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purify - 番外編その1…………


「え? もう一回言ってくれる?」
 と日向夏野は戸惑いがちに問い返した。きっと聞き間違えたのだろうと疑いもせずに。だが問い返した相手、蕗原廉は、やはり同じ言葉を言って寄越した。すなわち、
「ん? だからセックス」
 と。
 そこで夏野は絶句する。何をどう返して良いのか分からずに、蕗原の真意を探ろうとその顔をじっと見つめる。蕗原の顔には穏やかな表情が浮かんでいるだけで、とりたてて普段と変ったところは見えなかった。だから、夏野はそれを冗談なのだと判断した。
「分かった」
 と笑って返事をしたのも冗談のつもりだったのだ。

 そもそも、事の起こりはいつもと同じように蕗原のリハビリに付き添い、その帰りに蕗原の家で家庭教師代わりに勉強を教えた後の事だった。
 蕗原は、今ではある程度は普通に生活できるほどに回復して、高校にも通ってはいるが、だからといって完全に以前と同じようにはいかなかった。右足は未だに少し引きずるし、当然、全力疾走など出来ないので体育の授業は見学している。右手も細かい動きは不可能で、本来は右手が利き手だったはずだが、今は字を書いたり箸を使うのはもっぱら左手が主だった。
 だから、今でも一週間に一度はリハビリをしにそれ専門の病院へ通っている。夏野は毎回、それに付き添っているのだ。蕗原が言い出したのではなく、夏野が自分から申し出た。他にも、何か出来ることがあれば言って欲しいと言った夏野に、蕗原が勉強を教えて欲しいと答えた。週一のリハビリの付き添いと、その後の家庭教師が定着してかれこれ二ヶ月近くが経過したが、夏野はいつも、家庭教師が終わった後に尋ねるのだ。何か他に、自分に出来ることは無いか。何かして欲しいことは無いか、と。その答えはいつだって、
「何も無いよ」
 という苦笑つきの答えだったのが、その日だけは違った。いつもどおりの涼しい顔で、蕗原は何でもないことのように件の台詞を返して寄越したのだ。だから、夏野がそれを冗談だと思ったところで仕方が無いのかもしれない。もっとも、それが本気だったと知っていても夏野の答えはきっと同じだっただろう。違うのは、多分、答えるときの表情だけで。

「じゃあ、脱いでくれる?」
 と、やはりあっさりとした口調で言われて、夏野はようやくその整った顔を顰めた。冗談にしてはどうも雲行きが怪しいと思ったからだ。
「ええと……脱ぐって…服をってコト…なのかな?」
 それでも引きつった笑みを浮かべて尋ねれば、蕗原は楽しそうに笑って、
「いや? 別に着たままするのが好みならそれでも良いけど? とりあえず下は全部脱いでもらわないとやりづらい。俺は右手と右足がイマイチ不自由だし。日向が上に乗ってくれるのが一番ありがたいけどね?」
 ととんでもないことを言い出した。その段になって夏野はようやく気がつく。蕗原の穏やかな笑顔の中で、そのローズグレイの瞳だけが、決して笑っていないことに。
 笑っていない。むしろ、どこか苛ついているような、怒っているとさえ言って良いような感情の色を読み取り、夏野は困ったようにキュッと両手を握り締めて、蕗原の顔をオドオドと見つめた。
「あの…もしかして、蕗原、怒ってる?」
「いや? 怒ってない……ああ、いや、怒ってるのか。自分では気がついてなかったけど」
 返答に窮するような独り言のような事を言われて、夏野はますます戸惑う。形の良い細い眉をハの字にして、蕗原を心許ない表情で見上げると、ようやく蕗原はその作ったような笑顔を消して、スッと眼鏡の奥の目を細めた。
「…なんで…? 俺、何か悪いコトした?」
 蕗原を怒らせるようなことをした覚えが、夏野には無い。今日、リハビリに付き添った時も、勉強を教えた時も、いつもと何も変らなかったはずだ。
「思い当たる節はない?」
 と、どこか素っ気無い口調で問い返されても、やはり思い至らなかった。
「無い」
 と素直に答えると、蕗原はどこか小馬鹿にするような笑いをふっとこぼした。そんな風に笑われたのは初めてで、夏野は酷く驚く。
「相変わらずというか何と言うか……ここまで鈍感なのも一種の才能だよな」
 と、皮肉めいた口調で蕗原は言い、夏野の左手を右手で掴んだ。そう強い力ではない。そもそも、蕗原の右手はあまり握力が回復していないのだ。だから、むしろ夏野はその手を振り払うことなど出来ないのだけれど。
「日向。お前、七瀬と寝ただろ?」
 そう指摘されて、夏野は言葉を失った。




 蕗原の言葉は事実だった。だが、夏野自身、そのことは忘れてしまいたいと思っていたし、第一、その事を知っているのは夏野と徹二人だけのはずだ。徹が蕗原にそんなことを吹聴したとも思えないし、なぜ、そんな極々プライベートなことがばれてしまっているのか夏野は分からなかった。そんな夏野の疑問が顔に浮かんでいたのだろう。蕗原は苦笑しながら、
「日向を見てれば分かるよ」
 と言った。そう言われてしまうと、夏野は、自分の中から何かが滲み出ているのではないかと不安になる。浅ましい、薄汚い、男を欲しがっているような空気が。多少、自分を肯定することを学習しても、長い間夏野を苛んで染み付いてしまった不安は決して晴れると言う事は無い。こういう他愛の無い事で、簡単に夏野は薄暗い場所に引きずられそうになるのだ。

 蕗原が治って戻ってきたら徹のものになると約束したが、その約束は未だに履行されていない。なぜなら、蕗原は完全に治ったわけではないし、リハビリの為に夏野が奪った蕗原の一年間は戻ってこないからだ。夏野はそう思って、徹を拒絶していたが、先日、半ば強引に押し切られるように、夏野は徹とセックスする羽目に陥ってしまった。
 そもそも、夏野の徹に対する感情は何も変ってはいないし、その恋情も全く色あせてなどいない。求められれば、その背に腕を回して抱き返したくなるのを、ただ意地と理性だけで踏みとどまっている。蕗原が戻ってきたのだからお前が負い目を感じる必要は無い、と徹は今まで言い続けていたが、決して頷かない夏野に業を煮やして、先日、うっかり二人きりになってしまった時にとうとう最後の一線を越えてしまったのだ。
 夏野が抵抗していたのはほんの最初のうちだけだった。こう言う時に、頭より体のほうが正直だというのは夏野には吐き気がするほど疎ましい事実だったが、結局、そう言うことだった。徹に触れられればそれだけで、ピリピリと甘い痺れが走り、自分でも怖くなってしまうほど全身が過敏になる。散々、他の男とセックスした時には決して起きなかった反応に、心と体というのは嫌でも密接に繋がっているのだと言う事を夏野は複雑な心境のうちに知った。途中からは、もう完全に流されて、最後のほうには我を忘れて夢中になっていた。だから結局、夏野が自己嫌悪に陥ったのは全てが終わってしまってからだった。その時の徹の表情を夏野は忘れることが出来ない。何か苦いものでも飲み下したように、眉間に皺を寄せて難しい表情をしていた。決して好きな人と初めてセックスした後にするような類の表情ではない。
 夏野はその徹の表情に気がついた途端、顔面蒼白になった。我を忘れて乱れた自分を恥じた。徹が相手だったからという言い訳などできるはずもない。ただ、逃げるようにその場所から何も言わずに出てきた夏野を徹は一体、どう思っていたのだろう。
 とにかく、その一件を夏野は酷く後悔していて、忘れてしまいたいと思っていた。徹の不機嫌も理由だったが、蕗原に対してどうしても罪悪感を感じてしまうのも大きな理由の一つだった。
 蕗原の存在は、夏野にとって余りに曖昧で、その位置づけをどうすれば良いのか未だに図りかねている。徹のところへ戻れと一度は言われたけれど、こうしてすぐ近くに蕗原が戻ってきた今、蕗原自身が何を夏野に望んでいるのか夏野には分からなかった。以前は冗談のように迫られたり、キスをされたり、戯れのように押し倒されかけたこともあったし、実際一度だけとは言えセックスをしたこともある。けれども、戻ってきてからこのかた、一度たりとも、蕗原は夏野に対して色めいた態度を取ったことはなかった。だから、夏野は、蕗原の中では自分に対する感情は終わってしまったとさえ疑っていたのだ。




「自分で脱ぐのが嫌なら俺がしようか?」
 どこか淡々とした口調で蕗原に言われ、夏野は背中に冷や汗をかく。その真意はともかくとして、蕗原はどうやらふざけているわけではないということがようやく分かったからだ。
「ほ……本気なんだよね?」
 一縷の望みを掛けて確認してみたが、返ってきた言葉は、
「もちろん」
 という短い一言だけだった。
「じ……自分で脱ぐ」
 夏野はそれだけかろうじて告げると、震える手でシャツのボタンを外し始めた。それを蕗原は、ただ黙ってじっと見つめている。その瞳はどこか冷めているように見えて、夏野は羞恥に苛まれた。耳まで赤くして、なんとかシャツだけを脱いだが、ズボンに手を掛けたところでピタリと手が止まる。見られている、と思うと喉がカラカラに渇いて、動悸は早くなるし、自分の心臓の音が直接聞こえているような気さえした。もしかしたら、冗談だよ、もういいよ、と言ってもらえるかもしれないと蕗原の顔を不安そうに見つめたが、なぜか蕗原は苦笑いをこぼして、
「そういうのは逆効果だって知ってる?」
 と良く分からないことを言っただけだった。
「何で、俺がこんなこと言いだしたか分かってるか?」
 どこか苛々した口調で尋ねられて、夏野はコクンと小さく頷く。
「お…俺が徹と…寝たから…それで怒ってる」
「うん。それはその通りなんだけど。何で怒ってるか分かってるかって聞いてる」
「何でって……」
 そう聞かれるとイマイチ良く分からないというのが正直な所だったが、蕗原はそんな夏野を分かりすぎるほど分かっていたのだろう。呆れたように大きなため息をひとつついて、それから夏野の手を引いた。そのまま、抱きかかえられてストンとベッドに座らされる。後ろから抱きこまれた状態で、器用にズボンと下着をするりと脱がされ、あっという間に夏野は全裸にさせられた。羞恥からせめて足を閉じようとしても、逆に、蕗原に両腿を開かされてしまう。何もかもがあからさまに晒されて、夏野は首の後ろまで真っ赤になった。
「言ったと思うけど? 俺は日向のこと諦めたわけじゃないって。アレは冗談でも何でもなくて本気だったんだけどね」
「アッ!」
 そう言いながら、まだ何も反応していない性器を握りこまれて夏野は反射的に身を捩る。だが逃げることは叶わなかった。
「七瀬はどうやって日向を抱いた?」
 そんなことを耳元で囁かれながら、やんわりと扱かれてしまえば否が応でも反応してしまう。
「なんっ…なんで、そんなことっ…」
「俺が聞きたいけど。何で、こんな単純な男の思考回路が分からないんだ?」
「アッ…やめっ!」
「ただの嫉妬だろ?」
「な…に…ウッ…」
 本来の利き手ではないはずなのに、蕗原の左手は巧みだった。夏野は簡単に高ぶらされて、意思に反して完全に勃起してしまう。こんなことをしているのが別の人間なら、夏野は何としてでも逃げ出しただろうが、相手が蕗原だと言う事が夏野からすべての抵抗を奪ってしまう。
 それは不思議な感覚だった。
 他の男とセックスしている時は、いくら体が生理的に反応しても夏野の心は冷め切っていた。だから、羞恥だとか戸惑いだとかはむしろ全く感じなかった。徹としている時は、気持ちのほうが先走っていたし、むしろそんなものを感じるような隙間が無いほど夏野は夢中になっていた。
 だが、今は中途半端に夏野の心は理性を保っていて、しかも、嫌悪感は一切無い。性器への愛撫だけでなく、戯れに拙い右手で乳首を捏ねられ、首筋に舌を這わされて感じる快感は、あながち生理的なものだけだとは言い難かった。けれども、全てを放り投げられるほど没頭も出来ず、押し寄せる羞恥心に夏野は目を潤ませる。酷く居心地の悪い、据わりの悪いセックスを施されて、夏野は逃げ出したくて仕方が無かった。
 だが、蕗原は容赦が無かった。夏野を一度あっさり達かせた後に、夏野の右手を自分の右手で掴むと更に奥、双丘の狭間に手を当てさせる。
「な…何?」
 戸惑ったように夏野は肩越し、蕗原の顔を振り返ったが、蕗原はどこか意地の悪い笑みを浮かべて、
「俺の右手、まだ上手に動かないから。自分で準備して」
 そんなことを言った。一瞬、言葉の意味が分からず、次の瞬間理解して、夏野はあまりのことに絶句した。恐らく、耳から首まで真っ赤に染まっていただろう。
「じぶ…自分でって…そん…そんなこと…」
「したことない?」
 さらりとした口調で尋ねられ、夏野は必死で何度も頷いた。
 冬海に監禁されていた時には強制的にさせられたこともあるかもしれないが記憶は定かではない。
 牧のところにいたときは、散々、色々な男とセックスさせられたが、どちらかと言えば、男達は自分が突っ込んで達ければそれで良いといった感じだったので、大概が大雑把で、出すだけが目的のようなセックスが殆どだったのだ。
 まして、こんな風に後ろから抱えられて、蕗原が見ている目の前で自分で準備をさせられるなど、想像しただけで羞恥で倒れそうになる。だが、蕗原は許してくれなかった。夏野の目の前に潤滑剤をぽいっと放り投げ、夏野の両腿を閉じられないように押さえたまま、
「どうぞ?」
 と、からかうような口調で言う。夏野は懇願するように蕗原の顔を振り返ったまま見つめたが、蕗原は、フッと目元を緩ませて妙に優しげな表情のまま夏野の唇をぺろりと舐めただけだった。
「日向が自分で準備するまで入れないから大丈夫だよ」
 親切なのか、それとも脅しなのか分からない言葉を耳元に囁かれて、夏野は体を竦める。どうあっても逃げられないのだと悟り、夏野はおずおずと潤滑剤を手に取り、自分のそこに指を這わせた。自分の指で自分を犯す光景など到底見ていられずに、夏野は固く目を閉じる。幾らかの抵抗はあったが、それでもすんなりと夏野の細くて綺麗な指は簡単にそこに入り込んだ。
「ンッ…」
 締め付けられる指の感触を感じれば良いのか、それとも入り込んできた指の感触を感じれば良いのか分からずに、夏野は躊躇して動きを止める。羞恥の余り、頭がクラクラするような気がした。いっそ、このまま気を失いたい。だが、蕗原はそれ以上手を動かそうとしない夏野にじれたのか、その手首を掴むと、グイっと強引に押し付けた。
「アアッ!」
 その勢いで指が奥深くまで入り込む。粘着質の内部が指を締め付けてくる感触に、夏野は思い切り顔を顰めた。
「気持ち…ワルイ……」
 思わず漏らしてしまえば、蕗原が楽しそうに耳元で笑う。
「そう? 入れると凄く気持ち良いけどね?」
 そう言いながら、蕗原はいつの間にか潤滑剤で濡らしていた自分の指をジワジワと入り込ませてきた。
「ヤッ…」
 微かな痛みを感じて思わず夏野が目を開いてしまうと、自分の排泄器官に自分の指と、蕗原の指が入り込んでいるとんでもない光景が目に入り、夏野は慌ててもう一度目を閉じた。その弾みで体に力が入ってしまったのだろう。蕗原は夏野の耳元でクスリと笑った。
「ああ、分かる? 今、中がギュッと絞まった」
 事実だったが、指摘されると居た堪れない。恥ずかしくて、情けなくて、知らずすすり泣くように声を漏らすと、慰めのように頬と、項に一つずつキスを落とされた。
「ゴメンゴメン。意地悪しすぎた?」
 苦笑交じりの声でそう言われて、夏野は今のは意地悪だったのかとようやく気づく。
「いくら手が不自由でも、これくらい出来るよ」
 と更に言われて、円を書いて押し広げるように、指が動かされた。その弾みに敏感な場所を突付かれて、夏野の体はビクンと跳ね上がる。
「アアッ!」
「ん。ここだよな。ちゃんと覚えてる」
「ヤッ…ダメッ……ンッ…ンッ……」
 立て続けにその場所だけを擦られて、夏野は反射的に自分の指をズルリと引き抜き、蕗原の手を離そうとしたが蕗原の手はびくともせずに、それを繰り返す。それどころか、夏野の指が出た分、すぐに蕗原の指が増やされて夏野のソコは更に激しくグチュグチュと音を立てて犯された。触れられていない性器は、一度達したはずなのに、もう、完全に勃起している。
「いやだ……やめっ……そんなにされると、も、いく……」
 すすり上げながら夏野が訴えると、唐突に蕗原の指は止まり、今度は逆に夏野の体が不満を訴えた。刺激を求めて蠢く内部が夏野自身にも分かって、夏野はただただ恥じ入ってしゃくり上げる。
「凄いな、日向の中……イヤらしい」
「ゴメ……ゴメンナサッ……」
 反射的に夏野が謝ろうとすると、その口を塞がれた。
「ンッ、ンッ………ンウッ! !」
 入り込んできた蕗原の舌にグチャグチャに口の中をかき回されて、夏野がそれに気を取られている隙に不意に指が抜かれ、体をグイと持ち上げられたかと思うと、蕗原のものを一気に根元まで突き込まれた。自分の体重が掛かった分、内臓を突き破られるかと思うほど深く繋がる。その衝撃で、夏野は堪えきれずに射精してしまった。自分の放ったもので、夏野の白い胸が汚れたが、そんなことを気にしている余裕は無かった。
「ああ、ゴメン。達っちゃった? でも、別に、何度達っても良いから」
 そんなことを楽しげに夏野の耳元で囁くと、蕗原は夏野の上体を前に倒し、腰だけを高く抱え上げた体勢をとらせて、後ろから容赦なく突き始めた。
「ヒッ! ヤッ…アッ…アッ…ウゥッ」
 突き上げられるリズムで悲鳴のような喘ぎ声を上げながら、それでも夏野の頭の隅はどこか冷めている。没頭しきれず、自分を犯しているのは蕗原なのだとはっきり頭で理解できる冷静さがあった。けれども、投げやりに開き直ることも出来ない。中途半端な快感が、羞恥と罪悪感を煽って夏野を苛んでどうしようもないというのに、挙句の果てに蕗原は、
「気持ち良い? つらかったら七瀬の名前呼んでも良いよ?」
 と、そんな人でなしなことを言うのだ。夏野は激しく首を横に振りながら、
「ふ、蕗原っ、……もう……ヤッ……ンッ、ンッ…ダメ! …ダメ!」
 と喚く。もう、自分でも何を言いたいのか分からなかった。

 徹とも違う。けれども、他の名前も顔も覚えていない男とも違う。蕗原とするセックスは、奇妙な居心地の悪さと羞恥心と罪悪感、それと同時に緩い熱がずっと持続するような性質の悪い快感を与える不思議な行為だった。

















 バツが悪くて顔が上げられない。枕に顔をうずめたまま、夏野がどうしようか思案していると頭上でクスリと笑う声が聞こえた。
「もしかして、七瀬にどう言い訳しようか、とか悩んでる?」
 それも正直、憂鬱の種だった。別に自分と徹は付き合っているわけでも何でもないのだし、一般論から言えば自分が蕗原とセックスしたこと自体は問題ではないのだろう。それでも、罪悪感がジクジクと夏野の胸の奥のほうを苛んでいる。実は、自分はどうしようもない関係に陥っているのではないかとようやく夏野が気がついたのはこの時だった。
 徹に求められても、蕗原に迫られても夏野はおかしな罪悪感から本気で拒絶することが出来ない。それなのに、徹とセックスした時は蕗原に、蕗原とセックスした時は徹にそれぞれ罪悪感を感じてしまうのだ。その矛盾に夏野は気がつき、訝しげに眉を寄せた。何かがおかしい。けれども、何がおかしいのかはっきりと分からない。ただ、とにかくおかしいのだ。そのおかしい状況に、自分は無理矢理押し込められている、そんな気がした。
「別に気にしなくても大丈夫だよ。七瀬とは最初からそういう約束だったから」
「……約束?」
 蕗原のどこか楽しげな表情に嫌な予感がしつつも、夏野は思わず尋ねてしまう。
「そう。怪我を盾に日向を縛り付けない代わりに、日向とヤる時は公平にって」
「こう…へい…って……」
 どういう意味の言葉だったか、と夏野は一生懸命に思い出そうとする。公正に平等に、確かそんな意味だったはずだが、それと、夏野とどう関係があるというのか。
「俺が戻ってきて二ヶ月だっけ? まあ、七瀬にしては我慢したほうじゃ無いのか? 自分が我慢するのと、日向を俺に抱かせるのと天秤に掛けて、グダグダ悩んでたんだろ、きっと」
 どこか楽しげに話す蕗原を夏野はぼんやりと見上げる。我慢だとか、天秤だとか、どうも良く分からないことを言われているような気もするけれど、もしかしたら、理解したくないから頭が働かないのかもしれない。
「日向と寝た後、七瀬、凄く機嫌が悪くなかったか?」
 そう言われて、パチリと目が開いて頭が冴えた。
 悪かった。確かに。自分とのセックスが良くなかったのだろうかと夏野がグルグルと悩んでしまうほどに。
 だがしかし。
「その後、こうなるって分かってたから機嫌が悪かったんだろ。また、日向のことだから、自分が何か悪かったんじゃないかとかグズグズ考えてたんだろうケド?」
「そん……そんなこと……」
 確かにあった。だが、それ以上に不穏当なことを言われている。どこがどう不穏当なのかといえば、最初から最後まで全て不穏当だ。夏野は懸命にそれを指摘しようとするが、言葉が浮かばない。








「まあ、そういうことなんで? 今後とも末永くどうぞヨロシク」
 と、綺麗な笑顔を浮かべて蕗原が言い、夏野は今度こそ頭が真っ白になって言葉を失った。




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