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Do you love me ? - 7 ……………


「ねえねえ、彼氏、俺と楽しいことしない?」
と、キャンパス内でヘタクソなナンパをされたのは、暮れも差し迫ったクリスマスの少し前の事だった。俯いて歩いていた裕太は、すぐ近くに、大きなバイクが停まっている事に気が付かなかった。そのバイクの横に立って、ヘルメットをクルクル回しながら笑っている男を見て、裕太は噴出す。
「なんだよ、一志、こんなところまで」
「どっかの薄情モンが全然、会いにきてくれないから、こっちから来たんだよ」
 一志はヘルメットを裕太にトンと押し付けながらカラカラと笑う。そう言われてみれば、大分、一志とは会っていない。最後に会ったのは、蓮川の父親と出くわした日だから、二ヶ月近くも前になる。もう、そんなに時間が経ったのかと、裕太は改めて驚いた。
「……ゴメン。色々、あって……」
 笑って言おうと思うのに、頬が引きつる。一志が相手だと、なぜだか、上手に嘘がつけなくて、裕太は誤魔化すように俯いてしまった。頭の上で、小さなため息が一つ聞こえる。
「乗れよ。今日、俺、仕事休みだから。どっか遊びに行こうぜ」
 一志は、知っているのだろうか。蓮川と別れてしまったことを。多分、知っているんだろうなと思った。そうでなければ、わざわざ、一志が、こんな所まで迎えに来る理由が分からない。前にも、忙しくて何ヶ月か会わないときがあったけれど、その時だって、大学まで裕太に会いに来たことなど無かった。
 一瞬迷って、けれども、結局、裕太はヘルメット受け取った。ふと見上げた一志の顔は、思いのほか、真剣な表情で裕太はドキリとする。けれども、それも一瞬の事で、一志はすぐに、いつもの磊落な笑いを見せると、
「どこ行く? 飲みにでも行くか?」
と尋ねてきた。
「……あんまり、外に出たい気分じゃないけど」
「じゃ、俺の家で飲むか」
「え? 一志の家?」
「そ、来た事無いだろ。今日はお袋も仕事でいないから、邪魔者もいないし」
 一志は一人でそう決めると、戸惑う裕太を半ば強引にバイクの後ろに乗せて、走り出してしまう。振り落とされないように一志の背中にしがみ付くと、多分、先ほどまで吸っていたのだろう、煙草の残り香がした。覚えのあるその匂いに、裕太の胸はギュッと強く掴まれたようになる。ああ、そうだった、一志の吸っている煙草と蓮川のそれは同じ銘柄だったと思い当たり、裕太は目を閉じた。頬を打つ空気は冷たい。少しでも暖を取るように一志の背中に頬を当てると、微かに体温が伝わってきて、どうしようもなく裕太は人恋しい気持ちになってしまった。
 自分でも分かるくらい、弱っている。こんなことでは駄目だと思うのに、その体温が離しがたくて、裕太はそのまま一志につかまった。

 たどり着いた場所は、何階まであるのかと呆れるくらい高いマンションだった。見るからに高級なそれだと分かる。けれども、半ば予想していた裕太は、それほど驚きはしなかった。一志や涼子が経営している類の店が、どれほど儲かるのかは分からないけれど、一晩で何百万の金が飛び交うのを目の当たりにしたことが無いわけではない。一志は、なぜか、終始静かで、ほとんど言葉を発しなかった。怒っているのかとも思ったけれど、その表情からは怒りは感じられず、それよりも、何か思案して迷っているような、そんな顔だった。
 かなり上層の階でエレベーターから降りて、ここだといわれた部屋に入る。玄関から続いている廊下を歩くと、バカみたいに広いリビングにたどり着いた。けれども、案外と、部屋の内装は質素だ。無駄なものがあまりない。あからさまに高価なものが飾ってあるということもなく、どちらかというと、質は良いが機能的に優れているものばかりを集めた部屋、と言った印象だった。
「なんか、想像してたより地味な部屋だね」
「まあな。昔は酷かったけどな。俺が小学生の頃なんて、成金趣味丸出しのケバい部屋に住んでたぜ?」
「そうなの?」
「ああ。頭疑うくらい、贅沢しまくってた。お袋も若かったしな。その頃、要と要の母親が六畳一間のボロアパートに住んで、慎ましく暮らしてるって知ってたから、尚更、あてつけみたいに金使ってたぜ?」
 らしくもなく、どこか自嘲気味の笑みを浮かべて一志は言う。初めて聞く話に、裕太は驚いて目を見開いてしまった。
「えっと……でも、良く分からないんだけど。その……涼子さんって愛人で、蓮川の母親が本妻だったんだよね?」
「ああ。戸籍上はな。でも、要の母親は、俺たちのロクデナシのオヤジからは、一切、金を受け取っていなかったからな」
「……なんで?」
「知らねえ。でも、お袋は、オヤジが本気で惚れてんのは、後にも先にも、要の母親たった一人だって言ってる。大体、俺が出来たのだって、お袋がしょうもない脅しかけたからだし」
「脅し?」
「そう。お袋、他はともかく、水商売に関しては天才的な才能があってさ。俺を産む前だって、年収何千万とか稼ぐホステスだったらしいぜ。だから、クソオヤジはどうしたって、お袋を手放せなかった。事業も軌道に乗る前だったから、尚更な。だから、オヤジが、本気で惚れた女が出来たから切れてくれつったときに、じゃあ、子種だけくれって脅したらしい」
 どこか投げやりに話すのは、多分、一志にとっても、あまり気持ちの良い話ではないからだろう。
「ひでぇ話だろ? 要の母親は、親父のせいで高校生なのに孕んで、家追い出されたのに。でもな、要の母親のスゲー所は、お袋が妊娠してるって知ったら、親父に絶対認知しろっつったトコなんだよ。要と俺と絶対区別するな、区別したら、籍は入れないって言ったらしい。だからお袋は、要にも、要の母親にも絶対、頭が上がらないんだよ……俺もだけどな。だから、中学生の頃に、要の母親が死んで、立て続けにじいさんばあさんも死んだ時に、お袋が要引き取ったんだ」
「……じゃあ、大学に入るまでは三人で暮らしてたの?」
「ああ。でも、最初は俺たち、スッゲー仲悪かったんだぜ?」
「そうなの?」
 蓮川と一志は、確かに会えば憎まれ口を叩きあっているけれど、それはコミュニケーションの一環のようなもので、嫌いあっているようには見えない。だから、その一志の言葉は裕太には意外だった。
「……初めて会ったときの要ってさ、スゲーやな奴だった。完璧で隙が無くて面白くない優等生だった。絶対、本性も本音も見せなかったし。まあ、それは、今でも残ってるトコだけどな。それが気に入らなかった。俺も子供だったから、それが仕方が無いことだって理解できなかったし」
「……仕方が無いこと?」
「ああ。要の母ちゃん、要が八歳のときに実家に連れ戻されてんだよ。その実家のジジイってのがさ、俺も、一回だけ会ったことあるけど、最悪なんだよ。化石みたいなジジイで、やたらと体面は気にするし、行儀作法だの、格式だのに煩いし。要の母ちゃんなんて、死ぬまで、針のむしろ状態だったらしいぜ。要はさ、母親の事大事にしてたから。母親の立場が悪くならないように『完璧な行儀の良い子供』ってのを演じなくちゃならなかったんだよ。それが身に染み付いて取れなくて、俺たちと一緒に暮らしても、やっぱり、要は『完璧』なままだったぜ。アイツが、羽目外し始めたのって……つっても、表向きは優等生のままで、裏でってことだけどな、それって、菜理子と別れてからだぜ」
 『菜理子』という名前を聞いて、裕太の胸は不意打ちでズキリと痛む。やはり、菜理子は蓮川にとって、大きな意味を持った存在のままなのだろうと思うと、呼吸が苦しくなった。
「……だからなんだ」
「あ?」
「いや、蓮川が菜理子さんとヨリを戻したのって、だからなのかなって」
 裕太が無理やりに苦笑いで答えると、一志は、ポカンとした顔で、裕太を見つめる。
「誰が誰とヨリを戻したって?」
「だから。蓮川と菜理子さんが」
「……待て。ちょっと待て。アイツ、二股かけてンのか?」
「いや、二股はかけてない。俺とは別れた」
 それを答えるときにはさすがに胸が痛んで、作り笑いも浮かべられなかった。ジワリと目頭が熱くなる。潤んだ目を見られるのが嫌で、裕太は、慌てて俯いた。
「……何だよ、それ?」
「……一志、俺たちが別れたって知ってたんじゃないの? だから、俺に会いに来たのかと思った」
「知らねえよ。要の様子がおかしかったから、オヤジと鉢合わせてから、おかしなことになってんのかもって、ユータに探りいれようと思っただけだ」
「……そう、なんだ……でも、もう、俺、蓮川とは一ヶ月以上会ってないし。どうしてるか知らない。菜理子さんに聞いたほうが知ってるよ、きっと」
 グスリと鼻を鳴らして裕太が小さな声で言うと、一志は心底困ったように天井を仰いだ。
「……お前、そういう顔するなよ、ただでさえエロい顔なんだから」
 何をバカなことを言っているんだろうと少しだけ笑ったタイミングで涙が一粒だけ落ちて、裕太は泣き笑いの顔になってしまった。
「だから……泣くなって……」
 優しく言いながら一志は裕太を抱き寄せる。その胸に顔を押し付けられると一志の体温が伝わって、裕太は体の力が一気に抜けてしまった。今まで張り詰めていたものが、全て台無しになる。鼻をつくのは蓮川と同じ煙草のにおいだ。一度箍が外れてしまうと、感情のコントロールが効かなくなった。溢れ出した涙は、もう、裕太の意思ではどうにもならない。
 苦しくないなんて、寂しくないなんて嘘だ。
 本当は、直視したらどうしようもなくなってしまうと分かっていたから、無理やりに目を逸らし続けていただけ。
 三日三晩泣いて、それから普通に生活するなんて出来るはずが無い。こんなに、こんなに、未だに蓮川が好きなのに。
 弱っている心は、どんな些細な優しさにも簡単に負けてしまう。一志が裕太を抱きしめて、流れる涙を唇で辿っても、その唇が頬を経由して唇に落ちてきても、裕太は、抵抗する気にならなかった。寂しくて苦しくて穴が開いてしまった心に、偽物でも良いから何かを埋めて欲しい。
「……泣くなよ」
と、もう一度だけ一志は言って、裕太の頬を暖かい手で撫でた。もう片方の手は肩の辺りをやっぱり優しく撫でている。何でも良い、この苦しさと寂しさが紛れるなら。そう思ってしまったのは事実だ。誘ったのか誘われたのかは分からない。ただ、裕太は体の力を抜いて、何もかもを一志に委ねた。
 一志は優しかった。その仕草の全てが労わりと慰めに満ちていた。けれども、だからこそ、強烈な違和感を裕太は感じざるを得なかったのだ。涙と熱で朦朧となっていた意識がはっきりと輪郭を取り戻したのは、下肢に触れられたときだった。本能的な反射のように一志を突き飛ばして、呆気に取られた顔の一志と見つめあう。自分で突き飛ばしておきながら、裕太もまた呆然としていたけれど。
 頭の中にわんわんと響いていたのは、
『これは蓮川ではない』
という、それだけだった。蓮川ではない。蓮川はいない。苦しさと寂しさを忘れたくてしたことなのに、余計に寂しくて苦しくなっていては意味が無い。一度止まりかけていた涙は、堰を切ったように流れ出して、もう、裕太は自分でもどうにもならなかった。
 子供のようにしゃくり上げて、
「ゴメン……ゴメン……」
と謝り続ける裕太を一志は痛ましい目で見つめ、そっと抱きしめてくれる。けれども、その腕には、もう性的な匂いはしなかった。
 泣きながら、裕太は今更のように後悔する。どうして、あの時、自分は何も言わずに去ってしまったのだろう。どういうつもりだと問い詰めて、あるいは、好きだから別れたくないと訴えたなら、少しは、結果が変わっていたかもしれないのに。
 でも、もう、裕太には分かっていた。自分が過剰に臆病になっていたのだということが。なぜ、過剰に臆病になっていたのか。それは、好きの度合いのバロメーターのようなものだ。
 全力で走れば走るほど、転んだときの痛みは大きい。好きなれば好きになるほど、それが駄目になったときの痛みも、きっと大きいのだろう。だから、心は本能的に自己防衛を行う。ただ、それだけのことだ。
 裕太は、泣いて、泣いて、泣き続ける。一生分の涙が零れてしまうのではないかと思うくらい。

 それでも、蓮川が好きだと思う気持ちは、溶けてなくなってはくれなかった。








「お前に、手を出しかけた俺が言うのもアレだけどさ。一度、ちゃんと要と話してみろよ」
 と、一志は言った。落ち着いてから、詳細な事情を白状させられ、それを聞いた一志の論は、
「俺は、やっぱり要が菜理子とヨリを戻すなんて想像できない」
 というものだった。
「……でも。蓮川の家でバッチリ鉢合わせちゃったし。それに、ホントは、前から気がついてたんだ。蓮川の家に、菜理子さんの痕跡が残ってたの」
「うー……なんか、その辺が腑に落ちねーんだよ」
 一志はグシャグシャと頭を掻き毟りながら言ったけれど。今更、自分に都合の良い解釈など裕太には出来なかった。期待して裏切られるのはつらい。もう、これ以上、胸の痛む思いはしたくなかった。だから、
「とにかく! 要とちゃんと話しろ!」
と一志にもう一度言われても、半分くらいは迷っていた。でも、半分は、きちんと向き合わなくてはならないのだと分かっている。自分自身のためにも、きちんと、一度、全てをぶつけなくては、きっと一歩も前に進めない。けれども、あと少しのところで、背中を押してくれる何かが足りない。
 一志の家から帰る途中で、吐き出した息は完全に真っ白だった。
 クリスマスが近い。蓮川とそういう関係になってから、毎年、当たり前のようにクリスマスは一緒に過ごしてきたけれど。
(今年は一人きりなのかな)
 小さなため息を一つつく。晴れ渡った冬の夜空は澄み切って、珍しいほどに星が沢山見えた。今、蓮川はどんな気持ちでいるのだろう。
「俺も大概、未練がましいよな……」
 苦笑い混じりに漏らした独り言は、白い息になって暗闇に溶けた。




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