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カモネギ。A ………………………………
「カモちゃん、今日、ご飯食べにこない?」
 佐々木は満面の笑みを浮かべている。人の少ない夏休みも終わりのお昼の学食で、俺はカレーを食べようと口をアーンと開いたまま固まってしまった。そんな俺の様子を見て佐々木が苦笑いを浮かべる。
「やあねえ。そんなにあからさまな態度取らなくてもー」
 そう言いながら、人差し指で自分の頬をツンと突付く。や、だから、お前みたいにゴツイヤツがそんなブリッコな仕草をしても気持ち悪いだけなんですけど・・・。
「一応、今回の実験も上手くいった訳だしー。二人で打ち上げってのも良いと思うのよォ」
 シナを作るな、シナを。
「・・・・下心とかないんだろうな・・・」
 再びカレーを口に運びながら、上目遣いで睨み上げてやったら。
「やあねえ、カモちゃんったら! 下心なんてありまくるに決まってるじゃないの!」
「ゲホッ!」
 自信満々に言われて、背中をドンと叩かれて思わず咽てしまった。
「おまっ! お前なあ! カレー吹きそうになっただろ! 力加減しろよ! バカ力!」
「あらあ・・・ゴメンなさいね。カモちゃん、華奢だものねえ・・・気をつけるわ。ってことで、七時にアタシのウチって事で良いかしら?」
「や、だから、行くなんて言ってない・・・」
「七時は遅すぎるかしら? じゃ、六時?」
「だから、行くとは言って無い・・・」
「そうそう、久保田の万寿が手に入ったのよぉ。冷で飲むと美味しいわよぉ!」
「う・・・・」
 久保田・・・久保田の万寿。目の前に餌をぶら下げられて、俺は思わず躊躇する。スプーンを咥えたまま佐々木を見上げればニコニコ笑っているだけだ。俺は数秒間葛藤していたが、結局。
「・・・・7時に行く」
 オッケーしてしまった。
 ホントは、あんまり行きたくないんだけどなァ・・・。でも、万寿を飲める機会なんて滅多に無いしなあ・・・。
 別に、佐々木の事が嫌いなわけじゃないし、一緒にいるのが嫌だなんて事も無い。ただ、最近、佐々木との関係がかなーり微妙だからちょっと距離を置きたいっつーか。考える時間が欲しいっつーか。
 一年以上付き合っていた成美ちゃんにフられて、その直後、佐々木に告白されてから一ヶ月近くが過ぎたけど、その間に、何度か佐々木のアパートには行った。で、・・・その、・・・アレだ・・・・行く度にちょっかい出されるッつーか、ヤバい状況になるっつーか。結局泊まるハメになったことも何度かあった。最後までは行って無いんだけど、キスなんて何度されたか分からないし、抜かれた回数も、もうはっきり覚えてないくらい増えてきてしまっている。この間は尻に指突っ込まれて、ホント、マジヤバかった。
 何が一番ヤバいって、それなりに気持ち良いのがなあ・・・。
 俺は今まで女の子しか好きになった事が無いけど、佐々木にそういう性的な接触をされても、あんまり生理的嫌悪感を抱かない。性的な垣根が低いんか、それとも、もともと潜在的にそう言う素質があったからなのかは分からないけど。
 だから、佐々木にされる事が気持ちよかったりすると、流されそうになって、それが一番イヤだ。好きな相手としかしたくない、なんて潔癖症な事を言うつもりは毛頭ないが、どっちかって言うと佐々木に対して不誠実な態度を取りたくないって気持ちが強い。
 そういう事を言うと、佐々木は、
「カモちゃんは真面目ねえ。でも、そう言う所が好きなんだけど・・・」
って優しく笑う。
 そんなワケで、佐々木の家に行くのは躊躇してしまうが、結局、酒とか、食いモンとかに釣られてしまうのは、やはり貧乏学生の性と言うべきか。



「ういース」
 七時五分前に佐々木の家に到着すると、素麺が出来ていた。しかも天婦羅付き。
「おお! 良い匂い!」
 いそいそとテーブルの前に座ると、佐々木が麺つゆと箸を出してくれた。麺つゆはネギの頭で出汁を取った手作りのつゆで、ちょっと匂いが独特だけど、俺は好きだ。
「佐々木、やっぱすげえわ。揚げ物とか自分でやっちまうんだもんなァ」
 心底感心してそう言うと佐々木は少し照れたように笑った。
「そうでしょ? アタシはお買い得よー。カモちゃん、お嫁に貰って頂戴」
 微妙なジョークを飛ばされて、俺は思わず、パクっと口を噤んでしまった。きっと、以前の俺だったら「ふざけんなよー!」って笑い飛ばしてたんだろうケド。何か、この手の冗談を言われるとホント居心地が悪い。この曖昧な状況が居心地良くて、答えを出していない自分に対する罪悪感がチクチクと胸を刺してくる。
「あらあ・・・カモちゃんったら黙り込んじゃってー。冗談なんだから笑ってくれれば良いのよォ」
 そんな俺の気持ちを察したかのように、佐々木は軽い口調でさらりと流してくれる。
 ホント、俺、佐々木に甘えてるなあ・・・俺のが年上なんだけどなあ・・・と思いつつも、目の前に並べられた天婦羅と万寿の魅力には抗えるはずもなく。
 ついつい、罪悪感など忘れ去ってしまう最低な俺だった。



 先に風呂からあがって、ぼんやりプロ野球ニュースを見ていたら、フワッと石鹸の匂いがして後ろから抱きつかれる。もう、いい加減慣れてしまって解く気もなければ突っ込む気もない。
 放ったらかしにしておいたら、後ろから回された手で膝頭を撫でられた。俺が、そこ、くすぐったいの知ってて佐々木はわざとそういう事をする。
「くすぐってーよ」
 ペチンと大して痛くも無い叩き方で佐々木の腕を叩いてみたけど、手をどける様子は少しも無い。
「カモちゃんって、敏感よねえ。エッチ臭いんだから」
 口ではそんな事を言いながら、実は、佐々木が物凄く気を使っているんだって、最近分かるようになってきた。俺が、本気で嫌がることに対して、佐々木は酷く敏感だ。俺自身が驚くくらいに、さっと手を引いてしまう。
 裏を返せば、俺が本気で嫌がっていないことにも敏感で、口では「ヤメロ」と言いながらも、本当はイヤじゃない事は結構強引に続けたりする。そういう意味では、ちょっと体裁悪いんだけど。
 それにしても、一ヶ月前まではちゃんと女の子と付き合ってたくせに、自分よりも大きな男に抱きかかえられてるのが気持ち良いってのはどうなんだろう。
 ひょっとして俺って節操無し? 
 ぐずぐず考え事をしていると、後ろから顎をつかまれて上向かされてそのままキスされた。
 頬っぺたに、じょりって髭の感触がして、あー佐々木って男なんだよなあ、とか思ったけど、やっぱ嫌悪感は無い。舌先に歯磨き粉のミントの味がして、逆に変な気持ちになってしまった。
 だって、佐々木、キス上手いんだもん。
 こんなに上手いって事は、結構、経験あるのかなあ。あるとしたら、やっぱ、男と? 
 考えると複雑な気分になってしまった。
 暫くして唇が離れると、無意識に息が漏れる。じっと、佐々木の顔を見上げていたら。
「カモちゃん、いやらしい顔。そんな顔してると最後までしちゃうわよ?」
 半分冗談、半分真剣な表情で佐々木が囁く。うう。だから、耳は弱いんだっつーの。
「・・・・最後ってさー・・・やっぱ俺が突っ込まれるんだよなあ?」
 恐る恐る尋ねると、佐々木は苦笑いって風に笑った。
「そうねえ・・・カモちゃんはアタシに入れたいとか思う?」
「思わない! ぜんっぜん思わない!」
 っていうか、気色悪い想像しちまった! ゲエ! こんな馬鹿でかいオトコに突っ込むってどんなチャレンジャーだよ! 
「・・・そこまで激しく拒絶されると、なんか傷つくわあ」
「・・・つーか・・・お前って・・・その・・・女役なん?」
「ナニナニ? カモちゃんったらそんなに興味津々? エッチする気になってくれたってコト?」
 嬉々として尋ねられて、俺は慌てて佐々木の頭をぐいっと押しやった。
「ちげーよ! ! そうじゃないけど・・・好奇心っつーか・・・」
 ぼそぼそと答えると、佐々木はがっくりと肩を落とした。
「そうなのぉ? 残念ねえ・・・アタシは一応、バリタチなのよね。ネコは経験無いのよ」
「・・・バリタチ? バリとタヒチの事?」
 俺が首を傾げると、佐々木は一瞬目を大きく見開いてから、弾けるように大爆笑した。そんでもって、いつまでたっても笑い止まない。ヒーヒー腹を抱えて笑っているのを見たらだんだん腹が立ってきて、あんまムカついたから、さっさと布団に入って不貞寝した。
 暫くして、佐々木も入ってきて、色々俺の機嫌取りをしていたけど、無視。・・・・出来てたのは最初のうちだけで、結局、抜かれてしまった。だって、ホント、佐々木上手いんだもん。自分でやるより気持ち良いし、三日ぶりだったし・・・。
 嗚呼、俺って、ダメ人間・・・。



 そんな風にして、佐々木とはのらりくらりと上手くやっていた。つもりだった、俺は。
 学部生の夏休みも終わって(研究室に所属している学生は夏休みが短い。お盆の前後の一週間程度)、季節はすっかり秋、になってしまったある日、「そいつ」はやって来た。
 キャンパスのあちこちに植えられている銀杏の木も鮮やかな黄色に色づいて、金木犀の香りがほんのりと漂っている中を俺はのんびりと歩いていた。
 いや、すっかり秋になったなあとか、銀杏って茶碗蒸しに入れると美味いんだよなあ、今度佐々木に作ってもらおうとか、金木犀の匂いってトイレの匂いに似てんだよなとかホント、くだらない事考えて歩いていた。
 学食で昼飯を食って、研究室に戻ろうとしていた途中だった。
 その日はなぜか、佐々木が一緒にメシ食いに行かなかったんだけど、別に、金魚の糞じゃあるまいし、いつも一緒ってのも変だし。
 で、研究室に戻る途中で、その二人組みに気がついた。
 背が高いのが二人並んでたせいで、目立ってたから気がついたのかもしれない。とにかく、その背の高い男の片方は佐々木だった。すぐに、それに気がついて声を掛けようとしたんだけど、急に片っぽの俺の知らない男の方が佐々木に顔を近づけてキスした。
 ほんの一瞬の出来事で、しかも、あんまり自然な仕草でしたもんだから、回りは全然気がついてないみたいだったし、俺も、一瞬、目の錯覚かと思った。ってか、キャンパスのど真ん中(つっても裏通りで人は少ないけど)でそんな事するか? しかも男同士だぞ、男同士! 
 俺が呆気に取られていると、その男はニコニコ笑いながら、
「じゃあな。まあ、あんまり無理すんなよ。暇な時ならいつでも相手してやるからさ」
って佐々木の方をポンと叩いた。佐々木の方も、苦笑いって風に笑っただけで、別にその男を突き放すわけでもない。
「ああ。昨日は悪かったな」
 パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま立っている姿は変に絵になっていて、俺は急に佐々木が知らない男みたいに思えてきた。
「いや。俺も楽しかったし? それにしても、お前もいい加減不器用な?」
「あー。っつーか、最初に失敗した気がする。俺が悪いんだけどさ・・・」
 その場からさっさと立ち去れば良いのに、どうしても気になって足が動かない。罪悪感を感じながら、二人の会話を盗み聞きして、さっきから奇妙な違和感を感じていた原因に思い当たった。
 ・・・佐々木がカマ言葉を使ってないんだ。凄く、普通にしゃべっている。普通の男っぽい言葉。
 なんで? 
 不意に、いろいろな感情が俺の中でぶわっと膨れて、何が何だか分からなくて混乱してしまった。悔しいとか、寂しいとか、腹が立つとか。ぐちゃぐちゃと混ざり合って頭の中が整理できない。混乱したまま立ち尽くしていると、不意に佐々木が振り向いて、俺に気がついた。
「あ・・・」
 目が合って、俺も佐々木も固まってしまった。別に、悪い事してたわけじゃないのに、すごく気まずくて、何を言って良いか分からないまま、佐々木をじっと見詰める。佐々木も、何を言って良いか分からないみたいで、二人で黙り込んだまま暫くバカみたいに見詰め合ってた。
 変な緊迫感があって、どうしよう、と内心焦っていたら。
「ああ! コイツ? カモちゃんって」
と、件の男が急に大きな声を出した。コイツ? 初対面の男にコイツ呼ばわりされる筋合いはねえっつーの。しかも、カモちゃんとか馴れ馴れしく呼ぶな。
 俺は、ムッとして、視線を男のほうに移す。
「はっはーん。柔、お前ってわっかりやっすいなー」
と、突然、俺の顔を見てゲラゲラ笑い出す。つくづく失礼なヤツだ。俺は、一瞬で、この男が嫌いになった。
「マナト・・・お前、もう帰れって」
「なんだよ。人に忘れ物届けさせておいて偉っそうだなァ」
「今度、何か奢るから帰れって」
 少し乱暴にドンと佐々木にどつかれて、その「マナト」と呼ばれた男は、
「へいへい」
と、肩を竦めて俺の横を通り過ぎる。通り過ぎる瞬間に、
「じゃあね。カモちゃん、バイバイ」
って気安く声を掛けて言った。その軽い態度にも腹が立って、俺は無視する。
「無視しちゃって。お高く留まってると痛い目見るよ」
 捨て台詞を投げつけられて、俺はますますムカついた。初対面の男になんで、そこまでコケにされなくちゃならないんだよ! 
 あんまり頭に来たから、そのまま歩き出して、佐々木も無視してそのまま研究室に向かった。
 佐々木が、後ろから声を掛けてきたけどそのまま無視。
 何だか、悔しくて、腹が立って仕方が無かった。

 普通の男言葉でしゃべっていた佐々木。

 それが酷く自然で、佐々木の本来の姿みたいに思えて、距離感を感じた。
 それまで、当たり前に思っていた事が覆されたみたいな不安感と、裏切られたような悔しさ。
 それが、いつまでも心の奥の方にこびり付いて離れない。自然と佐々木に対する態度もつっけんどんになって、気がつけば佐々木と俺の間には気まずい空気が流れるようになってしまっていた。



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