奴がもし約束を破ったら、俺は宇宙の果てからでも駆けつける。次は一発では済まさない。
誰にも理解されなくていい。
俺は夏美を喜ばせるためなら、どんな理不尽を犯す事も厭わない。
などと。

……笑わせる。
こんな風に夏美と繋がるにも、クルルの力を借りなければならない俺が。
言いたい事を告白するにも、326の姿を借りなければならない俺が。
夏美の目には俺など見えていない。
最初から勝負になどなっていない。
戦っていると思っていたのは、俺ひとりか。

まるで心の昂りに合わせるように身体が逸る。
夏美に苦痛を与えまいと、ただ挿入を果たし抱き締めているだけの行為に焦れる。
既に快楽は背筋を伝わり、生殖器を静止させておく事に忍耐を強いるようになっていた。