『076:影法師』A …………… |
「ちょっと」 突然、挨拶もなしに朝の教室で声を掛けられる。机に向かって本を読んでいた視線を上げると、アカネが憮然とした表情で立っていた。 「何だい?」 「昨日のアレ、何だったのよ?」 いきなり、その話題かと思ってげんなりしてしまう。もう、いい加減、それから離れたいってのに。 「知らないよ」 「知らないって、アンタが連れてきたんでしょ?」 連れてきたんじゃなくて勝手に付いてきたんだと昨夜も言ったような気がする。 「本当に分からないんだって。葦原さんにでも聞いてくれよ」 「イヤよ! アイツに聞くなんて!」 だからって、僕に聞くか。彼女は鈴置ともウマが合わないかもしれないが、僕とも合わない。 「もう、いい加減にしてくれ。僕だって、あんな変なのにつきまとわれて迷惑してるんだ」 うんざりしたように言い返すと、彼女は一瞬ムッとした表情になった。が、倍にして言い返してきたりはせずに、奇妙な表情を浮かべた。 「アタシ、あの子、何か見たことあるのよね」 「? どこで? 知り合い?」 僕が意外そうな顔で尋ねると、アカネにしては珍しく歯切れの悪いものの言い方で、 「知り合い…じゃないと…思うんだけど……」 と答えた。それから、ふ、と顔を上げ、僕の目をじっと見つめ何か言いたそうな真剣な表情を浮かべた。アカネは何かを言おうとして口を開きかけ、迷って閉じる、と言うことを何度か繰り返した。まるで、金魚みたいな動作で少しおかしかったけど。 結局は、何かを振り切るみたいに軽く頭を振って、 「何でもないわ。変なこと聞いて悪かったわね」 と僕の席を離れようとした。 「あ、ちょっと。僕も聞きたかったんだけど…紅葉って誰だい?」 昨夜、尋ねられなかった素朴な疑問を投げかけると、アカネは硬直した。それから、悔しそうな表情で下唇を噛みしめる。何だろう? まるで、らしくない、泣きそうな表情。 「…バカ…」 「は?」 「馬鹿な奴よ」 そう吐き捨てるように言うと、僕の席とは反対の方向を振り返る。 「あの席。紅葉の席」 「ああ、あの、ずっと空いている席? 誰もいないのかと思ってた」 「アンタが転校してくるちょっと前から欠席してる」 「? 病気?」 「さあね。アタシには関係ないわ」 早口にまくし立てると、それ以上は言いたくないらしくアカネはそのまま自分の席に帰ってしまった。一体、何だろう? 要領を得ないアカネの答えに満足できず、昼休みに、同じ事を飛田に尋ねたら。 「ああ。紅葉はオレ達の仲間の一人でさ。今は、病気で休んでるんだよ」 と、あっさりと答えてくれた。あまりのさりげなさに僕は一瞬騙されそうになったけど。飛田はポーカーフェイスが上手だったが、僕には、その青い影は隠せない。 「みんな、何を隠してるんだい? 病気って、治らない病気なのかい? だから、みんな、そんな風に淋しそうにしてる?」 僕が、業を煮やして尋ねると飛田は少しだけ驚いたような顔をした。 「…名波って、特殊能力があるんだったな」 「特殊能力…か、どうかは分からないけど。人の感情は嫌でも見えてしまうね」 「…そっか…あのさ。タケルには、それ、聞かないでやってくれよ。アイツ、見た目よりデリケートな奴だから。聞かれるとツライと思うんだよな」 「? 良く分からないけど、まあ、そう言うなら。飛田は? 平気なのかい?」 「まあ、タケルほどには思い詰めたりしないからな。割と何でも客観的に考える癖がついてるし」 「ああ、確かにそんな感じだね」 「紅葉が治らない病気かって言うのは、イエスであり、ノーだな」 「? 手術すれば治るとか、そう言う病気ってことかい?」 「それは、ノー。手術でどうこうって病気じゃない。治るかどうか分からないのが正しい」 「…学校に来れないほど重いんだ?」 「さあな。重いかどうかは分かんないけど、寝たきりじゃ学校に来れないだろ?」 「寝たきり? なのかい?」 「そう。もう、一ヶ月も意識が戻ってない。所謂、植物人間って奴? まあ、医学的にはちょっと違うらしいけど。いつ、起きるか、それ以前に起きるかどうか分からないって点では似たようなモンだろ」 「…そうか…それで、みんなあんな風な顔をしてたのか…」 「まあね。でも、タケルやアカネが怒ってるのはそこじゃないけどな」 「どういう意味だい? 怒ってる? あの二人が? そこじゃないって?」 僕が訝しげな表情で尋ねると、飛田は、ちらりと僕の顔を見てから上体を仰け反らせて椅子を揺らした。ぼんやりとした表情で天井を見上げているけれど、青い影は濃くなるばかりだった。 「オレはそれ以上言えないよ。はっきりしたことも知らないし。まあ、好き勝手なことを言ってる連中もいるらしいけどね。そう言う奴らを見つけると、アカネとタケルがシめてるみたいだし」 曖昧な返事で言葉を濁す。その複雑なオーラの色を見てしまうと、さすがに、それ以上は聞くことが出来なかった。 飛田に言われた以上、鈴置に何か尋ねることもできない。アカネも、あれ以上のことは言ってくれないだろう。と言うか、何か聞いたらやぶ蛇になりそうだし。それなら、洞木さんに聞いてみようかと思ったけれど、放課後、委員会の用事だとか何だとかで、洞木さんは捕まえ損ねてしまった。 まあ良いか、明日聞けば、と思いながら『紅葉』と言う少年の事を考えている内に、重要な懸案事項を忘れてしまっていた。 そして、それに気が付いたのは次の日の朝、教室で、鞄を開けたときだった。 「あれ?」 鞄の中から教科書やノートを取り出そうとして、グチャと、湿った感触がした。それから、ガサガサ、と妙な音。 眉を顰めて、鞄の中を手探りで確かめていると何か堅いものがゴソゴソと動いた。 「うわっ! 何だ?」 驚いて、その堅い塊を取り出すと…。 「何…? …カブトムシ…? ? ?」 それから、続いて湿った感触を引き出す。 「……」 「はよっス。…あ? 何? それ? スイカの皮? 何だよ? 朝っぱらからスイカ?」 「…らしいね…」 後ろから飛田に声を掛けられて僕は不機嫌に答えた。 「らしいねって…名波が持ってきたんだろ? ってか、教室で食ったワケ?」 「何で、こんなものを僕が学校に持ってこなくちゃならないんだい? 今、見たら鞄に入ってたんだよ…もしかして、転校生イジメ?」 僕が、真顔で飛田の顔を見つめて尋ねると。 「ご丁寧にカブトムシまで突っ込んでか?」 飛田が、例のカブトムシを持ち上げて面白そうに笑った。僕も本気で疑っていたわけじゃないから、一緒に笑う。誰がやったか容易に見当は付いた。 「子供の悪戯みたいだな。これ、駅前のスーパーに持っていくと千円くらいで買ってくれるぜ?」 「子供の悪戯……まさに、子供の悪戯だね。酷い目にあわせるってこういうことか…」 大きな溜息を吐いて、カブトムシを飛田から取り上げる。悪戯でも何でも、勝手に売るのはどうかと思った。 「何? 思い当たる節があるのか?」 「まあね。約束を破った報復を受けた」 「それはまた穏やかじゃないな。謝っておけよ」 飛田は磊落に言うと笑って自分の席に着いた。 仕方がない。こんな事を毎朝続けられても困る。 放課後にでも、例の神社に行こうと決めた。 社に続く長い長い階段を下から見上げる。この階段を上るだけでも難儀だって言うのに、よくもまあ、こんな面倒なところに呼び出してくれたものだ。 夕方のオレンジ色に緑の林と朱色の鳥居が染まっている。 意を決して、石段を登り始めると、祭りの時と同じようにヒグラシの声がどこかから聞こえてきた。ただ、この前と違うのは、辺りに誰もいないことと、祭囃子が聞こえてこない分辺りがシンと静まり返っていることだ。 もう、すっかり季節は夏で、日中は酷く暑いし、最近は夕方になってもなかなか涼しくならないが、この石段は楡の木に囲まれているので、日陰になっていてヒンヤリと涼しかった。 こういう雰囲気だと、流石に神聖な場所という感じがする。まあ、神社なんだから当たり前だけど。 僕は、息を切らしながら、石段を登り続けた。 時折、木々の間から夕方の光が射し込んで、石段を所々オレンジ色に染めている。ヒンヤリとした黄昏時の風と、蝉の声。何だか、ここにいると時間の感覚が麻痺するような気がした。何というか、数十年くらい、昔に来てしまったような、そんな錯覚。鬱蒼とした楡の木と、古びて、時々苔むしている石段のせいかもしれない。 三つ目の鳥居まで辿り着いて、一息入れる。額に滲んだ汗を腕で拭いながら更に続いている石段を見上げると最後の大きな鳥居が見えたが、その天辺に少年の姿は見えなかった。 社の方から、子供達の騒ぐ声が聞こえてくる。神社の脇に公園があったから、もしかしたら、そこで遊んでいるのかもしれない。それにしても、こんな石段を上ってわざわざ遊びに来るなんて、元気だ。 息が整ってきたので、残った石段をまた登り始める。 一番上の、一番大きな鳥居を潜って、ふと、後ろを振り返る。はあ、と大きな溜息を吐いて、視線を下に落とした。 「こんにちは。素敵なプレゼントをありがとう」 嫌味を言いながら隠し持っていたカブトムシを目の前に佇んでいる狐のお面に差し出した。 「お前が来ないからだぞ」 少年は上目遣いで僕を睨み付けていたが、どこか、おどおどと怯えているような表情が浮かんでいた。叱られるのが怖いけど、意地を張ってふくれている子供は、カブトムシを受け取ると、つ、と僕から視線をはずし、俯いてから、所在なさそうにカランと下駄をならした。 「で? 君は一体誰なんだい? 僕に何をして欲しいの?」 「僕は、僕だ。誰でもない」 まるで、禅問答のような答えを子供が返す。 「僕は、僕だ、ね。ある意味、真理だ。でも、僕が聞いているのは君の名前」 「名前なんて無い」 「……ふうん。じゃ、やっぱり人じゃないんだな。神社についてる狐の精霊とかそういうの?」 「……」 答え無し。当たらずも遠からじ? 「で? 目的は?」 「? 目的?」 「用事があるから僕を呼びつけたんだろう?」 「用事なんて無いぞ? お前が呼んだんだろう?」 「は?」 要領を得ない答えに僕が首を傾げると、少年はこの前と同じようにキュッと僕の左手を握った。 「お前。寂しいって。僕を呼んだ」 「え?」 少年の言葉の真意を図りかねて、僕が戸惑っている間に、彼は、僕の手を引いて境内の一角に僕を連れていき、ちょんと腰掛けた。一段、周りより高くなっているその場所からは、神社の裏手の公園が一望できて、数人の子供達が、そこで楽しそうに遊んでいるのが見えた。 辺りは、いつの間にか薄暗くなってきているけど、子供達には関係がなさそうだった。親が心配するだろうに。 「少しは寂しくなくなったか?」 僕の隣に腰掛けて、ぶらぶらと膝から下を遊ばせていた少年は、ふと僕を見上げながら尋ねてくる。 「? 何のことだい? 僕は寂しくなんかないよ?」 「でも、お前、青くなってた。病院でも。祭りの時も」 指摘されて、は、と大きく目を開く。人でないものは、人には見えないものが見える。 僕は、少年の大きな黒い瞳を見つめながら、妙に、はっきりと聞こえてくるヒグラシの声に耳を傾ける。辺りが静かすぎて、蝉の声が変な風に耳に痛かった。目の前にいるのは、確かに小さな子供の姿をしている。小さな身体に、少し大きめの浴衣。子供っぽいお面をつけて、僕をじっと見上げてくる。けれども、その表情はなぜか子供らしさとは程遠かった。まるで、何もかもを分かっている老人のような表情。その顔の作りは幼くあどけないのに。 「寂しくなんか、ないよ?」 ゆっくり、確認するように、言葉を切りながらもう一度言うと、少年は黙ったまま、目の前にある公園を見下ろした。 辺りは、大分薄暗くなってきて、街灯もない公園で遊び続けるのは困難な様だったが、子供達は気にした風もなく楽しそうに動き回っている。けれども、社の裏手の方から幾つか大人の声が聞こえてきた。恐らく、子供達の母親だろう。もう、いい加減に帰ってきなさい、と言って子供の手を引いて歩き出す。 こんな所まで迎えに来なくちゃならないなんて、親も大変だ。 「この時間帯は、嫌いだ」 不意に、拗ねたような声が隣で聞こえる。ふと、横目で見ると、今度は、実に子供らしい表情。一体、この子は何なんだろうと、本格的に頭を悩ませ始める。 「暗くなるのが怖いからかい?」 からかうように僕が尋ねると少年は、ふっと、口元をゆるませて笑った。こういう表情は、実に大人びていて、子供らしさからかけ離れている。 「怖いわけないだろ? お前にも分かるはずなのに」 「僕にも分かる? 何がだい?」 「迎えに来る人がいないと、青くなる」 突然の指摘に、僕は思わず口を噤んでしまった。この少年は、一体、何を、どこまで知っているのか。 「病院で青くなってたのはそのせいだな。でも、友達は、ずっと一緒にいれば大丈夫だぞ?」 「は? 何のことだい?」 「大丈夫。今は、まだ、時間が経ってないから入りにくいだけだ。ちゃんと、お前も入ってる」 そう言うと、少年は、妙に大人びた表情で僕の顔を見上げた。いつの間にか、辺りは真っ暗で、神社の社の周りにある街灯がかろうじて、僕らの顔をぼんやりと浮かび上がらせている。ヒグラシも夜が来たせいか、静まり返っていた。シン、と冴えきった空気の中で、サラサラと吹き抜けた夜風が少年の前髪を揺らす。 僕は、少年の言葉の真意を図ろうとして、その黒い瞳を懸命に見つめる。ちゃんと、僕も入ってる? 胸の奥がチリチリと焦げ付くような感じがした。自分の奥の方に伏せていた、気が付かない振りをしていた感情。 「…君も、寂しいの?」 君『も』と、僕は尋ねた。 諦めきっていた、けれども、どこかで燻り続けていた様々な事。目の前の少年は、同じ思いをしているのだと、根拠のない確信が僕の中で広がる。 「迎えに来る人がいないのは寂しい」 少年はぶっきらぼうに、短く答えた。僕の代弁をするかのようなその答え。いつまでも、病院のベッドの中で来るはずのない迎えを待っていた幼少時代を思い出す。もう、思い出して、胸を痛めたりしないと決めていた記憶。 そう言えば、目の前の少年と同じくらいの年頃だったか。 「迎えに来る人がいなかったのかい?」 答えはなかった。少年は身じろぎもせずに、無人になった公園を見つめている。それから、暫く二人で無言のまま公園を眺め続けていた。それは、不思議な感覚で、隣に座っているのが身内のような錯覚を僕にもたらす。たとえば、弟とか。いや、ともすれば、弟より近いような感覚だったかもしれない。 妙な、同調。 それで僕はひらめいた。無意識のうちに『僕』が同調して引きずってきてしまっていたのだと言う事を。 「…僕が連れてきてたんだね。ゴメンね」 「違うぞ? 僕が付いてきたんだ」 少年は、不意に子供らしい表情で笑うと、勢いをつけて体を起こす。カランと下駄が軽快な音を立てた。 「迎えに来る人がいないのはどうにもならないけど。祭りの時のは大丈夫。ちゃんと、お前も入ってる」 「そうかな?」 僕は、苦笑いして首を傾げた。もう一つ指摘されていた、子供じみたこだわりと疎外感。確かに、僕はあの時彼らの仲の良さに淡い羨望と、微かな嫉妬を覚えていた。そして、僕の知らない『紅葉』という少年の話が出たときに、気が付かずに疎外感と寂しさを感じていたのだ。 「そうだ」 少年はきっぱりと言い切る。それから、一段低い場所から僕を見上げてにやっと笑った。初めて目があったときと同じ、悪戯な表情で。子供らしくて、愛らしい表情だと、この時は感じる。 「君は、僕? 僕の中の何かが具現化してしまったのかい?」 ふと、浮かんだ疑問を口に乗せてみると、少年は、今度は少し大人びた表情で微笑んだ。 「違う。僕は僕だ。お前じゃない」 少年は、はっきりと否定すると、 「明日もまた来い。来ないと酷い目にあわすぞ」 と横柄に告げる。 「今度はクワガタ?」 僕が笑いながら言い返すと、少年はべぇっと舌を出して踵を返す。カランコロンと下駄の音を響かせて、小さな藍色の背中は宵闇に溶けた。 すっかり静まり返ってしまった境内を抜けて、僕は、また、あの長い石段を今度は下る。この参道には街灯が一つもないから、頼れるのは月明かりだけだ。 幸い、今夜は満月に近かったから割と明るくて何とか足下は見えたけど、人気のない神社というのは結構不気味だった。シンと静まり返っているのは、この時ばかりは怖かったから、早足に石段を駆け下りる。 最後の鳥居を一気に通り抜けて参道から抜けようとしたときだった。 「待って」 「うわっ! な…誰?」 静かな声で呼びかけられて、心臓が止まるかと思った。 振り返ると、参道の入り口にほっそりとした影が見えた。すっと、月明かりの下に歩み出てきたのは葦原レナだった。制服を着て鞄を持っているから、学校の帰りだったのだろう。 「……君か……。驚いた」 「あの子。どこに行ったの?」 相変わらず、前後関係のなっていない会話をする子だなと苦笑しながら肩を竦めた。 「さあ? 消えた」 「…そう……。それで?」 「それでって?」 「連れて来てって私は言ったわ」 「…連れて来てって学校にってことかい?」 葦原レナは、微かに首を傾げて暫く何かを考えていたようだったが。 「あの子を連れて来てってことじゃないわよ」 「はあ? じゃあ、誰を連れていけば良いんだい?」 「? …あなた、分からないの?」 「だから、何が?」 「…あなた、もしかして何も分かっていないの?」 「だから、何がだい? 君の言ってることは良く分からない」 要領の得ない質問に、少しイライラして突き返すと、レナは、微かに眉を上げた。 「…変な人。顔はちっとも似てないのに。どうして、石塚君に似てるのかしら?」 更に、彼女は意味不明な言葉を続けた。けれども、『石塚君』と言う言葉に引っかかる。 「石塚って誰?」 「石塚君は石塚君よ」 何だか、どこかで聞いたような答えだと思いつつ僕は眉間を人差し指で押した。ここで、キレちゃいけないと呪文のように心の中で繰り返す。 「ええと…石塚君って、もしかして、石塚紅葉って言う子?」 「そうよ? 知らないの?」 心底、驚いたように尋ねられて絶句した。もしかして、まさかとは思うけど、彼女は僕が二週間前に転校してきたのだと言うことを認識していないのだろうか。そう言えば、あんまり、他人に関心がなさそうだし。下手すると、僕の名前すら知らないかもしれない。 僕は、小さな溜息を一つ落として、彼女の顔を見た。 「噂は聞いたけど、本人と会ったことは一度もないよ? だから、その質問の答えは『知らない』だよ」 「じゃあ、どうして、あの子はあなたに付いてきたのかしら?」 葦原レナは手を口に当て、視線を地面に落として何かを考え始めた。僕は、彼女の言った難解な言葉を頭の中で何とか解析しようと試みる。 「あの子供は、その、石塚紅葉君とやらと関係があるってことかい?」 「…分からないわ」 「…はい?」 「…関係があると思ったんだけど。間違っていたのかしら? 良く分からないわ……」 葦原レナは本格的に悩み始めた様子で、くるりと踵を返した。それから、そのまま僕の存在などすっかり頭の端から消え失せたように歩き始める。僕が、呆然として彼女の背中を見送っている間、決して一度も振り返らなかった。鈴置と飛田が彼女を変人だと言っていたのを痛感した夜だった。 |