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『024:ガムテープ』 ………………………………

 *変態寮シリーズそのE



 トントントンと、とても柔らかいノックの音が三回、三和の部屋のドアで鳴った。こんな上品なノックをする男は、寮内には一人しかいない。この男しかいない無法地帯では、ノックなどせずに、不躾に入ってくる人間の方が多いくらいだ。
 三和は、読んでいた本から目を上げて、
「どうぞ。いいよ」
 と静かに返事をする。キイと、やはり柔らかさを感じさせる開け方で、小笠原秀敏(おがさわらひでとし)が幾つかの短冊色紙を持って部屋の中に入ってきた。
「今日は、御影きてへんのやな」
 御影が、あたりまえのように自分の部屋にいると寮生に認識されていることに、三和は少しだけ腐った気持ちになる。だがしかし、それもあと一ヶ月余りのことかと思うと感傷的な気持ちにもなった。
「もう、荷造り始めてるんやな」
 三和の部屋には既に、いくつかのダンボールと、荷造り道具が出しっぱなしになっている。立春も過ぎて、最後の後期試験も、卒製や卒論の提出も終了しているこの時期は、四年生には随分と暇な期間だ。卒業旅行か、あるいは、それまで住んでいたアパートや下宿先を引き払う準備しかすることはない。
「まあな。卒業式終わったら、すぐ引き払うつもりだし」
「なんや、さみしゅうなるなあ」
 少しばかりガランとし始めている三和の部屋を見渡しながら小笠原はしんみりと言う。小笠原は上品ではんなりとした穏やかな外見をしているので、そんな風に感慨深そうにすると、周りの空気までしっとりと落ち着くような気がした。
「こんな場所でも、名残惜しいからな」
「せやな。三和は実家に帰るんか?」
「ああ、一応家業継ぐ」
「家業継ぐて、お寺さんやろ? 住職はんになるんか?」
「いや。うち、書道塾やってるから、そこの先生になる。一応、住職の修行もするけど」
「はあ。三和やったら、ええ先生になりそうやな。実家、三重やったな」
 そう言って小笠原はふわりと、周りの空気まで和らげるような穏やかな笑みを浮かべた。
 三和の実家は県下でも三本の指に入るほどの大きな寺で、父親は住職をしている傍ら書道家としても名を馳せている。般若経の掛け軸など数十万円で取引されるほどの大家だ。三和は、その父に習って書道の道に進んでいた。
「小笠原は? 京都に帰るのか?」
「せや。ほんま、親がうるそおてかなわんわ」
 対して小笠原の実家は京都で、その親は茶道の小笠原流の家元だ。小笠原自身も小さな頃から茶道の世界に身を置き、大学でも茶道部の部長をずっと続けてきた。
「それ、書くんじゃないのか?」
 手にしている短冊色紙を三和が指差すと、小笠原は今更のように用事を思い出す。
「せや。追い出し茶会の短冊、頼もうと思うたんや」
 そう言って、小笠原は三和に短冊を差し出した。
「茶会に飾る短冊、三和に頼むのんもこれが最後やなあ」
 感慨深げに呟く小笠原に引きずられて、三和も少しだけ感傷的な気持ちになってしまった。非常識人ばかりが集まっているハチャメチャな住処だったが、それでも4年間もの時間を過ごしてきたのだ。寂しさを感じないと言えば嘘になる。そんな感傷を軽く首を振って三和は振り払うと、
「何書く?」
 と小笠原に尋ねた。茶道部でお茶会があるたびに、こうして、小笠原は床の間に飾る短冊を三和に書いてもらっていた。大抵、時節にちなんだ短歌や漢詩を綴って来た。
 小笠原はそのはんなりとしたいかにも和風然とした外見とは裏腹に、字が汚い。まるでミミズの這ったような字を書く。それを見かねて三和が代わりに書くと申し出たのが始まりだった。小笠原は、自分は書けなくとも育った環境のせいか、その良し悪しを見る目は肥えているらしく、初めて三和の墨書を見たときから酷く惚れこんでいた。
「三和の字はええな。好きや。こう、真っ直ぐで、しなやかで、力強さもある。見てるとほっくり暖こうなるような、おてんとさまみたいな字や」
 三和が短冊や掛け軸を書くたびに小笠原は柔らかい笑顔を浮かべて衒いもなく褒め、三和は少しだけ恥ずかしそうにその言葉を受け取る。それは、一年の頃からずっと続けられてきた習慣だったが、それも二人が卒業してしまえば終わってしまう。
「せやな…最後やしな。勧酒がええかな」
「茶会なのに?」
「ええやないか。最後の二行がいかにもやし」
「原文じゃなくて井伏鱒二にするか?」
「俺は、その方が好きやけど」
「じゃあ、そうしよう」
 三和は立ち上がって、硯と墨を取り出すと丁寧な仕草ですりはじめた。小笠原は、それをのんびりと眺めている。三和が真剣な表情で墨をすっている姿を見るのが小笠原は好きだった。
「三和の部屋の匂い、好きやったな。墨の匂いがする」
「後から入るヤツは匂いが残って可哀相だけどな」
「御影が入るやろ」
 からかうような口調で言われて、三和は少しだけムッとする。御影の策略で初めて関係を持った日から、なぜか、なし崩しに二人は付き合っているのだと寮内では認識されていた。確かに、ずっとセックスはしていた。だが、付き合っているのか、二人は恋人同士なのかと言われると三和は首を捻りたくなる。
 卒業して離れてしまえば、終わってしまう関係なのではないかと三和は漠然と考えていた。
 すり上がった墨に筆をひたして短冊に文字を書き始める。

 『花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ』

 最後まで書き終えると、やっぱり何か寂しさのようなものが込み上げてきて、三和は思わず溜息を零してしまった。
「何ぞ、悩みでもあるんか?」
 そんな三和の態度を見逃さず、小笠原は優しげな表情を浮かべて尋ねてきた。
「…込み入ったこと聞いていいか?」
「ええけど?」
「…卒業したら舞子さんどうすんの?」
 舞子とは、小笠原の恋人で昼間は臨床検査技師、夜はSMクラブで女王様をしていると言うツワモノだ。そもそも、小笠原はこんな上品ではんなりとした雰囲気を持っていながら真性のマゾなのだ。ニッコリと綺麗で品の良い笑顔を浮かべながら、平気で、
「拘束されて、アナルに張り型突っ込まれて、騎乗位でヤるんが一番好きや」
 などと言っては寮生を悶えさせている。だが、純粋なストレートなので、男とセックスしたことは無いらしい。自分より、小さくて、華奢で、弱い女の子に苛められるのが楽しいのだと、三和にはよく分からないことをとうとうと語ったこともある。
「卒業したら結婚するで」
「……え! ?」
「なんや、その反応は」
「や、だって、結婚するにはまだ若すぎるんじゃないのか?」
「関係あらへん。舞子が子供欲しいゆうとるし。俺も、舞子の子やったら欲しいしな」
 きっぱりと言い切る小笠原に、羨望の様なものを感じて三和はやっぱり溜息を零した。自分達の曖昧な関係を省みるにつけ、何だか羨ましい気がした。それが素直に表情に出てしまっていたのだろう。
「御影とうまくいってへんのか?」
「…うまく行ってるも何も…」
 ただ、セックスしているだけの関係なのだと思う。セックスの相性だけで言えば、正直、かなり良い相手なのだろう。三和は、すっかり御影のキチクの入ったセックスに慣らされてしまっていた。昨日など、荷造り道具を片付けずにいたら、ガムテープで手首をグルグルに縛られて、散々、ヤられてしまった。少々SMっぽい状況でも、三和は感じまくってよがりまくったのだが、それが、また、三和を複雑な心境に追いやっている。
「御影、さっさと弁護士になって、三重で開業するて言うとったで」
 小笠原が、楽しそうに言った言葉に、三和は、え? と顔を上げる。
「まあ、三和が何に悩んどるのか分からんでもないけどな。信用したってもええんとちゃう?」
「……アイツ、何考えてンのか分かんねーんだよ」
「まあな。エエカッコしいやさかいな。しかもサド入っとるし。俺がゲイやったら、結構タイプやったけど」
 小笠原がからかうように言うので、三和は少しだけ口を尖らせて黙りこんでしまった。それを見て、小笠原は声を立てて笑う。
「三和は、真面目すぎて融通がきかなくてかなわんわ。寝室なんて誰に覗かせるわけやあらへん。俺らかて、結婚しても、子供生まれても性癖直す気あらへんで?」
「…直せよ。子供が歪んだらどうすんだよ」
「そんなんで歪んだりせえへんて。大事なのは愛情やろ?」
 その愛情が分からないから困っているんだとは、三和には言えない。再び溜息を一つ吐くと、無遠慮にドアが開き、噂をすれば影、とばかりに御影が部屋に入ってきた。
「あ、小笠原先輩来てたんだ」
「すぐ帰るわ。ほな、短冊おおきに」
「いや」
「お礼にいいことしてったるわ。御影、ちょおこっち来い。こっち来て、三和と手重ねてみ」
 そう言いながら小笠原は御影を手招きする。御影は軽く首を傾げたが、あまり警戒もせずに近寄ってきた。小笠原に手を重ねろと言われて、三和と御影は訝しく思いながらも右手と左手を重ね合わせる。すると、小笠原はその穏やかな雰囲気には似合わない素早い動作で、近くに放り出してあったガムテープを手に取り、あっという間に二人の手を一括りにしてぐるぐる巻きにしてしまった。
「小笠原! ? 何すんだよ!」
 三和が慌てて抗議すると、小笠原は、やっぱりいつものはんなりとした上品な笑顔を浮かべる。
「それでセックスしてみい。何や分かるかも知らへんで。ほな、邪魔したわ」
 そして、そのまま部屋を出て行ってしまった。
 腕を括られて離れられない状態にされて、御影はきょとんとした表情を浮かべている。
「アレ何? 小笠原先輩、どうしたの?」
 どうしたのと言われても、三和にも良く分からない。よく分からないけれど。
「……御影。お前、三重に来るの?」
 そう尋ねていた。御影はおどけたように肩を竦めて見せる。
「まあ、当分先だけどね。ミワちゃん、こっちに残る気ないんでしょ?」
「…無いけど」
「じゃ、俺が行くしかないだろ?」
 あっさりとそう言われてしまうと返す言葉も無い。三和は小さな溜息を一つ吐くと、すぐ近くにいる御影を見上げた。
「…せっかくの好意だから、セックスする?」
 珍しく、三和から誘えば、御影は素直に嬉しそうな表情で笑った。それを見て、三和は、まあ良いかと思う。




 覆いかぶさってくる御影の重さを心地よく感じながら、コレも一種の緊縛プレイなのかなあ、ガムテープの使い方、やっぱり間違ってるよなあ、などと完全に変態寮に毒されたことを考えた三和だった。



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