『048:熱帯魚』H ……………… |
ガヤガヤと騒がしい生徒会室に、ひっきりなしに生徒が出入りしている。机には幾つものプリントの山が乗せられていて、蟻の通る隙間もなさそうだった。そんな中、一際大きな声でそれはあっち、それはこっちと的確に指示を出しているのは泉谷祐だ。たった一人で、よくもまああそこまで全てを把握しているものだと比呂はその姿をぼんやりと眺めながら感心する。部屋の中に倉持恭司の姿は見えない。さっきまで体育館にいたらしいが、今は講義棟のほうでトラブルの対処に当たっているらしい。比呂はこの生徒会室にこもりっきりで、寄せられた教室配備書や、請求書、リース関係の確認書などを片っ端から処理しているので、朝から殆ど恭司の顔を見ていない。何となく寂しいなと思いながら、仕事の最中にそんな事を考えるのは不謹慎だと首を横に振った。 「会長! 新しく、機材搬入されたみたいですけど!」 教室の入り口から顔を覗かせた生徒が大きな声で叫ぶ。祐は入り口まで出向くと何かの紙切れを受け取り、それから、短い返事をして踵を返した。 「比呂。これ。リースに頼んでたスピーカーと照明器具関係の処理。恭司に頼んでおいて」 なぜか、比呂のところまでやってくると祐は短くそう告げる。 「…え? でも搬入管理班の班長って、竹田さんですよね?」 「アイツはもういっぱいいっぱいでテンパってるから恭司にやらせる」 「でも…」 そうは言っても、恭司も自分の担当以外の仕事をかれこれ五つほど押し付けられて掛け持ちしているはずだ。比呂が知る限りでは、昨日の夜から一睡もしていない。相当疲労が溜まってるはずで、倒れてしまわないかと心配げな顔を比呂がすれば、祐は人の悪い笑みを浮かべた。 「大丈夫大丈夫、恭司なんて比呂の顔見れば元気出るから。てことで、講義棟にいるんでよろしく」 そんな風に言われて、何となく恥ずかしい気分で比呂が頬を微かに染めても祐は頓着しない。そのまま、再び自分の席に戻ると仕事を再開してしまった。 ■ ■ ■ 「あの…倉持センパイいますか?」 合同講義室の入り口で、適当な生徒に声を掛けると大きな声で恭司を呼んでもらえた。ステージの上で雛壇を作る指図をしていたようだが、比呂に気がつくと、恭司は途端に嬉しそうな顔をして入り口まで飛んでくる。 「何?」 「あの…これ。泉谷センパイが、倉持センパイに頼んで来いって」 そう言いながら、リース関係の書類を差し出す。恭司はそれを見ると大袈裟な溜息を一つ吐いて、 「アイツは、俺を過労死させる気か?」 とうんざりしたように呟いた。 「つか、比呂寄越して頼む辺りアコギだよな、アイツは」 苦笑する恭司に比呂は不思議そうに首を傾げた。 「え? 何で?」 「何でって…比呂に頼ませれば、俺がヤダって言わないって知ってるから」 あっさりと答えられて、比呂は耳まで赤くしてしまう。以前も恭司の比呂に対する扱いは似たようなものだったが、比呂は小馬鹿にされているとばかり思い込んでいたのでそっけなく返していた。しかし、今はそういうわけにも行かない。バカみたいに甘やかしてくる恭司に、どう反応していいのかわからずに、すぐにこんな風に赤くなってしまうのだ。 「うわ! 何? 何で比呂、そんな顔してんの!? めっずらしー」 たまたま近くを通りがかった生徒会の役員が、驚いたような表情で比呂と恭司を見遣る。 「そ、そんな顔って何ですか? 俺、変な顔してますか?」 思わず自分の顔に手を当てて、比呂が尋ねればなぜか恭司が代わりに、 「変じゃない変じゃない、カワイイカワイイ」 と楽しそうに答えるので、ますます赤くなってしまう。 「お、俺、もう戻りますから」 居た堪れなくなって比呂がそう言えば、恭司は、 「ご苦労さん」 と軽く手を振った。そのさり気ない優しい表情に比呂はくすぐったい気持ちになる。 「あの…あんまり、無理しないで。仕事、大変だと思うけど」 照れ隠しのような気分で比呂がそう労えば、恭司は溶けそうな顔で笑った。が、隣にいた生徒は酷く驚いたように目を見開いている。なんで、そんなに驚いているんだろうと不思議に思いながらも軽く一礼してその場を去れば、後ろの方で、 「何だよ! アレ!? 比呂、キャラ違ってない!?」 と騒いでいるのが聞こえて、やっぱり、何のことだろうかと比呂は首を傾げたのだった。 ■ ■ ■ 「仲直りできてよかったな」 と、祐は面白そうに言っただけだった。それ以上のことは言わずに、今まで腑抜けてた分の仕事はしてもらうからな、とニッコリ笑いながら比呂と恭司に恐ろしい言葉を投げかけてくれた。そして、その言葉の通り、残りの一週間二人とも死ぬほど働かされた。せっかく仲直りしたのに二人きりになる時間も取れないほど。 けれども、気持ち的には落ち着いていたので然程不安に思うこともなく比呂は仕事に没頭した。どうやら恭司も同じらしく、今までどんよりと沈んでいたのが嘘のように、精力的に動き回っていた。 やっと倉持らしくなったと他の役員も安堵していたが、比呂もそう思う。いつも明るく笑いながら、周りを引っ張っている恭司を見ているだけでも、比呂は満足だった。時折、周りの目を盗んで他愛ないスキンシップを仕掛けてくれるのも嬉しかった。ただ、さすがにこの一週間はセックスはしていない。忙しすぎてそんな時間が取れないからだ。けれども、比呂はそれが少しだけ物足りない。せっかく気持ちが通じ合ったのだから、抱き合ったりキスしたり、それ以上のことをしたいと思うのは普通じゃないのだろうかと、悩んでいる。 ベタベタとスキンシップを取りたがる割に、恭司は案外、性的なニュアンスを排除しているようで比呂はどうしていいのかわからないのだ。恋愛そのものが初心者なのだから仕方がない。 ふと、祐に、時間が空いて生徒会室に二人きりになったときに相談してみれば、何がおかしいのか祐は笑いながら、 「や、恭司なりに反省してンだって。一生懸命我慢して、さり気なさを装ってるんだから放っておきな」 とよくわからないことを言われてしまった。 もしかして自分がおかしくて淫乱だから、こんな事を考えてしまって悪いのだろうかと更に尋ねたら、祐は腹を抱えて本格的に笑い出してしまい、暫くの間話にならなかった。 「あー。じゃ、文化祭終わったら素直に恭司に言ってやりな」 「言うって?」 「エッチしたいって素直に言うの」 「そ、そんなこと言ったら嫌われませんか?」 「ダイジョーブダイジョーブ。それはナイ。まー、でもその後のことは俺は責任取れないけどナー」 やっぱり祐は笑いながらそんな無責任なことを言う。 「俺の言うことに間違いないって。メモもちゃんと役に立っただろ?」 そう言われてしまうと、比呂は反論できない。結局、祐もメモの中身については明かしてはくれなかったが、尊敬する人の言うことだから大丈夫だろうと納得することにした。 比呂が祐の言ったとおりにした結果、恭司にメチャクチャにされて、次の日足腰が立たなくされてしまい、比呂は二度と祐の言うことは信用しないことにしようと後悔したが、それは、また後日の話。 --- E N D. |