不確定Q&AD ………………… |
Q5.男女間の友情は成り立つ。○か×か。 「で?カナちゃんはユキと喧嘩しちゃったわけ?」 教室の窓から、どんよりと灰色に曇った空が見える。すっかり枯葉が落ちきってしまった銀杏の枝が木枯らしにくるくると揺れるのも見えた。 嗚呼、まるで自分の気分を表したような空の色だと思いながら奏は仏頂面で眼下に広がる景色を見下ろしていた。 「喧嘩なんかしてねえよ。里佳、うるさい。」 「機嫌悪いなあ、もう。せっかくテストも終わったしデートにでも誘ってあげようと思ったのに。」 中間考査も終わり、すっかり平常モードに戻ってしまった放課後の教室は人影もまばらだ。部活に所属している生徒は何時も通りに活動に精を出しているし、そうでない生徒はバイトに勤しんだり、さっさと帰宅したり、奏と里佳のようにだらだらと教室に居座ったりしている。 「割り勘なら付き合ってやる。」 「うわ!セコ!ってか、付き合ってやるってなによ、やるって。」 「やなら、他の男とすりゃ良いだろ?また、告られたらしいじゃん。サッカー部の主将だって?相変わらず、おいしいとこ持ってくって奈々がブチブチ言ってたぞ。」 「断ったもん。カナちゃんに比べればあんなん、不細工。」 そういう問題ではないだろう、この幼馴染の美的センスには些か問題がある、と奏は呆れたが、あえて忠告はせずに、大仰な溜息を態と吐いて見せるに留めた。 「それよかさー。カナちゃんグレードテストどうだったの?」 「あー。アレ。受かった。」 「そか。そうだよね。そうだとは思ったんだけどさ。・・・・じゃ、今日、アタシお祝いに奢ったげるよ。」 机に腰掛けてだらしなく足を放り投げていた奏のすぐ横に来て、里佳は体を少し屈める。色素の薄い綺麗な髪がサラサラと揺れて奏の肩口をくすぐった。里佳は全体的に色素が薄い。髪の毛も茶色っぽくて、中学時代には脱色しているのではないかと教師に目をつけられたこともあったし、そのコケティッシュな雰囲気のせいで男に嫌な思いをさせられたことも一度や二度ではない。口調もどこか子供っぽくて、それが業とらしい、媚びていると女友達に陰口を叩かれることもあるが、単に里佳は子供のまま育っただけなのだと奏や貴史は知っている。 純粋に奏の合格を喜んでいる、屈託の無い提案。 里佳の素直さは、こうして、時々、奏の塞いだ気分を救ってくれるのだ。 「しょうがねえな。付き合ってやる。」 そう言いながら、財布の中身を思い出す。口では何と言っていようと、女に金を出させるのは男のプライドが許さない。変なところでフェミニストなのは響と一緒だと笑ったのは、やっぱり透だったろうか。 「アタシねー、バイト代出たばっかりでリッチなんだー。何でも好きなもの良いよー。」 「じゃ、回転寿司。」 「はあ?何なの、その色気の無い返事は。」 「じゃ、吉牛。」 「・・・・サイアク。カナちゃんの彼女になった子カワイそう。ああ、カワイそう。」 大袈裟に嘆いてみせる里佳をゲラゲラと笑い飛ばして、奏は勢い良く机から飛び降りる。 「駅前に、この間新しく出来た店。内装がお洒落だってお前言ってただろ?あそこ行こうぜ。」 「え?でも、あそこ、ケーキのお店だよ?」 「俺はコーヒー飲んでるから良いんだよ。」 照れ隠しのようにぶっきらぼうに奏は告げて、鞄を持ってさっさと歩き出す。一瞬、里佳は呆気に取られた表情をして、それからすぐに嬉しそうな表情に変えてその後を追いかけた。奏のこう言う不器用な優しさが好きなのだと、里佳はその後姿を見つめる。面倒くさいから、と言う理由だけで決して色を入れたりしないサラサラの黒髪。けれども、そのままの真っ黒な髪が奏らしい清廉さと潔さを表していて似合っていると思う。少し細身の背中は男にしては若干華奢だが、真っ直ぐにピンと伸びた背筋が少年特有の色っぽさを漂わせていた。 「ウソ。」 「え?」 唐突に後ろから声を掛けられて奏は不思議そうに振り返る。里佳は悪戯な表情でニコニコと笑っていた。 「カナちゃんの彼女になった子、幸せだと思うよ。」 何の衒いも照れもなく素直に告げられた言葉に奏は面食らう。それから、肩をすくめてバーカと里佳を小突いたが、その顔はどこか嬉しそうだった。 二週間ほど前に出来たというその店は、小洒落た内装でしかもケーキが売りというだけはあって、圧倒的に女性客が多い。それでもチラホラと男がいるのは奏と同じく連れの女性に付き合わされているせいらしい。しかも、時間帯のせいなのか、店内にいる客は殆どが高校生だ。様々な制服の学生が所狭しと席を占領している。 「座れるかな?」 「大丈夫だろ?今、客が出てきたばっかりだから、すぐ入ろうぜ。」 店の外から店内を覗き込んで里佳が心配しているのを奏は強引に引っ張り上げて店の中に連れて行こうとする。 店のドアを開くとカラカランとベルの音が開いて、かわいらしい制服を着たウェイトレスがいらっしゃいませ、と、にこやかに対応した。 ふ、と、奏と里佳の視線が一点に集中する。ウェイトレスの方ではない。レジで清算している二人連れの学生だった。ふと、二人のうち金を払っていた男のほうが二人に気がついて驚いたような顔をする。その隣に立つ少女は何事が起こったのかと不思議そうな表情で奏達のほうを見つめた。 「・・・えと。ユキ、デート?」 戸惑いがちに声を掛けたのは里佳だった。ちらちらと奏の方を気にしながら愛想笑いを浮かべてみたが、奏は何か痛いところを我慢しているかのようにぎゅっと口を噤んだまま決して言葉を発しようとはしない。視線すら郁人とは合わせないようにしていた。里佳が困ったように郁人に視線を投げると、郁人は肩をすくめて苦笑する。 「・・・まあ。そっちも?」 「うんー。カナちゃんがね、グレードテスト受かったからそのお祝いでー・・・。」 居心地の悪そうな表情で里佳が言葉尻を濁すと、郁人はふっと表情を緩める。決して自分を見ようとしない奏のほうに視線をやって穏やかに笑いかけた。 「そうか。受かったのか。カナ、おめでとう。」 「・・・どうも。里佳、さっさと入ろうぜ。」 けれども、郁人の笑顔はさっさと無視して奏は里佳の手を半ば強引に引く。名前も知らない郁人の隣に立つ女は確かすぐ近くの女子高の制服を着ていた。顔立ちは少しきつそうだが辛く評価しても美人の部類に入る。 「あれ、ユキの彼女なのかなあ・・・。」 ぼそりと小さな声で里佳が呟く。 「さあな。」 さも興味なさそうに奏は返事をしたが、胸の奥のほうが逆撫でされたように落ち着かず、何とも不愉快な思いが込み上げてくる。 「あの子、美人だったね。」 「別に。里佳のほうが美人だろ。」 つまらなそうに里佳が呟くので、奏は無意識に答えを返した。確かに美人だったかもしれないが、どこかにそれを自覚している傲慢さが現れている。里佳のようなほわほわとした周りを和ませるような雰囲気とは正反対の空気が奏は好きになれないと思った。里佳は、奏の言葉を聴いて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。大きな目を更に見開いて奏を凝視していたが不意に破顔した。 「カナちゃんてさー時々、無意識にタラシだよね。」 「何だよ、ソレ。」 「まんまですー。老若男女問わずタラシ込んじゃうんだよね。タチワル!」 べえっと舌を出してふざけながら里佳は空いている席に腰を下ろす。ささくれ立った気持ちが、もう薄れているのに気が付いて奏は無意識に微笑みながら里佳の茶色味の強いサラサラの髪の毛をくしゃりとかき混ぜた。 「タラシてねえよ。」 それから、照れ隠しに乱暴に椅子を引いてガタンと座る。里佳はフワフワと笑って、それ以上は何も言わずに窓の外にふと視線を移した。 並んで歩いていく二つの背中が次第に小さくなる。つられて奏もその二つの影を見送った。雑踏に溶けていく二人の姿は、多分、すれ違う人には恋人同士のように映るのだろう。もしかしたら自分と里佳もそんな風に見えているのか。 そう考えると、自分と郁人の関係がもうどうしようもないほど離れてしまったかのような喪失感を感じる。自分で望んだはずの関係にどうしてこれほど痛みを感じてしまうのか。奏は無意識に目を伏せた。 少し血の気を失った白い頬に長い睫毛の影が落ちる。痛みをこらえて微かに震えるその睫毛に里佳は気がついた。 「カナちゃん、良いの?」 何が、とは奏は聞かなかった。二人の間に挟まれた木製のテーブルに沈黙が落ちる。窓の外は初冬の黄昏の淡い青灰色に染まっていた。 「何だろう。ユキの隣にカナちゃんが並んでいないの違和感がある。」 物憂げな笑みを浮かべながら里佳が呟く。 「・・・いつまでもおてて繋いで仲良くって訳にはいかないだろ。」 「そう?でも、ユキは子供の頃からそのつもりだったよ。」 「・・・でも、先にいなくなったのは郁人だ。」 ここにいない郁人を責めるような口調で奏は呟く。里佳は複雑な表情を浮かべて奏を見つめた。 「どうして理由を聞いてあげないの?」 「聞いたけど、家の事情だって。詳しいことは言えないって。」 「それだけじゃ、許せないの?カナちゃんの言ってるの、子供の駄々と同じだよ。ユキは12歳だったんだよ。そんな子供に何が出来たって言うの?」 「そうじゃない。」 そうじゃないんだと、奏は首を横に振る。不意に揺さぶられた感情が涙腺を刺激する。涙が溜まっていくのを何とか堪えようと、奏はぎゅっと拳を握り締めた。 自分が傷ついたのはそんな事ではなかったのだ。例え離れ離れになったとしても、郁人の態度が違ったのならば奏はあれほど傷つかなかっただろう。 なぜ、目の前からいなくなることを教えてくれなかったのか。そして、たった一言「別れたくない。」と言ってくれたのなら、きっと奏は馬鹿な飼い犬のようにいつまでも郁人を待っていただろう。 「・・・もう、良いよ。郁人の話はしたくない。」 奏は疲れたように首を振って溜息を一つ落とした。里佳は下唇を噛み締めて、そんな奏を静かに見つめる。「お待たせしました。」と言ってウェイトレスが里佳のお気に入りのケーキを運んできたが、今ばかりは目に入らないようだった。 「・・・カナちゃんが、そんななんだったら、アタシ諦められないよ。」 聞こえるか聞こえないかの小さな声で囁かれた言葉に奏は「え?」と、顔を上げる。里佳は目を逸らすことなく奏の瞳をじっと見つめた。 里佳の色素の薄い目は茶色味が強くて、どこか郁人の瞳に似ている。ただ、柔らかさだけが似ても似つかないのだと奏は常々思っていた。 しかし、今、奏を見つめてくる瞳は真っ直ぐで真摯で容赦が無い。奏は一瞬目の前の少女が本当に里佳なのかと我が目を疑う。 「里佳?」 「カナちゃんはユキが好きなんでしょう?」 はっきりとした口調で告げられた質問は、けれども、語尾が微かに震えていた。奏は言葉に詰まって答えることが出来ない。違うと答えても、そうだと答えても嘘をついているような気がして答えられなかったのだ。 「ユキの隣にはカナちゃん。カナちゃんの隣にはユキ。それしか無いんだと思ってた。だから、アタシじゃダメなんだなって。なのに、どうしてカナちゃんの隣にはユキがいないの?」 穏やかな、ともすればあどけない子供の素朴の疑問のように自然に零れ落ちた言葉は決して奏を責めている口調ではなかったが、責めていないから逆に奏を追い込んだ。里佳の子供っぽさの残る素直な言動の中に、仄かな恋心を感じ取ったことが無かったといえば嘘になる。けれども、奏は居心地の良いこの関係を壊したくなかった。 恋愛感情かと尋ねられれば否と答えるしかない。 けれども、奏は里佳が好きだったし大切に思っていた。友達、と言うにはもっと深い慈しみのような感情。姉のような、妹のような、時には母のような存在だった。 里佳には辛い思いや悲しい思いはさせたくない。泣かせたくも無い。もし誰かが里佳を泣かせたのなら殴りに行く、と思っていた。それなのに、たった今、自分自身が里佳を泣かせようとしている。 「・・・俺は里佳のこと好きだよ。」 慰めようと言葉を捜して、結局見つからず、思わず突いて零れた言葉はそれだった。里佳はじっと奏の目を見つめたまま薄く微笑んだ。 「そんなの知ってるよ。アタシに悪さした男達を片っ端から貴史とシめてくれたのだって知ってた。」 「・・・里佳を泣かす奴は許さないって決めてたからな。」 「アタシもカナちゃんを泣かす奴は許さないよ。例えユキだってぶん殴る。」 勢い込んで里佳が言い募るのを奏は笑いながら聞いた。里佳は何時だって素直で真っ直ぐで純粋だ。傷つくことを恐れて自分を誤魔化したり、逃げたりしない。自分とは正反対だ、と、最近の自分を奏は恥じた。 「郁人のせいじゃないよ。」 「だろうね。最近のはカナちゃんが悪いよ。」 「容赦ないな、里佳は。」 苦笑しながら奏はすっかりさめてしまったコーヒーに口をつける。ぬるい苦さが丁度良い刺激になって、奏はほっと一息ついた。 「あのねー、アタシはカナちゃんのこと好きだけど、別にカナちゃんと結婚できなくても良いのー。」 いつもの子供っぽいしゃべり方で、里佳はふざけた様にえへへと笑った。 「カナちゃんがね、ちゃんとカナちゃんで、笑ってくれてればそれで幸せなんだー。」 そう言って嬉しそうにケーキにスプーンを入れる。 「やっぱり、俺、最近ダメだった?」 「うん。ダメダメー。全然カナちゃんらしくなかった。イジイジしててユキばっかり気にしてて、つまんなかったヨ。」 「そっか。」 痛いところを指摘されて奏は大仰に溜息を一つ突いて背もたれに深く凭れた。 「あ、別に、カナちゃんがユキと出来ちゃってもアタシはカナちゃんのこと好きだし、カナちゃんの味方だからねー。」 「・・・勝手に人をホモにするな。」 「でもー、カナちゃんってば女の子から告白されるより、男の人から告白される方が多かったしー。なんつってもヒメだしー。」 「ヒメ?」 「あ、ヤベ。言っちゃった。」 訝しげな表情で奏が眉を顰めると里佳はスプーンをくわえたまま肩をすくめた。 「怒んないでねー。カナちゃんのあだ名がねーヒメなのー。ほら。一年の時にクラス芸でカナちゃん、かぐや姫やらされたでしょー?ウケ狙いでやったのに、洒落にならないくらいハマっちゃって、それ以来カナちゃん、裏ではヒメーって。あ、でも、そう言ってふざけ始めたのは貴史なんだよ?アタシじゃないからねー。」 いつものノーテンキな口調で里佳は責任転嫁を計る。奏は呆れ果てて里佳には何も言わなかったが、心の中で貴史の顔に大きくばってんを書いた。それから、一遍、貴史には痛い目を見せなくてはならないと心に誓う。 「ね、カナちゃん。」 「ん?」 「梓さんに、聞いてごらんよ。」 「何を?」 「五年前のこと。カナちゃんが怒ってるの分かるけど。ユキはね、ホントにずっとずっとずーっとカナちゃんのことばっか考えてたんだと思う。」 「・・・・何で里佳にそんな事分かるんだよ。」 「だって、アタシ、頼まれたんだもん。」 「・・・誰に?何を?」 「ユキに、カナちゃんを。ってか、何でユキに頼まれなくちゃならないってーの。アタシがカナちゃんを好きだから、カナちゃんを大事にしてるだけだってのにさー。思い出すだけでムカつくー。」 「・・・何だよ?それ。何時の話だよ。」 「んー?五年前。ユキがいなくなる三日目位だったかな?アタシと貴史に向かって、カナちゃんを護ってやってくれってー。その時は、ユキ、何言ってんのかなーって分からなかったんだけど。それからすぐユキがいなくなっちゃって、ああ、このことだったのかなって思った。 詳しい事情は全然聞いたこと無いけど、ユキはユキなりに何か思うところがあったんだと思う。 だからさ。梓さんなら事情とか知ってそうだしさ。一度聞いてみたら?そんでユキと仲直りしなよ。」 「・・・・・・別に喧嘩なんてしてねえよ。」 「ふうん?じゃ、カナちゃんがユキのこと振った?」 突然図星を突かれて奏は思わず黙り込んでしまう。肯定したも同然のその態度を見て里佳は楽しそうにケラケラ笑った。 「カナちゃんってアタシにだけは嘘つけないよね。」 「・・・・ってか、里佳が変なところで鋭すぎるんだよ。普段は鈍いくせに。」 「んー。カナちゃんのことに関してはね。何か分かるんだよね。愛かな?」 「愛だろ。」 即座に奏が肯定すると里佳は更に大きな声でケラケラと笑い出し、奏もつられて思わず笑った。里佳は沈んだ気持ちを吊り上げる天才だと思わず感心しながら。 「里佳って俺のクレーン車なのな。」 「くれーんしゃ?何?何で。」 「秘密。」 口の端を上げて薄く笑いながら奏は肩をすくめて見せた。 「カナちゃんのそう言う所エッチっぽいんだよね。なんかドキッとしちゃう。男の人の前ではやらない方が良いと思うよー?」 半分ふざけて、残りの半分は本気で里佳が注意をすると、奏は、ばーかと苦笑する。里佳もつられたようにクスクスと笑った。 すっかり冷めてしまったコーヒーを取り替えてもらいながら、ふと、奏はさっきの郁人を思い出していた。何事も無かったかのような穏やかな笑顔を自分に向けて、当然のように知らない女と二人並んで去っていった郁人。ほんの数週間前には奏に好きだと告げておいて、突き放した途端にこれかと腹が立った。だが、自分には腹を立てる権利があるのだろうかと妙に冷静に尋ねる自分もいる。 自分の感情と身の処し方を図りかねて奏は無意識に小さな溜息を一つ吐いた。 「・・・俺、どうしたら良いのかな。」 らしくもなく、戸惑った口調でポツリと漏らすと里佳は手にしていたスプーンを置き、奏の顔をじっと見つめた。所在無さそうにカップを弄びながら、黒目がちの瞳は不安に揺れている。こんな表情を見せられたら郁人も堪らないだろうと心の中で同情をしながら、 里佳はふうと溜息を吐いた。 「素直にユキに好きだって言えば良いんだよ?何が難しいの?」 「・・・・好きって・・・色々あるじゃないか。そんな単純じゃないだろ。」 「そうかな?好きは好きでしょ。カナちゃんが難しく考えすぎてるんじゃないの?」 「お前、簡単に言うな・・・・郁人はそれじゃダメだって言うんだよ。」 数週間前の公園での行き違いを思い出して奏は憂鬱な気分に再び舞い戻ってしまう。単純な「好き」ではないから難しいのだと、ゴチャゴチャ考えている、その事自体が既に一つの結論を指し示していたが、古今東西、渦中にいる人間がそれに気が付かないというのは良くある話だった。里佳もそれを知っているから、半ば、馬鹿馬鹿しい気分で椅子の背に深くもたれる。だらしなく、すらりとした綺麗な足を投げ出して大袈裟に息を吐いて見せた。 「じゃ、カナちゃんの好きってどう言う好きなの?」 「どう言うって・・・」 答えに窮して奏がどもる。自分の感情を表現するのはもともと得意ではなかった上に、郁人に対する感情はあまりにデリケート過ぎて扱いかねた。 「自分の気持ちが分からないって言うのアタシも分かるけどー。そういう場合って大抵イロコイ沙汰なんだよね。」 馬鹿馬鹿しい気分をひきずったまま、つっけんどんに里佳が言う。奏は否定したくても否定できずに気まずく口を噤んだ。 「もー。カナちゃんってば、また、そんな顔するしー。襲われても知らないよ?」 「そんな顔って、どんな顔だよ?」 「オトメの顔ー。」 ケラケラと楽しそうに笑って里佳はケーキの最後の一口を名残惜しそうに口に放り込む。崩した姿勢を直して、それから表情も少しだけ改めて、 「とにかく、早くいつものカナちゃんに戻ってね。つまんないんだもん。」 と注意口調で告げた。奏は返事はせずに、軽く肩を竦めるにとどめる。自分でもグズグズと迷い続けて、すっきりしない気分を抱え続けているのは自覚していたが、だからと言って解決方法も見つからない。郁人が原因だと言うことだけは分かっていても、里佳の言うように郁人に好きだと告げれば良いのだとも到底思えなかった。 そもそも、自分は郁人のことが好きなのかどうかもおぼろげだ。未だ、ふっきれないしこりを胸の中に抱えたままで郁人の気持ちを受け入れることなど出来ないし、郁人が言うような「恋人」と言う関係になった事を想像するとやはり、漠然と怖いと思ってしまうのだ。何が胸の中でしこっているのか、何を怖いと思っているのか、心の奥の方では分かっている。さらにその奥に眠っている郁人に対する感情も。 分かっているのに目をそむけている。見たくないものや認めたくないものが余りにも沢山転がっているせいだ。 ふと窓の外に視線を移すと、辺りはすっかり暗くなり街のイルミネーションがきらきらと光っているのが見えた。クリスマスが近いせいだろう。赤や緑の光が多く、街路樹は華やかにライトデコレーションされている。その光景に記憶を刺激され、奏は何年か前のクリスマスを思い出していた。 クリスマスは梓の店は稼ぎ時で、梓の店で歌を唄っていた奏の母、深雪も同じだった。響は大学に入った頃から少しでも女手一つで支えている家計を何とか助けようとアルバイトばかりしていたから自然とクリスマスは郁人と二人で過ごしていた。小さなショートケーキを二つ買って、ささやかなお祝いをする。部屋を暗くして、小さなクリスマスツリーに赤や緑のライトが点滅するのを身を寄せ合って眺めていた。しんと静まり返った部屋の片隅でぎゅっと手を握り合っているとなぜだかドキドキして、その癖、不思議な安心感があったのを今でも忘れられずにいる。 郁人が隣にいる時に感じる、あの不思議な安心感はあの日まで奏にとっては当たり前に寄り添うものだった。永遠に続くはずの。失われてしまったものは二度と戻らないのだろうか。途方も無い喪失感が奏の胸を塞ぐ。 前に進んで傷つくか、進むことを放棄して痛みが和らぐのをひたすら待つか。 今の奏には、それしか道が無いように思えた。窓の外を楽しそうに笑いあい、通り過ぎていく人々を眺める。雑踏のどこかに郁人の背中を見たような気がした。 |