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Do you love me ? - 9 ……………


 蓮川のマンションの下で、部屋に明かりがともっていることを確認して、菜理子は、じゃあ、ここからは裕太君だけでね、と言って去っていった。
 車が見えなくなってからもしばらく、その場所で蓮川の家を見上げ続け、それから、裕太はようやく建物の中に入った。
 エレベーターで目的の階まで昇りながら、ポケットのキーホルダーを確認する。一番右側に付けられているその鍵を、未だに捨てないどころか、捨てることさえ思いつきもしなかった自分に苦笑いを零す。色んな、そこかしこに、自分の本当の気持ちなど見えていた。
 たどり着いた部屋の前で、一度だけインターフォンを鳴らし、家主が出てくるより先に鍵を使ってドアを開ける。開いたタイミングで、丁度、蓮川も玄関にたどり着いたのだろう。バッタリ、という言葉そのままに真正面から向かい合って、当然、驚いた蓮川は一瞬目を大きく見開いたけれど、裕太も、同じだった。蓮川が、あまりにもいつもと違ったからだ。
 痩せた、というのが第一印象だった。やつれた、と言ったほうが正しいかもしれない。そして、あちこちが綻びている。そうとしか言いようの無い雰囲気だった。
 もともと、蓮川は隅から隅まできっちりしていて隙が無い印象を受ける男だ。その本性を知らなければ、大抵の人間は清廉潔癖だとか、ストイックだとか第一印象で思うだろう。裕太も例外ではなく、最初はそう思っていた。けれども、今目の前で、驚いたように裕太を見つめ返してくる男は、それとは程遠い。
「……裕太」
と、呟きのように蓮川が漏らし、裕太はヒュっと息を飲み込んだ。その声で名前を呼ばれるのは、いつぶりだろうと思う。こみ上げてくる感情に、裕太は、自分がどれだけ飢えていたのかを知った。
「話、しに来た」
 何から言って良いのか分からず、どうしても言葉が短くなってしまう裕太に、蓮川はそれをどう理解したのか、顔を歪めた。そこで、裕太はようやく違和感に気がつく。いつもの蓮川と、明らかに違う。感情の何もかもが、隠すことも出来ずに、その顔に表れてしまっているような気がした。
「……何の? 別れ話?」
 突き放すような冷たい口調は、きっと、菜理子の話を聞く前だったなら簡単に裕太を落ち込ませただろうし、もしかしたら逃げ出していたかもしれない。けれども、今なら、裕太にも簡単に分かる。これは、一種の自己防衛のようなものだと。同じことを、自分もしていたのだから、余計に分かった。
「別れたいの?」
 問い返した裕太に、蓮川は眉を顰める。その口元が迷って、けれども、結局、否定する言葉が吐き出されることはない。その怯えが、なぜだか、裕太にも手に取るように分かって、一気に肩の力が抜けた。
「俺は、別れたくないけど」
 気負い無く裕太が答えると、蓮川はやはり迷ったような表情を見せて、
「上がれよ……大分、散らかってるけど」
と、観念したように言った。
 靴を脱いで部屋に上がり、ぐるりと見回して裕太は絶句する。散らかっている、という言葉は謙遜でもなんでもなく、事実だった。
 読まれずに放り出された新聞や雑誌、あちこちに散らばっている衣服、部屋の片隅に適当にまとめて置かれているビールの空き缶や酒瓶は、いつも蓮川が飲んでいる量よりも、明らかに多すぎると推測できるほどの数だった。シンクに洗われることなく積み重ねられている食器の脇にも、結構な数の缶や瓶が並んでいる。その脇に放り出されている灰皿には、溢れそうなほど、煙草の吸殻が捨てられていた。
 独身男性ならば、さほど驚くような散らかり方ではないのかもしれない。忙しければ、この程度に部屋は荒れるのかもしれないけれど、普段の蓮川の部屋の状態を知っている裕太には、驚きだった。
 神経質というわけではないが、蓮川は、裕太が来るときには、それなりに部屋をきちんと片付けていたし、大体、裕太自身が割合と気にするので、裕太が掃除をすることもあった。その頃に比べると、雲泥の差がある。
 生活全般に、何か投げやりなものを感じさせるような荒み方に裕太は、ドキリとする。菜理子が言っていた、『裕太がいなければ蓮川がどうなるのか』という言葉の意味が分かったような気がした。
「忙しいの?」
「ああ……まあ、年末だからな。裕太も、そうだろ。年明け、学会が多いし」
 うん、と頷いて、裕太は蓮川のすぐ近くまで行くと、真正面から蓮川を見つめた。蓮川の顔には、明らかな困惑が浮かんでいる。裕太が何をしたいのか、まるで予想が出来ない、そんな顔だった。
「別れたいの?」
と、裕太はさっき言った言葉をもう一度、繰り返した。蓮川は微かに目を見開いただけで何も答えない。ユラユラと今まで見たことが無いほどその瞳が揺れている。目元の泣きボクロが目に付いて、裕太は、ぼんやりと、ああ、やっぱり好きだなと考えた。
「……別れたいのは、裕太だろ?」
 そんなに悄然とした面持ちなのに、切り返してくる言葉はいつもの蓮川だった。意地っ張りで素直じゃない。それが、少しだけ可愛いと、今は思える。
「だから、俺は別れたくないって言ったじゃん。大体、浮気したのは蓮川だろ?」
 本当は浮気なんてしていないことを知っていながら、あえて裕太はそう責めた。蓮川は、フッと、力なく笑い、
「してねえよ」
とぶっきらぼうに答える。
「嘘。菜理子さん、家に連れ込んでただろ?」
 裕太の口調は決してきつくないし、その表情は問い詰めているようには見えない。ただ、形式のように言葉だけで責めた裕太に蓮川は小さなため息を一つついた。
「あれは……やむにやまれぬ事情があって、寝る場所を何度か貸しただけだ……」
「うん。菜理子さんが友達のうちにどうしても泊まれない時だけね」
 裕太がそう言葉を続ければ、蓮川は酷く驚いたような顔で裕太の顔をじっと見つめた。
「だったら、何で、そう言わない? 何も説明しないで、わざと俺に誤解させようとしたのは、別れたかったからじゃないの?」
 こんな風に問い詰めてはいけないのだと、ずっと裕太は思っていた。問い詰めて嫌われるのも、鬱陶しいと思われるのも怖かった。蓮川は、しばらく裕太の顔を見つめ続けて、それから、ようやく、
「違う」
と一言だけ否定の言葉を発した。けれども、それも小さい声で、未だに、何かを迷っているのが分かる。それが、裕太にはもどかしかった。
「嘘。蓮川は、一体、俺の事どう思ってるんだよ? 何だと思ってる?」
 今まで、こんな風に、感情を吐露させるように問い詰めたことは無い。否定されるのが怖くて、そんなことは絶対に出来なかった。けれども、今は、それをしなくてはならないのだと思う。意地を張るのも頑固なのも性格だから仕方が無い。それでも、きちんと言葉にしなくては駄目になることもある。裕太は、こんなことで、本当に駄目になりたくは無かった。それは、それだけ蓮川の事が好きだからだ。
 裕太の一歩も引かない決意のようなものを蓮川も感じたのだろう。その言葉を、茶化すことも無く、ただ裕太の顔をじっと見つめ返していたけれど。不意に、ふっと視線を逸らすと、
「そんなの、言わなくても分かるだろう?」
と、どこか言いづらそうに、苦しいものを吐き出すかのように答えた。
「分からないよ」
 裕太は間髪置かずに返す。
「分からない。言葉にしてもらわなくちゃ、分からない時だってあるんだ。俺は蓮川が好きだよ? 凄く好きだから別れたくない」
 はっきりとした口調で裕太がそう言うと、蓮川はくしゃりと顔を歪ませ、不意に裕太の肩を掴むと、すぐ近くにあったソファの上に押し倒した。そして、そのまま、驚いている裕太に噛み付くようなキスをする。
「……ンッ……ふ……んんっ……」
 随分と久しぶりのそれは、とても蓮川とは思えないくらい、冷静さを欠いているキスだった。余裕もへったくれもない。ただ、必死に裕太にしがみ付くように、荒っぽくて激しいキスを続ける蓮川に、裕太は泣きたくなる。唐突に唇を離し、上から裕太を見下ろしている蓮川の顔は、感情が筒抜けで、丸分かりだった。裕太が、
(嗚呼、本当にコイツって俺が好きなんだ)
と頭ではなく、心で理解したのはこの時かもしれない。
「……裕太こそ……嘘だろ? 俺は、お前がいなくなって、こんなにグチャグチャになったていうのに、お前は何も変わらない。平気な顔をしてる」
「平気なんかじゃない!」
 それこそ心外だった。蓮川とあんな風に別れて、どれだけ裕太が苦しくて、辛くて、寂しかったか蓮川は知らないのだ。けれども、蓮川は裕太の肩を抑えつけたまま、反論を許さなかった。
「じゃあ、何で逃げるんだよ!」
 らしくもない、酷く激昂した声と表情で蓮川は問うた。酷く苦しそうにも見えるその表情に気がついて、裕太はハッと息を飲み込む。蓮川は決して裕太を離さずに、ぐ、と一度歯を噛み締めて、それから痛みを逸らすかのように裕太から視線を外した。
「俺と一緒に住むのを断ったのは、先の事まで考えるのが重くなったから? 俺が浮気したと思ってあっさり去ったのだって、逃げたかったからなんじゃないのか?」
「……違う。違うよ。一緒に住むのを断ったのは……不安だったから……一緒に暮らして、でもやっぱり違うって別れるのが怖かったから。逃げようと思ってたわけじゃない」
 思いもよらぬことを言われて、裕太は戸惑う。そんな風に蓮川が考えていたなんて少しも知らなかった。
「……蓮川の方が先に社会人になったのも、置いてきぼりにされるみたいで怖かった。いつか、現実が見えてきて、やっぱり違ったって切られるのが怖かった」
 もう、取り繕うことなどできずに、馬鹿正直に裕太が白状すると、蓮川は眉間の皺を深くして、
「そんなこと……ある訳無いだろ? お前、俺の、何を見てるんだよ」
と裕太を責める。
「蓮川こそ、俺の、何を見てたんだよ……俺、全然平気じゃない。お前がいないと、ちっとも平気じゃないよ……」
 言いながら、同じことをお互いに主張して、意地を張り合って、馬鹿みたいだと思う。馬鹿みたいだと思うのに、零れたのは笑いではなくて涙だった。
「俺だって平気じゃない。裕太がいないと……グチャグチャになる」
「だったら、ちゃんと言えよ。ちゃんと、好きだって言葉にしろよ」
 言わなければ絶対に許さない、と潤んだ瞳で蓮川を睨み上げる。蓮川は、しばらくじっと裕太を見下ろして、それから、観念したように小さなため息を一つ漏らした。
「多分、お前が思うよりずっと、俺は裕太が好きだよ」
 そう言った直後に落ちてきた唇は。やっぱり余裕なんて一つも無くて、まるで噛み付くような激しいそれだった。


「……アッ、アッ……や、もう、ンンッ……」
 逃げるように指を伸ばし、何か掴もうとした手はあっさりと蓮川のそれに捉えられた。指を絡めるように手を握り締められて、裕太はすすり泣きの様な悲鳴を上げる。その声も、すっかり掠れて、力がない。
 もう片方の手で腰を掴まれて、強引に、グイと引き寄せられる。中に入っているものが奥まで届いて、ずっと繋がったままのそこが激しい刺激に、意思に反して蠢くのが自分でも分かった。それが怖くて、裕太は身を捩り、ずり上がろうとする。
「ゆ……た……逃げるなって、言っただろ」
 自分の上に覆いかぶさったまま、少しも離してくれない男を裕太は濡れた瞳で見上げる。そうじゃない、逃げたいわけじゃないのだと首を横に振ると、それをどう誤解したのか、今度は頬を挟まれ、唇をふさがれる。舌を強く吸い上げられながら、繋がった場所を何度も突き上げられて、裕太は意識が飛びそうになるのを必死で堪えた。
 もう何度、自分が達したのか分からないし、中で何回出されたのかも分からない。ただ、狂ったみたいに体を繋げて、そして、繋がったままだった。今まで離れていた分をすぐにでも取り戻そうとでも言うかのような激しいセックスを、求めたのは二人ともだ。
 触れ合えば触れ合うほど、いかに、飢えていたのかが分かって際限が無い。あさましいとも、みっともないとも思う余裕も無いほど、裕太は蓮川にもっととせがんで、蓮川は蓮川で、裕太を離そうとはしなかった。
 明日の事を考える隙も無い。きっと、いま、裕太の頭の中を覗いたとしたのなら、一から十まで蓮川の事でいっぱいだっただろう。きっと、蓮川も。
 しっかりと目を開けて見上げた先には、余裕の無い蓮川の顔が見える。真っ直ぐに裕太を見つめてくる瞳には、隠しようもなく切ないまでの恋情が浮かんでいた。もしかしたら、本当は、ずっとこんな目をしていたのかもしれない。ただ、裕太が目を逸らすか、あるいは目を閉じていたから気がつかなかっただけで。
「逃げ……ないっ……ンッ! ア、ア、アアッ」
 逃げたりはしないけれど、体の限界が近くて辛いから少し休みたいと、そう訴える隙は与えてもらえなかった。また、波が来ているのだろう。音が聞こえるほど激しく奥を突き上げられて、裕太はシーツの上で体を跳ね上げた。
「や……! もう……死んじゃう! ……ア! アッ! アアアアッ!」
 無理やり前を刺激されて、殆ど同時に達すると、完全に力の入らなくなった体は、余韻で小刻みに震えた。生理的な涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、裕太はしゃくり上げる。泣きたいわけではないのに、涙が止まらなくてどうにもならない。その濡れた目元を、濡れた頬を、蓮川の唇がなぞる。舌で涙を拭い取られて、裕太はその首に腕を回して必死にしがみ付いた。
「蓮……川……蓮川……」
 その存在を確かめるように繰り返して名前を呼べば、背中と腰に腕を回されて、苦しいくらいに強く抱き返される。
「裕太」
と耳元で囁かれる名前は、好きだといわれるよりも何倍も熱っぽくて、裕太は頭が朦朧としてくる。どうして、こんなに長い間離れていられたのか自分でも不思議なくらい、蓮川が欲しくて欲しくて仕方が無かった。体は限界を訴えているのに、気持ちの方は際限が無い。その溝が埋められないことがもどかしくて、切なかった。
 涙を拭い終わって、今度は唇に何度もキスをされる。自分から誘うように裕太は口を開いて舌を差し出した。
「ンッ…ふ……」
 口腔内を嘗め回され、歯列をなぞられ、舌を絡めて吸われる。口でセックスしているみたいだとぼんやり考えているうちに、入ったままだったその場所が次第に、圧迫感を増すのを感じた。
「あ……あ、また……」
「悪い……もう、一回」
 いつもより少し子供じみた声でねだられれば、裕太は頷くしかできなくなる。小刻みに腰を揺らされて、せっかく止まっていた涙がまた溢れ出した。どうしてこんなに好きなのだろう。こんなに好きだと、いつか、心臓が止まってしまうんじゃないかと心配になって、蓮川の顔を見上げると目が合った。蓮川は眉を寄せて、少し苦しそうな顔をしていたけれど、目が合った途端、酷く幸せそうに、蕩けるみたいに笑った。反則だ、と思ったけれど、条件反射のように反応する体は裕太自身にもどうにもならない。
「……ンッ、今、ココ、キュッってなった」
 繋がっている場所の周りをなぞられ、裕太は嫌々をするように首を横に振った。もっとしてほしいのか、もう止めて欲しいのかも分からず、ただ蓮川の背中にしがみ付く。
「裕太」
 と耳元で、酷く優しげな声で名前を呼ばれて何かが弾けた。何ともいえない充足感。幸福というのは、こういうものなのかもしれないと取りとめも無く考えながら、限界には勝てず、裕太は意識を手放した。




 次の日、目を覚まして一番最初に裕太がしたのは、一緒に暮らそうと提案することだった。もちろん、蓮川も異議は無い。二人で散らかった部屋を片付けながら、結局、前とあまり変わらない空気の中で、他愛のないことを話した。
 さすがに、大量の缶ビールの空き缶を処分しているときには蓮川はバツの悪そうな顔をしていて、裕太がそれをからかうと、
「お前がいないときに、色々、紛らわすために飲んでたんだよ」
と、案外正直に答えて、裕太は蓮川の微かな変化を知った。煙草の量が三倍になったのもお前のせいだと責められて、裕太はそんなの八つ当たりだと頬を膨らませる。俺だってお前と会えなくて、色々グチャグチャだったんだと言い返したら、蓮川はどこか嬉しそうな顔で、
「それこそ八つ当たりだ」
と反論していた。
 昨晩の苦しそうだった様子が嘘のように、今日は蓮川は機嫌が良い。蓮川って、こんなに単純な奴だったけと裕太は首を捻ったけれど。もしかしたら、今まで、自分が意地を張るあまりに見えていなかっただけなのかもしれない。
 ふ、と悪戯を思いついて蓮川に忍び寄る。気配に気がついた蓮川が、何だと振り返ったタイミングでギュッと抱きつた。それから、上目遣いで蓮川を見つめる。
 今までは、ずっと抵抗があって言えなかった。それを言うと負けるみたいで意地を張っていたのもあるし、軽く流されるのも怖かった。でも、今は不思議と怖くない。だから蓮川の目を見つめたまま、
「蓮川。好き」
と告げた。少しの間があって、次の瞬間、蓮川は裕太が驚くほど耳まで真っ赤になる。こんな反応は今まで一度も見たことが無い。あまりに予想外の反応に、仕掛けた裕太の方が呆気にとられてしまったくらいだ。不意を突かれたのが悔しいのか、怒ったような照れたような顔で裕太を睨みつけてくる蓮川というのも、実に珍しい。
 そもそも、こんな風に、素面の状態で真正面から好きだと告げることが初めてなのだと裕太は、ふと、気がついた。
(もしかして、俺、今まで蓮川の扱い方、間違っていたんだろうか)
 ようやくそこに思い当たり、悪戯心に火が付いて裕太は蓮川を抱きしめたまま、にっこり笑う。そして、とどめのように続けた。
「なあ。多分、蓮川が思ってるより、俺はずっと蓮川の事好きだと思うよ?」


 過ぎたるは及ばざるが如し。この直後に、裕太が蓮川によって寝室に連れ戻されたのは言うまでも無い。





-------------------- end.




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