『085:コンビニおにぎり』 …………… |
*変態寮シリーズそのD 惣領寛太(そうりょうかんた)が三倉薫の部屋を訪ねたのは、消灯時間の五分後だった。ちなみに寮の消灯時間は午後11時である。もっとも、大学生寮の消灯時間などあって無きが如し。11時など大学生にとってはまだ宵の口、下手すれば夕方みたいなものである。 消灯時間と言っても、もちろんその時間に就寝するものなどおらず、ただ単純に、共有スペースの電気が落とされる(しかも理由は節電以外の何物でもない)という文字通り『消灯』するだけの時間だ。 「ああ! 良かった! ! 今日は大杉連れ込んでねーな! ?」 部屋の中をキョトキョトとその大きな目で覗きながら寛太はスルリとその小さな身体を薫の部屋に滑り入れた。 「白井は?」 「白井は、今日はゼミ合宿。明後日までいないよ。どうしたの? カンちゃん先輩。こんな時間に来るなんてエッチな用事〜?」 薫が悪戯な笑いを浮かべて寛太をそうからかえば、よもやそんな答えが返ってくるはずが無いと思っていた答えが返ってきた。 「そうなんだ! エッチな用事! 頼む! 薫! 俺を男にしてくれ!」 椅子に座って珍しく課題なんぞをしていた薫の両手をガシッと掴み、必死の形相で迫ってくる寛太に、薫はさすがに驚いた。目を白黒させながら、半分体を引いて寛太の顔を見上げる。寛太は切羽詰っているのか、それとも興奮しているのかいつもより目を見開いていて、ただでさえ大きな目が更に大きくなっていた。瞬きをするたびに、馬鹿みたいに長い睫毛がバサバサと揺れる。マッチ棒乗せたら何本くらい乗るのかなあ、などと、薫は動揺しながらもそんな悠長な事を考えてみたりする。 寛太はぱっと見は深窓の美少年と言った風情で、黙っていればそれはそれは綺麗な少年(実際は成人しているが華奢で小柄なため少年にしか見えない)なのだが、口を開けばべらんめえ口調のお笑いキャラに転落する。しかも天然ボケだ。その性格ゆえに、みなからは愛すべき聖域と見なされて、性に関してインモラルな人間が集まる寮内でも貞操を守ってきた。もちろん、天然だから本人にその自覚は無い。 そんな寛太が、突然、そんな事を言い出すなんて、何をトチ狂ったのだろうかと薫は立ち上がり、寛太の両肩に手を置いた。ちなみに、立ち上がると薫の方が寛太より5センチほど背が高い。薫はほんの少し下に目線のある寛太をじっと見下ろして暫く考え込んだ。 色素の薄い茶色いサラサラの髪、大きな目。バサバサの睫毛に、白い肌。唇は小さめで綺麗な桜色だ。黙っていれば、少女と見まごうような綺麗で可愛らしい顔立ちで、どうシミュレーションしても、『寛太を男にする』のは不可能なように思えた。普段はもっぱらネコの薫だが、寛太を相手にネコに回るなど、男としてのプライドが許さない。 「ゴメン! カンちゃん先輩! 無理! 俺、さすがに、カンちゃん先輩相手にネコは無理!」 「ちっげーよ!」 「え? 違うの? じゃ、俺、タチ? タチなんて今までしたことないんだけど…あ、でもカンちゃん先輩相手なら、出来るかも? あ。想像したら、ちょっとできそうな気がしてきた」 「ちっがーうっ! !」 勝手に一人で妄想に走りかけている薫を寛太はユサユサと揺すって制止する。 「はあ? じゃあ、何なの?」 「俺に……俺に、男の誘惑の仕方を教えてくれ! !」 場所も時間も弁えず、寮内に響き渡るかのような大きな声で叫んだ寛太に、薫はあんぐりと口をあけ、暫くの間、固まってしまったのだった。 寛太の話はかいつまんで説明すればこうだった。この間の合コンに同席していた同学年の男(寮生にあらず)に一目惚れしてしまった。どうしても落としたいから、薫にどうすれば良いのか、その方法を伝授して欲しいと。 「…てか、カンちゃん先輩ってゲイだったっけ?」 「いや。今までは女の子しか好きになった事無かった」 「…だよね? いっつも楽しそうに談話室でエロ本広げてるもんね……その顔でそんなことするなーって一年の奴らが泣いてたけど」 「泣いてた? 何で? あ? 何だよ? 俺の秘蔵本、貸して欲しかったのか? 何だよー俺ケチじゃねーから、言ってくれりゃ、自慢のコレクションから貸してやったのよー」 「……いや。そうじゃなくて……」 「そういや、この間、絶版になってた写真集、古本屋で見つけてよー定価の二倍だったんだけど、買っちまったぜ。でも、すんげー良くってさ。悪い買いモンじゃなかった。やっぱ、グラビアアイドルは巨乳に限るよな!」 「……もう良いから、カンちゃん先輩、話戻そうよ」 その外見と言動のギャップに頭痛とめまいを覚えながら薫が促すと、寛太は漫画のように片手拳でもう片方の手の平をポンと叩いた。 「そうそう、そうだった! いや、もう、今、俺切羽詰ってんだよ。今すぐにでも、速攻! アイツの事、落としたいんだよ!」 「う〜ん? てか、カンちゃん先輩、その人の事好きになっちゃったんだよね?」 「おう!」 「でもって、出来れば、ソイツと付き合ったりしたいんだよね?」 「おう!」 「それじゃあさ、俺、相談相手としてはメチャメチャ選択ミスなんじゃない?」 「え? なんで?」 「俺、悪いけど、まともに『お付き合い』ってしたことないもん」 「なんだよ! 入寮した当初なんか、寮内の男を片っ端からめろんめろんにして落としまくってたじゃないか!」 「いや、でも別にそういう奴らとはセックスしてただけで、付き合ってたわけじゃないし」 めろんめろんって表現もどうよ、と思いつつ、寛太に突っ込んでも暖簾に腕押しだと知っているので、薫は敢えてそれを黙殺し、必要な言い訳だけを述べる。 「え? よく分かんない。セックスしたら付き合ってるってことじゃないの?」 「……いや、いい。カンちゃん先輩にそれ説明してると、朝になっちゃうから。じゃ、それは置いといて。別に、この寮の連中なら俺じゃなくても、ゲイとかバイのヤツ多いし、他にも相談相手の適任者いるんじゃないの?」 「や、ホントは最初はミワちゃん先輩に聞いた」 「……聞くなよ、あんな純情可憐な人に……」 「そしたら、ミワちゃん先輩、耳まで真っ赤になって泣きそうな顔してさー。その後ろから御影先輩がおっかねーオーラ発して威嚇してきたから逃げてきた」 「…てか、御影センパイに威嚇されてそんなにケロッとしてられるのってカンちゃん先輩だけだよね」 「で、白井にも聞いてみたら…」 「……それって明らかに人選ミス……」 「『知らねーよ。俺、別に梓のこと好きなわけじゃねーモン。梓が勝手に俺のこと押し倒して、変態なことしてくだけだもん。まー俺も気持ち良いし、スッキリするから別に良いんだけどさ。』とか言われてよー。全然、参考になんねーんだもんよ」 「…っていうか、みんな、そろそろあの顔に騙されるの止めようよ。白井のキャラ、正確に把握しようよ…」 「で、仕方が無いから薫んとこきた」 仕方が無いとは何と失礼な! と思いながらも、一応は先輩が相手だと我慢する、最低限の礼儀は弁えている薫だ。敢えて何も反論せず、とりあえずまともな答えを考えてみる。 「んー…でも、ちゃんと付き合いたいなら、徐々にアプローチ掛けて行って、ある程度行ったら真っ向勝負で告るのが一番じゃないの?」 「それじゃ、ダメなんだよ! 時間が無いんだよ!」 「時間が無い? 何で? 相手が不治の病でもうすぐ死にそうだとか?」 「アホたれ! 縁起でもねえこと言うんじゃねえ! そうじゃなくて…」 「そうじゃなくて?」 「………俺の後ろには、恐ろしい悪魔がいるんだ! !」 いくら、寮内とは言え深夜とも言って良い時間帯に、そんな途方も無い事を叫ばれて薫は目を真ん丸く見開いて絶句する。寛太はその儚い深窓の美少年といった外見に似合わずはっきり言って奥が浅い。単純で明瞭で単細胞。信じやすく騙されやすい。 もしかして、新興宗教にでもハマッった? でなければ… 「……ホラー映画の見すぎ?」 「ちっがーうっ! !」 寮内全域に響き渡るほどの馬鹿でかい声で叫んだ寛太に、薫は思わず耳を塞いでしまったのだった。 「実は、俺って双子なんだ」 「あ、何か聞いたことあるかも」 「そんで、俺のが兄ちゃんで、弟の名前が啓太っつーんだけどよ。あ、大学は他大学な。コイツが、ホントに悪魔みたいなヤツなんだ」 「…性格悪いの?」 「うーん…性格が悪いっつーか……一卵性なんだけど、色んな意味ですっげー似てんだよ。それが困るっつーか」 「外見もそっくりなの?」 「おう。親でさえ時々間違うくらいそっくり」 薫はほえ〜と感嘆の溜息を漏らす。 「それはすごいね、二人並んだところ見てみたいなあ。もはや芸術の域なんじゃない? あ、でも、その時はカンちゃん先輩、絶対口開かないでね。死んでも黙ってて」 いや、死んだら普通しゃべりたくてもしゃべれないだろうという突っ込みは寛太にはできない。なぜなら、寛太にはボケしかできないからだ。しかも天然である。 「で、今まで俺が好きになったヤツ、ぜーんぶ啓太と被っちまってたんだよ」 「あらら。双子って、好みまで似るモンなんだね」 「まあな」 「やっぱり、あれなの、1から10まで全く一緒だったりするの?」 「そんなことは無いぞ。微妙にズレてはいる」 「微妙に、ってどの程度?」 「例えばだな」 「ふんふん」 「俺も啓太も6Pチーズがスキなんだけど…」 「うん」 「俺は雪印の方がスキだけど、啓太は明治の十勝チーズの方がスキなんだ」 「…………………………カンちゃん先輩、それ分かんないよ」 「それからな、コンビにおにぎり。俺はイレブンの方がスキだけど、啓太はファミマの方がスキなんだ!」 「…………………………だから、カンちゃん先輩、分かんないって。コンビニのおにぎりなんて全部味一緒じゃん」 「一緒じゃねえぞ! 海苔の味も、米の味も、具の味も違うじゃねーか!」 コンビニおにぎりについて真剣に語り始めそうな寛太に、薫は本気で眩暈を覚えて思わず額に手を当てた。だがしかし、あの寛太を相手にしているのだ。コレくらいで挫折していては寮生は務まらない。 「…………………………まあ、それは置いておいて。でも好きなタイプは被っちゃうんだね?」 「そうそう、そうだ、啓太の話だよ、啓太の。で、啓太は俺と違ってメチャメチャ手が早いんだ。で、今まで俺が好きになった子、全部寛太が先に手を出して、食っちまったんだよ!」 「………あのさ。カンちゃん先輩。ちょっとだけ確認して良い?」 「おう。なんだ」 「啓太君ってカンちゃん先輩にソックリなんだよね?」 「おう」 「でもって、今までカンちゃん先輩が好きになった子って、女の子なんだよね?」 「おう。それがどうした?」 と言うことは、この外見で啓太とやらは女の子をコマしたことになる。それは、どう拡大的に解釈しても… 「…………………………………………ユリじゃん」 この寮に入って早7ヶ月。変態寮といわれるような非常識人の巣窟であるこの場所に、馴染みすぎるほど馴染んだと思っていた。だが、まだまだこの寮は奥が深いと薫はらしくも無く戦慄した。もしかして、俺ってかなりまともな方? などと罰当たりな事まで考えてしまう。 「でも、そしたら、今回は大丈夫じゃないの? 啓太君って大学違うんでしょ? しかも、相手男でしょ? いくら双子だって、同時に男に走ったりはしないんじゃないの? 今までノーマルだったんだし」 薫がもっともな推論を述べると、寛太はとんでもないというように、頭がもげるほど激しく首を横に振った。 「それがダメなんだよ! ! 昨日、電話がかかってきてアイツ、男を好きになったって! しかも名前が小早川だって言ったんだよ! 俺やだよ! 俺だって本気で小早川のこと好きなんだもん! 啓太に取られたくない!」 一生懸命に寛太は言い募るとワーンと子供のように泣き出してしまった。 素直が一番とは良く言うが、それにはやはり年齢制限がある。素直が過ぎればはた迷惑。 どうして、今夜に限って大杉を連れ込まったのだろうか、でなければ笠井の部屋にヤりにいかなかったのだろうかと自分自身を恨んで途方に暮れた薫だった。 「うーん。やっぱり素直に、カンちゃん先輩の気持ちを言うのが一番じゃないのかなあ。まあ、俺が演技指導してやって、か弱い美少年の泣き落としって手を使っても良いけど、カンちゃん先輩じゃ、絶対すぐにボロが出ると思うんだよね。まあ、性格的に問題あるとしても、ほら、カンちゃん先輩外見はオッケーだから!」 「性格的に問題があるって何だよ。それにか弱い美少年って誰のことだよ?」 「まあまあ、細かい事は良いから。善は急げだよ。電話してコクっちゃいなよ」 もはや、この状況から一刻も早く逃げ出すことしか考えていない、全くもって無責任な薫である。だがしかし、人選ミスをしたのは他でもない、寛太本人なので仕方が無い。 「電話番号知ってる? 小早川君に聞いたの?」 「き……聞いたって言うか……別れ際に教えてもらった」 「ほえ? ナニナニ? 向こうから番号渡してきたの?」 薫が驚いて尋ねると、寛太はハズカシそうに頬を赤く染めてコクンと頷く。その仕草と表情は、薫から見ても文句なしに可愛らしい。普通の男だったら、まず9割がたノックダウンされるほどの可憐さだった。 「じゃあ、結構脈あるんじゃん。だったら、尚更速攻でコクったほうが良いって」 「…う…でも」 「カンちゃん先輩、なに怖気づいてンの! ? いつもの元気はどこに行ったの! ? 啓太君に小早川君取られても良いの! ?」 「ヤダ!」 「じゃ、電話」 薫は既に逃げの体勢で目が据わり始めている。寛太の尻ポケットから無理矢理携帯を毟り取ると、アドレス帳から『小早川』を探し出そうとし。 その瞬間に着信音が不意に鳴りだした。着信名は『啓太』となっている。噂をすれば影。双子って怖い、と思いながら薫は慌てて寛太に携帯を押し付けた。 寛太は着信名を見て、眉を顰めたが、気がのらなそうな顔で通話ボタンを押す。 「……おう。なんだよ。…は? …え? …う…そ…」 ボトリと寛太の携帯が落ちる。その顔は蒼白で、まるでまっさらな紙の様だった。 「…カンちゃん先輩?」 訝しげに薫は寛太の顔を覗き込んだが、寛太の顔は相変わらず真っ青で血の気が無い。反応も無い。 「おーい。カンちゃんせんぱーい」 寛太の目の前で薫がヒラヒラと手を振ってみると、寛太はクシャリと顔を歪ませて、一粒涙をポロリと零した。 「か……カンちゃん先輩?」 「……………もういい」 「え?」 「薫、ごめん。もういいよ」 「え? え? もう良いって何が?」 「……啓太、小早川と付き合うことになったんだって。エ……エッチしちゃったって、嬉しそうに言ってたから。夜中にゴメンな」 いつもの元気がどこへ行ってしまったのか、寛太は見てる方が胸が痛むような悄然とした風情でフラリと立ち上がる。けれども、足が動かないのか、その場で立ちすくんでしまった。 いつもは泣く時は子供のようにワアワアと喚きながら泣くくせに、今は必死に声を押し殺して泣いている。長い睫毛を震わせて、下唇を噛んで、声も立てずに泣いている姿を見ると、さすがに薫も動揺した。こんな風になった寛太など、今まで一度も見たことが無い。本当にソイツの事がスキだったんだなと今更ながらに理解して、少しだけ罪悪感にも駆られた。 もっと、真剣に一緒に考えて上げれば良かったなと思ったけれど、このタイミングだったなら、どのみち間に合わない事には変わりなかっただろう。 「…カンちゃん先輩…」 そんな泣き方をする寛太を見ていられなくて、薫は寛太をギュッと抱きしめ、その顔を自分の胸の辺りに押し付けた。だんだんと、シャツが濡れていく感触がしたけど、お気に入りのビンテージのシャツだったけど、その時ばかりは気にならなかった。 「…ね。カンちゃん先輩。お酒でも買いに行く? 俺、おごったげるよ」 殊更明るく、優しい口調で薫が慰めると、寛太はクスンと鼻を鳴らして、しおらしく頷いた。 「……薫。アリガト」 「イレブン行こうか。おにぎりも買ってあげる」 「うん」 そう言いながら、二人手を繋ぎ、トボトボと寮を後にした。 「うーんとさ。カンちゃん先輩。その小早川君のこと、本気で好きなら諦めない方が良いんじゃないかなあ? がんばって、略奪愛とかしちゃえば」 「…多分、無理」 「何で?」 「うーん。啓太の方が要領良いし、策士だし。多分敵わない」 「ふーん。外見もソックリ、好みもほぼ一緒なのに、性格はちょっと違うんだね」 ようやく涙がひっこんだのか、寛太は鼻の頭を赤くしているものの、普通にしゃべっている。でも、何かを堪えているのがありありと見えて、何だか痛ましい。 「でも、俺は要領良くて策士なタイプより、カンちゃん先輩みたいに単純で天然の方が好きだけどね。人の好みなんて様々なんだから何が起こるか分からないんじゃない?」 コンビニの少し手前で薫がそう言うと、寛太は何を思ったのかピタリと足を止めた。何か、気に障ること言ったのかなと、薫も一緒に足を止め、ふと薫の方を見る。寛太はなぜか酷く驚いた様子で、じっと真っ直ぐ前を凝視していた。 「カンちゃん先輩?」 その視線を辿り、薫も改めて前の方を見ると、ひとりの男が立っていて、なぜか、寛太と同じような驚いた顔で寛太を凝視していた。 「……小早川」 「え?」 小さな声で、寛太が独り言を零したのを薫は聞き逃さない。これが件の小早川かと思って改めて観察すると、結構な良い男だった。背は程々。180をちょい切る程度だが結構がっしりした体格でスタイルも悪くない。顔は純和風のあっさりした顔立ちだったが、中々の男前だった。顔に、誠実さが表れていて表だって騒がれるタイプではないにしろ、男にも女にも好感を持たれるタイプに見えた。 寛太と小早川は、コンビニの脇の路地でなぜか見詰め合って動かない。二人とも、薫の存在を失念しているように見えた。と、おもむろに、小早川は大股で歩き出し、寛太と薫の方に近づいてくる。そして、そのまま妙な勢いで寛太に覆いかぶさるようにその両肩を掴んだ。 「ダメだ」 低い、朗々とした声で小早川が言葉を漏らす。え? 何がダメなの? と薫が思っていると、あれよあれよという間に小早川は寛太の小さな身体を抱きこんでしまった。 「やっぱり諦められない。良二なんて辞めて俺にしろよ!」 「「は?」」 薫と寛太の声が重なる。 「良二なんて、要領が良くて計算高いだけなんだぞ! ? 何で、お前もアイツを選ぶんだよ! !」 激昂したように小早川はまくしたて、そのままギュウギュウと寛太の身体を強く抱きしめた。 「「…………は?」」 再び薫と寛太の声が重なる。しかし、小早川は薫の存在を完全に無視していた。 「来い」 短くそう命令すると、小早川は寛太の腕を掴むと強引に引っ張っていこうとする。 「あ、ちょっと! 何?」 慌てる寛太と、呆然とする薫を余所に、小早川はそのまま寛太を引きずって、コンビニとは反対の方向に歩き出し、そのまま住宅街へと消えてしまった。 「……………………………………………………ナニゴト?」 一人ぽつねんとその場所に残された薫は、3分ほど経ってから、ようやく、その一言だけを発したのだった。 「双子ーーーー! ?」 「そう。小早川も双子だったんだって。でも、弟は他大学。で、啓太と同じ大学だったんだ」 奇遇なこともあるモンだよな、と寛太はウンウンと知った風な顔で頷いている。薫はただただ驚くばかりで言葉も出ない。 「でさー。あの日、良一も…あ、良一って小早川の名前ね、弟に、『惣領と付き合うことになったーエッチしちゃったー』って電話貰って、すごく落ち込んで酒でも買いに行くところだったんだって」 「………………はあ」 「それで、あの、良一も、俺に一目ぼれだったんだって」 頬をピンク色に染め、もじもじと手を弄っている姿は寛太の外見には恐ろしいほど良くはまる。良くはまるが、寛太のキャラとは著しく異なる。 「良一も、今まで、ずっと良二と好みが被ってて、痛い目にあってきたんだって。好きな子、片っ端から取られちゃってたみたい。でも、今回は、ほら、ちょうど俺たちが双子だったから。上手くいったって言うの? あ、そう言えば、良一もコンビニおにぎりはイレブンの方がスキだって言ってたぞ。やっぱり、海苔も米も具も味違うって。何か、運命的だよなー」 いや、運命的と言うより、げに恐ろしや双子、と薫はやはり眩暈を覚える。 「薫、ホントにありがとな。今度、酒奢るからな」 いや、俺は何もして無いし。っていうか、勝手にくっついただけだし。でもただ酒は見逃さない悲しき貧乏大学生である。敢えて、何も言わずに薫は釈然としない面持ちのまま曖昧に頷いた。 「……まあ、結果良ければ全て良しだけど。なにはともあれ、上手くいって良かったね。カンちゃん先輩」 「おう」 「でも、あの後、どうしたの? 結局どっか連れ込まれてエッチしたの?」 この天然ボケがいったいどんなセックスをするのだろうと、下世話な好奇心がムクムクと湧き上がってきて、薫は思わず尋ねてしまう。すると、寛太は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに俯いた。 寛太の人となりを十分に承知している薫にも、この様子は堪らない。可愛いと抱きしめそうになったが。 「…まだしてない。だって、おっかねーんだもん。俺、小早川の事アイシテルし、度胸だって据わってる方だと思うけど。でも、やっぱりおっかねーよ。だって、男同士のエッチって、尻に腕突っ込んでグリグリとかするんだろ?」 寛太の口から出たとんでもない言葉に、ピタリと思考を止めてしまった。 「………………………………………………………………………………ナニ?」 「え? 男同士のエッチって尻に腕突っ込んでグリグリするんだろ? 薫もすげーよな。大杉とか、笠井センパイとかとそんなことしてんだもんな」 ……まかり間違っても、そんなことはしていないと薫は否定したいが、あまりの事に上手く言葉が繋げない。そもそも、そんな間違った知識を植えつけたのは誰なのだ。 「…………………ねえ。カンちゃん先輩、それ誰に聞いたの?」 「え? 御影センパイ」 嗚呼、やっぱり、と思いながら眩暈のあまり倒れそうになった薫だ。 だがしかし。 触らぬ神に祟りなし。所詮は対岸の火事。あえて、自分から巻き込まれに行くほど薫はお目出度くもないし、阿呆でもない。 「……カンちゃん先輩、頑張ってね」 イロイロな意味で。 無責任な乾いた笑いを浮かべて薫が言えば、 「おう!」 と、寛太はノーテンキに笑った。 |