scientific essence - 1 ………… |
Scientific Psychology。 人のココロの科学的分析。 全ての事象は原因があって結果が存在する。 何もかもが分析できる因果関係。 ココロもカラダも紐解いてしまえば、全てが原子に帰結する。 科学で解けないものはない。 『人の心はそうじゃないでしょ? 科学じゃ説明できないもの。例えば恋する気持ちとか?』 そうかな。 そんなことは決してない。 恋なんて所詮は脳内分泌物質の結果だろ? ココロの平穏も安息も、ヨロコビもカナシミも全ては科学で解明できる。 『あら? そうかしら? それならアナタがそれを証明してみせてね?』 真っ赤なグロスを乗せた何とも艶っぽい唇が笑ってみせる。 サツキの顔は自信満々。 貴女は確かに天才科学者かもしれないけど、僕の方がIQは上なんだよ? 忘れてない? 「忘れてなんかないわよ、天才少年君。だったら、科学の力で一人の少年を救って頂戴」 そう言ってサツキは一枚の写真を机の上にすっと差し出す。唇に負けず劣らずの真っ赤な爪。研究者にはあるまじき唇の色、爪の色。 研究所のほかの女子職員にはすこぶる評判が悪いが、サツキ自身はどこ吹く風で好きなように自分を飾る。そして好きなように自分の研究に没頭する。 こういう『我が道を行く』な所が僕と似ていて気が合うのだろうか。いずれにしても、サツキは人に口出しさせない代わりに他人にも口出ししない。楽な女だ。 「誰? それ?」 写真に写った少年に目を落としながら僕は首を傾げる。何となく無理難題がふっかけられそうな気配。僕の勘は実に良くあたる。 「目黒シイナ君、17歳。ミチヤの二つ上ね」 いや、僕が聞いているのはそう言う事じゃなくて。ってか、コイツ、これで年上? 僕より二つくらい下に見えるけど? いや、写真が古いだけかもしれない。 いやいや、だから、そんな事はどうでも良くて。 「それって仕事?」 「もちろん。正真正銘の立派なお仕事よ。成功したら報酬10万ユーロの大仕事」 「10万ユーロ!? 何、それ。どこの坊ちゃんだよ」 「石油王の息子」 「ウソ!」 「ってのは冗談で、某貿易会社のご子息。拠点がフランスの会社だから払いはユーロでって話だけど、クライアント自体は日本人だから安心して頂戴」 いや、写真を見れば日本人だってのは分かるけどさ。 「どんなヤツ?」 「そうねえ。箱入り娘って感じ。あ、ちなみに大学課程まで修了してるから。15で卒業だからミチヤには負けるけど」 全ての教育がフリーエージェンシー化しているこの世の中で、15で大学課程修了なんてそれ程珍しくもない。100年前の世の中ならともかく。 まあ、ちょっと早いから、ちょっと頭が良いかな、位だ。 「専攻はバイオテクノロジー。二酸化炭素を通常の100倍吸収して、光合成により100倍の酸素を放出する環境に優しい観葉植物の研究をしていたらしいわよ。ま、そのせいでこんな災難にあったって訳だけど」 「ふうん。で、境遇は?」 「二年前のアテネ国際空港でのテロ事件覚えてる?」 「ああ。5人のテロリストがライフル乱射、32人が死亡、121人が重軽傷。ってヤツ?」 「ええ。あの場所に居合わせていて、目の前で母親が頭をズドン」 「あら、まあ」 「後遺症で苦しんでいる人も未だに多いらしいわよ。酷い惨状だったから」 「で? 彼もその一人?」 「そう。しかも、その後、拉致監禁が三ヶ月ほど」 「うわ、悲惨。でも、なんで子供が拉致監禁?」 「人の話はきちんと聞くものよ。そこがアナタの欠点ね。彼の研究成果を狙った悪質な企業が行ったの。空港で拉致して脅迫するつもりだったらしいけど、タイミング良くというか悪くというか、例の事件が起こったって訳」 「ふうん。騒ぎに乗じて連れ去ったって事ね」 「そ。で、これが治療計画書。こっちがマニュアル」 そう言って、サツキはバサリと分厚い書類を二冊、僕の目の前に放り出した。どこに隠してたんだよ、こんな分厚いヤツ。 「・・・・治療計画書はわかったんだけどさ・・・・・こっちは何?」 「『soulful doll』マニュアル」 「・・・・それは書いてあるから分かるけど。それと治療と何の関係が・・・・」 嫌な予感がして僕は思わず身構える。うふふとサツキは楽しそうに笑った。もしかして、もしかすると・・・。 「いやあねえ。私の現在の研究は?」 「・・・・・・動物を用いた心的外傷患者の治療及びその汎用性」 「御名答。そして最新の研究対象は?」 「・・・・・『soulful doll』」 「そうよ。とりあえずアクターズスクールにでも通う?」 楽しそうな笑顔を目の前に、僕は大きな溜息を零す。自分の察しの良さを恨んだところでサツキの決定は変更しないだろう。つまり。つまりだ。 「・・・もしかして、僕が『soulful doll』を演じるって事?」 「大正解。頭の良い子って大スキよ」 チュッと派手な音を立てて僕の頬っぺたにキスをする。グロスが移るだろうに。睨みあげてやったら。 「コレは落ちないグロスなの。新製品よ。なかなか色も良いし」 「・・・フェロモン入り?」 「うふふ・・・ヒミツ」 まあ、そんなもの入っていなくてもサツキに落ちない男なんてそうそういないだろうけどさ。それにしたって、僕が『soulful doll』を演じるなんてね。世も末だよ。 22世紀最初の大発明。観賞用有機生命体『soulful doll』。 見た目は愛らしい少年少女。ご注文とあらば老若男女問わず姿形はオーダーメイドできるけど、やっぱり基本形は子供。まあ、幅はあるけど大体が7,8歳から13,4歳辺りかな。 人間と何ら変わらない外見に、肌の触感、体温、何もかもが本物そっくり。って言うかある意味本物なんだけど。 存在意義はあくまで「鑑賞」。花を愛でる様に美しい少年少女を愛でなさいって? 馬鹿だよね。 「いっそのことダッチにしてしまえば、今の何千倍と儲かったろうに」 「馬鹿ね。自分が苦労して研究して生み出した愛しい存在をそんな風に汚せるわけが無いじゃない」 サツキは訳知り顔で微笑んでるけど、世の中なんてお金でしょ? 数字が全て。何もかもがデータで分析できるんだよ。 「奇麗事言ったってさ、所詮は人間なんて欲望の塊だよ。脱がせてオカズにしてるヤツとか多いんじゃないの?」 「あらあら。未だにセックスしたことも無い童貞君が知った風な事言うのね」 「それとこれとは関係無いじゃないか。第一、こんな軟禁状態でどうやって、誰とセックスしろって言うのさ? サツキが相手をしてくれるの?」 「嫌よ。普通は保護者とはセックスしないものよ」 だなんて、こんな時だけ至極まっとうなこと言っちゃってサ。まあ、もっとも、僕もサツキとセックスしたいって思ったこと無いけどね。すごく不思議なんだけど。 サツキは胸もでかいし、顔つきも色気たっぷりでセックスアピール満点なのに、僕は何でか性的欲求を抱いた事が無い。ってか、僕は今まで誰かとセックスしたいって思ったこと自体無いのだけれど。 「人のココロが科学で分析できるなんてお子様な事言っているからよ。予言してあげる。アナタはその内、誰かに恋をしてセックスしたくてしたくてしょうがなくなるから」 サツキは楽しそうに笑って言うけど、どうだかね。今まで無かったことが、これからあるとは思えない。僕は基本的には経験則派なんだよ。未経験の事は半信半疑。 「ま、そんな事はどうでも良いんだけどサ。僕の仕事は『演技』だけ?」 「基本的には。忠実に演じてもらう事と日々の観察日記を付けて貰う事。微々たる変化ももらさないで? 内面の繊細な変化を読み取るにはそれしかないの」 途端に真剣な顔。仕事の話をするときはサツキは「科学者」の顔になる。こう言う所がスキなんだ。 「了解」 僕は『soulful doll』のマニュアルを手に取る。ざっと300ページって所? どんなに難解なマニュアルだって僕に掛かればお手のモノ。一回読んで覚えられないものはない。さして難しい特技がある訳でもない『soulful doll』の真似なんて論理演算より簡単だね。 なになに? ---繊細な生き物ですので、乱暴な取り扱いはおやめください。外部からの激しい衝撃を与えた場合、生命の保証は致しません。 ---毎日熱心に話し掛けてあげてください。dollは口を利きませんが感情が備わっています。寂しさを感知すると不調を訴えますのでくれぐれもご注意ください。 ---ユーザーの感情にシンクロしやすい仕様となっております。感情が激しく高ぶっている時には深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから接するようお願いします。 ---一日に二度、日光浴をさせて下さい。生命保持に必要なエネルギーは適度な日光浴と十分な水分の補給で賄えます。 バラバラと基本仕様の部分を読んでいて僕はふと手を止めた。 「・・・尚、dollが好んで口にするものは紅茶、日本茶などのお茶類です。食物は与えないで下さい?」 「そうよ。『soulful doll』は体内に半永久循環システムを内蔵しているから食事をしなくても生命を維持できるの。逆に余計なものを摂取すると老廃物が溜まって不調をきたすわ。はい。コレ」 そう言ってサツキが差し出したのはタブレットの詰め合わせ。 とっても、とっても嫌な予感・・・。 「何、これ?」 「サプリメント。全ての栄養はそれで補えるから。クライアントの目を盗んで飲んで頂戴。問題はトイレの方なのよね」 「・・・ちょっと待ってよ・・・食べちゃダメなの?」 「ダメよ。マニュアルにも書いてあるじゃない」 「死ぬ! 絶対死ぬ! 寿司が食えないなんて! 天ぷら! ラーメン!」 「あら。大丈夫。このサプリメント、お寿司味だから」 にっこり笑ってサツキは悪魔の一言を告げた。 嗚呼、神様、僕が一体何をした。 ほんのちょっと世界銀行のシステムに侵入して、ほんのちょっとデータを改竄して、ほんのちょっと世間を混乱させて、世界恐慌を起こしかけただけじゃないか。 「それにしても、ミチヤは本当に日本フリークね。その外見で寿司とか天ぷらとか叫ぶと奇妙な感じ」 「なんだよ。サツキは自国の文化を尊ばないのか? 食は文化そのものだ。おお、寿司! 何と素晴らしい食べ物! 日本食は芸術だ! 文化だ! 黄金の国ジパング!」 「はいはいはい。このカルチャーボーダレスの時代にそこまで入れ込んでくれるのはあり難いけど。今回は我慢して頂戴」 「ううう・・・」 「アナタは私に逆らえないのよ?」 「・・・分かってるよ・・・僕だってクッサイ独房の中で死ぬまで過ごすよりはサツキの手伝いをしてる方がずっとマシだ」 世界裁判所で懲役二百数十年をくらった僕を救い出してくれたのはサツキだ。だから、僕はサツキには逆らえない。祖国から連れ出して、この国に連れて来てくれたのも、『ミチヤ』という日本名を与えてくれたのも、僕の頭脳を遺憾なく発揮させるために研究を手伝わせているのも全部サツキ。 「それで? 何時から『仕事』に入るの?」 「三日後」 ディスプレイに目を移しながら、サツキは至極あっさりと答えた。 ・・・・三日で準備しろって? 「人使い荒すぎ」 「あら? 三日もあれば十分でしょ? 私はミチヤの能力を過小評価したりしないの」 そりゃどうも。つまりは人使いが荒いって事だろ。 そうして三日後、僕の目の前に差し出されたのはアクリルガラス製の棺桶。 「棺桶じゃないわよ。パッケージよ、パッケージ」 「似たようなモンじゃないか。まさかコレに入れって言うんじゃないよね?」 「あら、言うわよ? 『soulful doll』はこうやってパッキングされて配送されるんですもの。リアリティが大事よ、リアリティが」 眼鏡を上げながら、もっともらしい事を言っているけど、僕は知ってるぞ。ストレスが溜まるとそうやって僕を虐めて発散してるんだ。一昨日、所長とやりあったって知ってるんだからな。その上、周防さんとも喧嘩したんだろ。あ。周防さんってのはサツキの恋人。ちょっとぼさっとしてるけど、実績はかなりすごいらしい研究者です。身なりを気にしてない人で、いつも寝癖の付いた髪に、クシャクシャのシャツと白衣。ちょっと変人っぽく見えるけど、厚ぼったい眼鏡の奥の目はとても優しいことを僕は知っている。 見た目、かなーり派手なサツキと並んでるとメチャクチャ違和感あるけど、実はサツキの方が惚れ込んでるんだよね。ホント、見た目じゃなくてノーミソに惚れる女だよ。 「ミチヤの方の準備は大丈夫でしょうね?」 「誰に言ってるの? マニュアルも治療計画書も丸々暗記してるよ。何だったら、ページを指定してもらえれば、諳んじてやるけど?」 「結構よ。ミチヤの頭脳の素晴らしさは私が一番良く分かっているもの」 そういって、にっこり笑うとサツキは僕の体を引き寄せた。僕の方が、ほんの少しだけ背が高い。出会った頃は僕の方がずっとずっと背が低かったのにね。 「すっかり大きくなっちゃったのね。何だか、感慨深いわ」 「そりゃ、歳取った証拠だ」 ほんのちょっとした仕返しに憎まれ口を叩いてやったら、頬っぺたをぎゅっと抓られた。痛いって。 「ミチヤが外に出るのは何度目?」 「? 初めてだよ? そんなのサツキが一番知ってるじゃないか」 「ええ、そうよ。だから、可愛い息子を心配して不安になるのは当たり前でしょう?」 そりゃ驚きだ。そんな素振りちっとも見せなかったくせに。 「照れくさいからに決まってるじゃない」 はあ。そんなモンなんだ。マッドサイエンティストにもそんな普通の感覚があったのか。 「でも、雛鳥はいつかは巣立っていかなくてはならないものよ。これはミチヤの初めての第一歩ね」 「そんな大袈裟なものじゃないだろ? 第一仕事だし」 僕が不思議そうに尋ねたら、サツキはふふふと奇妙な笑いを浮かべて僕の体をもう一度ぎゅっと抱きしめた。女の人の体って暖かくて柔らかくて何だか気持ちが良い。抱かれたことなど一度も無いはずなのに、『母親』という言葉を思い描いてしまう。 「いってらっしゃい。そして、素敵なものを見つけていらっしゃい」 そう言ってサツキは僕の額にキスをした。それから、『棺桶』の中に僕を促す。僕は渋々その中に横たわると静かに目を閉じた。 次に目を覚ました時。 目の前には『クライアント』が立っている。 |