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不確定Q&AG …………………
Q8.追われる方と追う方、有利なのは追う方? ○か×か。





「止んだ?」
「ダメ。かえって降りが酷くなってきた。もしかしたら、電車止まるかもな」
 窓際に張り付いて、外の景色を眺めたまま奏は郁人に返事をした。夕方から振り出した雪は収まるどころか、勢いを増すばかりだ。ヒラヒラと大き目の雪が降り積もっていく景色はホワイトクリスマスを演出するには願ったりかもしれないが、今の奏には閉塞感を与えるだけで全く持ってありがたくはなかった。
「梓さん、大丈夫かな」
「車だし。電車止まっても問題ないだろ」
「でも、タイヤ、ノーマルだろ?」
「うん、まあ、でもスピード落として帰ってくれば大丈夫だって。それより、お茶入ったけど?」
 促されて、仕方なく奏は窓辺から離れる。
 居心地の悪さを誤魔化す為に窓に張り付いていたが、いつまでもそうしていられるわけもなかった。
 梓と郁人に招かれて、こうして二人の住むマンションに来てはみたが、奏は落ち着かなくて仕方が無い。郁人がいなくなってからは滅多に訪れる事が無かった部屋は、以前来たときとは大分印象が変わっていた。
 人が一人増えたのだから当たり前か、と取り留めの無い事を考えながらソファに腰を下ろす。
 目の前のテーブルの上には小さめのクリスマスケーキとシャンパン、ローストチキン、オードブルが並べられてた。
 クリスマスイブ当日の店は繁盛するが案外、客が引けるのは早い。いつもより一時間近く早く奏は店を上がるように言われて、締めの作業が残っている梓を残して郁人と二人で先にマンションに戻った。しかし、戻ってくる途中で降り出した雪が次第に酷くなり、この辺りでは珍しく路面が真っ白になってしまうくらい積もってしまった。恐らく、今頃はかなりの交通機関が麻痺している事だろう。
「やっぱり一緒に帰って来た方が良かったかも・・・」
 郁人の家で、二人きりになる事が居た堪れなくて奏は苦し紛れに口走る。郁人はチラリと視線を奏に上げて、すぐに気がない風に目を逸らした。
「俺たちが店にいると締めの邪魔になるだけだろ」
 そっけない口調で言い返されて奏は口を噤む。無意識に口元にカップを運ぶと、フワリとカモミールの香りが口の中に広がった。
「紅茶じゃないんだ」
「あー、適当にその辺にあったヤツで入れたから。その香りダメ?」
 外見を裏切るような大雑把なことを言う郁人に奏はふっと緊張感が途切れる。思わず苦笑して肩をすくめた。
「や。大丈夫だけど。何か面白い味」
「もらいモンみたいだけど」
「だろうな。梓さん、コーヒー党だし」
 言いながら、奏が更に一口、お茶を口にすると郁人は複雑そうな表情で、それでも笑って見せた。
「らしいね。昔はお茶も結構飲んでたんだけどな。俺より、奏の方が詳しい」
 そう言って肩をすくめる。
 奏は返す言葉が見つからず、困ったように郁人を見上げた。ふっと郁人の視線とぶつかる。鳶色の瞳は何か言いたげに奏を暫く見詰め、それから不自然に逸らされた。
「腹減ってるなら、先になんか食べてる?」
「・・・いや。まかない食ってきたからそんなに減ってない」
 そう、と相槌を打って郁人は黙り込む。
 そうなると、もう、何もする事は無くなってしまった。
 不意に落ちた沈黙に奏は焦る。
 何か話さなくては、と思いながらも何を話して良いのか分からず、結局、何度もお茶に口をつけることになり、カップはすぐに空になってしまった。
 いつもは、自分から会話を振ってくれる郁人は、今日は酷く寡黙だ。
 沈黙の中に張り詰める奇妙な緊張感が、奏を居た堪れなくさせる。
 二人で何をするでもなく、ただ、テーブルを挟んで向かい合ったまま座っている。この居心地の悪さが嫌いなのだと、無意識のうちに奏は溜息を一つ吐いた。
 降り続ける雪が雑音を吸収してしまっているせいか、辺りは酷く静まり返っている。自分の唾液を飲み込む音や、微かな衣擦れの音にさえ奏は神経質になりながら、俯いて絨毯の目をじっと見詰めた。
 どれだけそうしていただろうか。
 多分、時間にしたら大した長さではなかったのだろう。けれども、奏には酷く長い時間に感じられた時間が過ぎた後、不意に、ふっと笑いを漏らす声が頭上で聞こえた。
「・・・何?」
 つられて見上げれば、郁人が薄笑いを浮かべて奏をじっと見詰めていた。余り、好ましくない類の笑み。奏は反射的に体を強張らせて警戒する。こう言う笑いを浮かべている時の郁人は油断がならない。
「奏、緊張してる」
 他愛の無い口調で郁人は図星をさす。その余裕たっぷりの態度が癪に障るのだと、奏はふいと横を向いて軽く自分の親指を噛んだ。
 奏の見えなくなった場所で郁人はクスクスと楽しそうに笑っている。
 郁人が帰ってきてから、このかた、どうして自分の方が不利な立場に立たされ続けているのだろうかと奏は忌々しく思う。
 告白される前も、されて拒絶した後も。
 穿った打算的な見方をするならば、普通は好かれている方が優位に立つはずなのに郁人はいつも、自分よりも優位に立っている気がする。奏が拒絶した後も余裕の態度を崩さない。
 追い詰めるのが郁人で、追い詰められるのが奏。
 一体、どうしてこんな構図が出来上がってしまったのかと考えてみたが、答えは出なかった。
「・・・別に緊張なんてしてない」
 面白くない気分のまま、半ばやけっぱっちで言い返した言葉は、どこか子供じみている。
「そう? 二人きりで襲われたらどうしようって警戒してるのかと思った」
 見ないよう、考えないようとしている方向へ、いとも容易く郁人は方向を転換する。冗談ならばタチが悪すぎるし、本気ならば手に負えない。
 奏は、カッと顔に血を上らせて郁人の顔を睨みつけた。
「そういう冗談、キライなんだよ」
 刺々しい口調で吐き捨てるように言っても、郁人はケロリとした表情のまま肩を竦めるだけだ。
「冗談じゃないけど? っつーか、奏のそれは態となの? 天然なの?」
 ふっと口元を皮肉げに吊り上げて郁人が尋ね、何のことか分からない奏は訝しげに眉を寄せた。
「何がだよ」
「普通さ、自分がフッた相手のうちには上がらないデショ。しかも、二人きり、とかいう状況は避けると思うんだけどね」
 そう言って見詰めてくる郁人の表情には、どこか仄昏い熱を孕んだ何かが浮かんでいる。奏はそれに気がついて、ひゅっと息を飲み込んだ。
「そ・・・んな事・・・・」
「しかも、二人になったらなったで、凄くピリピリして警戒してるし。普通さ、そういうのって挑発されてんのかなって思われても仕方ないと思わない?」
「そ・・・んな事・・・してな・・・・」
 睨みつけるように見詰めてくる鳶色の瞳は、余りに強くて奏に目を逸らす事を許さない。無意識に奏は尻で後ずさったがすぐに背中がソファにぶつかってそれ以上は逃げられなかった。
「だからさ、そういう事全く分かってなくてやってるのか、それとも分かってて俺の事惑わそうとしてるのか、是非、教えて欲しいんだけどね?」
 そう言って見詰めてくる郁人の瞳は、どこか切迫していて、どうして、余裕があるなどと一瞬でも思ったのだろうかと奏は冷静さを失った頭で考える。ギュッと握り締めている手のひらは、ジンと痺れて感覚が鈍くなっているような気がした。

 刹那的に、響が言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。
(あんまり、郁人、追い詰めるなよ。)

 自分の行動が、郁人を追い詰めていたのだろうかと動揺したまま思い返してみたが、急に、里佳と一緒に行った店で郁人が別の女と歩いていた場面が浮かんで、訳の分からない憤りが湧き上がって来た。
「下らない事ばっか言ってんなよ。フザけんな」
 腹から搾り出すような低い声で奏は反論する。下から上目遣いで郁人の顔を睨み上げた。
「終わった事、蒸し返すな。俺がダメだって言って、友達に戻ったんだろうが。何で、俺が、お前に対してそれ以上の気を使わなくちゃなんないんだよ」
 奏が言い切ると、郁人は少しだけ顎を上げ、奏とは逆に見下ろすように睨み付けてくる。
「友達? 俺は、奏の事、友達だなんて思った事は無いよ? 奏だって思ってないくせによく言うな」
 そう言って小馬鹿にしたように鼻を鳴らした郁人を見て、奏はガタンと立ち上がった。両手の拳を腿の脇でぎゅっと握り締める。その手が小刻みに震えているのは、図星を指されたことに対する動揺のせいなのか、怒りのせいなのか、それとも押し殺そうとしても抑えきれない郁人に対する恐怖のせいなのか奏には判別がつかなかった。
「帰る」
 なるべく、素っ気無く言ったつもりだったが、明らかに声は震えていた。
「逃げんの? 良いよ。どうぞ」
 今度は奏を見上げる形になったまま、郁人は冷たく言い放つと、やはり鼻を鳴らして奏を笑う。そうして、上手に奏の退路を断つのだ。このやり口の巧妙さとずるさを分かっていながら、奏は自分のプライドをへし折れない。
 奏は、暫く、じっと郁人を睨みながらくっと下唇を噛んだが、深々と息を吐き出すと、もう一度、ドサリと腰を下ろした。

 負けた、と思ったが、どうにもならなかった。

 どうして、いつも、こうやって郁人には敵わないのだろうかと悔しさが込み上げてくる。いつもいつも、振り回されるのは自分の方で、惨めな事、この上無かった。
 苛々と爪を噛んで時間が過ぎるのを待つ。
 そんな奏を面白そうに眺めたまま郁人は何も言わず、ただ、時計の音だけが静かな部屋に響き渡っていた。
 相も変わらずの息苦しさに奏は大きく息をつく。早く梓が戻ってこないかと、そればかりを願っていた。けれども、間が悪いというのはこういう事なのか。
 急に電話の音が鳴り響き、奏は驚いて体をビクリと振るわせた。それとは対照的に郁人は、別段、驚いた様子も見せずにそのまま受話器を取る。
「はい・・・ああ、母さん。・・・いや、二人で待ってたところ。・・・え? ・・・ホントに? ・・・ああ、うん・・・いや、それは大丈夫だけど・・・怪我は? ・・・・ああ、そう。・・・分かった。うん。うん」
 深刻そうな表情で相槌を打つ郁人を、奏は不審そうに見詰める。話を続けながら郁人はチラリと奏の顔を見たが、すぐに視線を逸らし、再び会話を続けた。ひとしきり何かを確認してから受話器を置き、カチャン、という音が静か過ぎる部屋に響き渡る。
 その後は、再び静寂が訪れてしまう。それが嫌で、奏は
「何かあった?」
と問うた。
「母さん、事故ったって」
「え・・・マジで?」
「ああ」
「怪我とかしたの?」
「いや。それは大丈夫。雪が積もってたから徐行運転してたらしいし。雪でスリップした車に横から突っ込まれたって。怪我は無かったけど車が相当酷い事になったって」
「うわ・・・最悪」
 奏が眉を顰めると、郁人は面白そうに鼻でふっと笑った。
「保険屋とか警察とかの対応で大変だから、今日は店に泊まるってさ」
「・・・え?」
「どうする? やっぱり帰る?」
 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて郁人は奏を見詰めていた。つまり、今夜は二人きりなのだと暗に示唆されて奏は動揺した。戸惑ったように郁人の顔を見詰め、その鳶色の目の中に潜む真意を汲み取ろうとするが、分からなかった。
 ただ、ぼんやりと郁人の目を見詰めたまま奏は小さく息を吐き出す。それで、自分が無意識のうちに息を潜めていたことに気が付いた。
「・・・帰るって言ったって・・・電車止まってるし・・・・」
 言い訳をするかのように、ボソボソと答えたら、郁人がムッとしたように眉を寄せた。
「二駅だろ。歩いて帰れない距離じゃない」
 歩いて帰れない距離ではないが、歩いて帰れば三十分は掛かる。しかも雪が降っている中だ。普段の郁人ならばそんな薄情な事は言わないだろう。
 奏は、きゅっと手のひらを握り締めて、俯いた。
「・・・帰って欲しいわけ?」
 責める様な口調になってなってしまうのは、なぜなのか。自分の中の何かが制御を失って走り始めているのを奏は薄々と感じてはいたが、それを止める事は出来なかった。
「帰ったほうが奏の為なんじゃないの?」
 ふ、と、どこか諦めたような苦笑を浮かべて答える郁人が奏には切なかった。口では強引な事を言っているくせに、どこか迷っているような郁人に奇妙な苛立ちを覚える。
「何、ソレ? 俺はこんな雪の中帰るのヤダよ」
 つっけんどんに言い返して郁人を睨みつける。鳶色の瞳がゆらゆらと迷いながら揺れて、しまいには観念したかのように伏せられた。
「・・・じゃ、いれば。どうなっても知らないけどな」
 吐き捨てるような言葉に含まれている遣り切れない熱を奏ははっきりと感じ取る。感じ取ったが、不思議と戸惑いは感じなかった。

 郁人はズルイ。
 郁人は卑怯だ。

 ずっとそう思っていたはずなのにいつの間にか逆転している。
 ズルイのは、卑怯なのは、もしかしたら自分の方かもしれないと思いながら、奏は郁人の顔をじっと見詰めた。
 鳶色の瞳がゆらゆらと揺れる。郁人の感情の振り子があちらへ行き、こちらへ戻りしながら激しく揺れている。最後には自分の方に振り切れてしまうだろう。それが分かっているのに態と見詰め続けた。

 近づいてくる熱が、掴まれた腕が、合わされた唇が、奏には全て予測されたものだった。それを分かっていながら奏は目を閉じた。

 明らかな確信犯。

 卑怯なのは自分の方なのかもしれない。
 瞼が落ちる刹那、奏の脳裏に焼きついた郁人の顔は、なぜか泣いているかのように見えた。



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