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scientific essence - 3 …………
 シイナの家で過ごした最初の一週間は地獄だった。そりゃ、もう、山寺に篭って荒行に励む修行僧のように。煩悩を追い払う修行をさせられているのかと僕は思ったね。
 シイナは料理が上手い。しかも、よりによって和食が得意だなんて、何の嫌がらせだ、としか言い様がない。
 だって、目の前にだよ? 揚げたての天婦羅だとか、焼きたての塩魚だとか、炊き立ての白いご飯を並べ立てられるんだ。そして、当然、僕はそれを食べられない。食べられないと分かっていながらシイナは僕の目の前に僕の分の料理を並べる。
「食べられないのは分かっているんだけど、自分の分だけ作るのは何となく気が引けるから。一緒にご飯を食べる真似事だけさせてね」
 と、少しだけ淋しく笑う。そして、手を付けられることなく冷めてしまった料理をあろうことか、悲しそうに捨てるのだ! オーマイガッ! 
 何度、夜中にゴミ箱を漁ろうかと思ったことか・・・。
 僕だって、シイナの料理を食べたいよ! 手際を見てれば、シイナの料理が美味いだろう事は容易に想像つくし、見た目も匂いも一級料亭並み。そんな料理、食べたくない訳無いじゃないか! ご飯が一升食べられるよ! 
 しかも、料理を処分するときのシイナの悲しそうな顔。
 僕がさせてる訳じゃない。シイナが僕の料理を作るのがそもそも原因なんだ。シイナの自虐的行為が悪いんだ。と、思っていても胸が痛む。僕が悲しませているような気分になってしまう。
 頼むから、その黒くて大きな目をウルウルさせながら物言いたげに僕を見つめるのはやめてくれ。胸の中がざわざわして困るんだ・・・。だいたい、そんな子供みたいな顔してるくせに、シイナは変に艶っぽい。
 そんなこんなで、様々な煩悩と格闘しているうちに最初の一週間は過ぎてしまった。いや、一応、仕事もきちんとしてたんだよ? でも、別段、シイナはコレと言っておかしな様子を見せないんだ。ホントに精神障害を抱えているのかなって感じ。多感な思春期に凄惨な体験をすると大抵は精神的な障害を受ける。例えば、酷い事故現場に遭遇するとか、目の前で殺人事件を見てしまうとかした子供が、夜眠られなくなったり、悪夢にうなされたり、酷い場合は不安神経症とかパニック障害を起こすのは良くある事例だ。でも、シイナにはその兆候が見られない。夜、うなされているのも見たことが無い。
 シイナが凄惨なテロ事件に遭遇したのは確か二年前だから、二年の間にメンタルケアは完了したのだろうか。でも、そんな短期間で完治するってのは聞いた事が無い。少なくともサツキが扱っている事例には無い。まあ、もともとサツキが扱うのは重度の患者だから比較的、治療に長時間を要するんだけど。
 いずれにしても、精神的なダメージがどのくらい大きいかによって多少の差はあるものの、心の傷の治療は体の傷の治療よりも時間が掛かってしまう傾向にある。
 僕から見たシイナは、少し子供っぽいところがあって、世間知らずな感じはするけれど、健全な少年だった。精神を病んでいるようには見えない。だから、観察記録を付けていても特筆する点は無く、拍子抜けしている位だった。
 けれども、それは僕の浅はかな考えだった。病巣が深ければ深いほどその症状は表面化しにくい。そのことを僕はすっかり忘れていたのだ。


 見慣れた研究所の中を、シイナに手を引かれながら歩く。勝手知ったる僕の庭、とは言わないけれど、目をつぶってたって歩ける位には馴染んでいる。もう三年以上もこの場所に軟禁されてたんだから。いや、別にサツキは外に出るなとは言わなかったんだけど。一応、保護観察の身だから自主的に謹慎してた訳です。正直言って、ここに連れて来られた直後は何をする気にもならなかったし、全てがどうでも良かったから、ひたすら与えられた部屋に閉じこもっていた。そんな僕を根気良く引っ張り出して、色んな刺激を与えて、今くらい普通に生活できるようにしてくれたのはサツキと周防さんだ。普段は何とも思ってなかったのに、こんな風に初めて一週間も研究所を離れていると妙に感慨深い。もしかして、僕、ホームシックに掛かってた? 変なの。ここは『僕の家』なんかじゃないのに。
「・・・えっとね、この先の三つ目の通路を左に曲がるんだ。ここ、広いから分かり辛いね」
 道に迷うのが不安なのか、少し緊張した顔でシイナが言った。僕の手を強くぎゅっと握り締めているのは、僕が迷子になると思ってるから? 子供じゃないってのにさ。それよりも、何でこんな遠回りするんだろう。正面玄関から入って大ホールを突っ切って行った方が、サツキの研究室にはずっと近い。
「あ・・こ、ここだね・・・は・・・入ろうか?」
 ぎこちなくシイナが告げ、そこで僕は違和感に首を傾げた。シイナの手は小刻みに震えていて、手のひらにはしっとりと汗をかいている。顔色も悪く、ただでさえ白い顔が更に白くなって、まるで紙みたいだった。どうしたんだろう? 具合でも悪いんだろうか、と、内心、心配していたけど、そんな僕の事など気が付きもせずに、シイナはノックをして部屋の中に足を踏み入れた。
 見慣れた、僕が良く入り浸っていた研究室。
 一週間経ったけど、何も変わっていない。ふわっと押し寄せた独特の消毒薬のにおいがなぜか懐かしく感じた。
「あの・・・片桐先生いらっしゃいますか?」
「・・・ああ? ああ、シイナ君?」
 奥から顔を出したのは、相変わらずのボサボサ頭にビン底眼鏡の周防さん。シイナは、周防さんの顔を見た途端、表情をぱっと明るくした。
「周防先生」
「どうしたんだい?」
「あ、あの、この子。片桐先生に借りてる『ミチヤ』って言うdollなんですけど。初期メンテナンスで」
 周防さんは、僕の顔をチラッと見て、ああ、と真面目な顔で頷いた。周防さんも、今回の治療計画兼研究の共同研究者になっているから、事情は全部知っている。だから、もっともらしい顔で演技してるけど、僕は思わず噴出しそうになって困ってしまった。
「サツキ、今、医局に呼び出されてるんだよ。すぐ戻ってくると思うからコーヒーでもどうぞ」
 そう言って、周防さんはインスタントコーヒーをシイナに差し出した。もちろん僕にはありません。
「dollとの生活はどんな感じ?」
 僕達が座っているソファーの前に椅子を持ってきて、そこに腰掛けながら周防さんが尋ねる。む。早速チェックが入るのか? 
「あ、ええと、はい。楽しいです・・・・でも・・・」
「でも?」
「何か、思ってたのと違って・・・」
「違うって? どういう風に?」
「dollってもっと無機質的と言うか、本当に人形みたいなんだと思ってたんです。でも、ミチヤはすごく人間っぽいって言うか・・・言葉はしゃべれないけど、表情が凄く豊かで仕草や動作も人間そのものだから、本当にヒトと暮らしてるみたい」
 シイナがいつもよりも早口でそう話すと周防さんは少し上の方に視線をやって、顎に手を当てながらふーんと相槌を打った。何かを考えているような様子だけれど、その眼鏡の奥に渦巻く思考を僕には読み取ることは出来ない。
「・・・まあ、人形と同じだったら本物の人形を置いておけば良いことだからね。一緒にいて寂しさがまぎれたり、癒されたりしなければ高い価値があるとは言えないよ」
「・・・そうですね。でも、本当に科学の力ってすごいと思います。殆ど本物の人間一人を創り出しているようなものですからね」
 いや、本物の人間なんですけど・・・シイナが鈍くて本当に良かったよ・・・。チラリとシイナを横目で盗み見たら、シイナは急にふふふと楽しそうに笑い出した。何か、思い出し笑いをしているみたい。
「でも、本当に人間らしいですよね? 僕がご飯を食べていると、物凄く悲しそうな、食べたそうな顔をするんですよ?」
 と、楽しげに言われて、僕はゲッと冷や汗をかいた。周防さんは、へえ、とニヤニヤ笑いながら僕を見ている。 お願いだからサツキには言わないで! と思ってたら。
「御免なさいね、シイナ君。実は、ミチヤは欠陥品なのよ。だから、安価で譲ってもらえたんだけど。脳の中枢のシステムに異常があるから、食欲が異常って言うか、食い意地がはってるのよ」
 ・・・後ろからにこやかなサツキの声が・・・。そして、シイナの見えないところでこっそり、ぎゅっと腕を抓られた。痛ぇ! 叫んでしまったらどうするつもりだよ! 
「え? そうなんですか? 物が食べられないのに、食欲はあるってこと?」
「そうなの。可哀想でしょう?」
「ええ・・・そこ、直してあげられないんですか?」
「出来るわよ? シイナ君が要求してくれれば」
「そんな要求をしても良いんですか?」
「ええ。その為のモニターですもの」
 もにたー? 何の話だ? 治療の為に僕はシイナの所に送り込まれたはずだろ? 
「じゃあ、ミチヤが食事を出来るようにしてもらえますか? 一緒にご飯が食べられないのは寂しかったんです」
「うん。じゃあ、そこを改善しようか。ユーザーの意見は貴重だからね」
 周防さんが横から口を出してニコニコ笑っている。一体何の話? どういう経緯でシイナのトコにdollが行く事になってた訳? 訝しげな表情でサツキを見上げたら、サツキはプイっとよそっちょを向いて僕の視線の訴えを無視した。・・・何か企んでるんじゃないだろうな・・・。
「それじゃ、その改善と初期メンテナンスに三日ほどもらえるかしら?」
 サツキがそう言うとシイナは、え・・・? と不安げな表情で僕を見つめ、それから寂しそうに笑った。
「分かりました・・・・。ミチヤと離れるのは寂しいけど・・・我慢します」
 なんて、メチャクチャ可愛いことを言う。なんか、胸の奥がむずむずする。シイナを抱きしめたいような気分になってしまって、僕はあせった。何だ? 何なんだ、この感情は。
「ええ、三日後には一緒に食事ができるようになるから、我慢してね」
「はい」
 サツキが妙に愛想良くシイナに笑いかける。なんだ、その余所行きの顔は。そう言えば周防さんもシイナに対してはいつもより態度が穏やかな気がする。僕に対してはみんなぞんざいな扱いをするくせに・・・。
 僕が内心拗ねているとシイナは、それじゃあミチヤをお願いしますと言って席を立とうとした。その時だった。
「片桐先生! ベゲタミンの調合サンプルが見当たらないんですけど!」
 助手の橋本ケイジさんが勢い良く研究室に入ってきた。ケイジさんはまだ二十代でどっちかって言うと陽気で勢いが良いタイプだから、いつもこんな風に無遠慮に部屋に入ってきたりする。僕もサツキも、周防さんもそんなのは慣れっこだったから大して驚かなかったけど、シイナは物凄く驚いたみたいだった。一瞬、飛び上がるんじゃないかと思うほどビクッとして、それから、爪が食い込むほど僕の腕をぎゅっと掴んだ。掴んだ、と言うよりも掴まったと言った方が的確かもしれない。
 サツキはらしくなく慌てた様子で振り返り、
「ちょっ・・・ノックしないで入ってこないで!」
 と、キツイ口調でケイジさんを注意する。でもケイジさんは、いつもはそんな事は気にしないサツキにキョトンとしただけで、すぐにあっけらかんとした表情で、
「あーすんません。で、ベゲタミン・・・・あ。お客さんだったんスね。うわ、何スか。可愛い男の子ッスね。男の子版の京人形みたい。こんちわ」
 と言ってシイナに軽く会釈した。けれども、シイナは返事をしない。え? と思ってシイナを見たときには、シイナの顔は蒼白で、見た目に分かるほどガタガタと震えていた。僕の腕を掴む手の力はますます強くなって、まるで縋っているみたいだった。
「あれ? 大丈夫? 君、顔が真っ青だよ・・・?」
 同じようにシイナの変化に気が付いたケイジさんが近づいて来て、シイナの肩に触れた瞬間。
「ケイジ、無闇に触っちゃダメ!」
 とサツキが叫んだのと、シイナが気を失ったのは同時だった。





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