amber and sacrifice-6 ……… |
グッと圧力をかけてヒイラギが僕の体に入ってくる。上手に力を抜くのもすっかり慣れてしまって、僕はヒイラギの肩に手を掛けて掴まったまま簡単にそれを受け入れた。 入る瞬間、ヒイラギは何かに耐えるように眉を寄せ、少しだけ気持の良さそうな顔をする。僕はその表情が堪らなく好きだ。とても綺麗で、どこか艶めいた顔。 抱き合うまで、ヒイラギがこんな顔をすると知らなかった。 一度、最後まで入ってしまうとヒイラギは必ずキスしたがる。お腹が圧迫されて少し苦しいけど、僕はヒイラギとこうしてキスするのも好きだった。 ひんやりとした唇に熱い舌はヒイラギの本質を表しているような気がする。表面は穏やかで、優しくて、凪いでいるのに、内面は情熱的。淫猥な音を立てて僕は必死で舌を絡める。お互いの唾液でグチャグチャになっても気にならなかった。 暫く時間を置いて、僕の中が慣れてくるとヒイラギが動き始める。 それが、どうしようもなく気持が良い。 僕はイヤらしい声を隠す事も無く奔放に上げた。それをヒイラギは決して非難する事は無く、熱のこもった、それでいて大事なものを見詰める時のような優しい目で見下ろしてくれる。 僕は満たされていた。 ジャスは僕達は理解しあえないと言ったけれど、僕達はこうして一つになれる。これ以上は無いほど近くに体を寄せて繋がりあえるというのに、なぜ孤独に追いやられるなんて言えるのだろう。 官能の波に攫われて、僕は必死にヒイラギの腕にしがみつく。焼けて醜く爛れた左手も、僕には美しい神聖なものにしか思えない。 ヒイラギの何もかもが愛しいと思った。 ジャスはあんなことを言ったけれど、数日経った今でも、別に僕らの関係に変化は見えない。ヒイラギは僕に都に行けだなんて言わない。言うはずが無い。だって、僕達は離れては生きていけないのだから。 「綺麗な目だね」 嵐のような情熱の時間が過ぎ去った後。穏やかに枕を分け合って横たわっている時だった。 不意に、ヒイラギは僕の目を覗き込みながら漏らした。ヒイラギが情事の後で何かを言う事は今まで一度も無かったので、僕は少しだけ驚いた。 「君の目は本物の琥珀のようだ。名は体を現すというけれど」 甘ったるい言葉を吐き出しながら、ヒイラギは僕の目の下の辺りを優しくなぞっている。白くて綺麗な指だ。僕は、何となくその空気の甘さが恥ずかしくて少しだけ俯いた。 「いつからだったろう。君のその目を僕だけの宝物にしたいだなんて思うようになったのは」 そう言いながら、ヒイラギは僕の瞼に柔らかなキスを落とした。バージンフェザーのキスだ。 一体、ヒイラギの何がどうしてしまったのかというような甘い仕草に言葉だった。 僕はパチパチと何度か瞬きを繰り返してヒイラギの顔をじっと見詰める。ヒイラギの眼差しは穏やかで、優しくて、慈愛に満ち溢れていた。 「けれども、君は選ばれた人間だ。誰か一人のものになったりするべきじゃない。万人に愛される資格のある人間なんだよ」 僕はヒイラギのその言葉を、賞賛の言葉であるはずのそれを、死刑の宣告を聞くような気持で聞いていた。 「・・・何を言っているの? 僕が好きなのはヒイラギだけだ。君を愛している。君が僕の愛を受け入れてくれるなら、僕は他には何も要らない。富も名誉も。セロさえ捨てても良い」 僕が一縷の望みを託して言った言葉に、ヒイラギは静かに首を横に振った。 「君は、光の中で喝采を浴びるべき人間なのだから。僕に縛られる事など無い。あれは事故だ。ただの事故だったんだよ。君に罪などありはしない。君は都に行くべきだ」 酷く穏やかな聖人のような顔で、ヒイラギはこれ以上は無いというほど残酷な言葉を告げた。 「僕は都になど行かないよ。君の傍にいる。僕は君を愛している。ねえ、僕の愛を受け入れてくれるだろう?」 哀願するように僕はヒイラギに縋ったが、ヒイラギは決して頷かなかった。 「どうして神様は、君だけに才能を与えたのだろう。そうでなければ、僕は君を僕だけの物にしただろうに」 「僕は・・・僕は君だけのものだよ? 僕はずっと君の傍にいたい」 「そんなことはできないよ。そんな事は許されないんだ。そんな風に君の才能を潰してしまったなら、何よりも僕自身が許せない」 ヒイラギは何かを悟ったような顔で言い続けていたが、僕は、暗澹たる思いでヒイラギの言葉を聞いていた。 目の前が真っ暗になっていく。 絶望がすぐそこまでヒタヒタと近づいていた。 ジャスの言葉が脳裏を過ぎる。 逃れる事など出来ないと彼は言った。 僕の足には見えない鎖と足枷が絡まっている。 蛇のように僕に近寄り、絡みつき、僕を身動きが取れないように雁字搦めにする。 それは、僕が死ぬまで僕に寄り添い続け、それがある限り、ヒイラギは僕の愛を受け入れないと言う。 グラリと視界が揺れて、僕はそのまま気を失うかと思った。 けれども、その瞬間に視界の端に、『それ』が写ったのは、僕にとっては天啓だったのかもしれない。 うねりのような、狂気に満ちた衝動に突き動かされ、僕はベッドから跳ね起きると、ヒイラギの机の前まで走った。 僕の突然の行動にヒイラギは驚いたような顔をしていたけれど。 僕は、机の脇の小物入れに入っていたフォールディングナイフを手にすると、何の躊躇も無く自分の左手の指の付け根に付き立てた。 ざっくりと何かが完全に切れる感触がして、左手に鋭い痛みが走ったが、すっかり興奮してしまっていた僕にはあまり、大変な事をしてしまったという認識は無かった。ダクダクと血が流れ出る生々しい感覚がしたけれど、僕は少しも恐怖など感じていなかった。 感じていたのは歓喜と安堵だけだ。 運命の神様が僕を捕まえようとした瞬間に、僕はすり抜けて逃げ切る事が出来たのだから。 ジャスは逃れる事が出来ないと言った。 だが、僕は逃げ切った。 逃げ切ったのだ。 もう、何も僕を縛るものは無い。呪縛など跡形も無く壊れ去った。 これで、ヒイラギは僕の愛を受け入れてくれるだろうと思って、僕はヒイラギのほうを見たが、ヒイラギは血の気を失った顔で、僕を呆然と見詰めているだけだった。 僕が覚えているのは、そこまでだ。 酷い出血と痛みの為に、すぐに気を失ってしまったから。 結果として、僕は左手の三本の指を失った。親指と人差し指を残した全ての指だ。これではセロの弦を押さえる事など出来ない。セロを弾く事などできない。 ヒイラギの両親も、学校の先生達も、嘆き悲しみ、悲嘆に暮れた。けれども、それは僕にとっては酷く遠い出来事で、何だか他人事のようにしか思えなかった。 僕はこんなに喜んでいるのに、なぜ回りはあんなに悲しんでいるのだろうか、としか思わなかった。 ジャスは一度だけ病床の僕を訪ねてきて、酷く疲れきった、諦めたような表情で僕を見た。 「君は何て愚かなのだろう」 少し青ざめた顔でジャスはそう言うと、弱々しく笑った。 「けれども、君は見事に逃げ切ったんだね。俺の中のコハクは死んでしまった。死に絶えてしまった」 ジャスは、僕の指を失ってしまった歪な左手を取ると、恭しく一度だけその甲にキスを落とした。 「君がいつまでも、健やかでありますように」 まるでジャスとは思えないほど、激しさを削ぎ落とした穏やかな表情で彼は僕の為に祈ってくれた。 「神の御加護が君の上に常にありますよう」 最後にそう祈り、十字を切ってジャスは出て行った。そして、そのまま、学校の講師も辞め、町を出て行ってしまった。どこに行ってしまったのか、知る人はいなかった。 ヒイラギは、三日三晩泣き続け、僕に、「どうしてこんな事をしたんだ」と尋ね続けた。 その度に、僕は、 「僕はヒイラギだけのものだから」 と答え続けた。三日目の夜に、 「ヒイラギは僕の愛を受け入れてくれるの?」 と尋ねたら、ヒイラギは泣きながら頷き、僕を優しく抱きしめてくれた。 僕は欲しかったものを手に入れて、これ以上は無いというほど幸福だった。 もう、誰も僕を追っては来ない。誰も僕を縛らない。誰も、僕を孤独に追いやり、ヒイラギから引き離したりはしないのだ。 それからの一ヶ月程は穏やかで、安寧に満ちた日々だった。。 ヒイラギは僕の愛を受け入れると言った晩から、決して涙を流す事は無く、僕に穏やかな笑顔しか向けなくなった。その眼差しはとても優しくて愛に満ち溢れている。 彼は、何度も情熱的に僕を抱いたし、僕もそれを喜んで受け入れた。 言葉も無く情交を交わしていた時とは打って変わって、ヒイラギは常に愛を囁きながら僕を抱く。 僕も同じように愛の言葉を返しながら、数え切れぬほど官能の海に溺れた。 これ程幸せで良いのだろうかと、空恐ろしくなるほど幸福な日々だった。 けれども、僕は気がついていなかったのだ。 決して、呪われた血は僕を解放などしていなかった事に。 そして、それは、音も立てずに忍び寄り、僕の気が付かない間にヒイラギに寄り添い、彼を侵食しつつあった事に。 |