『076:影法師』@ …………… |
<出てくる人> 名波 和(ななみ なごむ)……特殊遺伝病持ち。特殊能力(霊感)アリ。 石塚 紅葉(いしづか もみじ)……意識不明の少年 葦原 レナ(あしはら れな)……変人と評判の霊感少女 南 アカネ(みなみ あかね)……ちょっと気が強い美少女、男嫌いの気がある 鈴置 タケル(すずおき たける)……関西弁の熱血少年、意外とデリケート 飛田 啓(とびた けい)……冷静沈着なメガネ君、洞察力が鋭い 洞木 香奈(ほらき かな)……おとなしくて、優しい委員長、しっかりしている 「森を真ん丸く切り抜いた真ん中に」 真っ白な壁にはられている様々な医学ポスターを何の気なしに眺めながら僕は、ぼんやりと立っていた。 いつものように、薬をもらいに病院によって、待合室で待っている時のことだ。 僕は、生まれつきの遺伝病を持っているために、極端に色素が薄い。 目も弱くて、日光を長い間直接浴びちゃいけないし、毎日、決められた量の薬を飲まなくてはならない。 だから、こうして、定期的に、薬を病院にもらいに来るのだ。 別段、いつもと変わらない、消毒薬の匂い。病院が変わったのは一ヶ月前のことだが、病院の匂いなんてどこも、似たり寄ったりだ。 包帯を腕に巻いた少女が、僕の外見が珍しいのか不思議そうに僕を見上げているのが目の端に写って、僕は、その少女ににこりと笑いかけた。少女は、少しだけ頬を紅く染め、はにかんだように笑い返して、母親の元に走って帰りその後ろに恥ずかしそうに隠れた。その微笑ましい光景に、僕は思わず笑ってしまう。 自分が小さい頃はあんな風だったのかなと思い返しつつ、今更ながら、自分にはあんな時代はなかったのだと思い出して自嘲的に肩を竦めた。僕には、あんな風に隠れさせてくれるような母はいなかった。 「名波和さん。2番窓口までお越し下さい」 スピーカーから、僕を呼ぶ声が聞こえる。 僕は、ポケットに突っ込んでいた手を出して、尻ポケットに入れていた財布を取り出しながら、二番窓口に向かった。 いつものように、診察券と薬を受け取り、お金を精算している時だった。 不意に、首の後ろにチリチリとした視線を感じた。 覚えのあるその感覚に、僕は思わず眉を顰める。 またか、と、溜息を吐いて決して視線を感じる方に目を向けないように留意しながら領収書を受け取り、踵を返して病院の出口へと向かった。 付いてくる。 入り口に向かっている間も、ずっと、首の後ろはチリチリとしたままだ。 運が良ければ、病院から出た途端に消えることもある。 もともと、病院は『出やすい』場所だから、こういうことは多いが、案外、病院から出られない奴も多いから普段は、あまり気にしないんだけど。 僕は、『それ』が消えて無くなってくれることを期待して、病院の出口の自動ドアを潜る。暫く、病院の敷地内を歩いて、バス停からバスに乗り込んだが。 …やっぱり、付いてきたか。面倒くさいな。 いつまでも消えない首の後ろのチリチリに溜息を吐いたが決して後ろは振り向かなかった。 振り向いてはいけない。 目があったら本格的に付いてきてしまうからだ。 僕には、こうして、普通の人には見えないものが見えたり、聞こえたり、普通の人には感じることが出来ない気配を感じることが出来る。 所謂「霊感」というものらしいが、どちらかというと、死んだ人の霊とかそういうものよりも、人のオーラとか、そいうもののほうが良く分かる。それほど、頻繁に『霊』と言う類のものには遭遇したことがないから、『霊感』というのは語弊があるのかもしれない。 それでも、こうして、時々、付いてこられることがあるのだが、大抵は、気が付かない振りをしていれば、その内、飽きてどこかに行ってしまう。 ただ、何日間にも渡って付いてこられると、気が付かない振りをするのにも神経を使って疲れてしまう。それを考えたら気鬱になってしまって、思わず溜息が零れてしまった。 新しい街に引っ越してきたばかりなのに、全くツいて無い。 空気が綺麗なところの方が良いだろうと言うことで、せっかく田舎に転地療養しに来たってのに。 僕の気鬱をよそに、バスはいつの間にか住宅街を抜け、田園風景に差し掛かっている。 もう、夏も半ばだというのにバスの中は冷房が効いていない。 その代わり、全ての窓が開け放されており、水田で自然に冷やされた空気が風になって差し込んでくる。多少の暑さも感じるが、その風が心地良いのでさして苦痛ではなかった。 風で、僕の白いシャツの襟がハタハタと揺れる。 遠くで、蝉の声。 真っ青な空と、入道雲。遠くまで広がる緑の田園。 悪い感じじゃない。 僕は、気鬱を晴らそうと意識を別の場所に飛ばすことに集中した。 都会にいた頃は、こんな視界の広さを体験することは滅多になかった。何か精神的に圧迫感を与える高層ビルもなければ、埃を含んだような空気も存在しない。ここの空気はとても澄んでいる。 バスは、僕が、二週間前から通っている中学校の前にある停留所で止まり数人の女生徒を降ろして再び走り始める。バスの窓から、中学校のプールが見えて、水泳部の人達が泳いでいるのが見えた。 それから、バスは中学校の敷地前を通り過ぎ、鬱蒼とした緑の林の前を暫く走る。林の中には随分と大きな楡の木があって、樹齢何百年だとか何だとか、転校初日に割と年輩の教師に教えられた。 楡の木林の緑の中にぽつんと目立って朱色が覗くのは大きな鳥居の一部分で、その林の中で一番古い木を御神木として祀ってある神社があるそうな。 そういえば、今週末にその神社でお祭りがあるから一緒に行かないかと鈴置と飛田に誘われた。 返事は保留にしてあったが、気分転換に行ってみようか。 せっかく夏だし、と、理由にもなっていないことをぼんやりと考える。 その次のバス停でバスを降りたが、やはり、例の視線は消えていなかった。 ……これは、部屋まで付いてくるな。面倒だ。まあ、悪い感じじゃないから放っておけばそのうち消えるだろうけど。苦笑いして肩を竦め、日光を避けるようにアパートの部屋に急いで入った。 「おっはようさん。名波、例の夏祭りの件、考えてくれた?」 朝っぱらから、妙なテンションの飛田に声を掛けられる。元気な奴だ。 「おはよう。一応、行くことにしたよ」 「おー! そうこなくっちゃ! 名波が来るって言えば、女の子が沢山来るからな! 恩に着るよ!」 そう言いながら、踵を返して女の子の集団の方に今度は駆けていく。 本当に、元気な奴だ。 そもそも、僕を誘ったのはそういう魂胆があったのか。まあ、ダシに使われるのは慣れているから別に大して気にもしないけど。 苦笑いしながら席に座ろうとしたら。 「アナタ、何をつけてるの?」 不意に、後ろから声がして、驚いてしまった。 振り向くと女の子が一人立っている。 確か、葦原レナ、という名前の女の子だ。 「ああ、葦原さん、おはよう。何?」 「だから、あなた、後ろに何をつけてるの?」 繰り返し尋ねられて、僕は、質問の内容の真義を暫く考える。後ろ? もしかして? 「君、見えるの?」 「変よ。後ろが白く光ってて後光を背負ってるみたい」 素っ気ない口調で言われて、僕は思わず目を見開いてしまった。 「光? 人の形じゃなくて?」 「…私、人の形では見えないの。大抵、青い陰とか、紅い陰とか」 「…へえ…」 飛田と、鈴置が彼女を変人呼ばわりしていた理由が何となく分かって、僕はまじまじと彼女を見つめてしまった。 「悪いのじゃ無いみたいだけど。変なの。懐かしい感じがするわ」 「懐かしい? 僕の後ろに付いてるのが?」 「ええ……でも、私に気が付いて小さくなったわ。何だか気に入らない」 そう言うと、葦原レナはムッとしたような表情で踵を返して自分の席に戻ってしまった。やれやれ。 田舎町に引っ越してきて、面白くも何ともない代わり映えのしない生活が始まるのかと思っていたが、案外と僕の周りは賑やかだ。 それにしても。 白い光ねえ。振り返ればどんな形をしているか僕にも分かるんだろうけど、目が合うと厄介だ。 やっぱり、気が付かない振りをしていようと心に決めて、僕はようやく自分の席に腰掛けた。 「おーーい! ! ここや、ここ! !」 社へ続く石段の一番下、石碑の前で鈴置が大きく手を振っているのが見えた。 あんまり大きな声で叫んでいるもんだから、周りの人間がクスクスと笑いながら僕と鈴置を交互に見て通り過ぎる。恥ずかしい奴。 石碑の前には、鈴置と、飛田。それから、委員長の洞木さんと南アカネと件の葦原レナがいた。飛田が喜んでいた割に、結局は、鈴置と仲の良い洞木さんとその連れのアカネしか呼んでいないのが何となく面白かった。口で言ってるよりも、案外、真面目で、硬派な奴らなんだろう。でも、葦原レナが来てるのは少し意外だった。 それとなく、飛田に尋ねてみたら、朝の僕らの会話を聞いていたらしく自分から来ると言ったらしい。彼女にしては珍しいことで、雪でも降るかもなと飛田は笑って茶化していた。 「それにしても、意外と人出が多いんだね」 次々と、石段を登っていく親子連れや、浴衣を着た女の子連れをを眺めながら僕が感想を漏らす。 「まあね。一応、この町じゃ一番大きいお祭りだからね」 「テキ屋もぎょうさん来とるで。射的や、射的! !」 「バッカじゃないの? 子供ね」 「なんや、南、文句があるならついてくるなや!」 「別についてきた訳じゃ無いわよ! アンタ達が馬鹿なことしないか見張りに来てやったのよ!」 鈴置とアカネが言い合いを始めると洞木さんがまあまあ、と仲裁に入った。彼らと知り合って、まだ、二週間ちょっとだったが、随分と仲が良いのは外から見て良く分かる。田舎町だと子供の数が少なくて、嫌でもみんな幼なじみで、良いトコも悪いトコも全部知ってるからなあと、飛田が苦笑しながら言っていたが、そう言う飛田も輪の中にいるときはとても居心地が良さそうだった。 そんな風に混ぜっ返しながら皆と石段を登っていく。 割と急な石段で、しかも段数が多い。聞いたら、四百段近くあるそうだ。お年寄りが上るには大変だろうに。 百段ごとに踊り場のようなスペースがあって、朱色の鳥居が立っている。鳥居の横には狐の石像と小さな祠があった。何でも、御神木に由来する狐の神様が四匹いて、それが一匹ずつ鳥居を護っていてどうのこうのと、説明された。一番上の鳥居が一番大きくて、一番偉かった狐の神様が祀ってあるそうだ。 さすがに、一番上の鳥居につく頃にはみんな息が切れていて、僕も例外ではなく荒い息を吐き出しながら、鳥居を見上げた。 確かに大きな鳥居だ。5、6メートルはあるだろうか。 黄昏の夕闇にぼんやりと朱色の鳥居が佇んでおり、遠くから祭囃子の音が聞こえてくるのは夏の風物詩と言った感じで情緒がある。 お囃子に混じって、ヒグラシの声が聞こえてくるのもなかなか良いものだった。 感慨に耽りながら、僕は、その大きな鳥居を見上げた。 鳥居の向こうには真ん丸い月が煌々と光っている。 そして、鳥居には小さな子供が………子供…子供? 「はぁ?」 僕は目を疑ってその大きな鳥居の天辺を凝視した。 鳥居の天辺に腰掛けて、小さな子供が足をぶらぶらと揺らしていた。 何かの見間違いかと思って目を擦ってもう一度見つめ直すと、子供は、僕の方を見下ろしてにやっと笑った。ヤバイ、目が合った、と思った頃には時既に遅し。 てっきり、後ろをずっと付いてきているものだとばかり思っていて油断した。 カラン、と、僕の横で下駄の音がする。 一体、いつの間に鳥居の天辺から降りてきたのかと聞いてはいけない。 僕が見ているのは、常識では理解できない存在なのだ。 それでも無視して過ぎようと思ったが。 ヒンヤリとした感触が左手に触れた。嗚呼、本格的にヤバイと思って天を仰いだ。 「名波? どうしたんだよ?」 僕の奇行を咎めて、飛田が尋ねてくる。他のみんなも怪訝そうな顔で僕の方を見つめていた。 ただ、葦原レナだけが、深刻そうな顔で僕の左側をじっと眺めている。 「ゴメン、ちょっと、先に行ってて。すぐ追いつくよ」 僕が切実な表情でお願いすると、どう取ったのかは知らないが、皆、顔を見合わせてそれから、分かったと言って社の方に歩いていった。 これで、取りあえず、巻き添えを食らわすことは無くなったから良いけど。 「おい。お前」 となりの『それ』が不遜な口調で言った。 『お前』なんてこんな子供に言われるのは腹が立ったが、こういう輩を見た目で判断すると痛い目にあうのだ。 「なんだい?」 なるべく穏やかな口調で返して、僕は覚悟を決めて自分の左側を見下ろした。 …小さな少年だった。見た目は5、6歳と言ったところか。藍色の浴衣に浅黄色の帯。下駄を履いている。頭には白い狐のお面を着けているのが愛らしかったが何を要求されるのかを考えるとそんな悠長なことは言っていられない。 「本当は見えてたくせに、よくも、ずっと無視してくれたな」 子供が拗ねた口調そのもので、文句を言ってくる。そうは言われましても。 「…君の相手をするいわれはないよ」 僕が邪険に手を振り払おうとすると、少年はプゥと頬を膨らませ、次第に目に涙を溜め始める。大きなその黒い瞳が見る見る間に涙で潤み始めるのを見て、流石に僕も良心が咎めた。小さな子供を泣かせて良い気分になれるような変態ではないので、仕方なく小さな溜息を落とす。 「ああ、分かった分かった。おとなしくしてるなら、付いてきても良い」 僕が諦めの態でそう告げると、少年は、今度はにへらと笑った。今泣いたカラスが笑ったとはこのことだ。 「そんなに言うなら付いていってやるぞ」 相変わらず横柄な態度で少年は僕の左手をきゅっと握り直す。ヒンヤリとした小さな手は本物の子供のそれと全く変わりがなかった。 なんで、こんな厄介なものを拾いこむハメになったんだか…。 少年の手を引いたまま、祭囃子の聞こえる社の方に向かって歩き始める。 参道には、金魚掬いや綿飴、射的や、輪投げ、風船釣り、べっこう飴などの露店が立ち並んでいて、結構な人で賑わっていた。僕はその人混みを縫って更に歩く。ちらりと少年の方を見たが、案の定、周囲の人には彼は見えていないようだった。そこには存在していないものと認識して、僕は避けて歩いてくれるけど、少年には頓着していない通行人達。けれども、少年は、そんな通行人達を器用に避けてすいすいと僕に付いてきた。 ようやく社の前に着くと、鈴置達がお稲荷さんの石像の前で僕を待っていた。 「遅いで! 待ちくたびれたやないか」 「ゴメンゴメン」 多分、鈴置達にも件の少年は見えないだろうから、敢えて何も言わずに合流する。ただ、やはり、葦原レナだけは気が付いているらしく、僕にだけ聞こえるように、ボソリと 「やっぱり、連れてきたのね。この前よりはっきりしてる」 と告げたが、それ以上は何も言わなかった。 それから、皆で一応お参りをした。お賽銭の金額が多いの少ないので、また喧々囂々と鈴置とアカネが言い合いを初めて、飛田と洞木さんが困ったように笑っていた。一通り、騒ぎが収まると今度は気を取り直して、皆、露店で遊び始めた。 それにしても、本当に、彼らは仲が良い。 「つき合いが長いから。小学校からずっと一緒だし。何となく、いつもこの面子で遊んでるかな。でも、仲が良いなんて言うと鈴置とアカネは『単なる腐れ縁だ! 』って怒るから言わない方が良いわよ?」 洞木さんも笑いながら飛田と同じ様なことを言った。飛田と同じで、まんざらでもないような表情をしながら。そう言う、気のおけない関係は何だか少し羨ましかった。 「でも、本当は、もう一人いるんだけど」 ふと、洞木さんが独り言のようにポツンと漏らした言葉に、僕は、え? と振り返る。いつの間にか、彼女の表情には青い影が差している。夜闇のせいじゃない。月の光のせいでもない。空気が「寂しさ」を纏っている。 何だろう? そう言えば、時々、鈴置も、飛田も、アカネも、表情に乏しい葦原レナでさえも、こういう色になることがある。たった、二週間分しか彼らのことを知らない僕にも、それだけは分かった。 「おい! 名波もやれよ!」 不意に飛田に声を掛けられて、僕は、洞木さんの表情が気になりつつも前にいる飛田に目を移した。 金魚掬いの店先で、鈴置と、アカネがまたもや何匹掬っただの何だので言い合いを始めている。懲りない二人だ。 「僕、こういうの苦手なんだけどな」 苦笑しながら水槽の前にしゃがみ込む。僕の左側にひょこんと小さな黒い頭もしゃがみこんだ。おとなしくしていろと言ったせいなのか、少年は、本当におとなしくしていた。 「ほー。お前、体育は得意やないか。反射神経とこういうのは案外関係ないんやなあ」 「そういや、意外に、紅葉がこういうの得意だったよな」 飛田が、何気なく漏らした言葉になぜか、鈴置とアカネの空気が凍った。それまで、楽しそうにはしゃいでいた二人が急に眉を顰める。 「その名前、出さないでよ。気分が悪くなるから」 アカネが、痛いのを我慢しているような声で不機嫌に告げた。 「そないな言い方ないやろ」 鈴置も、力のない様な声で言い返す。飛田も自分が何の気なしに漏らしてしまった失言に気が付いたのか、気まずそうに「悪い」と短く謝った。 まただ。 今度は、一斉にみんなの顔に、青い、薄い、影。真夜中の青い月の光みたいな、綺麗だけど、冷たい淋しい蒼い空気。紅葉というのは誰か尋ねようとしたけれど、その空気のせいで尋ねることは出来なかった。何となく気まずい気分でいると、左手がきゅっと握られる。見下ろせば、少年の大きな黒い瞳がじっと、僕を見上げていた。 何か、もの言いたげな大きな瞳。なんだろう? 小さな狐のお面が変な風にズレていて、少年の表情は蔭って見えた。 「ねえ、アナタ……」 不意に、背後から葦原レナに声を掛けられる。驚いて振り返り、反射的に立ち上がってしまった。 「あ…びっくりした。なんだい?」 「アナタじゃないわ。その後ろの子」 葦原レナは、なぜか硬い表情で僕の後ろをじっと見下ろしている。 少年が、怯えたように僕の後ろに隠れ、僕のシャツの裾をキュっと掴むのが分かった。 「後ろの子? 何言ってるんや……? ああ? 名波、お前、それ、隠し子か?」 鈴置が葦原レナを不思議そうに眺め、それから、僕の後ろに目をやって驚いたような表情をする。 「あら? いつのまに付いてきたのかしら?」 洞木さんも言葉をつなげて。 「弟? …って感じじゃ無いな。もしかして迷子か?」 「何よ? アンタ、どっから付いてきたのよ? お母さんとお父さんは?」 飛田とアカネが同じように尋ねたのを聞いて僕はぎょっとした。見えてる? 普通の人には見えないはずなのに。というか、さっきまでは見えてなかったはず。 少年は、カラン、と下駄の音をはっきりと鳴らして一歩後ずさる。それから、悪戯を見つかってしまった子供がするような気まずそうな表情を一瞬だけ浮かべ、不意に踵を返して駆けだした。 「あ! ちょっと!」 「どこ行くんや!」 その背中にみんなが声を掛けたが、少年は振り返りもせずに器用に人混みをすり抜けて逃げていき、あっという間に姿が見えなくなった。 「…どこかに行っちゃった」 「名波君の知り合いじゃないの?」 「…いや。知らない子だよ。引っ付かれて困ってたんだ。追い払ってくれてありがとう」 「追っ払うって…迷子かもしれないのに…」 僕が、複雑な心境でぶっきらぼうに会話を打ち切ると、皆が訝しげな顔をした。 「…追い払ってないわ。きっと、また、付いてくる」 変な風にはっきりとした葦原レナの声が雑踏の中に溶けた。彼女は立ちつくしたまま、じっと少年が消えた方向を見つめている。どうして、そんな風に彼女が言い切れるのか分からずに僕はぼんやりと彼女の横顔を見つめていた。他の人達は、何が何だか分からないと言うように奇妙な表情で僕らのやり取りを眺めている。 「何でアンタに分かるのよ?」 たまりかねたアカネがつっかかるように尋ねると、葦原レナは不意に僕らの方に振り返ってうすく笑った。これには、僕よりも皆の方が驚いたようだった。いつも彼女は無表情だと思っていたが、それは大分以前からそうだったらしい。きっと、皆も彼女が笑うのを見るのはとても珍しいのだろう。 「あの子、人じゃないもの。名波君に付いてるのよ」 平然として葦原レナは答えた。さすがに、これには僕もぎょっとする。僕の横で、飛田が「出たよ…霊感少女…こえー…」とボソリと漏らすのが聞こえた。 「あれ? でも、名波君、追っ払うって、さっき……もしかして、名波君も普通じゃない人?」 洞木さんが、恐る恐る尋ねてくる。嗚呼…明日から、僕も「変人」呼ばわりだ…。 「…まあね。普通の人が見えないのが見えるって程度だけど……」 「それが普通じゃないんだって……」 「なんや、それで名波の奴に取り憑いたっちゅーわけか?」 「取り憑いてないって。付いてきただけ」 「どう違うんや?」 「鈴置は、ちょっと黙っててよ」 「なんやと? お前こそ、ちょー黙っとれや! 南!」 「あーもー。二人ともいい加減にしろよ。で? 名波に付いてきたってことは、俺達には害はないってことか?」 「多分ね。っていうか、君たちに気が付かれて逃げていったから。大丈夫だと思う」 「そうか。じゃ、オレは別にいいや」 飛田が関係ないという風に肩を竦めた。良いご性格で。 「私たちには害が無くても、名波君には害があるってこと?」 洞木さんが、良心的な発言をする。僕は答えに窮したが。 「そんなんじゃないわ」 なぜか、葦原レナが僕の代わりにはっきりと答えた。 「何で、アンタに分かるのよ?」 相変わらず、つっかかるようにアカネが尋ねたが、もしかして、この二人はウマが合わないのか? と言うか、アカネは鈴置ともウマがあわなそうだけど。 「別に。私、もう帰るわ」 答えにもならない答えを返すと、葦原レナは踵を返す。 「あ、ちょっと!」 そのまま、僕らを置いて帰ろうとしたが、去り際に僕を意味深な表情で見つめ、 「あの子、連れてきてね」 と、呟いた。 僕らには分からないことを、彼女は知っていそうだったが、聞いても答えてはくれなさそうだった。 結局、残された僕らは、その後は何となく興を逸してしまってダラダラと遊んでいたが、暫くして、そのまま解散してしまった。 何だか、遊び足りないような、ほっとしたような気分で家路を急いでいる途中だった。 電信柱の後ろに潜む小さな影に僕は気が付いた。頭の辺りで白い小さなお面がチラチラと揺れている。やっぱり、付いてきたか。あれで、追い払えたとは思っていなかったけど。 「何だい? どうして、僕に付いて来るんだい?」 僕は人通りのない道の真ん中で立ち止まって、電信柱の後ろに向かって話しかけた。すると、さっきの少年がひょこんと飛び出してくる。 「お前!」 …だから、その生意気な口調がムカつくんだって。 「何だよ」 「明日も神社に来い」 「何で、僕が行かなくちゃいけないんだい?」 「いいから、来い! 来ないと酷い目にあわせるぞ!」 少年は、それだけ言い残すと、現れたときと同様に唐突にヒュンと消えた。本当に面倒くさい。神社になんて行くものか。 |