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カモネギ。B ………………………………
 はあ、と溜息を吐きながらコンビニのドアを潜った。
 いつもなら、三日に一度は佐々木の家に転がり込んで飯を食わせてもらっているのに、もう一週間以上佐々木の家には行って無い。昼飯も別々に食べる事が多いし、会話も殆ど研究に関することだけ。
 売り言葉に買い言葉で言ってしまった言葉がいつまでも澱のように心の中に沈んでいる。
「お前って、案外、いい加減なヤツだったのな」
 一生懸命、俺の機嫌を取ろうとしていた佐々木に向かって、投げ捨ててしまった言葉。
 あんまり簡単に別の男とキスしたりして、それが面白くなかったから、つい、八つ当たりみたいにして言っただけだった。でも、言われた佐々木は酷く傷ついたみたいだった。
 あれ以来、あんまり親しげに話しかけてこない。見えない壁があるみたいに、他人行儀な態度で接してくる。
 やっぱり、俺が悪かったんだよな。分かってるんだけど、変なプライドみたいなのが邪魔をして素直に謝れなくてイヤになる。
 飲料水の棚から適当にお茶を選んでカゴにつっこみ、弁当もたまたま手に取ったのをそのまま入れた。落ち込んだ気分のまま、俯いて、そのままレジにカゴを差し出して、
「お弁当、温めますか?」
と聞かれたけど、声は出さずに頷いて見せた。そしたら。
「あれ? カモちゃん?」
 不意に馴れ馴れしい呼び方で呼ばれて顔を上げる。目の前に立ってたのは「マナト」だった。
 ・・・何で、今、一番見たくない顔が目の前にあるんだ。
「うわ。何、そのあからさまに嫌そうな顔。俺、何か、嫌われる事したっけ?」
 したよ。佐々木と白昼堂々キャンパス内でキスして、馴れ馴れしく俺のことカモちゃんって呼びやがった。とは思ったが、俺も大人なので声に出しては言わない。
「別に。それよか、アンタ、何でこんなトコいるの?」
「何だよ。アンタって。感じ悪いな。ちゃんと名前呼べよ」
 横柄な態度。それがムカつくんだっつーの。
「・・・名前なんて聞いてねえモン」
「あれ? 俺、言わなかったっけ?」
「聞いてねえよ」
「あ、そう。俺、鷺沼真人。マナトって呼んで良いから」
 さいでっか。
「それより、お前、幾つだよ。佐々木とタメ? だったら、俺のが年上なんだけど・・・」
「うん。アイツとタメだけど・・・。それが?」
「・・・カモちゃんとか馴れ馴れしく呼ぶなよ」
「なんで? 柔は呼んでるじゃん」
 蛙のツラに小便とはこの事だ。ああ言えばこう言う。俺はそれ以上反論する気力も無くて、口をつぐんだ。
「カモちゃんって、今帰り?」
「・・・そうだけど」
「あ、そう。俺、もう五分で上がりだから、ちょっと待ってて」
「はあ? 何で、俺がお前待たなくちゃならないの?」
「俺、カモちゃんに話したいことあるんだよ」
「俺はねえよ!」
 だんだんと、うざったくなってきてキツめに言い返したらマナトは切れ長の目を少し見開いて、それから、プっと噴出した。
「いや、ホント、カモちゃんって顔に似合わず手強いね。ま、いいじゃん。待っててよ」
「やだ」
「柔の話だけど?」
 不意に、ニヤッと笑ってマナトは言った。それで、俺は思わず、ウッと詰まってしまう。何か、コイツは苦手だ。何もかもを見透かされているような気分になってしまう。
「・・・・少し先の公園で待ってる」
 結局、俺が折れるハメになって、面白くない気分で返事をしたら、マナトは楽しそうにケラケラ笑った。
「いや、急に素直になったりするんだモンなー。そう言う所がアレなんだろうなー。ま、じゃ、すぐ行くから。痴漢に気をつけてね」
 マナトは軽い調子で言うと、俺に暖めた弁当をポンと渡し、後ろで待っていた客の相手をし始める。仕事の邪魔になるのもアレなんで、俺は、仕方なしにコンビニを後にして公園に向かった。



「でさ。カモちゃんは柔の何なワケ?」
 結局、俺は、あの後公園にやって来たマナトに連行されて、マナトのアパートまで連れ込まれた。で、なぜか、晩酌の相手をさせられている。些か不本意ではあるが、ビールに罪は無い。どうせ、マナト持ちなんだからと、半ば開き直って俺はビールを煽った。
「・・・研究室の先輩」
「そんなこと聞いてるんじゃないって分かってんだろ?」
 知らねえよ、そんな事は。じゃあ、どんなこと聞いてるんだっつーの。大体、その質問は俺の方がしたい。マナトと佐々木の関係は一体何なのか。
 苛々しながら口を噤み、ビールをガバッと飲み干すと、マナトは頬を膨らませて拗ねたような表情をした。何つーか、コイツって犬系の顔してて、雰囲気も日本犬みたいでなんかカワイイんだよな・・・背も俺よか高いし、ガタイも俺よりがっしりしてるんだけど・・・。つーか、俺がひ弱すぎるのか・・・。
 やっぱ、佐々木も、こう言う男の方が良いんかなー。と、ナチュラルに考えて、はっとした。
 俺は、一体、何を考えているんだ! 佐々木に毒され過ぎ! 
「・・・ホントに、ただの先輩と後輩なんだって・・・」
 自分の考えを打ち消そうとして、でも、なかなかできなくて、少し気弱に答えるとマナトは今度は怒ったような顔をした。
「なんだよ、それー。ヤッてるんだろ? ただの先輩後輩じゃねーべ?」
「やっ! ・・・やってるって・・・・佐々木が言ったのか!?」
 俺が仰天しているってのに、マナトは飄々とした顔で頷いた。
「ま、正確にはヤってないんだろうけど? 入れさしてくれないし、しかも、手コキもフェラもしてくんない、一方的に奉仕するだけって俺は解釈したね。つーか、話し聞いてる分には、カモちゃんってどんなサイテーなヤツだよ、とか思ってた」
 一方的に俺を断罪するように捲くし立てるマナトに俺は言葉を失う。突然、部外者に下半身のプライベートに踏み込まれてメチャクチャ腹が立ったし、そんなことを気軽に人に言う佐々木にも腹が立った。・・・けど。
 マナトの言葉を聞いていると、あながち間違いでもないって言うか、客観的に考えて、俺って酷いヤツ? とか、ちょっと不安にもなった。それで、多分、表情が曇ったんだと思う。俺って結構何でも顔に出るらしいから。
「いや、ホント、カモちゃんって可愛いなあ。『俺ってやっぱりサイテーなヤツ?』とか落ち込んでるでしょ?」
 マナトは急に明るい調子でケラケラ笑った。ホント、こいつって軽い。でも、軽薄って言うのとはちょっと違って、相手の気分も軽くさせるって言うか。ノリが良いって言うのかな? 多分飲み会とかで人気者になるタイプ。
「・・・だって・・・お前の言う通りなんだもんよ・・・」
「ま、結果的にそうなったってだけだろ? それに、カモちゃん、もし柔が手でしてーってお願いしたらやったっしょ?」
 頭の中でシミュレーションしてみた。口でって言うのは、さすがに抵抗あるし、その場になってみないと分からないけど、多分、頼まれたら手コキくらいやったと思う。
「・・・多分」
「うん。だからさ。カモちゃんがサイテーなんじゃなくて、柔が手を出せなかっただけって気がするよ。実際、本物のカモちゃん見たら、柔の気持ちも何となーく分かったて言うかさ」
「・・・何だよ・・・佐々木の気持ちって・・・」
 俺が、じとーと上目遣いに睨み上げるとマナトはビールに口をつけながら苦笑いって風に笑った。
「うーんと・・・俺が言うのって反則って気もするんだけど・・・。ま、いっか。要するにさ、アイツはカモちゃんのこと凄く好きなワケよ」
「それは分かってるよ。あんなに四六時中好きだ好きだって言われりゃ」
「いや、分かってないっしょ。アイツ、あんなヘラヘラした態度取ってるけど、かなり煮詰まってるよ? 気がついてた?」
 ・・・それは気がついていなかった。何も変わってないと思ってたけど・・・もしかして、佐々木なりに悩んでいたんだろうか。
「気がついてなかったって顔だーね。ま、あいつも表面ヘラヘラしてて分かりづらいんだけどさ」
「・・・煮詰まってるって、佐々木がマナトに言ったの?」
 俺には何も言わずに、コイツには相談してたのか? 俺の存在が佐々木を追い込んだりとかしてた? 急に不安になってしまって、マナトを見上げるとマナトは目を真ん丸くして俺を見詰めた。あ、なんか、驚いた顔が子供みてー。ホント、こいつって犬っぽい。
「カモちゃーん。それヤバいって」
「へ?」
「あんま、誰彼かまわずそう言う無防備な顔見せないほうが良いよ? 佐々木にも、そう言う態度取ってんだろうけどさー」
 マナトは溜息を吐きながら言ったけど、俺にはさっぱり分からなかった。無防備な顔とか言われても、生まれつきこう言う顔なんだから変えようが無い。
「・・・良くわかんねえこと言うなよ・・・それより、俺、あんま、佐々木に近づかない方が良いのかな?」
「ま、カモちゃんが柔に応える気が無いってんなら、冷たくした方がホントの優しさだと思うよ。そもそも、カモちゃんにとって柔はどういう存在なワケ?」
 俺にとっての佐々木の存在。
 改まって聞かれると分からない。表向きは同じ研究室の先輩と後輩。でも、やってる事を考えるととても、ただの先輩後輩の関係だとは言えない。だからと言って、こんな中途半端な状態を他の言葉で表す事も出来ない。
 だいたい、佐々木が俺のことをどの程度思ってるのかも分からない。
 何か、悩み事があるんだったら、ちゃんと俺に言えば良いのに俺にはいつもと同じ顔しか見せない佐々木。
 それなのに、マナトには何でも言って、何でも相談するんだ。
 そう言えば、キャンパスでマナトととも佐々木は簡単にキスしてた。佐々木が俺にキスしたり、触ったりするのって、どの程度重たい事なのか全然分からない。
「・・・じゃ、マナトと佐々木の関係って何?」
 俺が低い声で尋ねると、マナトは少し首を傾げて俺の顔を見た。
「何・・・って・・・ダチだけど?」
「・・・普通、『ただの』ダチとはキスしたりしないだろ?」
 そうだ。普通、「ただの」友達とはキスしたりしない。もちろん、佐々木が二股を掛ける様なヤツだとは思わない。でも、何となく、マナトは「ただの」友達じゃない気がした。
 例えば。
 例えば、過去に何かあったんじゃないかとか。
 そんな風に考え出したら、物凄くモヤモヤとした嫌な気持ちになってしまった。
「カーモちゃん。おーい。眉間に皺が寄ってるよ?」
 マナトは苦笑いしながら、俺の眉間を人差し指でトンと突いた。そのまま、一口ビールを飲んで、缶を口につけたまま、
「仮にさ、俺と柔が友達以上の関係だったとしても、カモちゃんが『ただの』先輩だって言うなら、それにどうこう言う権利ってないんじゃない?」
と答えた。
 そうだ。マナトの言う事は間違ってない。間違ってないけど。
 ガラスを釘で引っかくような不快な感触が頭の中でする。でも、何をどう言って良いか分からない。
「・・・そんな泣きそうな顔すんなよー。押し倒したくなっちゃうだろー?」
 マナトが苦笑いしながら指摘してきた。
「・・・泣きそうな顔なんて・・・」
 してない、と否定したかったけど、泣きたいような気分になっているのは隠せなかった。
「あのさー。それってさ、嫉妬じゃない?」
 さらっと言われて思わず顔を上げてしまった。マナトは俺のことをじっと見詰めながら、なぜかニコニコ笑っていた。
 嫉妬? 嫉妬って、俺が? マナトと佐々木にって事だよな? 
「俺と柔の事疑うと、何か、ムカムカするんだろ?」
 ・・・・確かにする。
「で、何か、泣きたくなっちゃうんだろ?」
 ・・・確かになる。
「それってさ、カモちゃんも柔が好きだってことだろ?」
 あっさり指摘されて、俺は自分で自分の口を思わず押さえてしまった。
 佐々木の事は好きだ。オカマだけど、誠実だし、懐広いし。でも、それって、佐々木が俺にスキって言うのと同じ意味なんだろうか。
「うーんとさ。カモちゃんって今まで女の子しか好きになった事無い?」
「うん」
 俺が頷くと、マナトは「そっかー」って何か納得したようにしきりに頷いてた。
「柔の事はスキなんだよね?」
「・・・佐々木と同じ意味でスキかどうかは分かんないけど・・・」
「じゃ、キスしてヤだった?」
「・・・・ヤじゃなかった・・・」
「じゃ、体触られたりして気持ち悪かった?」
「・・・・・いや・・・」
 どっちかって言うと気持ちよかった。佐々木上手なんだもん。
「じゃあさ。例えば、俺がカモちゃんにキスしたり体触ったりしたらどうだと思う?」
「どうって・・・・」
 俺は突然変な事を言い出したマナトをまじまじと見詰めた。マナトに対する敵対心みたいなものは、もう、完全に無くなっていたけど、そんな性的な接触をするのは、ちょっと勘弁して欲しい。
「・・・悪いけど、遠慮したい」
 俺がボソボソと答えると、マナトはブっと噴出して、声を上げて笑った。
「や。俺も今は、別に好きなヤツいるから悪くは無いんだけどさ。つまりさ。カモちゃんは男でも佐々木ならオッケーって事でしょ?」
「・・・オッケーって言うか・・・ダメじゃないってだけで・・・」
「だっからー! 普通は、ノンケって男ってだけで生理的にダメだったりするワケ。それが、柔なら大丈夫ってのは、相当スキってことだろ?」
「そんな急に結論出そうとされても困る」
「じゃ、柔が、別の男を恋人にしても良いの?」
 キツイ口調で問い詰められて、俺はドキッとしてしまった。

 佐々木が別の男を恋人にする? 
 別の男にキスしたり、別の男の体を触ったりする? 

 想像しただけで、物凄く嫌な気持ちになってしまった。胸の中に何かがグルグルと詰まっているような不快な気持ち。覚えのある感情。マナトと佐々木の関係を疑ったときと同じ感情。
「・・・ヤダ」
 小さな声で俺が答えると、マナトはやっぱり犬みたいな顔でニコニコ笑った。
「だろ? カモちゃんはサ。男同士ってので戸惑ってるだけなんじゃん? 分かんなくも無いけど」
 そう言われると、その通りだって気がしてくるから不思議だ。マナトって詐欺師の才能あるかもしれない。
「柔が好きだって認める?」
「・・・・」
 そうは言われても、そんなに簡単に納得は出来ない。感情では理解してるけど、何かが頭の奥で引っ掛かってるみたいな感じ。
「カモちゃんがちゃんと認めて、柔にきちんと話をするって約束してくれたら、俺も教えてあげる」
「教えてあげるって・・・何だよ?」
「んー? 俺と柔がどういう関係かってことと、柔が俺に相談してた話」
「う・・・・」
 それは卑怯な条件だ、と思ったけど。
 顔を上げて何となく見たマナトの目が、すごく優しくて、それを見た途端、俺の中でグズグズとわだかまっていた拘りみたいなのが急に綺麗に溶けてなくなってしまった。



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