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out of order - 5 ……………
 窓の外からかしましい蝉の声が聞こえる。向こう側に見える空は真っ青で、入道雲も見え、完全な夏空だ。夏休みに突入したにも関わらず、わざわざ学校に絵を描きに来ている物好きは僕くらいで、美術室には僕の他には誰もいない。当然、久住も。
 結局、久住と夏木が付き合っているというのが本当かどうか聞くことはできなかった。夏休みに入っても夏木は家には帰らないようだった。お盆までは寮に残ると言っていた。僕も同じ予定でいるので、人の少なくなった寮の中で、二人でいる時間が増えてしまう。それがイヤで、毎日のように僕は美術室に来ているのだった。それこそ、朝から晩まで。
 夏休みに入ってから夏木とはセックスしていなかった。
 例の噂が気になって、どうしても気後れしてしまい、なるべく夜も夏木を避けるようにしていたからだ。けれども、夏木は別段、それを気にした風もなく、時々無断で外泊する事も増えていた。夏休み中は大分寮の監視が甘くなる。点呼のあとにこっそりと抜け出してしまえば、外泊するのはそう難しくないことだった。
 もしかして、久住のところに行っているのだろうか。それとも、別の女のところかもしれない。いずれにしても、夏木は僕には用がなくなってしまったらしかった。それは、喜ぶべき事なのだろうけど、僕の気持ちはモヤモヤとしたものを抱えたままで決して晴れるということがなかった。ぽっかりと胸に空洞でも空いてしまったかのような虚脱感。
 適当に遊んで飽きたら捨てる。本物のダッチワイフみたいだと思ったら乾いた笑いが知らず零れた。

 手にした筆は、キャンバスの上に置かれたまま殆ど動いていない。休み明けには文化祭と県展に出展する作品を上げなくてはならないのに、とても絵に集中できるような精神状態じゃなかった。だらりと手を下におろして、ぼんやりと真っ白なキャンバスを眺める。エアコンの効いていない室内は暑く、じんわりと首筋に汗が滲んでいるようだった。そのまま、一体どれくらいぼんやりしていたんだろう。
 ガラリとドアの開く音がして、僕はようやく、ハッと我にかえった。反射的に開いたドアに目をやると、夏木が立っていた。僕は、ぼんやりしていた余韻が残っていたせいか、そこに夏木が立っているのが目の錯覚かと思ってじっと夏木を見詰めてしまう。夏木は目を逸らすことなくしばらく僕を見ていたけれど、不意に眉を顰めた。
「…橋本は?」
「あ…え?」
 話しかけられて、僕は咄嗟に答えることが出来なかった。夏木はそんな僕に困ったような苦笑を浮かべ、美術室の中に入ってくる。それから僕のすぐ隣まで来るとじっと、真っ白なキャンバスを見詰めていた。
「…橋本先生知らない?」
「あ…ああ、うん、知らない。今日は美術室の方には来てない」
「そうか」
 僕がようやく答えると夏木は簡単に相槌を打ったきり、その場所を動こうとはしなかった。ただ、じっと僕の事を見詰めている。何のつもりだろうと思って、僕は酷く居心地が悪かった。なぜか夏木を見ることができなくて俯いたまま動けずにいると、夏木は、
「…描かないの?」
と聞いてきた。僕は、別に悪い事をしているわけでもなんでもないのに体をビクリと震わせてしまう。
「……人が見てると描きづらいから」
 なぜか早くなってしまう動悸を誤魔化すように、ぶっきらぼうにそう答えると、夏木が身じろいだのが気配でわかった。
「…そう。描かないなら暇だろ? 付き合えよ」
 夏木は冷たい声でそういうと、僕の腕を乱暴に引っ張り上げる。
「何す……」
 抗議の声を上げようとしたら、そのまま強引に噛み付くみたいにキスされた。僕は驚いて抵抗する事もできない。目を見開いて夏木の顔を至近距離でしばらく見詰めていたけど、ようやく状況が飲み込めて僕は思い切り夏木を突き飛ばした。
「……何のつもりだよ!?」
 濡れた唇を腕で拭いながら夏木を睨みつける。夏木は馬鹿にするような薄笑いを浮かべて僕を見ていた。
「ヤらせろよ。描かないんだろ?」
「何考えてるんだ! こんな場所で…ふざけんなよ!」
 僕は頭にきて怒鳴りつけたけど、やっぱり夏木は歪んだ笑いを浮かべたままだった。
「こんな場所じゃなきゃいいワケだ」
 さらりと悪びれない言葉を吐かれて、僕は唐突に感情を抑えきれなくなってしまった。今まで我慢していた分まで膨れ上がって、とうてい冷静な顔を装う事なんてできなかった。
「良いワケないだろ! もう、イヤだ! お前となんかしない! 絶対しない!!」
 僕が悲鳴のように叫ぶと、夏木は不意に浮かべていた笑いを消し去る。何の感情も読めない表情になると、冷たい目で僕を見た。夏木は整った顔をしているから、そんな風に表情をなくすととても冷たく見えて僕はぞっとした。
「何で、急にそんなこと言うワケ?」
 冷めた口調で言われて、間合いを一歩詰められる。反射的に同じだけ後ろに下がって、僕は必死に虚勢を張り夏木を睨みつけた。
 夏木の顔を見ていると、久住の顔がなぜか頭に浮かんで、連鎖的に久住と夏木が付き合っているという噂を思い出した。久住と付き合っているのに僕としようだなんて誠意がなさ過ぎる。それとも、夏木の中では僕は本当にダッチワイフみたいなもので、良心の呵責なんて感じないのかもしれない。そう思ったら情けなくて悲しくてやりきれなかった。いたたまれなくて、僕は思わず夏木から視線を逸らして俯いてしまった。
「……そういうことは、好きな人とするもんじゃないのか? ……僕は、イヤだ。………好きじゃないヤツとはしたくない」
 消え入りそうな声でそう言いながら、僕は必死に泣きたいのを我慢していた。

 そう、好きじゃないヤツとはしたくない。
 『僕を』好きじゃないヤツとは。

 俯いたまま、夏木のつま先の辺りをじっと見詰めていたけれど、夏木は何も言わない。沈黙が苦しくて、思わず顔を上げようとした時だった。夏木の靴が一歩僕の方に近づく。ハッと思った時には強引に腕を掴まれて引っ張られた。
「なっ…何っ!?」
 驚いた僕など構わずに、夏木は僕の体をズルズルと引きずってすぐ近くの作業机に連れて行く。そして、そのまま前倒しに机の上に押し付けられた。胸を机にしたたか打ちつけて、僕は一瞬呼吸が止まる。けれども、夏木の手はそんな僕に頓着することなく僕のベルトを外すと乱暴に制服のズボンを下着ごと引き下ろした。
 いくら、夏休みで人がいないといっても学校の中だ。それも、まだ日も高い昼間。そんな場所で無防備に下半身を晒されたことで僕はパニックした。無我夢中で手足をバタつかせる。
「やめろよっ! やめろってばっ!!」
 必死で訴えても夏木は手を止めることはしなかった。背中から覆いかぶさるように机に押し付けられてしまえば、体格の差のせいでどうにも逃げられない。こんな場所で、無理矢理なんて。
 夏木は今までも大概、酷い抱き方をしてきたけど、こんな風に乱暴に無理矢理したことなんか一度もなかった。なぜ急にと思ったけれど、なんてことはない。僕がこんなに抵抗した事が無かっただけの話だ。
「イヤだっ! やめろって!!」
 口では一生懸命抵抗しても、息がすぐに上がってきて、ろくすっぽ抵抗もできなくなってくる。食欲不振で体重と体力が落ちていることがこんな場面でたたってくるとは皮肉だった。
 夏木はとにかく強引で性急で、僕の快感なんて放ったらかし。準備も等閑にさっさと突っ込んでこようする。
「なっ…!? 無理っ……いっ…痛っ!!」
 切れた、と思ったけれど、夏木は止まらない。僕は、もうすっかり諦めて体の力を抜いて自分を放り出してしまった。もう、どうでもいい。好きにすればいい。
 まるでボロ雑巾にでもなった気分だった。

 それでも、僕は絶対に泣かない。痛くても辛くても。

 次第に鈍く麻痺していく痛覚。僕は横目に窓の外の真夏の青い空を眺めながら、意識を放り投げつつあった。遠くに蝉の声が聞こえる。
 その声に混じって、切なげに、忍、と僕の名前を呼ぶ声が耳元で聞こえた気がしたけれど。
 それが夏木の声だったのか、ただの幻聴だったのか僕にはわからなかった。



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