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out of order - 7 ……………
 夏木が不在のまま、結局僕は腑抜けた夏休みを過ごしていた。
 夏休みの始めには、夏木がいる部屋にいたくなくて美術室に入り浸っていたのに、今では夏木がいない部屋にいるのがイヤで結局同じように美術室に入り浸っていた。
 夏木は、結局、登校日にも帰ってはこなかった。一体、いつまでそうしているつもりなんだろうか。僕と顔を合わせるのがいやで避けているんだろうけど、どうせ2学期が始まったらまた同じ部屋で過ごすしかないっていうのに。
 夏木が戻ってきたら、どんな顔をすればいいのか僕にはわからない。何を言えばいいのかも。ただ、もう、夏木と今までみたいに寝たりはできないと思った。もっとも、夏木が、まだ僕と寝る気があれば、の話だけれど。
 自分の気持ちを自覚してしまったら、とても、あんな心のこもっていないセックスなんてできない。きっと、ヤってる最中に僕は耐え切れずに泣きだしてしまうだろう。
「あ、でも、僕が泣いたら夏木は気が済んで結局終わっちゃうのか」
 虚しい笑いを浮かべながら口に出してしまう。
 ぼんやりと目の前のキャンバスを眺めながら、僕は蝉の声を遠くに聞いていた。
 キャンバスには混沌とした抽象画が描かれている。何となく筆を走らせていたらこんな絵になってしまった。もともと、僕は抽象画は描かないんだけど。
「…何の絵だよ、コレ」
 自分で自分に一人寂しくつっこんでみたら、
「愛と懊悩って感じ?」
と突然、上から答えが降ってきた。
「………久住」
「久しぶり。ちゃんと食べろってアレだけ夏休み前に言ったのに。更に痩せちゃってさ。今にも消えそうだよ?」
「何言ってるのさ」
「はい」
 そう言って久住は僕にカップのアイスを差し出してくれた。夏休みが終わりに近いとはいえ、まだまだ残暑の厳しい美術室だ。差し入れは素直に嬉しかった。
「ずっと夏休み中も顔出してたんだって?」
「…ああ、まあ、何となく…」
 本当の理由なんて言えずにアイスを口に運びながら曖昧に返事をする。久住の顔をぼんやりと眺めていたら、例の噂が脳裏に蘇ってきて、僕は喉の手前まで言葉がせり上がってきた。
(…夏木と付き合ってるの?)
 軽い調子で尋ねれば、きっと久住は簡単に答えてくれるだろうケド。やっぱり聞けない。肯定された時のダメージを考えると答えが怖い。
「さすがに、そろそろ本腰入れないと文化祭も県展も間に合わないからねー。三田村も今日から来るって」
 三田村とはイッコ下の後輩の男だ。実は、久住に気があるらしいけど、久住は全く気がついていない。
「ふーん」
「忍は、もう、それ完成? 抽象画珍しいね。嫌いな感じじゃないけど」
「ああ、うん。どうしようかな」
 もともとあてどもなく適当に筆を走らせていたらできてしまった絵だったけど。狙って描こうとしても描けないような絵に仕上がっていたから、出展してもいいかなと思った。
「それよかさ」
「うん」
 久住は話しかけて、戸惑ったように口ごもる。それから、不意に、チラリと意味深な視線を僕に寄越してきた。
「…知ってる?」
「何を?」
「…夏木の事」
 ドキンと胸が跳ね上がる。夏木と久住が付き合っているのだと、とうとう打ち明けられるのかと思ったら、スーッと背中を冷たい汗が伝ったような気がした。
「…知ってるよ」
 僕は、久住の口からその事実を聞かされるのがイヤで、思わず冷たい口調で答えてしまった。すると、久住は酷く驚いたような顔をする。二人が付き合っているっていう噂は僕の耳に届くほど広まっているのに、久住はわかってなかったんだろうか。少しだけ呆れて、苦笑いを浮かべた。それから、何気ない表情を必死で装う。
「久住と付き合ってるんだろ? 噂になってる」
 なるべく軽い調子で、と意識して言った言葉に、けれども久住はポカンと呆気に取られたような顔をした。
「…誰が私と付き合ってるの?」
「え? …だから、夏木が」
「はああああああ!?」
 久住は座っていた椅子から勢い良くガタンと立ち上がって、学校中に響き渡るんじゃないかというくらいの大きな声を上げた。その声に僕の方がよっぽどびっくりしてしまった。久住は、ものすごく嫌そうな表情で顔を顰めている。せっかくの美人が台無しだった。
「冗談じゃないわよ! 夏木なんて、これっぽっちも、全然、全くもって好みじゃないわ! 私が好きなのは忍みたいなタイプなの!」
 心外だといった口調で久住は捲くし立てる。
「……あ、え? そうなの? 付き合ってないの?」
「付き合ってないわよ。何回か外で会ったことがあるから、それ見たヤツが勝手に誤解したんじゃないの? そもそも、外で会ってたのだって、忍のこと聞いてただけだし」
「あ……そう……なんだ?」
「そうよ」
 僕は、あまりに拍子抜けしてしまって、何も考えられなくなってしまった。夏木と久住は付き合ってない? ただの噂? ほっとするような、落ち着かないような複雑な気持ちだ。
「あれ? じゃあ、夏木の事って何のこと?」
 僕が気になって尋ねると、久住は一瞬困ったような表情をして、それから苦笑した。
「それって、私は振られたってこと?」
 唐突に話の脈絡がつかめない事を言われて、僕はポカンとする。
「あ? え? 何?」
「だって、ナチュラルに流されちゃったから」
「え? 何を?」
「『私が好きなのは忍みたいなの』って台詞」
「へ?」
 僕がポカンとした顔をしたままでいると、久住はますます苦笑を深めた。どこか寂しそうな笑顔にも見える。
「やっぱりね。気がついてなかったんだ。鈍感。ずっと忍のこと好きだったんだけどね」
 今度は、はっきりとした言葉で伝えられてようやく僕は理解した。理解して、ものすごく驚いてしまった。それが多分顔に出ちゃってたんだと思う。久住は大仰に溜息を一つ吐いて見せたから。
「まあ、大体予想つくけどね。一応聞いとく。返事は?」
「…………ゴメン」
「んー。何となくわかってたけど。忍には別に好きな人がいるような気がしてたし」
「……ゴメン」
 何となく久住の顔を見ていられなくて、俯いて溶けかけているアイスをじっと見詰めていると、頭の上で小さな溜息を吐く音がした。知らなかった。まさか、久住がそんな風に思っていたなんて。ずっと、良い友達だと思ってたから。
「謝らなくていいけど。……イッコだけ聞いていい?」
「何?」
「忍の好きな人って、もしかして夏木?」
 そういえば、坂田にも同じように聞かれたな、と思いながら僕は正直に答えるかどうかしばらく逡巡した。ふと顔を上げて見ると、久住はじっと僕の顔を真っ直ぐ見詰めてきて決して視線を逸らそうとはしない。僕は観念して小さく頷いた。
 すると、久住は困ったような複雑そうな表情をして、溜息を一つ吐いた。
「…夏木はやめなよ」
「うん。わかってる」
「わかってないでしょ? 夏木、橋本とホテルから出てきたって」
 突然、意表をつくことを言われて、僕はえ? と久住の顔をまじまじと見詰め返してしまった。久住は、言いにくそうな顔で僕から視線を逸らす。
「橋本って…美術の橋本?」
 僕が呆然として尋ねると、久住はコクンと頷いた。
「三田村が見たんだって。この間、二人でホテルから出てくるの。…本多も…」
 僕は、グルグルと思考が空転して、久住の言葉を上手く理解する事ができない。夏木と橋本が? ホテルから?
 生徒と教師という関係で、しかも二人には接点がないように思えて、僕は俄かにはそれが信じられない。見間違いか、何かの勘違いじゃないかと頭が事実を拒絶する。けれども、久住が更に続けた言葉は、もっと僕には理解し難い言葉だった。
「…本多も見たって。二人して、産婦人科から出てくるとこ」
「………何?」
「橋本、妊娠してるみたい」
 僕の頭は、今度こそ完全にその役割を放棄して、全く久住の言葉を理解しようとしない。一体、何の悪い冗談だろうと思うと、グラグラと体が揺れたような気がした。胃がキリキリして、気持ちが悪い。じっとりと嫌な汗をかきはじめて、僕は、ギュッと両手で椅子の端に掴まった。
「……夏木と、橋本が……」
 ホテル、産婦人科、妊娠、というキーワードだけがグルグルと頭を駆け巡る。そして、不意に、思い出してしまった。何度か、夏木が美術室に訪れた時、橋本を探していたことがあったことを。その時は、夏木は選択授業が美術じゃないのに、なんの用事だろうとしか思わなかったけど。
「……付き…合ってるの?」
「わかんない。わかんないけど……」
 夏木はやめた方がいいと思う、と、久住は小さな声で呟いた。僕は、呆然としたまま久住の言葉に曖昧に頷く。更に久住は続けて何かを言っていたけれど、僕の頭になんてちっとも入ってこない。
 ただ、カラクリ人形のように適当に久住の言葉に頷いて相槌を打ち続けるだけ。その後、三田村が美術室に入ってきて、その話は終わりになり適当に世間話をしていたけど。

 返事をしたり、適当に言葉を発したり、笑ったりしていてもまるで僕の体は自分の体じゃないみたいだった。何で僕は笑ってるんだろうと思いながら、頭の中は夏木のことで一杯だった。
 自分で、自分を制御できない。夏木の顔を見たならワケの分わらない事を喚いてしまいそうで怖い。


 けれども。
 けれども、夏休みの終わりはすぐそこまで近づいてきていた。



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