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『051:携帯電話』 ………………………………

 *変態寮シリーズそのC



 携帯電話の機種変更をした。
 メモリの一番目に登録する番号は決まっている。機種変更するたびに、いつだって一番最初に登録してきた。
 三倉邦正(みくらほうせい)。血の繋がっていない兄の番号だ。
 手馴れた動作であっという間にその番号を登録してから、三倉薫は暫し考え込んだ。次に誰の番号を登録するか。何となく二人の男の顔が思い浮かんで、そんな自分にゲンナリしながら一旦折りたたみ式の携帯をパタンと閉じる。無意識にハアと大袈裟な溜息をついてテーブルの上に気だるそうに突っ伏した。
 平日の昼下がりの寮の食堂はさすがに人影まばらだ。以前の自分ならこんな風に講義の空きコマがあったらすぐに繁華街に飛び出して男漁りをしていただろう。だが、今は至極まっとうに、健全に寮の食堂でノートなんぞ開いている。らしくない。なんでこんな風に変わってしまったのだろうかと取り留めのない事を考えていると、トンと目の前に紙コップのコーヒーが置かれた。
「はい。砂糖無しのミルク入りで良いんだよな?」
 携帯を手にしたまま、ふと顔を上げれば、上機嫌な顔をした副寮長が立っていた。
「…御影センパイ。サボリ?」
「失礼な。専門の講義が休講になったんだよ。そういう薫こそサボリ?」
「…違うよ。もともとこの時間は空きコマ」
「ふうん」
 そう言いながら、御影は薫の前の席に腰を下ろす。
「それ、新しい機種?」
「あ、うん。この間出たばっかりのヤツ。機種変更してきた」
「へえ」
 興味があるのかないのか分からないような口調で御影は自分の分のコーヒーに口をつける。とりとめもなく、その様子を見ながら薫もコーヒーを一口飲んだ。
 少したれ気味で一重ながらもはっきりとした目はどこか優しそうで、雰囲気も穏やかで穏和に見える。だが、興味の無い人間に対しては恐ろしいほどドライで冷たい人間なのだと、薫の鋭い洞察力が御影の本性を見抜いたのは、入学してからすぐの事だった。笑いながら平気で人を切り捨てられるタイプの男で、しかも節操が無くてタラシだから始末に終えない。大概、自分も節操無しだが、御影にだけはかなわないと常々薫は思っていた。
 ふと、先日、このセンパイの餌食になった人物を思い出して、チラリと薫は御影の様子を窺う。最近、御影の機嫌がとんでもなく良いのは、やっぱりアレが原因なのだろうかと首を傾げた。
「…ねえ。御影センパイ。ちょっと聞いていい?」
 探るように慎重に薫が尋ねると、御影は器用にヒョイと片方の眉だけを上げて見せ、それから軽く頷いた。
「あのさあ……センパイって、ミワちゃんセンパイのこと、どこまで本気なワケ?」
「何でそんな事聞きたいの?」
「…だって。ミワちゃんセンパイってスゲー良い人なんだもん。真面目だし、純粋だし。不器用だけど優しいし。なんてーの? 遊び相手にしちゃいけない人っていうの? 俺が言うのもアレだけど、御影センパイがいい加減な気持ちで弄んでんなら許せないっていうか。あ、言っとくけど、賭けに負けたのが悔しいから言ってんじゃないよ?」
 珍しく、薫が真面目な顔で話せば、御影は一瞬だけ意外そうな表情を見せた。けれども、すぐに、苦笑を浮かべる。
「薫って、そういうトコ、スゲー笠井に似てるよな」
 別段、からかうような口調で言われたわけではないが、その内容に薫はむっと顔を顰めた。横暴で、無愛想で、ぶっきらぼう。変なところでお節介で、どうしても反抗してしまいたくなる寮長と、一体自分のどこが似ているというのか。全く似ていない。冗談じゃない。
「…似てないよ。俺、あんなにオーボーで、ぶあいそーじゃないもん」
「そうか? 俺、今薫が言ったことと似たようなこと、笠井にも言われたぜ? 2年以上前だったけどな」
 2年前以上前、というフレーズに薫は引っ掛かりを覚える。2年以上前に言われた? ということは。
「…………もしかして。もしかしなくても、御影センパイってさ。かなり前からミワちゃんセンパイ狙ってたとかいう?」
 顔を顰めたまま上目遣いで御影を睨みながら薫が尋ねれば、御影は紙コップに口をつけたまま、ヒョイと肩を竦めて見せた。
「まあ、俺のことなんてどうでも良いだろ」
「良くないよ。……あ! もしかしてさ、賭けの事も予防線? 他のヤツがミワちゃんセンパイに手出さないようにって…」
「さあねえ。それは企業秘密です。それより、お前はどうなってんの?」
「どうって何が」
「オニイチャン」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて御影が呟き、薫は口をつぐんで頬を膨らませた。
「何のこと?」
「工学部の助教授のオニイチャン、結婚しちゃいそうなんだろ? 今まであの手この手で妨害していた性悪なオトートがなーぜか大人しくしてるから、今度は上手く行きそうなんだって、とある筋から聞いたんですけどね?」
「……何がとある筋だよ。どうせ笠井センパイだろ? 普段無口なくせに、どーしてそういう言わなくて良い事は言うかなあ」
「俺達、オトモダチですから」
「類は友を呼ぶってヤツだね!」
「お褒めに預かり光栄至極」
「褒めてないよ!」
 薫が怒鳴れば、御影は声を上げて楽しそうに笑った。
「ま、最近は素行も真面目になったようだし? 以前の御乱交に比べりゃ、二股なんて可愛いもんだよな」
「…二股って何だよ。別に、俺は特定のヤツとつきあったりとか、本気になったりとかしないし」
「そ? ミワちゃんにいい加減なことするなって言うなら、お前も大杉のこと弄ぶなーって言いたいけどな」
「何それ。大杉センパイとは最初から、遊びって言ってあるし。別にセフレの一人なだけで…」
「どうだかな。ここ三ヶ月の間、薫が大杉と笠井以外のヤツとヤった気配ないんですけど」
 薫が焦ったように言い訳を始めれば、御影はそれを遮って、ますます楽しそうにニヤニヤと笑う。こういう所がイヤなんだ、絶対、この男はサドだと思いながら薫はふくれっ面になった。
「2年と3年の一番良いトコ取りするなんて、贅沢な話だよなー」
「もー良いから、御影センパイ黙っててよ! 俺、携帯に番号登録すんだから。邪魔!」
「ふうん?」
 旗色が悪くなってきて、薫がヤケクソのように言えば、意外にあっさりと御影は口を閉じた。しかし、その場所を去ろうとはせずに、薫の目の前に座ったままのんびりとしている。
 バツの悪さを感じながらも、薫は誤魔化すようにもう一度携帯を開く。だが、誰の番号を登録しようか考えた瞬間に、同じ場所で躓いて、忌々しげに舌打ちを漏らした。
 入れられない。余計に、どちらを先に登録するのか迷って、指は止まったままになった。

「…別に、俺はどっちの味方でもないし、人の恋愛カンケーって興味ないんだけどさ」
 黙っていろと言ったのに、ポツリとまた口を開きかけた御影を薫はジロリと睨みつける。だが、御影はそんなことには頓着せずに、
「独り言だよ。独り言」
 といけしゃあしゃあと言い切った。
「笠井ってさー、ああ見えて結構可哀相なヤツなんだよな。よく、腹空かして怪我したネコ拾ってくんだよ。
 マメに世話焼いてやって、怪我の手当てしたり、餌やったりしてんだけど、どいつもコイツも元気になると『どうもありがとうございました』ってニッコリ笑って出て行くわけ」
「……それが何」
「愛情かけてもらってさ、世話になっったんだから、いついてやりゃ良いのにって俺は思うんだけどね」
「…だから、それが何」
 薫が苛々としながら唸るように問えば、御影は不意に、穏やかで優しげな表情を浮かべた。
「ま、薫が一番楽に呼吸が出来る場所を選ぶのが良いんだろうとは思うけどな」
 そして、それだけ言って席を立つ。
「邪魔して悪かったな。それじゃあな」
 そのまま軽く手を振って御影は食堂を出て行った。その後姿を眺めながら、手持ち無沙汰に薫は携帯を弄り回す。


 御影の言っていることなど、もう、とっくに気が付いているし、十分に承知しているのだ。
 それでも、今はまだ、気がつかない振りをしていたい。気がつかない振りをさせて欲しい。
 小さな溜息を一つ零すと、薫は携帯のボタンを押し始めた。










 結局、考えることを放棄して、メモリにはあいうえお順に番号を登録した薫だった。



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