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scientific essence - 7 …………
「ゴメンなさいね、それだけは出来ないのよ」
 サツキがすなまそうな表情でそう告げると、シイナは明らかに落胆した表情を見せた。二度目のメンテナンスだと言って、研究所に再び訪れた時のことだった。
 シイナは、モニターの希望として『言葉を話せるようにすること』を要求したのだ。だが、サツキの答えは意外なことにNOだった。
「・・・どうしてダメなんですか?」
 それでも食い下がるようにシイナが尋ねると、サツキは困ったように苦笑いを浮かべる。
「・・・言葉がしゃべれるようになるって事は、本当の人間と何ら変わらなくなるって事よ? シイナ君は、それで大丈夫なの?」
「どういう意味ですか?」
「言葉どおりの意味よ。人間と、しかも『他人』と一緒に生活できるかしら?」
 少しだけ強い口調で尋ねられて、シイナは不意に黙り込む。俯いて、何かに耐えるようにギュッと腿の上で握っていた手に力が入ったのが横で見ている僕にも分かった。
「・・・ミチヤなら・・・ミチヤなら大丈夫だと・・・」
「シイナ君。どうしたの? そんなに焦って急いでも、ろくな事にならないわ」
 シイナが更に食い下がろうと言いかけた言葉を、サツキはらしくもなく少しキツイ口調で遮る。いつも、シイナには優しげな表情と言葉しか与えないのに珍しい。シイナもその事に驚いたようだったけど、僕も驚いて、思わずサツキの顔をマジマジと眺めてしまった。けれども、サツキは僕の方をチラリとも見ようとはしない。ただ、じっとシイナの顔を、何かを試すかのように見詰め続けていた。
 シイナは、何か思うところがあるのか不意に俯き、じっと自分の膝の辺りを見詰めている。
 腿の上に置いた拳が、微かに震えていた。
 暫しの沈黙が落ちる。
 実際は、ほんの数分の事だったろうが、僕には、なぜだかその沈黙が酷く長い時間のように感じた。
 それを破ったのは、シイナだった。
「・・・soulful dollの基本的な技術はクローン技術ではないんですか?」
 低い、何かを断罪するような声でシイナは尋ねた。不意に上げた顔は、思いつめたような表情。
「・・・だったらどうなの? また、気が触れたような批判声明でも出す?」
 尋ねたシイナのらしくない表情にも驚いたが、それに対するサツキの冷たい表情にも驚いた。シイナはサツキの言葉を聞いた途端、失言を悟ったようにはっと顔色を青白く変える。
 しばらく、不思議な緊張感を張り詰めさせたまま二人は見詰め合っていた。だが、シイナの方が先に視線を逸らした。
「・・・あの時は、正常な精神状態じゃ無かった。でも、それを差し引いても、やはり僕は、人間は遺伝子情報には、手を出すべきだとは思いません」
「・・・神様の領域だから? 科学者らしからぬ、随分とセンチメンタルな持論ね」
「・・・僕はもう、科学者ではありません。ドロップアウトした人間です」
 サツキは深々と溜息を吐くと、額に手を当てる。目を閉じたまま、なんとも複雑そうな表情で、そのまま暫くじっとしていたが。
「相変わらずそんな調子じゃ神林さんが嘆くはずね」
「・・・あの人にミチヤのことを教えたのは片桐先生なんですか?」
 いきり立つように、腰を浮かせてシイナがサツキを問い詰める。一体、さっきから、何の話をしているのか僕にはさっぱりだったが、シイナが随分と精神的に不安定になっているのは分かった。
 いつもは穏やかで、笑顔しか見せないシイナらしくない。余裕の無い表情と言動。
「教えて問題があるかしら? あの人はシイナ君の保護者代理人でしょう?」
 シイナもおかしいけれど、サツキもおかしい。いつもは冷静で、余裕綽々の態度で、人を笑いながらおちょくるような女なのに。なにを、そんなにムキになってシイナを挑発しているのか、僕にはさっぱりだった。
 シイナは、サツキを暫く睨みつけていたが、不意に脱力したようにストンと再び椅子に腰を下ろし、大きな溜息を一つ吐いた。
「・・・そろそろ帰ります。ミチヤはいつ取りに来れば良いですか?」
「・・・そうね。明日の午後にでも来て頂戴」
「分かりました」
 結局、そのおかしな言い合いは中途半端に終わりを告げ、シイナはよろしくお願いしますとだけ言って研究所を後にした。去り際、疲れたような顔で僕に笑いかけたその表情が、なぜだか胸に残って、頭から離れなかった。






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「さっきの、何の話なんだよ?」
「さっきのって?」
「クローン技術がどうのとか、気が触れたような批判声明とか。神林って誰だよ?」
 忙しなくディスプレイに向かい、何かのデータを打ち込んでいるサツキの後姿に問いかける。けれども、サツキは振り向きもせずに、
「ミチヤには関係の無い話よ」
とつれない返事を寄越す。何となく、一人だけ仲間外れにされたような疎外感を感じて、むっとした。
「関係なくないだろ? 今回のプロジェクト自体、僕がいなければ成り立たないんだから。何だったら、今から降りても良いんだ」
 脅すようなことを言えば、サツキはディスプレイを見詰めたまま大きな溜息を一つ吐き、ギッと音を立てて回転椅子を回転させた。僕を下から不思議な表情で見上げる。何かに行き詰ったような困惑した表情。
「・・・それはね。私からは言えないのよ。もう少し。そうね、もう少しミチヤがシイナ君と仲良くなったなら、シイナ君から直接聞かなくてはならない事なの」
 そう答えた表情と口調は、幾らか和らいだ穏やかなものだったけれど。
「・・・じゃあ、一つだけ教えて。シイナはもう研究に携わるのを辞めてしまったの?」
 部屋に並んでいる、沢山の植物達。それらが、決してありふれた観葉植物ではないことに僕は気がついていた。そして、簡易ではあるけれど部屋の中に揃えられている実験器具たち。時折、シイナは顕微鏡を覗いたり、分厚い専門書を眺めていたりしていた。
 それは、決して、科学の道をドロップアウトした人間の姿ではなかった。
「辞めた。と自分では言い張っているわね。けれども、シイナ君の研究は本当に素晴らしいものだったのよ。結局、不幸な事故が重なって、目指していたところまで到達は出来なかったけれど」
「・・・最終的には、もう一度、シイナにこの道に戻ってきて欲しいって思ってるの?」
「ええ。私だけじゃなく、沢山の人がそう思っているでしょうね」
「だから、このプロジェクトを引き受けた?」
 サツキは、不意に口を噤み、一瞬だけ表情を無くした。それから疲れたような、苦笑いとも思えるような笑みを浮かべる。その笑みは、シイナが帰り際に見せた笑顔にとてもよく似ていた。
「・・・どうなのかしら。一番の目的は、シイナ君じゃなかったのかもしれないわ」
「? どういう意味?」
「・・・・そうね。きっと、それが最初からユズルには分かっていたのね。だから、傲慢だと、ただのエゴだと言ったんだわ」
 僕の質問には答えず、サツキは一人だけの思考の世界に入り込んでしまったかのように、虚ろな瞳でポツリポツリと言葉を漏らす。その表情はどこか自嘲的で、僕は不安になってしまった。
「サツキ? サツキ?」
 繰り返し名前を呼ぶと、ようやく、サツキははっとしたように顔を上げ僕の瞳を見つめた。眼鏡の奥の瞳は真っ黒で(サツキは純粋な日本人なんだから当たり前だ)、不意に、その黒さがシイナとだぶる。
「・・・ミチヤ。もう、このプロジェクトから降りたい?」
 唐突に尋ねられた質問に、僕は思わず黙り込んでしまった。

 このプロジェクトから降りる?
 降りるという事は、この生活から解放されるということだ。
 dollの振りをして不自由な思いをすることもなくなる。
 また、この研究所にもどって、気ままな生活が出来る。
 けれども、もしかしたら、二度とシイナに会えないかもしれない。
 そう。
 もう、二度と。

 そう思ったら、今まで自分が経験をしたことの無いほどの違和感と、抵抗が襲ってきた。
 そんなのは、絶対に嫌だ、と思った。
 嫌だ。
 何が?
 シイナと会えなくなる事が。

 僕は、反射的に、
「そんなのは、嫌だ。こんな中途半端な状態で降りるなんて絶対に。それに、それに、降りたらシイナに会えなくなる。それが一番嫌だ」
と半ば叫ぶように答えていた。
 その時、僕は自覚していなかったけれど、サツキにははっきりと分かっていたのだろう。僕がここまで感情に突き動かされ、まるで小さな子供のような我侭を言ったのが『初めて』だったという事に。
 サツキは驚いたように目を大きく見開いて、それからうなだれたように俯き額に手を当てた。
「・・・そうね。ええ、そうね。じゃあ。じゃあ、dollの役を降りて、本当のことをシイナ君に話すなら構わない?」
「本当のことを話す?」
「そうよ。ミチヤがdollなんかじゃなくて、本当の人間だって。それから。それから、もう一度、友人としてやり直すってのはダメ?」
 サツキがこんなに焦って、慌てたように何かを言っているというのに、僕は自分自身頭に血が上っていたせいで、ちっともおかしいと思わなかった。いつもの僕だったなら、きっと不審に思ったはずなのに。
「・・・それで、それで大丈夫なの? シイナは騙されたって怒らない? 本当に、僕達は『友達』になんてなれるの?」
「もちろん、すぐには無理よ。でも、絶対にシイナ君がミチヤに腹を立てたりしないように説明するから。だから、このプロジェクトは中止にする。それで良いわね?」
 強い調子で言われて、僕は反論できなくなってしまう。プロジェクトを急に止めようと言い出したサツキの真意を図りかねたが、それを尋ねるのは憚られるような緊迫感がサツキにはあった。
「・・・じゃあ、じゃあ、それで良いよ」
 渋々、僕が頷くと、サツキは心底ほっとしたように、肩の力を抜いた。




 結局、頷いてしまったけれど、僕は不安を拭いきる事が出来なかった。
 サツキがシイナに「言葉がしゃべれるようになったらdollは本当の人間と変わらなくなる、『他人』と一緒にいられるのか」と尋ねていた事を思い出す。
 過去に起きた事件のトラウマで、他人と接触することに恐怖を感じているシイナが、僕が本当は人間だったと知って、今までのように接してくれるのだろうか?
 もし、シイナに拒絶されたら。
 そう考えたら、とても不安で落ち着かない。


 そんな気分を抱えたまま、次の日、僕は結局シイナと再会することになったのだった。





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