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Do you love me ? - 2 ……………



 山と海とどっちがいいかと聞かれて、裕太は海を選んだ。泳ぐにはまだ早い季節だったが、なんとなく、水平線をのんびりと眺めてみたくなったからだ。とはいえ、もともと、大学が海の近くにあるから、海など見飽きている。だが、蓮川は少し考えて、車を北に走らせた。北に行くほど、田舎になるが、その分、人気は少なく、水が澄んでいるから綺麗だろうと蓮川は言った。
 海岸沿いの道を選んで、車は走る。天気もよく、風も穏やかで、海は凪いでいた。窓を開け放ち海風を招き入れる。潮の香りが心地よかった。時折、適当なパーキングエリアを見つけては休憩を入れたり、みやげ物の店を冷やかしたりした。その頃には、裕太もすっかり蓮川の存在に慣れ、蓮川が大学にいた頃と同じペースで会話が出来るようになった。
「そういや、この間、イチコと飲みに行った」
 ふと、思い出したことを裕太は徒然に話す。
「元気だったか?」
「相変わらずだった」
と、裕太が少し頬を膨らませて答えると、蓮川はハンドルを握ったまま、くつくつと笑った。イチコは、この春から、他大学の博士課程に進学した。表向きイチコの同性の恋人ということになっている長束ユウカと同じ大学だった。修士課程のときから続けている研究が一つあって、数週間に一度は裕太の大学に打ち合わせに来るので、全く会わないということは無いが、それでも、正直、その件も裕太の寂しさに拍車をかけていた。
 イチコは、会えば裕太をおもちゃにしてからかったり、いじめたりして遊ぶけれど、そこに悪意は全く無い。むしろ、裕太を気に入っているからこその行動だ。それは裕太も薄々分かっているから、本気で怒ったりもできない。他愛ないふざけあいや喧嘩の真似事が、裕太だって嫌いではなかった。だが、今は、それも頻繁にはできなくなってしまった。これが大人になるということなのだろうかと、裕太は小さなため息を一つつく。
 イチコも蓮川も、一人で自分の道を決めて歩いている。裕太だって、自分の意思でそのまま博士課程に残ることを選んだはずだった。それでも、何となく、惰性でずるずると居心地のいいぬるま湯の中に留まっているような焦りを感じてしまうのだ。自分だけ、何も成長していないような気がして、少しだけ自分が嫌になる。
「どうした? 体調悪い?」
 しらずもれていた小さなため息を聞き逃さず、蓮川が尋ねてくる。裕太は軽く首を横に振ると、少しだけ沈んでいた気持ちを振り払った。せっかく、蓮川と一緒にいるのに、楽しまないのはもったいない。今は、蓮川の事だけを考えようと、はにかんだような笑みを浮かべると蓮川は微かに目を細め、けれども、何も言わなかった。
 夕方になる少し手前で、蓮川は、そろそろ引き返そうと言った。その前に見せたい場所があると連れてこられたのは、小さなパーキングエリアがポツンと一つだけある、寂れた浜だった。海岸線が面白い形にねじれていて、小さな湾のようなものがあり、きっと普通に車を走らせていたならば気が付かないだろうという死角になっていた。
「へえ、こんな場所があるんだ。穴場だな」
「多分、地元の人でも知らない人の方が多いんじゃないか?」
 石混じりの砂浜で、我慢できずに裕太はスニーカーを脱ぐ。靴下も脱いで、その湾に足をつけた。ひんやりとした海水が気持ちいい。ゴミなど当然一つも落ちておらず、随分と透明度が高いらしく、ずっと向こうまで水底が見えていた。小さな魚が泳いでいるのも、はっきりと分かる。後ろからは、凪いだ波の音が聞こえていた。パチャパチャと水遊びする子供のように音を立てて、裕太は歩き回る。何となく、ここは、蓮川の特別な場所なのではないかと裕太は思った。そこに、自分を連れてきてくれたことが嬉しい。
 裕太はひとしきり水の中を歩き回ると、少し離れた場所で煙草を吸っていた蓮川に近づいた。蓮川は、どこか嬉しそうな顔で裕太を見つめている。その目を見た途端、裕太は、どうしようもなく蓮川が好きだと思った。
 不意に、なぜ、自分がこんな子供のような意地を張っているのだろうかと馬鹿馬鹿しくなる。好きなら、いつも一緒にいたいなら、素直にそうすれば良いのだ。今度は、自分の方から蓮川に、一緒に暮らさないかと誘ってみようと心に決めて、裕太は蓮川の目の前に立った。蓮川は、吸っていた煙草を携帯していた灰皿に押し込むと、おどけた仕草で腕を広げる。裕太は思わず噴出して、笑いながら蓮川に抱きついた。そして、そのままキスをする。舌から伝わるのは、煙草のにおいだ。裕太自身は煙草を吸わないし、どちらかといえば好きではないけれど、蓮川から伝わってくる煙草のにおいは好きだと思った。
 波の音を聞きながら、長い長いキスを終わらせて、車に戻る頃には太陽は随分と西に傾いていた。車を停めていたパーキングエリアには、蓮川の車のほかに二台の車が停まっていた。一台は、かなり砂埃を被っていて、放置車両のようにも見える。けれども、もう一台はきちんの磨かれた綺麗な車で、中には誰かが乗っているようだった。ただ、それだけならば、二人とも気にもせず、そのまま車に乗り込んだだろう。けれども、そうはならなかった。
 その車から、誰かが降りてきて、不意に、
「要?」
と言ったからだ。カナメ、という音が、奇妙に裕太の頭の中ではっきりと響く。カナメ、は蓮川の名前だ。けれども、それが、なぜ、こんな場所で聞こえるのか裕太は最初、本気で分からなかった。
「やっぱり、要だ。すっごい偶然」
 車から出てきた女性は、屈託の無い嬉しそうな表情で蓮川に近づいてくる。それで、ようやく、裕太はそれが蓮川の知り合いなのだと理解できた。
 裕太はぼんやりと、その女性を眺める。歳は裕太たちよりもいくらか年上に見えた。背はそれほど高くない。ほっそりとした体で、顔は美人だった。と言っても、表現しにくい美人なのだ。決して派手な顔ではない。むしろ落ち着いた理知的な顔だった。だが、どこかで見たことがあるような気がする。どこでだったか、思い出そうとしたけれど、どうしても思い出せなかった。
 蓮川と一緒にいて、女に声を掛けられることなど正直、日常茶飯事だった。もう、ずっと前の話だが、裕太に見せ付けるようにそんな女たちとベタベタと接していた事だってあった。それは、イチコいわく、蓮川の『駆け引き』だったらしいが。いずれにしても、蓮川が女に声を掛けられることなど珍しいことではなかった。いつもの裕太だったのなら、またか、と呆れてため息の一つでも零して終わりだっただろう。だが、この時は違った。
 蓮川に声を掛けてくる女は、大体、似たようなタイプばかりだった。言ってしまえば、少し派手で、遊びなれている、どこか玄人じみた女で、しかも年上。そして、大抵が、蓮川の父親が経営しているという水商売の店の店員だった。
「……菜理子(なりこ)さん……」
 蓮川が思わず零した呟きで、裕太はその名前を知る。もう一度、今度はしっかりとその菜理子という女性を見つめた。今まで見てきた女たちとは、毛色の違うタイプの女性で、何よりも、蓮川自身の態度が明らかに違った。
「……久しぶり、すごい偶然だね」
と、苦笑い混じりに蓮川は言う。無意識に前髪をかきあげながら。
 それを見て、裕太はギクリとした。理由など無い。直感的なものだった。蓮川自身は気が付いているのかどうか分からないが、裕太は知っている。それは、蓮川の癖だった。無意識に前髪をかきあげているときの蓮川は、困っているか、照れているかのどちらかなのだ。
「なんか、要、すごく大人っぽくなったね」
 裕太の存在を知ってか知らずが、菜理子は会話を続けようとする。チラリと蓮川が裕太のほうに視線を寄越したが、裕太は何か言うことができずに、ただ、居心地が悪そうに視線を逸らしてしまった。
「あー……もう、七年も経ってるし」
「そっかー、もうそんなに経ってるのか。あ、ごめん、お友達と一緒?」
 ようやく裕太の存在に気が付いた菜理子に話しかけられ、裕太は気まずい気持ちのまま、軽く頭を下げて見せた。
「こんにちは」
 それに応えるように菜理子は綺麗に笑って、裕太に会釈した。その時に、裕太はハッと気が付く。菜理子が酷く姿勢の良い女性だということに。ピンと真っ直ぐに伸びた背筋は、どことなく、蓮川に似ていた。
「菜理子さん、俺たち、もう、帰るから……」
 らしくもなく歯切れの悪い口調で話す蓮川に、裕太の不安は膨れ上がる。上手くは言えないけれど、なんだか、とても嫌な感じがした。
「あ、そうなんだ、残念。また、機会があったら飲みにでも行こうね」
 他意無く、あっさりとした、半ば社交辞令にも聞こえる口調で菜理子は言って、裕太はどうにも耐え切れなくなってしまった。
「先に車に乗ってる。俺の事気にしないで、もう少し話したいなら話していけば?」
 なるべく不自然にならないように言ったつもりだけれど、もしかしたら、少し冷たい口調になっていたかもしれない。蓮川はそれを聞いて、微かに眉を顰め、けれども裕太には何も言わずに、
「いや……じゃ、菜理子さん、また」
と、軽く手を上げて、裕太と一緒に車のドアを開けた。それで、少しだけ裕太はほっとしたはずだった。けれども。
「……要、この場所、まだ、覚えてくれてたんだね、ありがとう」
 ドアを閉める直前に聞こえた言葉。

 ザワリと、裕太の胸の中が揺らいだ瞬間だった。





 それまでの楽しかった空気が嘘のように、帰りの車中は気まずい空気が漂っていた。一言、さっきの菜理子という人は誰なのかと聞けばいいだけの話だ。だのに、それが怖くて聞けない。そんな裕太の空気を察知しているのか、蓮川も無口で、沈黙が続く。とても、一緒に暮らそうなどと切り出す気にはならなかった。
 西の空が綺麗な茜色に染まっているのをぼんやりと眺めながら、先ほどの出来事を思い出す。菜理子は誰かに似ていた。でも、その誰か、が思い出せない。少し、蓮川にも雰囲気が似ている。もしかして、従姉妹だとか、と考えて苦笑混じりにその考えを打ち消した。そんな雰囲気でなかったのは裕太にも容易に理解できた。沈黙を保ったまま、車は走り続ける。いい加減、空気が重苦しくて何かを話さなければと思い始めた頃に、運転席の蓮川が、小さなため息を一つついた。それを耳ざとく拾い上げて、裕太はドキリとする。もしかして、うんざりされたのかと不安になったが、そうではないようだった。
 車は、タイミングよく、赤信号で停車する。ブレーキを踏み込んだまま、裕太のほうに視線を寄越した蓮川は、少し困ったような苦笑いをしていた。
「裕太、怒ってるのか?」
 裕太の機嫌を伺うかのように、いつもよりは少し優しく聞こえる口調だった。裕太は首を横に振る。怒っているのではないのだ。そうではない。
「嫉妬?」
 茶化すように続けて聞かれても、裕太はやはり首を横に振った。嫉妬だったなら、まだ良かった。ただの嫉妬だったなら、相変わらず節操無しのロクデナシだと蓮川を罵って当たればそれで終わるのだから。いつもとは違い、意地を張っているのではない困惑した表情で裕太は首を横に振り続けた。
 蓮川は、小さなため息をもう一つつく。先ほどとは、少しだけニュアンスの違うため息のようだった。
「気にしてる?」
 今度は、素直に首を縦に振る。気にしていないわけが無い。気にして、そして、常に無いほど、不安がっている。裕太は、自分が、どうしてこんなに不安になっているのか分からなかった。ただ、胸がざわつく。何かが、いつもと違うように思えて仕方が無かった。
「……そうか」
 そんな裕太の不安を知ってか知らずか、蓮川は独り言のように相槌を打つと、視線を前に向ける。信号はすぐに青になり、車は再び走り始めた。
「……高校生の頃、付き合ってた人だよ」
 蓮川は、酷く落ち着いた、静かな口調でそれを裕太に告げた。あまりに淡々としていて、そこには、何の揺らぎも無い。
「半年くらい付き合って別れた。もう、七年も前の話だ。今日、会うまで思い出しもしなかった」
 ハッキリと言い切るその言葉に、嘘があるとは思えなかった。だから、裕太が不安に思うことなど何も無い。それなのに、裕太の胸の中は余計にざわつき始めた。
『付き合っていた』
と、蓮川の口から聞くのが、初めてだったからだ。付き合い始めてから、ほぼ四年。その間に、蓮川の周りに何度も女の影を見た。菜理子よりも、よほど馴れ馴れしい態度で蓮川にまとわり付いていた女だっていた。けれども、蓮川は、一度も、『付き合っていた人』と言ったことは無かったのだ。知り合いだとか、遊び相手だとか説明されたことはあったけれど。
 そういう答えを聞いた時、裕太は蓮川が適当なことを言っているのだと大抵、腹を立てていた。けれども、あれは嘘じゃなかったんだと、今頃になって裕太はぼんやりと理解した。
「とっくの昔に終わったことだ。裕太が気にするほどの事じゃない」
 諭すように、蓮川はことさら優しい口調で裕太に言ったけれど。

 突然、胸の中にポトリと落とされた不安は、どこにも行く気配を見せなかった。






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