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不確定Q&AJ …………………
Q11.五年の歳月を経ても変わらないものはある? ○か×か。





 遊園地から三駅の距離を、奏は走り続けた。
 電車を待つ時間ももどかしいし、電車に乗っている時間ももどかしくて、きっと、電車の中で走り出してしまうだろうと思ったからだ。
 多分、高校の体育の時間の、タイム測定よりも早く走っていただろう。
 吐き出す息は酷く白い。
 呼吸は荒くて息苦しかったけれど、速度を緩めることはしなかった。いつもは冷静で、穏やかな奏らしくなく、ひどくせっかちな気分になっていた。

 奇妙に高揚する気持ちと、開放感。何かの呪縛から解き放たれたような自由な気持ちで、奏は郁人の事だけを思った。郁人の顔を見たならば、何を伝えるだとか、そんな事は一切考えられなかった。
 ただ、郁人の顔が見たい、とだけ思っていた。

 走っている間、不思議なことに、五年前の郁人との思い出ばかりが脳裏を過ぎった。
 悪戯に抱き合ったり、唇を重ねたり、他愛の無いことで屈託無く笑いあったり、衒いも無く好きだと伝え合ったり。
 幼い奏には、その気持ちを表現する言葉が分からなかったけれど、今ならば、それが限りなく「恋」というものに近い感情だったのだと思えた。

 郁人のマンションの近くにある公園の前を走り過ぎた時に、不意に、小さな頃その場所で二人、夜遅くに体を寄せ合ってどうでも良い話をしていたことを思い出し、奏は切なくて泣きたい気持ちになってしまった。

 片方しかいない、留守がちな親。
 愛情は十分に与えられていても、幼い子供が寂しさを感じることは止められない。
 けれども、郁人と一緒にいれば物足りなさなど感じなかった。兄弟のような、家族のような存在だとその時は思っていたけれど。
 離れて初めて、それがかけがえのない半身のような存在だったのだと悟った。
 離れたことによる喪失感は奏だけが感じていたのではない。
 どれだけ郁人が、奏の存在に枯渇し、飢え求めていたのか。
 再会したばかりの頃は何を考えているのか全く分からなかった郁人の事が、今ならはっきりと、手に取るように分かる。

 馬鹿馬鹿しい遠回りをしてしまった。
 けれども、そのすれ違いの三ヶ月近い時間も、きっと自分達には必要な時間だったのだろうと奏は思った。



 マンションのエントランスに辿り着き、一旦足を止め、膝に手を置いてゼエゼエと息を吐き出す。体はすっかり温かくなっていて、北風が吹く寒い最中なのに、奏はうっすらと汗をかいていた。
 暫くその姿勢で呼吸を整えてから、頭を上げる。
 何かを決心するかのように、自分を叱咤するように、奏は両の手のひらをぎゅっと握り締めた。そのまま迷う事無くエレベーターに乗り込み、郁人がいるはずの階数ボタンを押す。
 エレベーターが動き始めると、ただでさえ、奇妙に高揚している気持ちに拍車を掛けるような浮遊感が奏の体を包んだ。
 こんなに高揚した気分になるのは本当に久しぶりで、奏は思わず苦笑いしていた。
 子供の頃、初めて海を見に行った時みたいに、大きな声を出して駆け回りたいような気分だった。多分、口を開けば、
「郁人が好きだ」
と叫んでいただろう。
 そんな自分が、自分らしくなく思えて、馬鹿みたいで、おかしくて仕方がなかった。
 チンと音を立ててエレベーターが止まる。そこから出て、一旦立ち止まると奏は深呼吸をした。けれども、動悸は激しくて、喉はカラカラに乾いていて、奏は、まるで初めて告白するみたいだと思った。
 それから、嗚呼、そうか、自分は生まれて初めて告白するんだと気がつく。
 意を決して歩き出し、部屋の前で立ち止まると、今一度深呼吸をした。
 インターフォンを鳴らそうかどうしようか一瞬だけ迷って、ポケットの中の鍵をチャリンと握り締める。
 どうせ鍵があるのだから、入室拒否されても大丈夫なんだと変に開き直ってインターフォンを押した。それから、相手の返事も待たずに、鍵をドアに差し込む。
 そのままドアを開けて玄関に上がり込めば、玄関から続くリビングに、郁人が立っていた。それから、奏の顔を見詰めて、酷く驚いたような顔をする。
「・・・カナ?」
 呆気に取られた表情の郁人は、どこか子供っぽくて、奏は、最初からこういう顔を見せれば良かったのに、と思った。あんな余裕シャクシャクの態度を装うから余計に分からなくなったんだと。
 少しだけ恨みがましい気持ちになり、それから、少しだけ悪戯な気分になって、奏は行儀悪く靴を脱ぎ捨てると郁人の傍まで走り寄った。それから、その勢いのまま郁人の首に噛り付く。少し強引に郁人の頭を抱き寄せて、自分からキスしてやった。



 すぐ目の前で、郁人の鳶色の瞳が見開かれる。その驚いた顔をさせているのが自分だと思ったら気分が良かった。
 油断している唇の隙間から舌を差し込んでやれば、ますます郁人が驚いたように体を揺らすので、奏は楽しくて仕方なくなってしまった。
 セックスは郁人と一回しただけだけど、キスは五年前に何度もした。
 昔取った杵柄ではないが、不得意じゃない。
 奏から絡ませた舌は、少し苦くて、コーヒーの香りがした。

 奏から仕掛けたキスだったけれど、最後の方は郁人は奏の背に手を回してしっかりと抱きしめていたし、主導権は郁人に移りかけていたと思う。


 それなのに。


 唾液の糸を引きながら唇が離れて、それが酷くいやらしい光景のようにも思えたけれど、勢いがついてしまっている奏は決して怯まなかった。
 しばらく、二人で見詰め合って、郁人の鳶色の瞳を十分に鑑賞した後、奏は静かに口を開く。
「梓さんに・・・・全部、聞いた」
 一言告げれば、郁人は眉を顰めて、困惑したような、拗ねたような複雑な表情になった。
「それで?」
「今まで、郁人の気持ち分からなくてゴメン」
 謝罪の言葉を口にした瞬間、罪悪感に苛まれて奏は少しだけ俯いてしまう。
「わざわざ謝りに来たの?」
 問うてくる郁人の声は、どこか素っ気無く冷たい。けれども、奏の手を握り締めていた手は微かに震えていた。
「違う。告白しに来た」
 奏は意を決して顔を上げる。郁人の目をじっと見詰めたまま、
「郁人が好きだ」
と言った。郁人は、目を見開いて奏を凝視していたけれど、不意に、ふっと表情を緩める。それから意地悪な笑みを浮かべて、
「今更、そんな事言うわけ?」
と、鼻で笑った。
 だから、その余裕のある態度が頭に来るのだと、奏は瞬間憤ったが、言葉では埒が明かないと思ったので、郁人の体を乱暴に、ドンと後ろのソファに押し倒した。
 そう言えば、初めてしたのもここだっけ、と思い、つくづくこのソファには縁があるのだろうかと苦笑が漏れた。






 郁人のは、単なるポーズだと奏にはもう分かっていた。今までの自分の態度に腹を立てて、仕返しの為に少し意地悪をしたいだけなのだ。けれども、そんな意趣返しに付き合ってやる余裕は、奏のほうには無い。
 コートを乱暴に脱ぎ捨てると、郁人の上に乗り上げて、頭を抱え込んで噛み付くようにもう一度キスをした。
 自分の出来得る限りの煽情的なキスを。
 静かな部屋にエアコンの音と、淫猥な唾液の絡まる音が響き渡る。ピチャピチャという何かを舐めるような音を聞いているうちに奏も妙な気分になってきたが、太腿に当る郁人のそれが、反応しかけていることに気がついて、奏は思わず、フと笑いをこぼしてしまった。
 郁人の上に馬乗りになったまま、顔を離して郁人の顔を見下ろす。郁人は一瞬苦笑いを零し、負けを認めるように目を閉じて、両手をホールドアップの形にして見せた。
「そう来るか。奏はいっつも卑怯だよな。俺が篭絡するの分かってやってるんだから。確信犯」
「郁人のが悪い。何も言わないで最初にいなくなった郁人が。俺はあれから、ずっと、寂しくて、悲しくて泣いてばっかりだった」
 素直に恨み言を口に載せる奏を、郁人は真っ直ぐに見上げる。
「もう、いなくならないって約束する?」
 どこか不安げな、子供のような目で問えば郁人はもう一度静かに目を閉じた。暫く目を閉じたまま、少し荒くなった呼吸を整える。
 それから、静かに目を開いて、奏を真っ直ぐ見詰めた。
「約束する」
「俺の事、今でもスキ?」
「スキだよ」
 郁人が即答すれば、奏は、迷いもわだかまりも何もかもを投げ捨てた、綺麗な笑顔で笑った。
「じゃ、俺と郁人の関係を確定にしよう」
 奏の仕掛けたちょっとした悪戯に、郁人はクスリと笑う。そして、ちゃんと問い返す。
「確定にするって何?」
 奏はふわりと笑うと、啄ばむだけのキスをもう一度郁人に落とす。こんな風に、思ったままにキスできるのが嬉しい、と、素直に思った。
「恋人になるって事だろ?」
 そう答えれば、ギュッと抱きしめられる。もう一度、どちらからとも無くキスをして、体を入れ替えられた。ごくごく自然な流れで着ていたセーターを脱がされ、シャツのボタンを三つ目まで外されたところで、ハタと気がつく。
「あ、俺、汗かいてる」
「別に気にならないよ」
「でも、シャワー」
 何となく気恥ずかしくて言い出してみれば、郁人はそんな気恥ずかしさを見抜いているのかくつくつと鈴がなるように笑った。
「一回終わったらな」
 からかうように言われて奏は少しだけムッとする。反抗心がムクリと頭をもたげて、挑発するように郁人の下肢に手を伸ばせば、大分切羽詰った状態になっていて、それが何だか滑稽で、それでいて嬉しかった。
「こら。悪戯はナシ」
 慌てたように言われて、奏は思わず声を出して笑ってしまった。
「いいじゃん。二人でするんだから。気持ち良いようにやれば」
 素直な気持ちで奏がそう言えば、郁人は黙ってキスをしてくる。
 啄ばむようなそれが、段々深くなり、舌をねっとりと絡めあう濃厚なものになる頃には、言葉など何処かへ言ってしまったように、二人とも、行為に没頭し始めた。

 気持ちだけが先走って、手が震える。
 上手く郁人のシャツのボタンが外せずに、奏が焦れていると、郁人は黙って奏の手を外させて自分でシャツを脱いでしまった。抱き合って、裸の胸が直接触れ合えば、そこから甘い痺れのようなものが走り、奏は無意識に体を慄かせる。怖いくらいに、体のどこもかしこも敏感になっていて、郁人に軽く撫ぜられるだけでどうにかなってしまうような気がした。
 こんな状態じゃ、途中で気絶してしまうのではないかと不安になり、郁人の首にしがみつく。縋るように自分からキスを強請れば乱暴に答えられて、余裕をなくしているのは自分だけじゃなく、郁人もなのだと思ったら少しだけ安心した。
 貪りあうようにキスをしながら、何だか、溺れた人間同士がお互いにしがみつきあっているみたいだと奏はぼんやり考える。それからすぐに、確かに溺れているようなものだと変に納得してしまった。
 郁人に溺れている。
 自分の感情に、嵐みたいな熱情に溺れている。
 不意に、透が奏は情熱家だと言っていた事を奏は思い出した。本当に、その通りだったな、と思っていたら屹立したものをキュッと強めに握られて、
「アッ!」
と、甘ったるい声を漏らしてしまった。
「今、何か別のこと考えてただろ?」
 少し不機嫌そうな鳶色の瞳が見下ろしてくる。奏は、よく分かるなあと感心しながら自分も手を伸ばして郁人のを触った。ご機嫌を取るように暫くソレを触りながら、
「郁人の事しか考えてない」
と言えば、
「っとに、奏はどんどん性悪になるな」
と呆れたように言われた。
 そうかもしれない、と奏は思う。まだ二度目で、しかも一度目の時、気持が良いというよりは痛かったのに、ソレが欲しいなんて思うのだから。俺って淫乱なのかなあとあっけらかんと考えて、すぐに、まあ別にそれでも良いかという結論に達してしまった。
「郁人。俺大丈夫だから入れて」
 何の恥じらいも無く、欲望のまま郁人に頼めば、郁人は少しだけ目を見開いて、それから躊躇したように視線を泳がせる。
「・・・痛まない?」
「痛くても良いからしたい」
 言いながら、郁人の首にしがみつき、頬を摺り寄せると郁人が息を呑む音がした。
「ちょっと待って」
と言われて、すぐ近くにあった体温がいなくなる。不意に寒さを感じて不安げに郁人の後姿を目で追えば、すぐに何かを持って戻ってきた。
「そっか。色々準備しないとダメなんだっけ」
「ん。ちょっとだけ我慢」
 そう言って、奏の体に触れる郁人は酷く慎重だった。そういえば、初めてした時も、口では冷たいことを言いながら郁人が丁寧で優しかった事を思い出す。
 そんな風に大事に扱ってくれる、それだけでも、郁人の気持ちなんて分かったはずなのに。
 不意に奏は切なくなってしまった。郁人の気持ちが痛かった。

 一生懸命、気持ちを開示するように体も開く。恥ずかしさや不快感よりも、郁人と早く繋がりたいという気持ちのほうがずっと強かった。
 郁人は、とにかく辛抱強く奏を解すと、ゆっくりと入ってきた。
 異物感や不快感は否めない。
 でも、体が感じているものと頭で感じているものは乖離していた。
 頭は、もう、ただ、ひたすら充足感と快感しか奏に伝えない。
 郁人が自分の中にいるのだと、今、郁人と繋がっているのだと思ったら、おかしくなってしまうくらい、気持が良いと思った。

「ンッ・・・・アアッ・・・イッ・・・イイ・・・」
 揺さぶられて、いつの間にか涙が溢れ、啜り上げるように奏は喘ぐ。喘ぎながら目を上げれば、郁人は眉を寄せて、何かを堪えるような顔をしていて、それが変に艶っぽいと思った。
 郁人は綺麗な顔をしている、とも。
「郁人っ・・・ユキっ・・・アアッ」
 ふいごのように郁人の名前を呼び続けながら、不意に奏は悟る。
 ただ、自分は郁人の近くに行きたいだけなのだ、と。

 もう、これ以上は無いくらい近くに行ってしまいたい。
 溶け合って、境目が分からなくなるくらい近くに。
 そうすれば、もう、離れる事も無い。

 朧気になってきた意識の片隅で、そんな詮無い事を考える。



 堪えきれずに先に奏が達してしまい、そう間もおかずに郁人が奏の中で達った時、こんな不毛な行為なのに酷く切なくて、どうしようもなく幸せで、やっぱり奏は涙を零した。



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