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『063:でんせん』 ……………

 *『048:熱帯魚』の続編です。そちらを先にお読み下さい。




 2月は会計職の正念場である。
 比呂が会計を務める生徒会の面子が一番忙しいのは文化祭、次いで体育祭だが、それとは別個に会計には決算という名の最大の関門が2月に待ち受けている。
 それぞれの部活が溜めに溜めた領収書を会計に提出してくるのを、捌かなくてはならない。一応、年度始めに立てた予算というものは存在するが、もちろん、その範囲内で収まる部活など一つもありはしない。当然、部活側は一円でも多く生徒会から金を搾り取ろうとするし、生徒会は逆に、厳しく財布の紐を絞らなくてはならない。生徒会から出してもらえなかった分は、当然、部活内で帳尻合わせをすることになるので自然と折衝は激しいものになる。しかも、比呂達の通う高校は特に武道系の部活が強いので会計は毎年大変な苦労を強いられる。柔道、弓道、剣道、空手にテコンドー、レスリング、いずれも県大会常連の強豪だ。中でも空手は全国大会ベスト16の選手を二人も抱える常勝校。成績が良い分、押しも強く、より多くの金額を請求してくる。
「だからって、遠征費全部なんて絶対に出せないっつーの」
 ギッと音を立て、椅子に深く凭れながら祐はパチンと予算請求のプリントを指で弾いた。
「ですよね? 請求額、予算のほぼ倍だし」
 困ったように比呂が眉を顰めて首を傾げる。こんな表情をすると非常に可愛らしいのだが、そうさせているのが自分でないのが気に入らないのが約一名。
「却下却下。ダメって言って来い」
 祐があっさりとそう言って書類を放り出すと、本日、隠しもせずに『不機嫌』と顔に書いてある恭司が横からそれを取り上げた。
「俺、言ってきてやるよ」
「アアン?」
 恭司が提案すれば、こちらもあからさまに眉間に皺を寄せた祐が剣呑な声を上げる。ここ数日、祐と恭司の間にバチバチと電気が放電しているのを肌で感じている比呂は気が気ではない。
「つーか、何でお前いんの? 帰れって言ったろ?」
「何でだよ? 俺だって副会長なんだから、決算の手伝いしたっておかしかないだろうが?」
「手伝いィ? お前、はっきり言って事務作業向いていないだろ? 金計算も杜撰だし。しかも、比呂の邪魔してばっかりじゃねーか。帰れ帰れ!」
 普段、祐は仕事中に決して感情を表には出さない。それが、こんなにあからさまな態度を取るのは相手が恭司だということと、いい加減、煮詰まっている決算処理に切れかけているせいなのだが、恭司は頓着しない。もともとが鷹揚な性格で細かいことを気にしない上に、恭司の方も相手が祐だと容赦がなくなるからだ。
 祐は恭司の手にあった書類を乱暴に取り返すと、反対側に立っていた比呂に差し出した。
「比呂、行ってこい。予算額しか出せませんって」
「ちょっと待てよ! なんで比呂に行かせんだよ!」
「ああン! ? 比呂は会計なんだから比呂が行くのは当然だろうが! ?」
 いい加減、祐の額には血管が浮きかけている。コレが恭司いわく『お手伝い』、祐いわく『邪魔』で、比呂が困惑してしまっている原因だった。
「空手部なんて、一番柄の悪い連中が集まってるトコじゃねーか! 比呂に行かせて何かあったらどうすんだよ!」
「何かって何だよ? お前、色ボケすんのもいい加減にしろよ?」
「逆上した部員に、比呂が殴られたりしたらどうすんだよ! ? 部室に連れ込まれて、押し倒されたりしたらどうすんだよ! ?」
 真剣な表情で言い募る恭司に、祐はこめかみを押さえ深々と大きな溜息を一つ吐いた。
「………あのな、恭司。お前、アホだろう?」
「あっ…あの! 俺、俺行ってきますから!」
 先ほどから二人のやり取りをハラハラしながら見ていた比呂が見かねて口を出す。
「恭司センパイ、心配してくれんの嬉しいけど、これは俺の仕事だから。ちゃんとやりたいんだよ? だから、恭司センパイは先に帰って待ってて?」
 恭司の真正面からじっと見上げ、小首を傾げて比呂は『お願い』のポーズを取ってみせる。本人は気がついていないらしいが、この仕草に恭司は滅法弱い。だがしかし、比呂が自分でそれを発見したわけではなく、祐に入れ知恵され、半ば強引に伝授されてしまった技だ。普段はあまり使わないが、こういう必要に駆られたときにだけ、少しばかりの後ろめたさを抱きながら使ってしまう。
 案の定、恭司はウッと言葉につまり比呂を困ったように見下ろす。手の平を無意識に開いたり閉じたりしているのは、抱きしめたいのを我慢している時のクセだ。
「ね? センパイ。今日でもう殆ど仕事終わりだし。終わったら、センパイのうちに行くから」
「でも…」
「明日休みだし、俺、泊まりたいんだけどダメかな?」
 駄目押しのように比呂が言えば、恭司の鼻の下はデロンとだらしなく伸びてしまう。当然、反論など出来ずに、渋々、
「…分かった。あんまり無理するんじゃないぞ?」
 と納得するしかなかった。それでも往生際悪く最後までぶつくさと祐に文句を言いながら出て行った恭司の後姿を眺めながら、祐は感心したように、
「比呂、お前、恭司の扱い上手くなったよなあ」
 とポツリこぼす。
「…誰のせいだと思ってるんですか…」
 憮然とした表情で比呂は言い返す。そもそも、事あるごとに比呂に余計な入れ知恵をしたり、デタラメを吹き込んで二人をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回しているのは他でもない、祐本人だというのに。
「えー? やっぱり、比呂にその素質があったからだろ? やー素晴らしい小悪魔っぷり!」
 ふざけたように手を叩く祐に、半ば殺意を覚えつつ比呂はこめかみを押さえた。
「で、その小悪魔っぷりで空手部と柔道部とレスリング部の主将を誑かしてください」
 そう言いながら祐は幾つかの書類を手渡してくる。クリップで留められているメモ用紙に書いてある数字は、生徒会から出せる予算額の上限だった。
「この金額で納得させて部活印もらって来い」
「……この金額厳しくないですか? 俺じゃ、なめられて絶対に判子もらえないですよ、きっと」
 比呂は自分の外見が男らしくないことを十分に承知している。背もさして高くないし、肉付きも決して厚くない。華奢な体型なので、武道系の部活動の連中のようなガッチリとした体格の男には馬鹿にされると思っている。しかも、比呂は一年でなみいる主将達から見れば明らかに目下で格下だ。そんな比呂の言い分が通るはずがない。投げ飛ばされて泣き帰るのがオチだと、少々情けない気持ちになりながら結果を予想してみたのだが。
 祐の見解は比呂とは違ったらしい。
「バーカ。何のためにお前を会計にしたと思ってんだよ? 恭司に借りを作るためだけじゃねーぞ?」
 不穏当な発言をしながら、何を思ったのか祐は立ち上がり、比呂の真正面に回った。何事かと思って首を傾げている比呂の顎を取り、祐はグイと比呂の顔を上向かせる。何だか、キスする時の角度みたいだなあと、その辺りはやはり天然ぼんやりのままなのだろう、のん気に比呂が思っていると、祐はふふんと笑った。
「この角度。良いか、覚えろよ。この角度で、目は上目遣い。涙を滲ませながら、『お願いします。部活印もらえないと、副会長に酷いことされるんです、お願い! 』と言え。そうすりゃ万事オッケー」
「………はい?」
「何だったら、ホントに泣いてもいいぞ。あ、これ貸してやる」
 そう言って祐が差し出したのは、ドライアイ用の目薬だった。この時期、乾燥が酷いのでコンタクト愛用者には必需の一品だ。
「使うときは、ばれないように使えよ? 結構、高度な技術を要するけどな」
 この人は何を言っているんだろうかと思いながら、比呂は唖然と祐を見上げる。だが、祐は真剣らしい。
「あ、それと、やりすぎると押し倒される可能性高いから、その辺は自分で考えて加減しろ。何しろ、これは諸刃の剣だからな」
 分からない、この人の言っていることが分からないと比呂は眉間に皺を寄せたが。
「この三件が終わったら、ほとんど決算処理は終わったも同然だからな、頑張って来い!」
 バンと勢い良く背中を押され、比呂は生徒会室を追い出されてしまったのだった。







「そっかー、まあダメもとで提出しただけだしな。ウチ、今年あんまり成績良くなかったし。諦めるワ」
 レスリング部の部長は非常に温厚な人だったらしく、比呂が提示した金額にあっさりと納得して部活印を捺印してくれた。柔道部の主将は最初ゴネたのだが、比呂が半信半疑で、祐に教えられた角度で見上げ、上目遣いで、
「捺印してもらえないと困るんです」
 と言ったら(さすがに目薬は使用しなかった)、途端にアワアワと慌てて、
「や、まあ、筑紫がそう言うなら仕方ないな」
 と、思ったよりもスムーズに捺印してくれた。
 比呂は少しばかりホッとして、それでも最後が一番の難関なのだと気を引き締めつつ空手部の部室へと向う。空手部は、今年度、団体戦で全国大会ベスト4、個人戦でもベスト8という過去最高の成績を上げているので、当然、ゴリ押ししてくるだろうという祐の予想だった。嫌だなあ、怖いなあと腰が引けつつも、いや、でも、これは自分の仕事だと比呂は自分に喝を入れる。繊細な外見の割りに、比呂は一度こうだと決めると結構頑固だし、意地もある。責任感も強いほうだ。
 比較的遅い時間に来てしまったので、武道場の方は電気が落ちていた。部室の方も人の気配はあるものの、もしかしたら部長は帰ってしまったかもしれない。そう思いながら部室のドアをノックすると、少しの間を置いて
「はい」
 と静かな返事があった。ドアが開き、中から出て来た人物は妙に眼光の鋭い背の高い男だった。祐と恭司も背が高いほうだが(ちなみに祐のほうが2センチほど恭司よりも高いらしい)、それと同じか、それよりも少し高いかもしれない。
「あ、あの。生徒会のものですが…部長はいますか?」
 少々ひるみながらも比呂がはっきりとした口調で尋ねると、男は框を手で掴みながらヒョイと眉を上げて見せた。その表情がどこかおどけているように見えて、比呂は心なしか緊張を緩める。
「俺だけど? 何?」
 確か、今年の全国大会個人戦でベスト8まで行ったのは空手部の部長だったはずだ。だとすると、この目の前の男だと言うことになる。こんな人に殴られたら大怪我するだろうなと思いながら、それでも比呂は毅然とした態度を取ろうと顔を上げて、男を真正面から見た。
「あ…ええと。決算の件で。提出された請求額はのめません。この金額が生徒会から出せる上限額です」
 そう言って比呂が金額の書かれたメモを差し出すと、男はじっとそのメモを見詰めた。
「キッツいなあ。今年、うちの部活、全国まで行って遠征費がすげーかさんだんだけど?」
 男の口調は決して押し付けがましくも脅している風でもなく、実に淡々とした口調だったが、逆に、冷静だからこそ比呂は反論する言葉に困ってしまった。
 空手部が良い成績を残したのは事実だし、高校の宣伝になったのも確かだ。だが、生徒会とて万能ではなく学校側から与えられた補助費と学生から徴収した生徒会費の範囲内でしか金額は動かせない。
「でも…生徒会で出せる金額も上限があって…」
「他の部活からとか回せないの?」
 実現可能そうな案を出されて比呂はウッとさらに言葉に詰まる。もっともな言い分だがその他の部活は殆ど決算処理が終了していて、提示した金額に部活印をもらってしまっている。今更変更は効かないだろう。困った、何と言って言い包めれば良いのだと比呂は途方に暮れた。
 (ううっ、泉谷センパイ…)
 心の中で祐の名を呼ぶがもちろん助けになど来てくれない。気分は、もはや『助けてドラエモーン』と叫ぶノビタである。仕方がない、ダメ元だと比呂は祐に教えられた角度に首を上げ、上目遣いで男を見上げる。さすがに嘘泣きはできないので、目は潤んでいなかったが。
「他の部活は全て部活印を押し終わっていて変更は出来ません。お願いします。これで納得してください。部活印もらえないと困るんです。…もらえないと…か…会長に酷い目にあわされるんです」
 一抹の後ろめたさを抱えながらも比呂は自分で脚色してそう伝える。祐は『副会長に』と言っていたが、恭司が自分に『酷いこと』などするワケがないので、さすがに引き合いには出せなかったのだ。だからといって、祐を引き合いに出してよいかと言えば別問題なのだが、比呂の中ではそちらの方が罪悪感が沸かなかったらしい。
 男は比呂の仕草に少しだけ目を細めて、それからふっと表情を緩めた。薄い笑みを浮かべて、
「酷いことって何されるの?」
 と、面白そうにたずねて来る。
「え? …ええと、それは…その…」
「こういうこと?」
 そう言うと男はひょいと比呂のあごに手を添えて、ちゅっと軽く唇にキスをしてしまった。あまりの早業に、比呂は目を白黒する。何をされたのか分からずにぼけっとした顔で男を見上げていると、男は今度は声を立てて楽しそうに笑った。
「お前、筑紫比呂だろ?」
「あ…え? あ、はい」
「可愛いねえ」
 そう言って比呂の手元の書類をさっと取り上げる。
「……予算の1.5倍か。まあ、この辺が限度だろうなあ」
 そう言いながら、比呂の目の前でポンと書類に判子をついてしまった。
「あ? え? あの?」
 そして、そのまま比呂に書類を手渡すと穏やかな表情で笑った。目は鋭いのに、そんな風に笑うと酷く優しそうに見えて、比呂は戸惑う。
「生徒会も大変だな。お疲れさん」
「あ、はい」
「これで仕事終わんの?」
「あ、はい、そうです」
 戸惑ったまま比呂が答えると、男はふうんとあさっての方向に眼を向けて何か思うところがあるような相槌を打った。そして、そのままパタンと部室のドアを閉めてしまう。
 目の前で閉ざされてしまったドアを見つめながら、比呂はやっぱり何がどうなったのか分からずに呆然としていたが。ふと目を落とした書類には確かに判子が捺印されていて、とりあえず任務が完了したことだけは理解したので、結局、釈然としない気持ちのまま生徒会室に戻ることにした。
 後は確定した金額を入力して最終的な決算書を作成すれば1年間の比呂の仕事は終わりなのだ。









「………だろ?」
「ったく……じゃないか……だって」
 遠くから人の声がする。何の声だろうと比呂はぼんやりと目を開けた。すぐ近くに白い机の板が見える。はっとして体を起こせば、薄暗い室内が目に入った。ファイルに書類を閉じれば全て仕事が完了すると、準備室に来たは良いが、疲れていてそのままうとうとと机に伏して寝てしまっていたらしい。何時だろうかとキョロキョロと周囲を見回したが時計は見当たらない。窓の外は真っ暗で完全に日が落ちていることだけは分かった。
 ずいぶんと遅くなってしまったらしい。恭司が待っているに違いないと比呂は慌てて立ち上がり、生徒会室へと続くドアの前まで行ってふと、そこに人がいることに気がついた。薄くドアが開いていて、そこから生徒会室の灯りが漏れている。それと人の話し声が聞こえた。
「一ヶ月も仕事が忙しくて、遊ぶ暇も無かったんだ。溜りに溜ってンだよ」
 そう言ったのは明らかに祐の声で。
「だからって、こんな場所でヤるか?」
 という声は聞き慣れない声だった。聞き慣れないが、全く聞いたことの無い声ではない。聞き覚えがある。一体どこでだったかと思いつつ、そっと比呂はドアの隙間から隣室をのぞいて仰天してしまった。
 祐が自分の席に座っている。それは別に良い。
「別に良いだろ? 誰もこんな時間まで残ってないって」
「人がいなきゃ良いってもんじゃないだろうが。場所を弁えろよ。生徒会長サン」
 クスクスと笑いながら祐の膝の上に向かい合うように座っている男は、ついさっき、比呂になぜかキスをして、書類に判子を押してくれた空手部の部長その人だった。
「うるせーよ。黙ってヤらせろ」
 いつになくぞんざいな口調で言い捨てる祐にも驚いたが、
「ガラ悪ぃーなあ。まあ、良いけど」
 そう言いながらキスをはじめてしまった二人にはもっと驚いた。
 (きっ、きっ……キスしてる! ! ! ! )
 比呂は無意識に両手で自分の口を覆い、声と気配を殺そうとしてしまった。頭の中では『どうしよう、どうしよう、どうしよう』と同じ言葉だけがグルグルと回っている。だが、もちろん部屋の中の二人はそんな比呂に気づくはずも無い。祐の手が男のシャツのボタンをはずして中に入っているのが見えて、比呂はますますうろたえてしまった。頭の中には、やはり『どうしよう』の一言しかない。
 自分で自分の心臓の音が聞こえるほど動悸は激しくなっているし、手にはじっとり汗をかいている。『ンッ』とかピチャっとか言う音が漏れ聞こえてきて、比呂の頭は爆発寸前だった。
 (しっ、しっ、したっ! 舌いれてるっ! ! それより、てっ、てっ、手がっ! 泉谷先輩の手がっ! ! ! )
 比呂の頭の中はいまだかつて無いほどの大恐慌に見舞われていた。もっとも、目の前で繰り広げられている光景は、まだまだ序盤で、普段、比呂自身が恭司とやっていることを考えれば、まだたいしたことは無い段階だったのだが、悲しいかな、比呂はAVなど見たことが無かった。それどころか、映画やドラマのラブシーンすら気恥ずかしくてまともにみれないような『筋金入り』だった。
 もうダメだ、これ以上見たら頭が爆発する、とばかりに比呂はバタンと大きな音を立てて勢い良くドアを開く。その音に、中の二人は酷く驚いた顔をしたがその表情を比呂が見ることは出来なかった。両手で顔を覆っていたからである。
「ごっ、ごっ、ごめんなさい! ! でも、でも、俺っ! 何も見てません! !」
 それだけを言って、カバンを引っつかむと脱兎のごとく生徒会室を逃げ出した。部屋を出て数秒後に、誰かが大爆笑している声が後ろから聞こえてきたけれど、笑われていることにすら気がつけない比呂だった。








 頭の中で、グルグルとさっきの光景が回り続けている。心臓は相変わらずドキドキと激しく脈打っているし、比呂は自分の頭から湯気が出ているのではないかと思った。『どうしよう、どうしよう』とその言葉を相変わらず再生しながら通いなれた部屋のインターフォンを押す。
「おう、比呂、お疲れ。遅かったな」
 そう言いながらドアを開け、笑いかけてきた恭司に襲い掛かるように比呂は抱きついた。
「ひ、比呂? どうした? 何かあったのか? 顔真っ赤だぞ?」
「センパイッ! 今日、お父さんとお母さんは! ?」
「え? え? 二人とも泊りがけでゴルフ行ったけど?」
 比呂の勢いに気圧されたように恭司は、答える。その答えを聞いた比呂は、ガシっと恭司の腕を引っ張ると水槽の脇のソファーに引っ張っていった。
「比呂?」
 いぶかしげな表情で覗き込んでくる恭司をそのままソファーに押し倒すとその膝の上に馬乗りになる。
「先輩っ! エッチして! 今すぐエッチしてっ!」
 今すぐそうしてもらわないと、頭が爆発してしまう。でなければ脳みそが沸騰する。なぜ自分がそんな状態に陥ってしまったのかは分からずに、ネジが一本外れたまま比呂は喚く。真っ赤な顔のまま、普段はどちらかと言えば奥ゆかしい恋人が叫ぶのを恭司は唖然として見上げたが。
「比呂? ど、どうした? 落ち着け、な?」
「なんで! ? 先輩、エッチするの嫌なの? 嫌なのっ! ?」
「いや、だから、」
「嫌なの! ?」
「や、嫌じゃないです!」
「じゃあして!」
 してくれなきゃ嫌だぁ、と泣きべそをかき始めた後輩に、恭司は呆然としたが。
 据え膳食わぬはなんとやら。
 取りあえず、誘われているらしいと理解した恭司はクルンと比呂と体の位置を入れ替えた。比呂が忙しくしていたせいで、半月以上していない。所詮は、やりたい盛りの高校生。珍しい恋人の誘いに抗えるはずなど無い恭司だった。













 ぎゃっはっはと下品な笑い声を上げている親友を憮然とした表情で恭司は睨み付けていた。そもそも、『親友』という定冠詞をつけることを見直すべきなのではないかと恭司は最近、とみに考えている。親友はしまいには、腹を抱えてヒーヒー笑いながら涙まで零し始めた。
「……祐、笑いすぎ」
「や、ま、アレだな、アレ。生まれて初めて深夜番組でちょっとエッチなシーンとか見た中学生っつーの? いや、イマドキ中学生でもアレはないよなー。小学生?」
 笑いながら、祐はそんな失礼なことを言う。
「やっぱ、比呂って小学生だったんだな! もう、お前ら面白すぎ! 絶対期待を裏切らねー!」
「話には聞いてたけど、ホントだったんだなあ。俺、筑紫ってもっとスれたやつだと思ってたワ。やー、あんな天然記念物初めて見た」
 感心したように祐の隣で頷いているのは、比呂に知恵熱を出させた原因の片割れだ。
「っつーか、細川も止めろよ、コイツを」
「俺の言うこと聞くと思う? コイツが」
「…思わねー…けど」
「で? まだ比呂は寝込んでるって?」
 あの日、狂ったように、ねだられるままに散々セックスした後で比呂は発熱して寝込んでしまった。慌てて医者に連れて行けば、風邪の症状ではない、精神的なショックからくる発熱だと言われてしまったのだ。しかも、何やら子供の知恵熱に似ていると。
「…寝てるよ。お前のせいで」
「や、まあ、でも寝込む前にちゃんとヤったんなら良いじゃん? あ、そうだ。風邪じゃないんならもう一回ヤれば熱下がるんじゃね? 熱あるときヤるとスゲーいいぜ?」
 あまりにあまりな事を言う祐に恭司は呆れ、細川には憐れみの目を向ける。熱がある時にまで、この男にヤられたのかと。
 細川は恭司の視線の意味を正確に理解して、軽く肩を竦めて見せる。
「祐だし」
 諦めたようにそういう細川に、恭司も、
「そうだよな。祐だしな」
 と諦めの態で相槌を打った。



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