novelsトップへ Do you love me ? - 7へ Do you love me ? - 9へ

Do you love me ? - 8 ……………


 予想もしなかった人に裕太が連行されたのは、その二日後の事だった。いつものように大学で実験を終え、外が真っ暗になってから帰ろうと、実験棟から出たときに、
「裕太君?」
と声を掛けられたのだ。あまり聞き覚えのある声ではなかったけれど、どこかで聞いたことのある声だった。振り返って、そこに立っている人物を見たとき、裕太は目の錯覚かと思ったほどなのに、その人物は、
「あ! やっぱり裕太君だ。ゴメンね、ちょっと時間ちょうだい」
と、こちらの返事も待たず、強引に裕太の腕を掴むとグイグイと駐車場のほうまで連れて行く。裕太がようやく我に返って、
「ちょっと待ってください!」
と異議を唱えたのは、助手席に、まるで荷物のように無理やり押し込まれそうになったときだった。
「はい?」
と、小首を傾げて裕太を見上げてくる女性の仕草は可愛らしかった。顔の造りは、どちらかというと美人といわれるそれなのに、仕草だとか表情は、むしろ可愛らしい。そんなことを場違いにぼんやり考えていると、
「ゆっくり話がしたいから、車の中が良いと思ったんだけど。裕太君がお店の方が良いなら、どこかに行く?」
と、やはり、こちらの都合などまるで考えていないことを言われて、裕太は絶句した。そもそも、なぜ、自分がこの人に連行されなくてはならないのだ。理由が全く見当たらない。
「……いえ、そういうことじゃなくて……あの……菜理子さん、ですよね?」
「はい、そうです。覚えてくれていて嬉しいな。まだ二度しか会ってないのに」
 あっけらかんと言った菜理子に、裕太は再び絶句する。忘れるはずが無い。自分の恋人を横から攫っていった人を、簡単に忘れる人はそういないのではないだろうか。けれども、ふ、と裕太は訝しげに眉を顰めた。もしかしたら、蓮川は、自分が恋人だったことを菜理子には教えていないのかもしれないと思い当たったからだ。
 そもそも、男を恋人にしていたなどと、普通はあまりオープンに誰かに教えたりしないだろう。それならば、菜理子は、裕太のことを蓮川の友人だと思っているのかもしれない。
 けれども、その予想は、次の菜理子の言葉で見事に覆された。
「とにかく、車に乗ってくれるかな? 外寒いし。要の恋人に風邪ひかせたら、また、要に鬱陶しく文句いわれそうだし」
 そう言われて、裕太はポカンと間抜けにも口を開けてしまった。今、この人は何を言ったのだろうか。理解できずにボケッとしたままの裕太に業を煮やし、菜理子は、半ば無理やりに裕太を助手席に押しこんだ。それで、ようやく裕太は気がつく。この人は、女の癖に、やたらめったら力が強い。
「……菜理子さんって、結構、力ありませんか?」
 助手席に押し込まれた弾みに脛の辺りを打ち、痛みを堪えながら、裕太は少々、嫌味な気持ちで言ったけれど。菜理子はさして気にした風もなく、
「ああ、うん。ずっと剣道やってたから」
と答えた。
「剣道?」
 そのキーワードに、裕太がドキリとするよりも早く、
「うん。要から聞いてない? 私、ずっと要のおじいさんの道場に通ってたのよ。だから、要の事は小学生の頃から知ってるの」
とあっさり答えた。そんな以前からの知り合いなのかと思うと、裕太の胸はジクジクと嫌な風に痛み始める。けれども、菜理子は全くそれには気がつかずに、
「シートベルトした? 良いかな? 車出すよ。あ、言っとくけど私、運転荒いらしいから、覚悟してて」
と言うやいなや、車を急発進させた。うわっと声を上げて、裕太は背中を座席にぶつける。そのまま、車は凄いスピードで走り続けて、目的地にたどり着くまで、裕太はずっと肝を冷やし続けたのだった。
 連れてこられたのは、裕太が来たことの無い、広い公園の敷地内だった。小高い丘になっていて、夜景が綺麗に見える。良い場所だな、とぼんやり目の前の景色をフロントのガラス越しに見つめていると、菜理子が、
「あのね、一志がすっごく煩いのよ。お前のせいで、裕太が泣いてるんだ、どうにかしろ! って。それホント? もしかして、要と喧嘩したの、私のせい?」
と、どこか憤慨しているような顔で問い詰めてきた。
「…………え?」
 何か、おかしなことを聞いたような気がして、裕太は思わず菜理子のほうに顔を向けてしまう。そのせいで、菜理子と真正面から視線がぶつかって、裕太はハッと息をのんだ。菜理子は真っ直ぐに裕太を見つめている。そこには少しの疚しさも見当たらない。普通、裕太が蓮川の『元』恋人だと知っていて、自分が横恋慕したのなら、こんな風に、真っ直ぐに裕太を見つめることが出来るのだろうかと、首を傾げた。
「…………あの、喧嘩じゃなくて、別れたんですけど。蓮川、今は、菜理子さんと付き合ってるんじゃないんですか?」
 恐る恐る裕太が尋ねると、菜理子は目を見開いて、思い切り大きな素っ頓狂な声で、
「はああああ? 何、それ?」
と逆に尋ね返した。そこで、ようやく裕太は気がつく。何か話が食い違っていることに。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと待って。要が言ったの? 私と付き合ってるって」
「はい」
と返事をしてから、ふ、と裕太は思いなおす。蓮川が菜理子と付き合っていると、はっきり言ったことは、確か、無かったと。あの日、菜理子と鉢合わせて、どういうことだと尋ねた裕太に蓮川は『見ての通り』だとは答えたけれど。付き合っているとは一言も言っていなかった。
「……あ、ちょっと違うけど。付き合ってるって言ってたわけじゃないです。でも、蓮川の家で菜理子さんと会ったときに、どういうつもりかって聞いたら、見た通りだって。だから、俺、菜理子さんと蓮川が付き合ってるんだって思って……」
 思い出しただけで胸が痛んで、目頭が熱くなってくる。裕太は慌てて、俯いてごまかそうとしたけれど、グスリと鼻が鳴ってしまった。
「……それで、要に連絡しなくなっちゃったの?」
「はい」
と答えた声は完全に涙声だった。車の中に、しばしの沈黙が落ちる。けれども、少しして、菜理子は盛大なため息をついた。
「……何やってんのよ、あの子は」
と呆れた声で、菜理子は独り言のように漏らす。
「あのね、裕太君。確かに、要の家には何度かホテル代わりに泊めてもらったことあるけど、そういう色っぽい関係なんて、全く無いわよ?」
「え?」
「第一、私、もう少しで結婚するし。あ、もちろん、相手は要じゃないわよ?」
「え……? ……え? ……ええーー?」
 裕太が心底驚いて大きな声を上げると、菜理子は苦笑いを浮かべて見せた。
「と言っても、ちょっと前まで破談寸前で、それでゴチャゴチャしてたから、迷惑だって分かってても、要のトコに泊めてもらったりしたんだけど。でも、私、最初に聞いたのよ? もし、恋人とかいるんなら、誤解させちゃうし、遠慮するけどって。そしたら、要、『ちゃんと説明すれば大丈夫だから』って言ってたのよ。何か聞いてない?」
「……全然、聞いてません。てっきり、俺、菜理子さんとヨリを戻したんだとばっかり……」
 眦を涙で濡らしたまま、裕太が腑に落ちない顔で言うと、菜理子は盛大に顔を顰めた。美人なのに、表情が豊かで、気取っていない雰囲気が裕太は嫌いになれない人だと思う。
「だーかーらー。どうして、そんな話になって別れたのか全然分からない。ああ……要が、裕太君にそういう誤解させた理由はなんとなく分かる気はするけど……てか、要から聞いてたのと、裕太君って違うね」
「違うって……どういう意味ですか?」
「素っ気無くて、冷めてて、別に要と別れても平気な子、って思ってた。要から話を聞いてる分には。でも、それも違うみたいね?」
 菜理子の評価を聞いて、裕太は目を見開く。どうして、そんな風に評されるのかさっぱり分からなかった。菜理子が説明した人物は一体誰の事なのだと、頭の中を疑問がグルグルと駆け巡る。自分で言うのも何だけれど、正直、蓮川にベタ惚れで振り回されているのは傍目から見ても分かりやすかったのではないかと思う。
 その疑問が顔に出ていたのだろう。菜理子は苦笑いすると、おどけたように肩を竦めて見せた。
「一緒に暮らそうって言ってもあっさり断るし、一ヶ月くらい会えなくても別に大して気にしてないみたいだし、俺と別れても三日たてば忘れるって言っちゃうし、女の影をちらつかせても何も言わないし、浮気してるって誤解しても文句も言わずにさっさと帰っちゃう」
 一気にまくし立てて、菜理子はじっと裕太の顔を見つめた。何かを見定めようとでもしているような真っ直ぐな視線だったけれど、裕太は目を逸らさなかった。
 一つ一つを落ち着いて考えてみる。確かに、同居の件は裕太から断った。でも、蓮川はあっさりとした態度だったし、さして、気にしている風にも見えなかったのに。
 一ヶ月会えなくても気にしていないというのは、自分ばかりが会いたいと思っているようで、意地を張っていただけだし、蓮川と別れても三日経てば忘れるなんて到底無理なことだというのは、今現在、身をもって知っている。誰かの影に気がついていながら何も言わなかったのは、蓮川を責めて二人の関係が壊れるのが怖かったからだ。菜理子と鉢合わせして文句も言わずに帰ったのは……今にしてみれば、あまりに衝撃が大きすぎて、頭が真っ白になり、何をどうして良いのか分からなかったのかもしれない。確かに、思い当たる節があるけれど、そのどれも、それほど蓮川が気にしているなんて思っていなかった。
「しかも、二ヶ月近くも音沙汰無しで、本気で別れるつもりらしい。以上、私が要から聞かされた裕太君に対する愚痴でした。おしまい」
 菜理子は、そこまで一気に言うと、噴出して笑い始めた。
「もー全然、要の話と違うんだもん。っていうか、要なんて裕太君にベタ惚れなの丸分かりなのに、なんで、浮気とか疑っちゃうかなー」
「そんなの! ……そんなの全然分かりません。蓮川こそ……蓮川こそ、いつだって余裕あって、俺の事適当にあしらうし、冷めてるみたいだし、女癖悪いし、全然、本心とか見せてくれないし……」
 菜理子が言った人物評は蓮川にこそ、つき返したい。そう思っているのに。
 途中で言いよどみ、ますます俯いた裕太を、菜理子は、しばらくじっと見つめていたけれど、急に、ポンと手を打って、
「あ! 分かった!」
と声を上げた。
「もしかして、裕太君、要の事、すっごく好きでしょう?」
 そして、そんな今更なことを言ってくる。余りに今更過ぎて、裕太は呆れ果てた。
「……そんなの、見れば分かると思うけど……蓮川だって知ってると思う」
 すこしばかりうんざりした気持ちで答えたのに、菜理子は困ったような苦笑いを見せて、首を横に振った。
「知ってなかったわよ? だから、こんなに拗れちゃったんじゃない? 要も裕太君と同じだと思うよ」
「同じ?」
「私は裕太君の事、良く知らないし、要とどんな風に付き合ってるかも知らないけど。でも、多分、裕太君が思ってるより、要って臆病で不器用な子だと思うよ」
「臆病?」
「そう。人を好きになることに対して、凄く臆病なの。多分、お母さんの事見てたからじゃないかな。裕太君、要のお母さんの事、聞いたことある?」
「……少しだけなら。あんな風に、誰かを本気で好きになって待ち続けるのは嫌だって、言ってたことがあります」
「そっか。前とおんなじこと言ってるんだ。でも、もう手遅れだよね? こんなに裕太君の事、好きになっちゃったんだから。裕太君も、要も、端から見ればベタ惚れなのが丸分かりなのに、お互いにあんまり好きが過ぎて、見えなくなっちゃったんだね」
 酷く優しい口調で菜理子は言うと、ふふふ、と可愛らしく笑って見せた。
「なんか嬉しい。要が、ちゃんとそういう相手に出会えたってのが」
 それから菜理子は、出し惜しみ無く蓮川の事を教えてくれた。一つ一つ、裕太の疑問にも丁寧に答えながら。それを聞きながら、ジワジワとこみ上げてきたのは安堵と、どうにもならない、蓮川が好きだという切ない感情だった。夢中で話をして、結局、気がつけば、三時間近くが経っていた。
 最後に、菜理子は付け加えるように言った。
「七年前、要と付き合って、別れるときに、私、言ったの。『要はお母さんみたいになりたくないって思ってるかもしれないけど、でも、きっと、要のお母さんは不幸じゃなかったと思うよ。要だって、本当は、そんな風に誰かを愛したり出来る人なんだよ。いつか、誰かを、そんな風に愛せると良いね』って。
 あのね、要、裕太君と付き合って、すごく楽しかったんだって。あんまり深く考えるのも忘れるくらい、楽しかったんだって。でも、私と再会して、私が別れる時に言った言葉を思い出して、愕然としたって言ってた。いつの間にか、自分でも知らないうちに、あんまり深い場所まで裕太君が入ってきてることに気が付いて、すごくすごく怖くなったって」
 菜理子の言葉を聞いて、裕太は蓮川が不安定になってしまった理由の本質を知る。そして、馬鹿馬鹿しく思った。二人で同じ場所に躓いて、同じ場所をグルグルと迷い続けていたなんて。
 思い返せば、時々、蓮川は裕太に何かを求めて苛立っていた。もし、それが不安の裏返しだったとしたら。裕太が蓮川に不安にさせられたように、裕太もまた、知らず、蓮川を不安にしていたのかもしれない。裕太が苦しんで、死にたいほど寂しいと感じていたのと同じに、蓮川も感じていたとしたならば。余りに滑稽だけれど、とても切ない。
 ふと思い出したのは、一志の言葉だ。愛することが幸福だと思う人と、愛されるのが幸福だと思う人。裕太はどっちなのか分からないと一志は言った。それなら、自分は両方が良いと思う。そして、蓮川も。
「……俺、蓮川に会います」
 最終的に背中を押してくれたのは菜理子だ。決心した裕太に、菜理子は、
「そ。じゃ、今すぐ会いに行ったら? 車で送ってあげるから」
と、事も無げに言った。
「え? 今から?」
 驚いて戸惑う裕太に、菜理子はあっけらかんと笑う。何の屈託も無い、綺麗な笑顔だと裕太は素直に思った。二人の過去の事を裕太は詳しくは知らない。けれども、窮屈な場所で誰にも知られないように何かを堪えていた蓮川が、この人に救われていたのは真実なのだろうと少しの切ない痛みとともに思った。
「うん、不意打ちで行ったほうが面白いと思うの」
「面白い?」
「そう。行けば分かると思うよ。裕太君がいないと、要がどうなっちゃうかってことが」
 菜理子は悪戯っぽく笑うと、やっぱり車を乱暴に急発進させる。気持の良い人だけれど、この荒っぽい車の運転だけは頂けない、と裕太は密かに思って、小さく笑った。




novelsトップへ Do you love me ? - 7へ Do you love me ? - 9へ