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音の轍 - 17 …………



「出かけるからついて来い」
と、唐突に衛が言い出したのは、例のテレビ出演で奏がピアノを弾いてから二日後の事だった。どこに行くのか、何をしに行くのかを一切告げぬまま、衛は奏を自分の車に押し込んだ。時間は、早朝だった。普段なら衛も、奏もまだ寝ている時間だ。一体、こんな時間からどこに出かけようというのか奏は疑問だったが、衛は、
「行けば分かる」
の一点張りで、行き先を決して教えてはくれなかった。
 仕事がらみかと思ったが、衛はネクタイもしていないし、もちろんスーツも着ていない。完全にオフのラフな格好で、奏にも、また、一切、服装の指定をしなかったので、仕事とはどうやら違うらしいということだけは分かった。
 まだ車の通りも少ない、通勤ラッシュも始まっていない道路を車はひた走り、北に向かう高速に乗った。途中、何度かパーキングエリアで休憩を取りながら、結局、奏は三時間以上車に乗る羽目になった。
 高速を降りた場所は、名前も聞いたことの無い片田舎だ。秋の終わり、美しい紅葉に彩られている山間を、車は走り続けた。幸いな事に、気持ちの良い秋晴れの日で、景色が素晴らしい。もしかして、ドライブにでもつれて来られたのだろうかと奏は一瞬疑ったが、山を一つ越えた所に、小さな集落が見え、奏は、そうではない事を知った。小さな農村の中を場違いに、衛の高級車は走り続ける。そうしてたどり着いた場所は、町の規模に見合った、小さな校舎だった。その脇にある来客用の駐車場に車を停めると、衛はぶっきらぼうに、
「着いたぞ。降りろ」
と命令する。一体全体、どういう意図でこんな場所につれてこられたのか分からないまま奏は車を降り、そして、促されるまま、職員玄関の方から、その校舎に入った。入り口に『緑ヶ丘小学校』という看板が建ててあり、それで、奏はその場所が小学校であることを知った。
「宇野辺さん……この場所に、一体、何の用事があるんですか?」
 堪えきれずに奏が訝しげに尋ねると、衛はふっと奏に視線をよこし、少しだけ困ったように軽く眉をあげて見せた。
「ピアノを弾け」
 唐突に告げられ、奏は、
「は?」
と、間抜けな顔をする。それと同時に、
「まあまあまあ! 宇野辺君、お久しぶりねえ! よく来てくれたわ!」
という、朗らかな女性の声が聞こえ、奏は驚いて、声のするほうに顔を向けた。少し先の部屋のドアから、一人の初老の女性が顔を出している。ドアの上のほうには『校長室』と書いてある札が見え、恐らく、彼女はこの学校の校長なのだろうと思われた。
「すっかり大人の男になっちゃってまあ。何年ぶりかしら?」
 あっけらかんと明るい笑顔を見せ、有無を言わせぬ勢いで近づいてくる女性に、衛は苦笑を零し、
「お久しぶりです。不義理をしていて、申し訳ありません」
と、らしくもなく、腰の低い態度で頭を下げた。
「良いのよー仕事、がんばってるんでしょう。それで、その隣の彼が、今日の主役なのかしら?」
「は? あの。ええと?」
 突然に話を振られ、ニコニコと笑いかけられて奏は戸惑う。話が全く見えずに、困ったように衛を見上げると、衛は、おどけたように肩を竦めて見せた。
「二宮奏です。今日のピアニストです。よろしくお願いします」
 そう言って、衛は奏の頭をぐいと押し、無理矢理にお辞儀をさせる。まるで、小さな子供に対する態度のようで、奏は一瞬、ムッとしたけれど、それでも逆らわずに頭を下げた。
「二宮奏です」
「はいはい、私は、この小学校の校長の濱口です。よろしくね」
と、実に気軽で大らかな態度で濱口は言った。それから、不意に、何かに気がついたように、目を大きく見開く。
「あら? あなた、どこかで見たことあるわ。どこだったかしら……ああ! そうそう! 最近、よくテレビに出てるピアニストの人じゃないの?」
「ええ。今、売り出し中の新米ピアニストです。よろしくお願いします」
 奏が答える代わりに衛が答えた途端、濱口は、まるで若い娘のようにけたけたと笑って、はしゃぎ始めた。とても、校長とは思えない気軽な態度に奏は面食らう。けれども、少しも嫌な感じはしなかった。むしろ、こんな教師に教えてもらいたかったと思えるような、好感の持てる女性だと思ったくらいだ。
「生徒達には、11時からだって伝えてあるのよ。あと三十分くらいあるから、少し練習する?」
 濱口に尋ねられて、奏は返答に困る。一体、何の話だか分からず、衛の顔を見上げたが、衛は不自然な態度で、決して奏には目を向けなかった。
「ええ。音楽室を使用したいんですが。今、大丈夫ですか?」
「今日の午前中は音楽の授業はないはずだから、大丈夫よ。好きに使って頂戴。それにしてもホントに何年ぶりかしら。宇野辺君が大学を卒業してからずっと中断してたのよね。五年ぶり?」
「そうですね、それ位ですね」
 和やかな雰囲気で奏には分からない会話を続ける二人に、とうとう耐え切れなくなり、奏は割り込むように声を掛ける。
「すみません。俺には何の話だか分からないんですけど。俺は、何をすれば良いんですか?」
 少し大きめの声で奏が尋ねると、濱口は一瞬、きょとんとした顔になり、それから訝しげに眉を顰めた。
「宇野辺君、何も説明していないの?」
「してもらっていません!」
 衛が何かを誤魔化すよりも先に、勢い良く奏が答えると、濱口は呆気にとられたように口を開き、それから衛の背中を、音が聞こえるほど強く叩いた。
「もう! ちゃんと説明してあげなさいよ! 相変わらず口の足りない子ねえ。可哀想に。えっと二宮君だったかしら? 貴方には、生徒の前でピアノを弾いてもらいたいの。訪問演奏って言うのかしらね。宇野辺君が、まだ学生の頃にずっとしてくれていたことなんだけど」
「訪問、演奏? って、俺が、演奏するんですよね?」
「ええ。詳しい話は、とりあえず後にして、今は、きちんと打ち合わせしてくれるかしら? 生徒達、楽しみにしているのよ?」
「あ、ええと、はい。分かりました」
 少しも分かっていない戸惑った表情で、それでも奏は頷き、半ば強引に腕を掴んだ衛に引かれて、校舎内を歩き始めた。窓の多い校舎内は、秋の終わりの日差しが差し込み、穏やかに明るかった。遠くから、子供達の笑い声が微かに聞こえてくる。それから、教師らしい声も。恐らく、体育館からだろう。ボールの弾む音と笛の音も混じっている。
 久しぶりに聞く音と、何ともいえない独特の学校の匂いに、奏は無意識に目を細めた。懐かしさが胸に押し寄せる。自分の小学生の頃の事が思い出されて、そうすると、どうしたって、避けることができないのは一番仲の良かった幼馴染の事だった。
 別れることになったのは、小学校六年生の頃だった。だから、ほぼ、丸六年を、奏は彼と一番長く過ごした。今、彼はどうしているのだろうかと思いかけて、すぐに、それを頭の中から追い出した。
 衛は、校舎の作りを良く知っているようで、何の迷いも無く奏を連れて行く。校舎の突き当たりにある階段を三階まで上って、右手にある棟に進むと、三つ目の教室に『音楽室』という札が見えた。その部屋に入ると、衛は後手にドアを閉め、
「ま、そういうことだから、適当に演奏してやってくれ」
と、ざっくばらんな口調で告げた。衛の意図が分からずに、奏は戸惑ったまま衛の顔を見上げた。だが、衛は何も言わない。奏の視線には気がつかない振りで窓際まで行くと、部屋の片面を埋め尽くしている窓の一つを開き、その桟に腰掛けて煙草を取り出す。そして、火をつけると、どこか寛いだ様子で美味そうに煙草を吸い始めた。実際、美味いのだろう。田舎の山奥だからなのか、空気が酷く澄んでいる。空は気持ちの良い秋晴れだし、窓の向こうには、すぐに川が見え、川岸には見事に紅葉している木々が生い茂っていた。
「……宇野辺さん、普通、小学校って校内禁煙じゃないんですか」
 奏の戸惑いなど我関せずで、自分勝手に寛いでいる衛に不意に腹が立って奏が嫌味を言ってやると、衛は器用に片方の目だけを眇めて、
「うるせえ」
と、反論をした。それが余りに子供っぽくて、奏は呆れてしまう。呆れて、笑ってしまった。窓から吹き込んできた風に、水と、土の匂いが混じり、奏は無意識に目を閉じて深呼吸をした。久しぶりに、呼吸の仕方を思い出したような、そんな錯覚がした。
 なんとはなしに、目の前のピアノを蓋を開く。パラパラと手持ち無沙汰に鍵盤を叩くと、少しばかり音が狂っていることに気がついたが、さして不快にも思わない。田舎の小学校に置いてあるピアノなのだから、こんなものだろう。
「宇野辺さん、学生の頃、訪問演奏なんてしてたの」
 適当に、思いつくまま指を慣らすように鍵盤を叩きながら奏は問う。そう言えば、衛は奏が在籍している音大のOBだったということを思い出した。専攻はピアノだったはずだ。だが、今の衛にピアニストというイメージは全く無い。それに、衛の性格や仕事ぶりを考えると、何の得にもならぬボランティアをするなどと想像できなかった。だから、余計に、訪問演奏をしていたということが意外だった。
「まだ青くて、世の中が分かってないガキだった頃にな。理想に燃えている音大生だったからな。本気でピアニストになるんだって思ってたし。
 濱口校長と知り合ったのは、本当に偶然だったんだ。たまたま、この小学校に文化助成金が下りたときに、本格的な音楽を聞かせてやりたいって思ったらしくてな。でも、助成金って言ってもプロ呼ぶほどの大金が下りたわけじゃなくて、中途半端な学生くらいしか呼べなかったらしい。それで、音大生辺りを探してたときに、偶然、俺がその募集を見つけたんだ。謝礼も交通費も要らないって言って大学に在籍している四年間、ずっと、続けていた」
 過去の失敗を話すような、どこか苦笑いと懐かしさを滲ませた表情で衛は飄々と告げた。なんと相槌を打っていいのかも分からず、戸惑ったまま、奏は、
「ふうん」
と返した。それ以降は、衛は何も言わなかったから、結局、手持ち無沙汰にピアノを弾く羽目になった。適当に流していただけで、あまり、弾き方を意識してはいなかった。そのまま三十分ほどがした頃に濱口が迎えに来て、奏は心の準備が出来ないまま体育館に連れて行かれた。




 体育館の前方中央にグランドピアノが置かれていて、少し離れた場所に、子供達が座って待っている。全校で四、五十人程度の生徒しかいなかった。彼等は奏がピアノの前まで歩き、深くお辞儀をすると、行儀良く拍手をはじめ、一様に真っ直ぐな瞳で奏を見つめた。それに気が付いた時に、奏はギクリとした。
 子供達の目は真っ直ぐだった。好奇心とか、興味だとか、期待に満ち溢れた瞳、瞳、瞳。何の衒いも無い、澄んだそれは欺瞞を許さない。不意に、奏は罪悪感に駆られた。正直、適当に流して弾いて、その場を誤魔化せれば良いと思っていたのだ。けれども、それが、思い違いだと悟る。無垢な瞳を足蹴に出来るほど、奏は何もかもを捨てられたわけではなかった。
 どうしようかと混乱したまま、鍵盤の上に乗せた指は震えていた。何を弾こうかと迷って、子犬のワルツを選ぶ。正直、これほど、訳のわからない状態で演奏したのは生まれて初めてだった。頭の中に、父の音を再生しようとするけれど、それがままならない。それでも指は止まらず、音を紡ぎ続ける。この音は、一体、誰の音だっただろうかと気持ちばかりが焦って、散々な演奏になってしまったはずだった。それなのに、演奏が終わった後、子供達は酷く感心したような表情で拍手をしてくれたのだ。嬉しそうに笑っている子供までいる。熱心に、奏を見つめてくる子供もいた。奏は、気持ちを落ち着かせるように、ピアノの前で一度目を閉じると大きく息を吸い込んだ。そして、そっと目を開く。見えたのは、見慣れすぎた白と黒の鍵盤だった。
 嗚呼、と奏は思う。今だけは、と心の中で踏ん切りをつけた。
 懸命に、記憶の箪笥を引っ張り出し、初めてピアノを弾いたときの事を思い出した。あれは、兄の演奏会を聞きに行った直後のことだ。耳に飛び込んでくる、キラキラとした音の欠片達が忘れられずに、奏は自分もピアノを弾きたいと兄に、母に、無心にせがんだ。あの時の気持ちを、どうにか心に蘇らせる。
 せめて、あの時と同じ気持ちでと思いながら、次にトロイメライを弾いた。父の音だとか、自分の音だとかは全く意識していなかった。ただ、懸命にピアノを弾き続けた。そうすると、どうしたって、胸の中に落ちてくる。それは、あまりに、ストンと奏の中に戻ってきてしまったので、奏は泣いてしまいそうになった。

『ピアノを弾くのが好きだ。ピアノが弾きたい』

 何もかもを切り捨てて、自分さえも殺したつもりだった。それなのに、その気持ちだけはどうしたって、いつだって、奏の中に戻ってきてしまう。一体、これは、何の業なのかと思った。
 トロイメライを弾き終わると、先程よりも、もっともっと大きな拍手が巻き起こって、奏はふと顔を上げた。だが、手が痛くなるだろうにと、心配になるほど一生懸命に手を叩いている子供の顔が見えて、すぐに俯いた。堰を切ったように、どうにもならない感情が湧き上がってくる。こんな場所で、と思うのに涙が滲んできて、奏は慌てて次の曲を弾き始めた。無意識に選んだ曲は、ショパンの「幻想即興曲」だった。小学生向きの曲ではない気がするという考えが、ちらりと頭の隅を掠めたが、それでも奏はその曲を弾き続けた。
 そうだった、この曲だったと、懐かしさが込み上げてくる。初めて奏が、響のピアノの発表会で聞いた曲。あの時に、幼い奏の心の琴線が揺らされて、そうして、絡め取られたのだ。命も持たない、無機的な、このピアノという楽器に。
 何かに突き動かされるように弾き続けた曲は、奏に奇妙な開放感を与える。自分を繋ぎとめていた様々な柵から解き放たれて、ただ、自分がピアノを弾くためだけに存在する生き物になったような気がした。
 無我夢中で最後まで弾き終わると、やはり大きな拍手があって、その後に、生徒の代表だという少年が興奮に頬を赤くして、奏に花束を渡し、お礼の言葉を送ってくれた。それで、一応は演奏会が終わって、奏は呆然とした状態で音楽室に戻ろうとした。その時だった。
 不意に、
「二宮奏さん」
と呼び止められた。足を止めれば、先程、謝礼の言葉を送ってくれた少年(この小学校の生徒会長だという話だった)が、すぐ近くで奏を見上げている。真っ直ぐで、無垢な、利発そうな瞳だった。
「何ですか?」
と、なるべく穏やかにと努めて奏が尋ねると、少年は、興奮したように奏に近づいた。
「とても、感動しました。僕も、あんな風にピアノを弾いてみたい。弾けるようになりますか」
 そこに微かな尊敬の念さえ浮かべて、少年は、ただ、じっと奏を見上げてくる。奏が何と答えてよいか戸惑い、少年の顔を見つめ返したまま口ごもっていると、少年は、熱に浮かされたように、同じ言葉を繰り返した。
「僕も、ピアノを弾きたいです」
と。奏は、それで、ハッとする。彼は、あの日の自分だ。あの日の奏と、同じ目をしている。
「……きっと、弾けるよ。ピアノが好きだっていう気持ちがあれば」
 震える声で奏が答えた言葉は、奇しくも、兄が奏に与えてくれた言葉と同じだった。けれども、今の自分に、それを口にする資格があるのだろうか。それが限界で、唐突に溢れ出した涙をどうにか誤魔化すと、奏は少年の肩を優しく叩き、
「頑張って、素敵なピアニストになって下さい」
と最後に伝えてから、早足でその場所を立ち去った。半ば走るように、音楽室に向かう。とめどなく流れ出す涙が、鬱陶しくて仕方が無い。すぐにでも一人きりになって、気持ちを落ち着かせたかったのに、駆け込んだ音楽室には衛が先に来ていて、しかも、奏の顔を見るなり、
「どうだ。今日も、上手く『コピー』は出来たか?」
と、酷く人の悪い笑みを浮かべて問うてくる。自分を取り繕うことも出来ずに、奏は乱暴な仕草で、グイ、と腕で涙を拭った。
「……アンタ、すっごく性格悪いよ。こうなるって、分かってて連れてきたの?」
 言葉を、表情を繕う余裕も無く、忌々しい気持ち一杯で奏が聞くと、なぜだか、衛は嬉しそうに、楽しそうに声を上げて笑った。一体、何が楽しいのか奏にはさっぱり分からず、更に腹を立てる。文句の一つでも言ってやらなければ気がすまないと口を開きかけると、衛は突然、笑いをやめ、意味深な視線を奏に向けた。
「ま、あれで、どうにもならないようだったら、俺も見捨てるつもりだったんだがな」
 そして、そんな風に奏には意味の分からないことを言う。
「なあ、奏。もう良いだろう? いい加減、気が済んだだろう」
「………何の話ですか?」
「全部、吐けよ。お前が、どうして、こんな茶番を始めたのか。本当は、お前はプロになりたいわけでも、金が欲しいわけでもないんだろ?」
 殊の外、酷く優しい労わるような声で衛が言うから、奏は戸惑う。衛の真意を計ろうとその顔を見上げると、真っ直ぐな瞳とぶつかって、奏はハッとした。そして、今更のように気がつく。衛が、どんな時でも、自分を真っ直ぐに見つめていたことに。

 嫌味を言っているときも、怒りをぶつけてくるときも、らしくもなく、少しばかり優しい言葉をかけてくるときも、いつでも、衛は真っ直ぐに奏を見つめていた。なぜ、その事に、今まで気がつかなかったのか。それは、奏が、真っ直ぐに衛を見つめ返してはいなかったからだ。

「お前は、言ったよな? 『お兄ちゃんが、子供の頃みたいに、一緒にピアノを弾いてくれるようになるまで、もう、二度と自分のピアノは弾かない』って。だったら、俺が、それを叶えてやる。叶えてやるから、全部吐け」
 有無を言わさぬ、強い口調で衛は命令した。けれども、それを奏は不快だとは思わなかった。何かを確かめるように、疑い深く、ただ、じっと衛の目を見つめる。けれども、いくら探しても、そこには悪意も、偽善も、欺瞞も存在しなかった。
「……話したら、宇野辺さんは、俺の『共犯者』になってくれるの?」
 半信半疑で、恐る恐る尋ねた奏に、衛は苦笑を漏らす。
「ま、仕方が無いだろう。乗りかかった船だしな」
 肩を竦めて、どこか子供っぽい表情で衛は答えた。
 何かが、ストンと地面に落ちる。それは、奏が、自分ひとりで抱えなければいけないと思い込み、必死で肩に担いでいた荷物だったのかもしれない。
「すごく、すごく、長い話だよ………」
 そして、奏は口を開いた。




 たった今、出来たばかりの『共犯者』に。






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