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Do you love me ? - 1 ……………


 コーヒーを少しずつ口に入れながら、裕太は、ガラス越し、賑わう街並みを眺める。週末だからか、いつもよりも人通りは多かった。夕食時間を少し過ぎたくらいの時間だから、帰宅途中のサラリーマンやOLの姿も多く見える。手持ち無沙汰に時計に目をやると、約束の時間を十分ほど過ぎていた。
 少し遅れる、と蓮川からはメールが来ていたから、さして心配もしていない。けれども、どこかそわそわと浮つく気持ちを抑えることは出来なかった。
 蓮川に会うのは実に一ヶ月ぶりだ。こんなに会わずにいたのは、蓮川と出会ってから初めての事だった。一体いつが始まりだったのかというと裕太にも正確に答えることが出来ないけれど、とにかく、体の関係だけを考えれば四年近く付き合ってきた。特に、最後の半年は蓮川が裕太の家に転がり込んで半同棲状態だった。とはいえ、単に研究が洒落にならないほど忙しく、自然と大学から近い裕太の家から通うようになっただけなのだが。
 とにかく、知らないことの方が少ないような関係を結んでいる相手に、今更のように落ち着き無く、微妙に緊張している自分が裕太は腹立たしい。
 蓮川と付き合っていると、自分が馬鹿だと我ながら呆れることが時々ある。その時も、そうだった。
 行きかう、サラリーマンの群れ。没個性のスーツ姿の中に、けれども、裕太の目は実に性能良く蓮川の姿を発見した。見慣れないスーツ姿だけれど、板についていないということは無い。蓮川を全く知らない第三者が見たとしたら、きっと、何も違和感など感じないだろう。だが、裕太は感じる。違和感、と表現すると少し語弊はあるかもしれない。どちらかというと、不安と焦りに近い感情だった。それに加えて、落ち着かないそわそわした気持ち。あえて恥ずかしい表現をするのなら、大人びたその姿を見て裕太は今更のようにどきりとしたのだ。実に馬鹿馬鹿しい。ガラスの向こう側から、トントンと合図を送るように窓を叩いた蓮川に、恥ずかしさを誤魔化すようにぶっきらぼうに手を挙げ、すいと視線を逸らした。けれども、あの目聡い恋人にはばれてしまっているだろう。自分の耳が、微かに赤くなっていることが。
「悪い。待たせたな」
「別に。大して待ってない」
 ぶっきらぼうな口調が、言葉に反して拗ねたように聞こえて裕太は我ながら焦ってしまう。案の定、蓮川はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、
「拗ねるなよ。そんなに会いたかった?」
 と嫌な質問をぶつけてきた。
「違うって言ってるだろ!」
 むきになって反論すれば、逆に肯定するだけだと分かっていても裕太は自分を止められない。久しぶりの逢瀬のせいか、感情のコントロールが上手くいかないようだった。多分、蓮川もそれを感じ取ったのだろう。それ以上、裕太を茶化すことは無く、ただ、黙って裕太の髪をくしゃりとかき混ぜただけだった。その手は、いつもに増して酷く優しい。訳も無く甘えたくなって、裕太はその手を払いのけることはせず、されるがままになった。
「夕飯食ってないよな?」
 蓮川に尋ねられ、裕太は素直にこくりと頷く。社会人になったばかりの蓮川が忙しいのは当然としても、裕太もそれなりに忙しいのだ。先週、ようやく一つ学会に論文を提出したが、今度は、別の、専門的な小規模の学会のポスターセッションの準備をしなくてはならない。ここしばらくは大学に通い詰めで、今日も、約束の時間ギリギリまで大学で研究を進めていた。
「何か食いに行くか。奢るし」
 実に他愛ない口調で蓮川は言うけれど、裕太はどうしても抵抗を感じてしまう。蓮川が就職してから初めて会ったときに、蓮川はやっぱり奢ると言って、気にするなとも言ったのだ。自分はもう金を稼いでいるが、裕太はまだ学生の身分なのだから、と。
「……別に、割勘でいいけど……」
 ぼそぼそと裕太が口ごもると蓮川は苦笑いを零す。
「俺がそうしたいんだから、素直にウンって言っとけよ」
 心なし、大人びたように見える表情で言われても、裕太は素直に頷けない。蓮川の優しさは嬉しい。嬉しいはずなのに。学生時代には無かった類の大人びた優しさには、どうしても戸惑ってしまう。自分だけが置いてきぼりにされたような不安を感じてしまうのだ。
「裕太、明日は休みなんだろ?」
「うん、一応、きりのいいところまで実験は終わらせてきたから」
「じゃ、泊まりに来いよ」
 そう言いながら裕太を見つめてくる瞳には、明らかな色が浮かんでいる。ストイックな印象の顔が途端に華やぐのを裕太は半ば見とれるように見つめた。すると、蓮川が困りきったように苦笑いする。
「ユータ。お前、その顔、ヤバイから。外ではやめろ」
 ふざけて、じゃれるように蓮川は裕太の頭を抱き、その目を手のひらで隠して見せた。そんなささいな接触にさえ、裕太はドキリとする。会うのが一ヶ月ぶりなのだから、当然、触れ合うのも一ヶ月ぶりだった。久しぶりで慣れないからだと自分に言い聞かせても、いつもより少し早く鼓動を刻む心臓はどうにもならない。
「泊まる。もう、行こう」
 意図したわけではないのに、ぶっきらぼうになってしまう口調を蓮川は責めない。促されて手を引かれ立ち上がったときに。
 裕太は、逃しきれない熱を、小さなため息に乗せて落とした。







 一緒に暮らさないか、と先に提案したのは蓮川だった。そして、それを断ったのが裕太だ。と言っても、なし崩しの同棲状態の後で酷く気軽な態度で言われただけだから、蓮川がどこまで本気で言っていたのかは分からない。いずれにしても、裕太は首を縦に振ることが出来なかった。
 これを言うと、イチコや一志は今更そんなことを、と呆れ返るが、それでも裕太は自分と蓮川の関係を未だに掴みかねている。もちろん、特別な関係だとは理解している。セックスする頻度も普通の恋人同士と同じか、もしかしたらそれ以上だろう。蓮川が、裕太を特別扱いしているのも分かるし、いつしか、裕太が気になるような女の影がちらつくことも無くなった。
「アイツは、一人と付き合ってるときは、割と誠実だぜ?」
 蓮川と半分だけ血のつながった腹違いの兄弟である一志などは言う。四年も付き合っていれば、それが嘘ではないのも段々と分かってきたけれど。
 それでも、裕太は、この関係がずっと続くものだとは信じられなかった。常に、何らかの不安が付きまとう。自分が思うほど、蓮川は自分の事が好きなわけではないのだろうと諦観に似た心境に陥ることも少なくは無かった。
「器用そうに見えて、本当は不器用なだけなのよ。分かってあげて?」
 と、一志の母である涼子は裕太を窘めたりもするけれど、それでもやはり、裕太は蓮川が自分に向ける感情には確信が持てない。
 時々(主にセックスに関してだが)、どうしようもなくロクデナシの意地悪な男になるけれど、基本的に蓮川は穏やかで優しい。我を通してくることも少なく、どちらかといえば、裕太の望む通りにしてくれる。付き合いが長くなれば長くなるほど、その傾向は顕著になった。それが不満なのだといえば、贅沢だと叱られるだろう。それでも、裕太は思わずにはいられない。蓮川の常に余裕のある態度には、本気が感じられないのだ。むしろ、裕太を適当にあしらっているのではないかと疑いたくなる。
 もちろん、一志が言うところの『誠実』を感じるときもあるし、裕太にだけ向けられている優しさなのだと思うこともある。問題はそこではなく、根っこの部分で、蓮川が、何か、本心を自分に見せていない気がする、ということなのだった。
 例えば、裕太が博士課程に進み、蓮川が就職する、ということに関して、二人は殆ど話し合ったことが無い。腫れ物に触るよう、当たり障りの無い事後報告をしあっただけ。それが良いとも悪いとも、お互いにどう思っているのかも話したことが無い。
 だから、裕太が、内心、どれだけ不安に思っているのか蓮川はきっと知らないだろう。大学の研究室など、酷く特殊な閉じた世界だと裕太にも分かっている。そこを出て、社会を見た蓮川が自分たちの関係に疑問を抱かないと、誰が保障できるというのか。だからこそ、裕太は蓮川と一緒に住むことなど気軽に同意できなかった。


 久しぶりに触れた唇に、指に、肌があわ立つ。久しぶりのセックスだったせいもあって、裕太は酷く敏感になっていた。きっと蓮川にもそれが伝わっているのだろう。意地の悪い笑みを浮かべ、裕太の耳の周りを舐りながら、
「いつもに増して、イヤラシイ体」
と囁いた。逃げるようにフイと顔を背け、声をかみ殺してじっとシーツを睨み付ける。それでも、いちいち反応を示す体は止めようがない。
 蓮川は、どうしようもなく丁寧で、慎重だった。もういいからさっさと入れてくれと、何度懇願しようと思ったか分からない。実際、何度も、なあ、とか、もう、とか曖昧に訴えている。それなのに、蓮川は聞き入れてくれない。
「久しぶりだから、ちょっとキツい。もう少し慣らしてから」
 その、もう少しを待てる蓮川が裕太には憎らしかった。物理的な欲求ももちろんあるけれど、渇望しているのは気持ちのほうだ。蓮川が欲しいだとか、繋がりたいだとか。切羽詰った気持ちを弄ばれているような気がして、裕太は鼻の奥がツンと痛んだ。
「ヤダ……もう、もう、入れて」
 我慢しきれずに、半分すすり泣くように懇願すると、ようやく、蓮川は余裕のある笑みを引っ込めて、眉間に皺を寄せる。何かに耐え入るようなその顔が裕太は好きだった。小さな舌打ちを一つだけ漏らして、蓮川は、ぐ、と先端を裕太のそこに押し付ける。
「知らねーぞ。煽ったのは裕太だ。自業自得。後で文句言うなよ」
 一ヶ月ぶりのセックスに、体の方はすぐには馴染んでくれない。最初は、少し、息苦しさを感じてしまったけれど。それでも、精神的な充足の方が裕太には大きかった。
「……蓮……川ッ! アッ! ……アアッ!」
 堪えきれずに漏れてしまう声は、甘ったるいけれど、自分でも嫌になるほど必死な声にも聞こえた。近づいてくる整った顔に思わず目を閉じる。唇が触れ、舌が入り込んできたのを、ただ、感触だけで受け止めた。縋りつき、必死に舌を絡めながらも裕太は目を開かない。蓮川の表情を確認するのが怖かった。
 裕太をからかうような余裕のある笑みを浮かべていたら。きっと、裕太は傷ついてしまうだろう。
 結局、一度、お互いに達してしまうまで、裕太は目を開くことが出来なかった。


 ふっと目を開くと、自分の家とは違うシーツが目に入った。ああ、蓮川の家に泊まったんだとぼんやり考えながら身じろぐと、腰の辺りに鈍痛が走る。
「……ヤりすぎだっつーの」
 ぶつぶつと文句を言いながら、何とか仰向けに体勢を変える。泊まりなれていたはずの天井は、一ヶ月のブランクを置いたせいか、どことなく、違和感を感じさせた。何も変わっていないはずなのに。自分に言い聞かせるように小さく呟き、そっと体を起こす。ドアは微かに開いていて、そこから微かな物音と、食べ物のにおいが入り込んできていた。
 恐らく、蓮川が朝食の準備でもしているのだろう。案外と、蓮川はマメなところがあって、こんな風に、足腰が立たなくなるほどセックスした次の日の朝は、大抵、蓮川が上げ膳据え膳で、全ての準備をしてくれる。もともと、裕太に比べて料理が苦ではないらしく、時には、妙に凝ったものを作ったりもするのだった。
 裕太は適当にクローゼットをあさり、置きっぱなしにしてある服を着ると、寝室を出た。ドアを開く音に気がついた蓮川が、カウンター越し振り返る。
「起きた?」
「ああ、うん、おはよう」
 慣れたはずのやり取りが、なぜか照れくさくて裕太はぶっきらぼうな口調で返すと、そのまま、テーブルにつく。窓からは澄んだ青空が見え、差し込む日差しは明るかった。もう既に、初夏のそれだ。
「……天気良いな」
 ひとり言のように裕太がポツリと漏らすと、良いにおいをさせた料理のプレートが運ばれてくる。綺麗に盛り付けられている几帳面さが、蓮川の性格を現しているようで、裕太は思わず、口元を緩めて微笑んだ。襟元を何かが掠めるようなくすぐったさを感じて軽く首をすくめる。この他愛の無さを、幸せと呼ぶのだろうかととりとめも無く考えながらフォークを手に取った。
「体が大丈夫なら、ドライブでも行くか?」
 蓮川に提案されて、しばし考える。多少、だるさと疲れが残っているけれど、動けないほどではない。家に閉じこもっているにはもったいないような晴天だ。きっと、蓮川と出かけたなら楽しいだろう。
「行きたい」
 素直に裕太が頷けば、蓮川は妙に優しげな顔で笑い、
「じゃあ、そうしよう」
 と、裕太の髪を柔らかく撫でた。性的なニュアンスなど少しも無いのに、裕太はドキリとする。慌てて目を背け、サラダに視線を落としたけれど、耳が少しだけ熱くなっているような気がした。たった一ヶ月あけただけなのに、まるで、恋愛初期のように不慣れになってしまう自分が馬鹿馬鹿しい。まるで、何度も何度も、改めて蓮川を好きになっているようで、そんな自分に呆れ果てた。
「……そういえば、蓮川、仕事、大丈夫なの?」
 誤魔化すように、ふと話を振ると、蓮川は、苦笑いをしながら、
「やっと落ち着いてきたな。最初は、どうしようかと思ったけど」
 とどこか大人びた口調で答えた。昨晩から、蓮川は終始、穏やかで優しい態度を崩さない。それなのに、裕太は、なんとも説明しがたい寂しさのようなものを感じてしまう。蓮川が先に社会人になってしまうことが分かったときから、理解していたはずの事なのに。それなのに、自分の中で、上手く処理できない。酷くもどかしい気持ちで裕太は、
「そっか」
 と短く相槌を打った。
 蓮川が就職した先は、規模としては中堅の企業だ。特殊な医療機器を扱っている会社で、半営業、半技術、というような部署に配属されたと裕太は聞いている。本社が首都圏ではなく、地方にあるため、最初の半月は研修の為に、そこに行っていた。もちろん、その間は会えるはずも無い。その後は、裕太が論文提出のため忙しく、それで、一ヶ月もの間会うことが出来なかったのだ。
 まだ、蓮川が大学にいたときも、多忙な時期はあった。研究室に缶詰状態になったことも一度や二度ではない。理系の研究室なら珍しくない状況だった。それでも、大学に行けば、顔は見ることが出来たのだ。言葉も交わすことが出来た。それが、二人の関係を続ける上で、いかに恵まれていた環境だったのか、裕太は今更のように実感した。
「どうした? やっぱり、体キツイ?」
 不意に黙り込み、考え込んでしまった裕太を勘違いしたらしい蓮川が、心配そうな顔で覗き込んでくる。熱を測るように額に当てられた手は、ひんやりとして気持ちが良かった。反射のように目を閉じ、薄っすらと笑みを浮かべながら、
「ん。大丈夫。せっかくだし。行こう」
 と答えてから目を開ける。再び、目に入った蓮川の顔は、どこか、困ったような笑みを浮かべていた。何だろう、と首を傾げると、蓮川の手がゆっくりと離れ、おまけのように手の甲で頬を撫でられる。
「お前、あんまり、そのままベッドに逆戻りしたくなるような顔するなよ?」
 そんなことを言われても、裕太には全く訳が分からない。けれども、
「自覚が無いのは相変わらずだな」
 と、蓮川は肩を竦めて見せただけだった。






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