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scientific essence - 2 …………
 ガタンと音を立てて蓋が開けられる。アクリルガラス製のケースの中に別の空気が入り込んできた。ふわりと鼻腔をくすぐる匂いは何だろう。緑の香りに近い。グリーンノートのコロンかな。いや、でも、コロンというより本物の植物の匂いのような気もする。
 周りを確認したいのは山々だが、まだ目を開いてはいけない。起動の合図は? 
「・・・ええと? 一番最初に起動する為には名前を呼びかけてあげてください」
 そう。だから、早く名前を読んでくれ。寝てる振りもそろそろ限界だ。
「ええと・・・どこに名前が書いてあるんだろ?」
 保証書と一緒に渡されたプライオリティカードに書いてあるんだって。
「あ、これだ」
 そう、それだ。早く呼んでくれ。目黒シイナ君? 君、随分、口調が子供っぽいね? 声も少し高めなカンジ。
「ええと・・・・『ミチヤ』?」
 どうもありがとう。やっと目を開けることが出来るよ。ゆっくりと目を開ける。慣れない明るさに少し目が辛かったけど、何とか誤魔化して開けた。視界に飛び込んできたのは目黒シイナの戸惑ったような顔。真っ黒な髪の毛に大きな黒曜石みたいな目。うわ、ホントでかい目。コイツ、写真写り、もしかしてメチャクチャ悪い? 写真より、すっごく綺麗って言うか、可愛いって言うか。でも、17歳に見えないのは写真と一緒だ。まあ、もともと日本人って幼く見えるって言うけど。
 僕とは質の違う白い肌。黄色人種の色白って、何か違うんだよな。象牙みたい。でも、頬っぺたが赤く染まってる。ちょっと興奮してるみたいだ。唇も紅いね? 下唇がぽってりしてるのって、愛情を沢山注いでもらえる人相だって聞いたことある。
「えっと。『こんにちは』?」
 マニュアルに時々目を落としながら『シイナ』は挨拶した。そうそう、順調、順調。その言葉で僕はにっこり笑ってやれば良い。
 僕が笑ってやるとシイナは、はっと息を呑んで、更に頬を赤くした。
「わあ・・・こんな綺麗なのが来るとは思わなかった。凄いなあ。フランス人形みたい・・・でも髪の毛はちょっと色が薄めだよね? プラチナブロンドって言うのかなあ。どっちかって言うと北欧系なのかな」
 惜しいね。ロシアだよ。北ってのは当たってるけどね。
 シイナは更に僕を検分している。ずずいっと顔を近づけて僕の目をじっと見つめた。
 本当に真っ黒だな、コイツの目。あんまり黒くて引きずり込まれそうになる。何か潤んでるのって元々? それとも興奮してるせい? どっちにしても何だか見ていると落ち着かなくなってしまう目だ。
「目はブルーグレーなんだ。凄いなあ、綺麗だなあ」
 そりゃどうも。でも、シイナの目も綺麗だと思うよ。
「天使みたいだ」
 うん、良く言われる。でも中身は悪魔だって言われるけどね。でもさ、雰囲気から言ったらシイナの方が天使っぽくない? 穢れを知らない赤ん坊みたいな印象受けるんですけど。君、本当にそれで17歳? 履歴詐称してない? 
「『soulful doll』って誰にも好かれるような外見だって聞いたけど、本当だったんだ。僕は目黒シイナ。よろしくね」
 あどけない子供みたいな笑顔を向けて、シイナは僕に手を差し出した。『握手』はインプットされてる筈だから、手を握り返しても問題ナシ。
 わ。スベスベの手だ、触り心地が良い。僕は時々有機物質使って実験したりするから手が荒れてるんだけど、バレないかな、大丈夫かな。大丈夫みたいだな。結構、鈍感そうだし。
「ええと。言葉はしゃべらないんだよね? 確か?」
 はい、そうです。『soulful doll』は声帯器官が一切与えられていないので話せません。残念でした。『soulful doll』のコンセプトの一つに『絶対にクライアントを傷つけない。癒し慰めるだけの存在』って言うのがあるからね。
 人間ってのは、どうしたって、言葉をしゃべると行き違いが出てきてしまう。その結果、ヒトを傷つける。だから、言葉はしゃべれないようにしてあるそうな。要するに、犬猫と同じようなペットか、もしくは観葉植物と同じだと思った方が良い訳だね。
「でも、こっちが話していることはちゃんと理解できてるんだよね? 凄いなあ・・・」
 そう言いながらニコニコと笑いかけてくる顔は本当に無邪気であどけない。いけない。何だか背後に白い羽が見えてきたような気がする。あまりの邪気の無さに僕の頭までやられてきたらしい。
「ええと。これから、よろしくお願いします」
 ペコリと小さくお辞儀されて、反射的に僕も頭を下げてしまった。ヤベ。お辞儀って初期動作に含まれてたっけ? ま、いっか。基本的に全ての行動は学習動作に含まれていたはずだから。今、学習したって事で。
「取り合えず、その箱から出ようか? 窮屈そうだ」
 察しの良い人間は好きだな。ずっと窮屈で死にそうだった。手を引かれている振りをしてようやくガラスの棺桶から出た。ゆっくりと周りを見回して観察してみたけどコレといって変わったところは見られない。典型的な一人暮らしのシステムルームだな。ちょっと高級な設備だけど。でも今回のクライアントは金持ちだから、これくらいの設備は質素すぎる位なのかも。
 少し変わったところといえば一人暮らしにしては部屋が広めなことと、観葉植物が多めなことと、部屋の一角に何やら実験器具のようなものが並べられていること。目黒シイナは、大学課程を修了してて、専攻はバイオテクノロジーで主に植物が研究対象。多分、全て研究の道具なんだろう。
「アレ? 僕より背が高いんだね。・・・何かショックだなあ・・・」
 隣に並んで部屋の中を歩きながらシイナがぼやく。・・・ホントだ。僕の方がちょっとだけ背が高い。
「希望年齢は12歳って言ったんだけどなあ・・・もうちょっと大人なのが来ちゃったんだ・・・」
 サツキ・・・僕が12歳ってのはかなり無理があると思うぞ。相変わらず、無茶をやる女だな。
「でも、凄く高かったし返品するのも可哀想だし。君も凄く綺麗だから、それくらい良いや」
 そう言いながら、また、シイナは無邪気に笑う。なんだろう。シイナの笑顔は妙に心臓に悪い。あんまり、無防備すぎるからか? でも、ペットや観葉植物を警戒する奴なんていないから、これは普通なのだろう。
「はい。ここに座って。お茶を入れるから。・・・食べ物は確かダメなんだよね」
 そうです。それが一番の苦行なんだよ。うう・・・ツライ。
 顔には出さずに、僕は心の中でだけ苦虫を噛み潰す。表情はつんと澄ましたままダイニングキッチンのカウンターに腰を下ろした。
「緑茶なんだけど大丈夫かなあ・・・しかも抹茶入りとかなんだけど・・・・。この外見に日本茶って変かなあ」
 おお! 素晴らしい! ビバ日本茶! 僕は宇治茶もほうじ茶も玄米茶も果ては麦茶まで好きだ! 是非、日本茶で! 抹茶入りなんてゴージャス! 
「コーヒーの方が良いのかなあ・・・」
 いや、日本茶! 日本茶にしてください! 僕の中のヤマトの血がそう叫んでおります。コーヒーなんて研究所で死ぬほど飲んでるよ。だって、お茶より安いから・・・。
 そんな僕の心の叫びが聞こえたのだろうか。シイナは暫く悩んでいたが、結局、緑茶を入れることに決めたらしい。以心伝心ってこの事? 言葉が無くても気持ちが通じるなんて、君は素晴らしい。実に良いクライアントだ。などと、サツキが聞いたら呆れかえりそうな単純なことを考えていたら、湯飲みに注がれた緑茶が出てきた。この湯飲みは萩焼だね? しかも結構、高級なものだな。高台がきちんと割り高台になっている。シイナの趣味は結構渋い。落ち着いていて、実に僕好みだ。益々素晴らしい。
 そして、このお茶。ほんのりと柔らかく香る抹茶の匂い。一口飲んで、思わず「美味しい!」と叫ばなかった僕を褒めて欲しい。だって、本当に美味しいんだ。お茶って結構入れるの難しいんだよね。緑茶は熱すぎちゃいけないし、かといって温過ぎてもまずくなるし。シイナの入れたお茶は温度も濃さも最適だった。うう・・・和菓子が食いたい・・・・。とか思ってたら、シイナが僕の方に羊羹を差し出してきた。
「食べられないのは知ってるけど、一応、形だけね。おもてなしの形式って事で」
とか何とか言って、可愛く照れてる。何だそれは! 踏み絵か! 踏み絵なのか!? 唾液が急激に分泌されるのを自覚したけど、意地汚く手を出すと全てがバレてしまう・・・食べられない・・・でも食べたい・・・羊羹・・・嗚呼、羊羹・・・。
 そんな僕のがっついた気持ちが表情に表れてしまったのだろうか・・・。シイナは戸惑いがちに、
「あの・・・食べる? どうせ、一週間後に初期メンテナンスだし。ちょっとくらいなら、老廃物処理してもらえば大丈夫だと思うんだけど・・・」
 おお! シイナ! 君は天使だ! と思ったが、ここで手を出したらきっとサツキの鉄拳が飛んでくるに違いない。サツキは、よく僕のことを食い意地が張っているだとか食べ物に対して意地汚いだとか罵るけど、僕がこんなふうに意地汚くなるのは和食に対してだけだ。日本人じゃないくせに変だって周防さんにも言われたけど好きなモンは好きなんだから仕方がない。僕は前世が日本人だったんだと思う。きっと、華道か茶道の家元辺りだったに違いない。って言ったら、サツキは、
「違うわよ。ミチヤの前世は寿司の大食い世界チャンピオンに違いないわ」
とゲラゲラと下品に笑いやがった。
 まあ、ともかく、ここはきちんと仕事を完遂する為にも我慢するべきだと思って、僕はシイナの顔を見上げ、作り笑いを浮かべて、さり気なく羊羹の乗った皿を遠ざけた。頼むから、それをさっさと僕の見えないところに隠してくれ。
 ところが、シイナは僕のそんな葛藤など露知らず。
「この羊羹とっても美味しいんだよ。こしあんなんだけど、小豆はちゃんと十勝産で甘さは控えめだし、近所じゃ有名な老舗の和菓子屋の一日二十本の限定商品なんだ。嫌じゃなければ食べてみて?」
 そんな甘言を口にして、小首を傾げてそれはそれは愛らしく笑ったのだった。


 結論から言うと、僕は誘惑に負けた。
 だって、クライアントが食べろって言ったんだ! あんな笑顔で言われたら拒絶できないじゃないか! 僕のせいじゃない、絶対に僕のせいじゃない! 
 嗚呼、だから、サツキ・・・罰と称して、怪しげな薬を僕に投与して生体実験をするのはやめてください・・・・。



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